- Amazon.co.jp ・本 (289ページ)
- / ISBN・EAN: 9784061982932
感想・レビュー・書評
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正に女流文学といっても過言ではないでしょう。女性の視点でなくては表現しきれない逸品揃いです。女性ながらの愚直さ潔癖さ、心の強さ、したたかさをさりげない日常を通して美しい文体でしたためております。坂口安吾の例の‥というゴシップ的な認識しかない作家でしたが読めてよかったです。
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神楽坂のフランス人
昔の上司が、神楽坂に住んでいて、宴会の帰りの二次会などで来たのが、この街とのなれそめだ。
芸者のいる街だ。路地に入っていくと、昔ながらの料亭がある。そのあとも、脱サラした友人が料理屋をはじめたりと、細々ながら、この街とのつきあいが続いた。
数年前に、地下鉄駅二つ、三つの距離に越してきてからは、もっとも頻繁にやってくる週末の外食先になった。和食、洋食、甘味どころ、ジャズライブ、名画座と、気晴らしに必要な一通りのものが揃っている。
神楽坂をぶらぶら歩いていると、外人にも良く出会う。旅行客というのではなく、近所のスーパーのビニール袋を提げた奥さん風である。話しているのはフランス語。近所にフレンチスクールがあるらしく、この近くに多くのフランス人家族が住んでいるらしい。坂や、路地の多い佇まいが、パリのようだと神楽坂を取り上げた雑誌の中に書いていた。パリに行ったことがないのでそのあたりは定かじゃない。
大学時代の第二外国語をドイツ語ではなく、フランス語を取ったこともあって、フランス文学や哲学には昔から親近感がある。それが嵩じて、大学時代、日仏学院に通ったことがあった。ただ長続きはしなかったのだ。理由は、ベルギー人の講師がとても嫌な奴で、極めて失礼な感じの教え方だったからだ。何度か、言い合いになって、Colonialistめと口走ったぼくに、平静そうでいながら、怒りに青ざめていた彼の顔を思い出す。ぼくも若い頃は、ひとなみに左翼だったんだろう。でも左翼は日仏学院になんかいかないかも知れない。
その後、会社員になってからケベック人との付き合いがあった。仕事の面ではフランス語というよりは、当然英語だった。当時、フランス系の金融機関の日本代表のフランス人が友人だった。彼は、大学時代のフランス語に対するゆがんだ印象を正してくれるぐらいにはいい奴だった。バーでぼくの不愉快なフランス語学習の記憶を打ち明けると、ベルギー人のコンプレックスってのがあってねと鼻で笑った。逆の意味での、優越感に正直驚いた。
彼はとてもいい奴だったが、フランス人の特性なのか彼の個性なのか、口がとても悪かった。ケベックとの仕事のことを話し、彼らのフランス語はちょっと違うねと話を向けると、フランス語?あのカナダ人たちが話しているのはフランス語じゃないよ。あえて言えば、古代フランス語の方言のようなものかなと言った。フランス人の自国語帝国主義の発露なのかなあと、この頃には驚きというよりは、少々おかしくなっていた。
その後、アメリカに住んでいた頃に、仲が良かったイタリア系ミドルクラスのおばさんは、フランス人はSnobだ。本当にいけ好かないと、自分のフランス旅行の経験だけに基づいて、全国民性を断罪していた。とかく毀誉褒貶にさらされがちなフランス人が愛するのが、過去と現代が交差する神楽坂だというのが、なんとなく、腑に落ちる。
「夕飯をすませておいて、馬渕の爺さんは家を出た。いつもの用ありげなせかせかした足どりが通寺町の露地をぬけ出て神楽坂通りへかかる頃には大部のろろくなっている、どうやらここいらへんまでくれば寛いだ気分が出てきて、これが家を出る時からの妙に気づまりな思いを少しずつ払いのけてくれる、爺さんは帯にさしこんであった扇子をとって片手で単衣の衿をちょいとつまんで歩きながら懐へ大きく風をいれている。こうすると衿元のゆるみで猫背のつん出た顎のあたりが全で抜きえもんでもしているようにみえる。肴町の電車通りを突っ切って真っすぐに歩いて行く。爺さんの頭からはもう、こだわりが影をひそめている。何かしらゆったりとした余裕のある心もちである。灯がはいったばかりの明るい店並へ眼をやったり、顔馴染の尾沢の番頭へ会釈をくれたりする。それから行きあう人の顔を眺めて何の気もなしにそのうしろ姿を振りかえってみたりする。毘沙門の前を通る時、爺さんは扇子の手を停めてちょっと頭をこごめた。そして袂へいれた手で懐中をさぐって財布をたしかめながら若宮町の横丁へと折れて行く。軒を並べた待合の仲には今時小女が門口へ持ち出した火鉢の灰を篩うているのがある。喫い残しのたばこが灰の固りといっしょに惜気もなく打遺られるのをみて爺さんは心底から勿体ないな、という顔をしている。そんなことに気をとられていると、すれちがいになった雛妓に危くぶつかりそうになった。笑いながら木履の鈴を鳴らして小走り出して行くうしろ姿を振りかえってみていた爺さんは思い出したように扇子を動かして、何となくいい気分で煙草屋の角から袋町の近改築になった鶴の湯というのがある。その向う隣の「美登利屋」と小さな看板の出た小間物屋へ爺さんは、「ごめんよ」と声をかけて入って行った。」(矢田津世子 神楽坂 講談社文芸文庫)
神保町の東京堂で、神楽坂という題名だけに引かれて、買ったのが矢田津世子という昭和5年にデビューしたという女流作家の作品集だ。神楽坂に妾を囲っている高利貸しの老人の話。病弱な妻、金貸しとして成功した後に、子供のない老人に財産目当てに擦り寄ってくる親戚、孤児院から引き取った手伝いの娘、若い妾、元芸者だったその母親などのおりなす関係の綾をたんたんと描いている。フェミニズムの匂いなしに、女性的に関係性の綾が神楽坂の風景の中で緻密に描写されていくのが新鮮だった。流石に町並みは70年近く前とは随分変わったはずだが、馬渕の爺さんの心持ちや坂や露地の按配は今の神楽坂を歩いていても伝わってくるようだ。馬渕の爺さんや妾のお初のシルエットに、今は、フランス人の家族のそぞろ歩きがかぶる町、それが神楽坂だ -
しみじみとよい作品だと思いました。「え?」っていうところで終わるのが面白い。
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「神楽坂」のみ読了。本妻、妾、夫の三者を中心にした人間関係が描かれる。それぞれの立場での都合のいい考え方、計算や心境などが、その時代らしいしぐさなどをからめてうまく表現されている。
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整然とした美しい文章で語られる庶民の生活。まるで小津映画を観ているかのよう。『茶粥の記』の主人公は亡き夫から「粥ばば」と冗談でよばれていたほどの粥たき名人。なかでも「茶粥」は茶袋の入れかげんが非常に難しいそうな。粥を喜んでいた夫を思い出すシーンでしみじみ。