椋鳥日記 (講談社文芸文庫)

著者 :
  • 講談社
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感想 : 8
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  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061982277

作品紹介・あらすじ

ライラックの蕾は膨らんでいても外套を着ている人が多い四月末のロンドンに着いた主人公は、赤い二階バスも通る道に面した家に落ち着く。朝早くの馬の蹄の音、酒屋の夫婦、なぜか懐かしい不思議な人物たち。娘や秋山君との外出。さりげない日常の一駒を取りあげ、巧まざるユーモアとペーソスで人生の陰翳を捉え直す、純乎たる感性と知性。ロンドンの街中の"小沼文学の世界"。平林たい子賞受賞。

感想・レビュー・書評

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  • 作者のロンドンでの生活を小気味良く綴った短編形式の私小説。
    私は当時のロンドン(諸外国もだが)の雰囲気は学が浅く詳しくないが、作者と現地の人々との文化や価値観のズレがユーモアの核になっていて何となく可笑しい。
    他作で見られる独自の物語力を本作でも感じたかったという本心はアリ。

  • 庄野潤三つながりで借りて来た。
    小沼作品初めてよくわからないけれど、描写にくすっと笑えるところや、ウイットに富んだところがありおもしろい。ひょうきんなところがあるようだ。

  • 4月末のロンドン。赤い二階バスも通る道に面した家に越してきた主人公が、何気ない日常や不思議と懐かしい人々・風景の姿を綴る。

    のんびり、淡々とした、日記(随筆?)風の小説集。
    読んでいて「これは著者の実体験なのかしらん?」と何度も思ったが、一応「小説」であるらしい。

    何気ない日常のよしなし事が、淡々と綴られる。その筆致はどことなくとぼけているようでもあり、かと思えば思いがけずしんみりとすることもあったりと、淡い色に彩られており、目に優しい鮮やかさ。
    昼間からビールを飲んだり、移民局にて「仕事はない」と言い切ったり(一体どうやって生活していたのだろう? 著者本人は客員教授のようなものでロンドンに行っていたようだけれど、作中でそのことは全く触れられない)、なんだかの暢気なようで、拠り所がないような、不思議な明るさと寂しさの感じられる作品であった。

    読んでいて疲れない作品なので、就職活動でうんざいりしている間に少しずつ読んで、非常に重宝した。
    いい意味で感情の起伏が激しくない本だったので、こちらも作中の雰囲気に振り回されることがない。また、少しずつ読み進めても支障がないことも助かった。

    それにしても、この作中で描かれているロンドンは1972年だとは、誰もが驚くであろう。
    文章といい、作中で描写される町並みといい、とてもそんな最近(?)のこととは思えない。淡々として気負いとは無縁の作品だが、この文章の淡白ぶりこそが、このときの作者の茫漠とした心情をもっとも写していたのかもしれない。

  • 小沼氏のロンドン滞在記。氏の軽妙な自意識と現実という外界の接面がたてる心地よい軋み。解説を読むまでほぼ100%実際の記録と疑わなかった僕も読者として相当鈍いのかも知れないが、これが本当に計算された物語であるなら何と巧妙な書き手であることか。おぬまたん、恐るべし!

  • ロンドン滞在雑記というか、紀行文といおうか、そういった類のものではあるのだけれど、そう合点して読み進めていくと、いきなり面食らう事がある。
    それを引くと、下記のような部分だ。
     ~仏蘭西窓越しに陽射の明るい裏庭をぼんやり見ていたら、うつらうつら睡くなった。
     何だか妙な音楽が聞こえて、裏庭の黄色い土の上を小人の行列が通る。先頭に立っているのはキイツで傘を差している。そう云えば、好い天気なのに雨が降っている。気が附いたら、先頭の小人はキイツではなくて、小さな狐が蕗の葉を翳して行くのである。倫敦は天気雨が多いので、狐の嫁入がよく見られます、と誰かが云った。

    キイツ(ジョン・キイツ・・18世紀、英国の詩人)の家を訪ねた際の文章だ。ただの紀行文だと思って、読んでいると面食らう。ただ、こういうあからさまに幻想的な情景が描かれるのは、ここだけであるが、解説に清水良典も書いているように、時折、不安や老い、死の影が差して、それが文中に現れる事がある。

    そうして、これもまた、解説にも在るが、これを読んでいて、訪問年代が明瞭でない点に気付く。
    実は70年代初めなのであるが、そこには当時英国で数多の如く見られたであろう若者の風俗が一切と言って良い程、登場しない。一箇所だけ、ギターを抱えた若者達が・・といったような記述はあったが、小沼の「眼」からは意識的にか除外されているのだ。
    代わりに英国の風土や酒場を始めとする商店の様子、バスの車内風景等は、観察し、描かれている。
    然し、それが如何にも英国ながら、日本での情景としてあってもおかしくないのではないかと思える。
    最終的に小沼はアッシュフォードの駅で、蕎麦を食べようと思った際、引き揚げる潮時を考えないといけないと思ったというように書いているが、拙者には、最初から異国の地であれども、国内に居るのと然程変わらない、作者の自我というものの強さを感じていたのだけれど・・

    余談ながら、本書に「椋鳥」は出て来なかったように記憶している。何故「椋鳥日記」なのであるかは、瑣末な事ながら、若干、心に掛かった。

  • 小沼さんのロンドン暮らしの随筆。普段からユーモラスなのに、そんな人がロンドンの話を書くんだからめちゃくちゃ面白いよこれ。小沼さん独自の、人や季節を書き留める視点がたまらなくいい。いいんだよーなんでみんな小沼さんを知らないのかしら。いいですよとても。

  •  約束した日の四時頃,デイヴィッドは秋山君を案内役として訪ねて来た。酒を飲むのだから地下鉄かバスで来いと云って置いたのに,車で来たと云って笑っている。歯の具合は益宜しくないが,客を招いて置いて相手をしないのは紳士道に悖るだろう。歯が悪いから何も口に入れたくないが,ウイスキイは液体だから歯に関係は無い。
    (本文p.113)

  • イギリスに行きたくなる本。いつも「ちぐはぐになって不可ない」とか言っている小沼さんが、テムズ川下りについては結構いいことばっかり書いていて、よっぽど楽しかったのねと感じます。

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著者プロフィール

小沼丹
一九一八年、東京生まれ。四二年、早稲田大学を繰り上げ卒業。井伏鱒二に師事。高校教員を経て、五八年より早稲田大学英文科教授。七〇年、『懐中時計』で読売文学賞、七五年、『椋鳥日記』で平林たい子文学賞を受賞。八九年、日本芸術院会員となる。海外文学の素養と私小説の伝統を兼ね備えた、洒脱でユーモラスな筆致で読者を得る。九六年、肺炎により死去。没後に復刊された『黒いハンカチ』は日常的な謎を扱う連作ミステリの先駆けとして再評価を受けた。その他の著作に『村のエトランジェ』『小さな手袋』『珈琲挽き』『黒と白の猫』などがある。

「2022年 『小沼丹推理短篇集 古い画の家』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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