- Amazon.co.jp ・本 (318ページ)
- / ISBN・EAN: 9784061975767
作品紹介・あらすじ
命がけの恋の世界を歌い、あまりにも有名な『殉情詩集』。人口に膾炙する「秋刀魚の歌」を所収の『我が一九二二年』。強い反俗的批評精神が横溢する「愚者の死」等の「初期詩集」。古今東西の詩人のエッセンスを熟知しつつ、あえて古典的韻律にこめた清新な情感と詩の未来を見すえる凄烈な意志。多くの抒情詩と一線を画する"佐藤春夫の詩"の出発点から大正十五年刊『佐藤春夫詩集』とその「補遺」までを全収録。
感想・レビュー・書評
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慶應大学・三田キャンパスの片隅に、歌碑が建っている。「さまよひ来れば 秋草の ひとつ残りて咲きにけり おもかげ見えてなつかしく 手折ればくるし花散りぬ」。昔々、既に他の大学に入っていたのだが、諦めきれず慶應を受験し、帰りに、この歌碑を見た。佐藤春夫との出会いである。
詩など、あまり読まぬ私だが、佐藤春夫はいい。胸がきゅんとするっていうやつだった。やはり慶応に入りたいと思いを強くした。
数年前、熊野速玉大社に詣でた折、その横に佐藤春夫邸が移築され、記念館となっていた。新宮市出身なのだ。そして近くの寿司屋で昼食をとったとき、長年の謎が解けた。秋刀魚の歌の一節「さんま、さんま そが上に青き蜜柑の酸(す)をしたたらせてさんまを食ふは その男がふる里のならひなり」和歌山が蜜柑どころとはいえ、さんまに蜜柑は、いかにもまずそうだと思っていたのだ。寿司屋が言うには、果実は質を上げるために、熟す前に実を間引きする。その摘果という作業でとれた青い、酸っぱい蜜柑を地元の人は焼き魚などに添えるのだそうだ。それなら、うまそうだ。思わぬ収穫だった。
大学も出て、ずいぶん経ってしまって、歌碑の思い出は昔々の事だけれども、本書収録の詩の一節に、こんなのがある。
「我等を指してなげきたる 人を尻目に見おろして 新しき世の星なりと おもひ傲れるわれなりき 若き二十は夢にして 四十路に近く身はなりぬ 人問ふままにこたへつつ 三田の時代を慕ふかな」。
大林宣彦は、佐藤春夫の影響を随分受けているようだ。大林映画ファンにもおすすめしたい一冊である。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ひとつひとつの唄からはエントロピイなきエネルギイが見られ、
諧謔的な純度高い清冽な意志は瞠目せざるを得ない。
韻律を収斂し剪定された詩たちには祝福と花束を与えたい。