挾み撃ち (講談社文芸文庫)

著者 :
  • 講談社
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本棚登録 : 313
感想 : 33
  • Amazon.co.jp ・本 (296ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061976122

作品紹介・あらすじ

20年前に北九州から上京した時に着ていた旧陸軍の外套の行方を求めて、昔の下宿先を訪ねる1日の間に、主人公の心中には、生まれ育った朝鮮北部で迎えた敗戦、九州の親の郷里への帰還、学生時代の下宿生活などが、脱線をくり返しながら次々に展開する。
他者との関係の中に自己存在の根拠を見出そうとする思考の運動を、独特の饒舌体で綴った傑作長篇。

感想・レビュー・書評

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  •  ものの本や参考文献、解説なんかを読むと非常にイレギュラーな、私小説における方法論としてはかなりのイレギュラーであるらしいんだけど、世間一般でいうステロタイプとしての「純文学」に一番近いんじゃないかと思うのだった。
     そのほかの読解やら技法については各種文庫版の解説を読むのがいいと思うのです。もうそれ以上のものはありません。

     主人公の男がふと「あの外套はどこへやったかしらん」と思い出すところから、えんえんと男の過去の形跡をたどりつつ、でも結局見つからない、とそれだけの話です。それだけの話、なんでお前の思いつきにつきあわなあかんねん、と、なんとなく釈然としないままずっとつきあっていってしまうような、そこんところの「書き尽くす」引力がいかにも純文学なのです。

     芥川だの太宰だのはまだストーリーがあるぢゃない。「人間失格」なんか今度アニメになるらしいぢゃない奥様。ただそうではなく、なんだかその作家自身の内的独白とゆーか己の喪失を埋める行程というか、なんかそのへんのずるずるとした感じ、文学が文学であるがゆえに忌避される要素。何で忌避されるかと云うと、この辺は言わずもがなですが、このあたりの「リアル」は「おはなし」を求める側からすれば非常に不気味に写ることでしょう。

     だからそれこそ、「書き尽くしてある」のが値打ちだというほかないのです。これも小説、いや、これが小説。なんかその辺の大前提を確認する意味で、手にとってみるのも、いいのではないかしらん。

  • 北九州から大学受験のために上京してきた20年前に着ていた旧陸軍の外套の行方がふと気になり、探しに出かける一日のはなし。
    それだけ。ほんとにそれだけのはなし。
    主人公は妻子あり、草加の公団住宅に住む中年のサラリーマンという平凡なのが特徴といってもいいくらいに平凡すぎて魅力的じゃないし、案の定というかやっぱりというか、外套はもちろん見つからないし、だいたい外套を探す小説を書く事自体がゴーゴリの『外套』に憧れすぎて自分も『外套』を書きたいからなのであって。自分の小説を書きたいけどかけないからやむなく模倣する、てわけでもなくて、自分の小説が書きたいとはそもそも思ってなくて、『外套』が好きだから『外套』が書きたいんだってのが可笑しいようなアホなような。
    でも、読み進めるうちに、戦中と戦後の断絶の挟み撃ちにされて宙ぶらりんに放り出されたままの主人公の気持ちも何だか段々とわかってくる気がしないでもない。中断あたりで唐突に始まる、兄との「とつぜん」「とつぜん」の大合唱の脳内口喧嘩が混乱していていい。

    物語のなさと、
    脱線に次ぐ脱線と、
    ほとんどが内省的な記憶の中の出来事であることと、
    要素だけ抜き出すと読みにくそうなんだけど、なぜだか実にスラスラ読める。饒舌だけど熱に浮かされている訳でもなくて、どこか滑稽ですらあるような軽さが文章そのものにあるんだと思う。

    僕なんかが言うのもおこがましいんですがね、こりゃね、傑作ですよ。

    「お前は、子供のときから兵隊になりたがりよったとやけん、よかやないか」

    「バカらしか、ち!」
    の挟み撃ち。

  • 何で外套のゆくえが気になるのかとか、結局外套はどうなったのかは明かされないし、赤木さんの語りはときにいらだたしいほどに的に当たらない。仕事中の人にいきなり電話してだらだら話してはいけない。

    でも、とりとめないように見える回想はきちんと時系列に沿っていて、「おにいさん」としか呼ばれようのなかった自分に属性を追加していくかのようだ。僕の人生はいつだってとつぜんでしたよ、と言いながらも、自分が何者なのかを求めようとする願いがほの見えるような気がした。

    おかしみやなつかしさの向こうに、終戦でそれまでの夢や価値観をぺちゃんこにされてしまった世代のかなしさというか身の置き所の無さを感じる本だった。

  • 「とつぜん」財布が消えたとか、「とつぜん」彼はいなくなったとか言うが、この小説の主人公の場合「あったはずの私の外套がとつぜん消えた」ことが問題になる。しかし本当は「とつぜん」なんてことはない。そこには何らかの境界があるはずで、だから主人公は「あった」と「消えた」の間で、というより(あの外套を着ていた)戦前と(あの外套をなくした)戦後の間で「挟み撃ち」を食らうのである。一種の戦争後遺症。

