- Amazon.co.jp ・本 (294ページ)
- / ISBN・EAN: 9784061976627
感想・レビュー・書評
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何が面白いんだろう?
よくわからないまま、でも、面白いな〜と思って読み進めてしまいました。
出てくるのはしょうもない人だし、そのしょうもない人と一緒になる人も周りの人もしょうもないのだけれど、その世界がなんか面白いのです。
文体とかキャラとかそういうのを超えて、この世界が面白いのです。
やっぱり作之助はすごかったな〜と思って、なぜ今まで読まなかったのか、いや、この年で読むからこの世界が面白いのか、なんて、ぼんやり思ったりする時間も幸せでした。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
一本の小説に込められたエネルギーが圧倒的です。柳吉のどうしようもなさや蝶子の情の深さがたまらなく愛しい。
ラストの善哉を食べるシーンはたまらなくロマンチックだと思います。 -
ダメ夫と、そんな夫に腹を立てながらも惚れてしまっている妻。
妻が夫の寝顔に向かって「あほんだら」と言いながら口づけするシーンは可笑しくて哀しい。 -
オダサクの小説はとにかくおもしろい。独特のリズムは関西人のDNAによるものか。商家の「ぼんぼん」柳吉と芸者あがりの蝶子はんとの結婚生活の物語。昭和14年頃に書かれたこの小説,柳吉に貯金を使い果たされた蝶子はんがよよよと泣き崩れたり堪え忍んだりするかと思えば大間違い,馬乗りになってダンナの首をしめあげるというたくましさ。柳吉は「うまいもの」に目が無く,「うまいもん屋」へ芸者時代の蝶子はんをしばしば連れて行くのだが,今でも大阪にあるおでんや「たこ梅」が既に登場している。
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妻強しと思いきや、惚れこんでるのは妻のほう。振り回すのは夫のほう。
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俺と共鳴せぇへんか
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『私は目下上京中で、銀座裏の宿舎でこの原稿を書きはじめる数時間前は、銀座のルパンという酒場で太宰治、坂口安吾の二人と酒を飲んでいた――というより、太宰治はビールを飲み、坂口安吾はウイスキーを飲み、私は今夜この原稿のために徹夜のカンヅメになるので、珈琲を飲んでいた。話がたまたま某というハイカラな小説家のことに及び、彼は小説は女を口説くための道具にしているが、あいつはばかだよと坂口安吾が言うと、太宰治はわれわれの小説は女を口説く道具にしたくっても出来ないじゃないか、われわれのような小説を書いていると、女が気味悪がって、口説いてもシュッパイするのは当り前だよ、と津軽言葉で言った。私はことごとく同感で、それより少し前、雨の中をルパンへ急ぐ途中で、織田君、おめえ寂しいだろう、批評家にあんなにやっつけられ通しじゃかなわないだろうと、太宰治が言った時、<b>いや太宰さん、お言葉はありがたいが、心配しないで下さい、僕は美男子だからやっつけられるんです、僕がこんなにいい男前でなかったら、批評家もほめてくれますよと答えたくらい、容貌に自信があり、</b>林芙美子さんも私の小説から想像していた以上の、清潔な若さと近代性を認めてくれたのであるが、それにもかかわらず女にかけての成功率が殆んどゼロにひとしいのは、実は私の小説のせいである。同じ商売の林芙美子さんですら五尺八寸のヒョロ長い私に会うまでは、五尺そこそこのチンチクリンの前垂を掛けた番頭姿を想像していたくらいだから、読者は私の小説を読んで、どんなけがらわしい私を想像していたか、知れたものではない。バイキンのようにけがらわしい男だと思われても、所詮致し方はないが、しかし、せめてあんまり醜怪な容貌だとは思われたくない。私は一昨日「エロチシズムと文学」という題で朝っぱらから放送したが、その時私を紹介したアナウンサーは妙齢の乙女で、「只今よりエロチ……」と言いかけて私を見ると、耳の附根まで赧くなった。私は十五分の予定だったその放送を十分で終ってしまったが、端折った残りの五分間で、「皆さん、僕はあんな小説を書いておりますが、僕はあんな男ではありません」と絶叫して、そして「あんな」とは一体いかなることであるかと説明して、もはや「あんな」の意味が判った以上、「あんな」男と思われても構わないが、しかし、私は小説の中で嘘ばっかし書いているから、だまされぬ用心が肝腎であると、言うつもりだった。しかし、それを言えば、女というものは嘘つきが大きらいであるから、ますます失敗であろう。』――「可能性の文学」(太字は引用者)<br>
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うひひ。腹イテー。ここんとこ、めっさ笑いました。<br>
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…って、「可能性の文学」の主題はもちろん「オレ男前」なところにあるわけではなく、文学は人間の可能性を描くべきだ、ということがテーマになっていて、そして、そのことにより、日本の「可能性を全然描こうとしない、私小説たち」を、つまり、志賀直哉を頂点とする日本の文壇を批判している。織田作之助はこの「可能性の文学」を提唱した一月後に急逝していて、だから作者の書こうとしていた「可能性の文学(可能性をこそ描こうとする文学)」がついに陽の目を見なかったことがとても残念でならない。<br>
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オダサクは自分の書くものなんてどれも嘘で、みんなでっちあげだということを強調していて、実際そうなんだろうなと思っていたんだけど、伝記によると、実はどれも ―自分の身に起きたことではないとはいえ― 本当のことだったという事実を知り、また驚いたわけです。<br>
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彼が「可能性の文学」を記したのは太宰治が「如是我聞」で志賀直哉をクソミソにこきおろす1年半前。当時、文壇の頂点に君臨していた、いわば日本文壇における神だった志賀直哉を批判するということは、ものすごく衝撃的なことだったらしいです。