- Amazon.co.jp ・本 (622ページ)
- / ISBN・EAN: 9784061975774
作品紹介・あらすじ
アメリカ南部の名門コンプソン家が、古い伝統と因襲のなかで没落してゆく姿を、生命感あふれる文体と斬新な手法で描いた、連作「ヨクナパトーファ・サーガ」中の最高傑作。ノーベル賞作家フォークナーが"自分の臓腑をすっかり書きこんだ"この作品は、アメリカのみならず、二十世紀の世界文学にはかり知れない影響を与えた。
感想・レビュー・書評
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キャディーがゴルフ場のキャディーか家族のキャディーかわからなくなってるところあたりから始まり、長男、次男の考えかたの違いがよみとれる。
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1929年発表、アメリカの小説家フォークナー著。アメリカ南部の町で、名門コンプソン家が没落していく。一部では障害者であるベンジャミン、二部ではハーバード大学に通う長男クエンティン、三部では物欲的な次男ジェイソンがそれぞれ中心になり、四部は神の視点で語られる。一部と二部ではいわゆる「意識の流れ」が大胆に取り入れられており、頻繁に過去の場面がフラッシュバックする。
晦渋と言われているだけはあった。以前読んだ、同じ著者の「八月の光」より格段に読みづらい。
原因はやはり一部と二部の「意識の流れ」だろう。特に一部。障害者の思考を再現しているために、ものすごいことになっている。途中にフラッシュバックを挟む小説はあまたあれど、そこから現実に戻った時に、段落を開けずに平然と時系列がずれていることは、まず他の小説ではあり得ないだろう。しかもベンジャミンが言葉を発さないので、より一層、状況が分かりづらい。何だか読んでいると、本当に自分が言葉を発せられなくなったような、勝手に周りに押し流されているような気分に陥る。
二部まで読み進めると、一部でフラッシュバックに慣れているせいか、案外スラスラと読めた。この部の、クエンティンと女の子が一緒に歩く場面が、個人的には本小説で一番好きだ。女の子のいじらしさと後味の悪い結末により、切ない余韻が残る。
三部と四部はほとんどジェイソンの話といっていいだろう。コンプソン家が具体的にどうなってしまったかが、ここで大方分かることになる。
全体を通して見ると、本小説は、正直さほどストーリーが面白いわけではない。ラストシーンはあっさりしているし、目を引くようなグロテスクなシーンは間接的にしか語られない。これといったテーマも見当たらない(「八月の光」以上に、そう感じた)。ただ、それが故に、前衛的な手法と相まって、読み終えた後のスケール感が強調されている気がする。それは地理的なスケールというより、特にベンジャミンとクエンティンにおける、閉じた人間の心に降り積もった物語の重みに関するものだ。 -
「響きと怒り」について考えた時に、聖書のような書物の成立のしかたについて思いをはせることがある。
最終的にある程度、編集された形、整った形になっているようではあるけれども、実際はいろんな物語を集めてきたり、複数の弟子によって語られる物語であったりと、中に様々な声が入っていて混沌としている印象を、私は聖書から感じる。聖書というのは例えで、誰が作者と特定できないような、昔の物語とでもいえばいいだろうか。
奇しくも「響き(Sound)」と題にあるが、「響きと怒り」は様々な声が寄せ集まっている様子を、描いているのかなと思うことがあるのである。様々なものが寄せ集まって何かへ転化しようとするエネルギーそのものを読者に見せているのではないかと考えたりする。 -
実体を伴う神話、定型としての寓話。
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始めに感じられた読みにくさは、圧倒的な心地よさに変わる。
自然な状態では、意識とは常に交錯しているものなのではないか。
とぎれとぎれになりそうな文脈をつなぎとめることが日常の労働なのかもしれない。
それぞれの章ごとに文体が異なり、揺れている。
ベンジーの心象風景を夢想するが、そのようなものは元々存在しないのだ。 -
四章構成で、それぞれの章が異なる視点から書かれている
最初の章は白痴である三十三歳のベンジャミンが視点人物で、ここでまず混乱させられる。読み進んでいくとどうやら記憶と現実が混同しているようだとわかる。白痴である彼にとっては記憶は現実そのものとして体験されるので、記憶の中の出来事がそのまま地の文として描かれる。しかも彼の記憶は過去のさまざまな出来事を行ったり来たりするので、時系列がむちゃくちゃな断片的なエピソードを、読者自身が白痴になったかのように追体験させられることになる。しかしこれらの出来事の意味がほんとうに分かるのは、最後までこの小説を読み終えてから、ということになるので、読者は最後の章まで読み終えた後で、この章を読み返すことになる。
次の章は、クェンティンが視点人物で、彼は空想的詩人であり、コンプソン家の他の人々同様、破滅型の人間であり、破滅することを望んでおり、「妹と近親相姦を犯したその罪のために自殺する」という空想(実際にはそのような罪は犯していない)を抱いており、自殺することを計画している。
コンプソン家のなかで唯一の正気の人として描かれているジェイソンは実務的人物で、彼の母が評しているように、コンプソン家というより母方の家の血を継いでおり、コンプソン家のなかではむしろ孤立した青少年時代を過ごしたが、いまでは没落するコンプソン家を経済的に支える屋台骨となっている。彼は母以外の人を愛していないようで、実際に母が死んだ後には、白痴であるベンジャミンを精神病院に送り、コンプソン家の最後の領地を売り払い、彼がいなければとっくに没落していたはずのコンプソン家は没落し、彼自身は長年苦しめられていた重荷から解放され自由になる。
ややフリーメイソン臭いことを除けば、面白い小説だった。難解なのは最初の章だけ、ここを乗り越えればあとは楽 -
第一章は知的障害者、第二章は精神障害者、そして第三章は(いわゆる)健常者が主人公。知的に世界を捉えることが難しい故の混沌さ、世界を統合して捉えあげる心的機能の弱体化ゆえの混沌さ、そして、世界の混沌さそのものをそれぞれの章で描き出していくフォークナーの筆の力にただただ感服。ベンジーは、何も見ておらず、何も聞いていないと思われていたけど、実は、コンプソン家の中で誰よりも的確に家族の心情を嗅ぎ取り、そして一人で泣いていた。
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読み進めたいのだけれど、南部訛りの和訳があまりに耐えがたく、残念ながら読むのを断念。
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共感できる登場人物がいるわけでもなく、話が面白いわけでもないんだけど、読み出すとはまってしまうフォークナーの世界。響きはベンで怒りはジェイソンとコンプソン夫人かなあ。
著者プロフィール
ウィリアム・フォークナーの作品