  •  始まりから終わりまで、実は何も動いていない、何も始まらなければ何も終わっていない、そのような一コマに挟み撃ちされた物語。饒舌体は語るべき内容を捜し求め放浪し、その様だけが記されている。それが面白い。
     主人公はある日、早起きをする。何もない一日。ただ、夕方に、とある人物と待ち合わせをしている。それ以外には、全く何の予定もない。思いがけず早起きしてしまったのはいいが、半日以上手持ち無沙汰だ。そのとき、ふと外套のことを思い出す。二十年前の外套。それはいつのまにか、手元からなくなっていた。外套はいったいどこへ行ったのか。主人公はその行方を捜すために、半日を費やすことにする。
     だが外套が見つかることはとうとうなく、そればかりか、待ち人すらもある手違いで行き違ってしまう。何もない一日。しかし外套の行方を求めてさ迷い歩く先々で、主人公の思考は二十年前から現在までを縦横無尽に行き交い、しかもその奔放さから、絶えず脱線を繰り返す。外套を探す、待ち人を待つ、物語を集約する二つの目的は、それが完全に脱臼されているにも関わらず、饒舌体はその運動をやめることができず、脱線の記録によって小説が織り上げられていく。
     何もない。何も起こらない。何も始まらなければ何も終わっていない。ただ、書き出しとして置かれたはじまりと、その逆に対置されたおわりがあるだけだ。だけど、そこに挟まれた無数の思考。物語とは、そのようなところにも潜んでいる。ある語り方が排除してしまう無数のエピソードを、語り方の転換一つで拾い上げてしまった。そこにこの小説の凄みがある。

     でもそれが面白い、というのがやっぱり一番大事で、これは話の上手い人のなんでもない駄弁りを聞いている快感にも近い。面白さのレベルだけいえば、相当卑近なところから拾い上げてきていて、それが構造の新奇さと結びついている、というところがよい。読めば絶対に楽しめるし、楽しめるように書いている、そういう小説だと思います。というか、語っている作者自身が楽しそうで仕方がないという感じだから、それが伝わらないわけがないでしょう、という。名作でした。

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  • もう何年も読もう読もうと思っていてようやく読んだ。物語自体が外套のような造りをした小説。すごいことはすごいが、好きかどうかというと別にそうでもなかった。ただ、まさに京浜東北線で通勤している最中に、京浜東北線の話を読むのはうれしかった。

  • 初、後藤明生。
    話の筋がわからん。と思いつつ、読みやすいので淡々と読み続け、解説まで含めてやっと一部理解したような、そうでもないような。
    きっと今の時代には出版されないんではないか?
    そのくらい一読で何かを理解するのは難しすぎる!
    私の読解力では解説がないと煙に巻かれたまま分かったような気にもなれなかったに違いない。

    それでも、面白かった。
    他の著者の話を読んでみたくなった。

  • いとうせいこうの「鼻に挟み撃ち」を読んでからとても気になっていたので、元ネタである後藤明生をようやく手に取りました。先にゴーゴリの「外套」「鼻」を読んでいたのでわかりやすかったかも。

    御茶ノ水の橋の上で待ち合わせをしている主人公・赤木(ゴーゴリの「外套」主人公の名はアカーキー)の、かつて所持していた外套から喚起されるとりとめもない回想だけでまるまる1冊、ある意味すごい。

    20年前、受験のために福岡から上京する際に着ていた旧陸軍歩兵用外套のことをとつぜん思い出した赤木は、たまたま早起きしたその日に上京当時下宿していた蕨の知人宅を訪ねることにする。自分の外套がどうなったか誰か覚えていないか、下宿のおばさん、質屋のおばさん、旧友など次々尋ねていくが、当然他人の外套のことなど誰も覚えているはずもなく。

    その合間に、北朝鮮から終戦で帰国した当時の思い出や幼少時のこと、下宿先の庭で早朝から空手の練習をしていた古賀弟の「おす!先輩」、二等兵のコスプレをさせられた映画館のアルバイト、文学娼婦ヨウコさんとの初体験など思い出はどんどん脇道に逸れていく。

    20年前の外套のことを突然尋ねまわる不躾さ、銀行員の友人の仕事時間中に三度も電話して迷惑がられていることに気づかない鈍感さなど、作者自身とおぼしき作家の主人公の言動はやや非常識ながら全体的にそこも含めてわりとコミカルなので気楽に読めた。

    橋の上といういかにも挟み撃ちにされそうな恰好の場所で、過去から現在から色んな物に挟み撃ちにされつつも、主人公はあまり気張っていない(もっといえばとてもヒマそう)なのでこちらも肩の力を抜いていられたのだと思う。何も解決していないし、そもそも何も起こっていないにも関わらず、なんか面白かった、不思議な1冊。

    あと全く関係ないのだけど筑前の方言だと「ちくぜん」も「ちくじぇん」、「せんせい」は「しぇんしぇい」、「ぜんぜん」は「じぇんじぇん」になるというのを読んでなぜか突然「ぼくは死にましぇん!」という某ドラマのセリフを思い出し、そういえば武田鉄矢は福岡の出身だったっけ、とどうでもいいことで目からウロコ感を味わいました(笑)

  • 今年読んだ中だと三本指に入るくらいよかった。外套。

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著者プロフィール

●後藤明生(ゴトウ・メイセイ)1932年4月4日、朝鮮咸鏡南道永興郡永興邑生まれ。敗戦後、旧制福岡県立朝倉中学校に転入。早稲田大学第二文学部露文学科卒。博報堂を経て平凡出版(現マガジンハウス)に勤務。67年、「人間の病気」で芥川賞候補。翌年、専業作家に。「内向の世代」と呼ばれる作家として注目を集め、代表作に73年発表の『挾み撃ち』が高く評価される。77年に『夢かたり』で平林たい子文学賞、81年に『吉野大夫』で谷崎潤一郎賞、90年に『首塚の上のアドバルーン』で芸術選奨文部大臣賞を受賞。89年、近畿大学文芸学部の設立にあたり教授に就任。93年より同学部長。99年8月2日、逝去。

「2020年 『四十歳のオブローモフ【イラストレイテッド版】』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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