- Amazon.co.jp ・本 (294ページ)
- / ISBN・EAN: 9784061976634
作品紹介・あらすじ
「お国は?と女が言った/さて僕の国はどこなんだか、」沖縄の清高な魂と風土をたっぷりと身につけて生まれ育ち、二十歳の頃失恋の痛みを抱え、上京。自虐的なまでの深い自己凝視を独特のユーモアに解き放った詩人山之口貘(1903〜1963)。その心優しい詩「妹へおくる手紙」「会話」「夢を見る神」「沖縄よどこへ行く」等の78篇と、自伝的小説2篇、詩論随筆12篇を以てこの希有の現代詩人の宇宙を集成。
感想・レビュー・書評
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NDC(9版) 911.56 : 詩歌
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2021/10/30購入
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地球の上での繰り返しなので/月の上にいたって/頭をかかえるしかない筈なのだ 「頭をかかえる宇宙人」の一節。ここがたまらなく好きだ。山之口漠の「地球」とは何だろ?昔からの疑問がこの解説で断片的ながらも理解できた気がする。そして、もっと奥が知りたくなり、この作品に帰ってくる。腹たちまぎれに現代を生きるのに、ちょいと疲れたら帰ってくる。
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みじめだが、明るい。
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窮乏と放浪の生活を独特のアイロニーとユーモアをもって凝視して、存在すること自体の不安定さを、例えば座布団を敷くことのうちに見抜くばかりでなく、沖縄出身者に対する差別的な眼差しをも見返す詩と散文を集成した一冊。苦難に満ちた日常生活の細部を言葉をもって見つめるなかで、書くことを生きることそれ自体にまで高めているが、それが同時に痒いところを「掻く」ことでもあったりするのが興味深い。そのことが示すように、言葉遣いにはごつごつしたところがあるが、語り全体の優しさや軽やかさを失わないのがこの詩人の持ち味だろう。それによって、沖縄が、沖縄から出て東京に生きることが、さらにそれらを見つめる視線が、いっそう明瞭に浮き彫りになっているところもある気がする。山之口貘の詩作は、「やまとぐち」との関わりを含め、李箱やカフカを思い起こさせるが、そのようなマイナー性をもった詩人が沖縄の「祖国復帰」を願ったのはどういうことだったのだろう。
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その詩篇に触れたことはあるものの、1963年59歳で逝った稀代のルンペン詩人山之口獏については、最近になって茨木のり子「山之口獏-うたの心に生きた人々-」-「言の葉1」所収-によって知った。
その生きざまの徹底ぶりに驚いた。なかなかの衝撃的痛快さ、といえば些か失礼になろうが、そんな第一感だった。
詩作人生40年余で遺した詩篇はたったの197篇-この極端なほどの寡作ぶりは何処からくるのか。
彼の詩は、その語彙において、きわめて限られており非常に少ない、とみえる。それでいておもしろい、圧倒的なほどに個性的だ。
「地球」という一語が、それこそ頻繁に登場する。そして「結婚」の二字も、枚挙に暇がないほどだ。これらは詩人がもっとも執心した言葉だった、のようだ。
彼は、彼にとっての真実を描くに、言葉の変奏をすることなどまったく眼中になかった、語彙を敢えて拡大することなどは、彼の詩にとって邪悪なものでしかなかったのだろう。
彼は「詩」というものに、ひたすらまっすぐに格闘した詩人なのだ。
巻末の解説のなかで荒川洋治が「一編の詩のなかには作者が十分に承知しているものと、作者が十分には承知できないままにそうなっているものとがあり、それらは実際には別物なのだが、表面的には二つはとけあっているように見える。それが詩的物象の実体である。詩は短いものだが、そのなかには端的にいって、矛盾がひしめいているのである。」と書いているが、このことは、詩ばかりではない、あらゆる表現というものの本質を、よく言いあてていると思われる。 -
土のにおいがする数少ない詩人。
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高田渡の曲から知った詩人。
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結婚に対する執着が異常だぜ!