林芙美子・宮本百合子 (講談社文芸文庫)

著者 :
  • 講談社
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レビュー : 2
  • Amazon.co.jp ・本 (301ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061983496

作品紹介・あらすじ

ともに明治生まれ、大正昭和の激動を生き、「その並び立つ姿は文壇空前の壮観」(広津和郎)と言われた三女流。平林たい子が著した本書は、同時代を生きた好敵手二人の「文学」と「人生」を遠慮会釈なく、だが底に熱い人間的共感をこめて描き、評伝文学として無類の面白さをもつ。情熱の人・芙美子、知性の人・百合子、評するは稀代のリアリストたい子-三者三様の強烈な個性が躍如とする一冊。

感想・レビュー・書評

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  • 平林たい子の最期の力作といわれている。
    苦境の時代を共有した友人の伝記だ。
    林芙美子も宮本百合子も平林たい子もというか、このあたりの女性作家の小説とは縁がなかった。むしろ、なぜか避けて来たような気がする。
    高校時代に読んだ微かな記憶はあるのだが、その読後感がよくなかったのかもしれない。
    今回は林芙美子のことを調べる必要に迫られて本書を読んだわけで、だから、林芙美子の小説はもう食傷気味。だが、平林たい子のしっかりとした目線と気品のある文章に何作か読んでみようかと思わされた。
    また、たい子の捕らえた宮本百合子も一度はきちんと読まなければならないのかもしれない。
    友人としての私情を押さえた、けれど押さえ切れない何かかが行間から感じられるだけに資料以上の文学に近いものを感じた一冊だった。

    • akigasumiさん
      平林たい子の著作とは初めての出会いです。これも芙美子さんのおかげ。
      よく知る友人の評伝だけに生々しいけれど抑制が効いていてそれでいて本音が息...
      平林たい子の著作とは初めての出会いです。これも芙美子さんのおかげ。
      よく知る友人の評伝だけに生々しいけれど抑制が効いていてそれでいて本音が息づかいのように伝わってきました。
      林芙美子も宮本百合子もなぜか読む気がしないまま過ごしてきましたが、芙美子の主立った作品を読んだ今は宮本百合子も、せめて「伸子」くらいは読まなければとたい子さんに叱られているような気がします。

      なによりプロレタリア作家の流れや共産党についての知識が少しは得られました。特に百合子の方は作者の最後の作品だとかで「やはり彼女は、プロレタリア作家の中にはまりこむべきではなかったと思う」の一節が印象的。
      百合子は共産党、たい子は社会党。そして芙美子は無思想だと陰口を言われていました。
      たい子と百合子の本を読まなければと思いました。
      2012/09/17
  • 平林たい子の評伝(by群ようこ)を読んだのと、浜野佐知監督の次回作が「宮本百合子と湯浅芳子だ」というのとで、平林たい子が、林芙美子と宮本百合子について書いた評伝を借りてきた。

    文庫をひっくり返すとこうある。
    情熱の人・芙美子、知性の人・百合子、評するは稀代のリアリストたい子─三者三様の強烈な個性が躍如とする一冊。

    ついイッキ読みしてしまうおもしろさだった。

    この3人は、歳は少し違うが(平林たい子が明治38年うまれ、林芙美子がたい子の2つ上、宮本百合子がたい子の6つ上)、ともに明治うまれ、同時代を生きた。広津和郎が「その並び立つ姿は文壇空前の壮観」と言ったそうである。

    西暦になおせば、たい子が1905年うまれ、芙美子が1903年、百合子は前世紀の1899年のうまれである。百合子と芙美子が1951年に亡くなったあと、たい子は20年あまり生きて1972年に亡くなった。芙美子の評伝も、百合子の評伝も、たい子晩年の作である。

    たい子の筆によれば、芙美子も百合子も、その母を欠かしては語れない。
    「そのお母さんこそ、芙美子さんの生涯に決定的な影響を与えた彼女の原型である」(p.9)といい、「百合子は、母のそんな意欲と期待に充分応え得る稀な才能をもって、早熟でもあった」(p.170)という。

    そして、芙美子は「作家は素質によって書くけれども、機会によって磨かれる」(p.116)典型だといい、百合子は「豊かな富によってその素質の開花が促された作家である」(p.173)という。

    私は、林芙美子の小説はいくつか読んでいるが、宮本百合子は小説のタイトルくらいしか知らないし、平林たい子にいたっては、3人のうちでもっとも長生きしたのに(私が生まれた頃にたい子はこの評伝を書いている)もっと知らない。

    それは、林芙美子が尾道に縁ある作家だということ(父が尾道のうまれで、私の本籍地は尾道になっている)、また芙美子の名が字は違うものの自分と同じ音をもつものだということも関係あるような気がするが、単に、文庫になってるとか手に入りやすい本があるかどうかのような気もするし(私は高校生の頃に文庫の『放浪記』を買っている)、もしかしたら、あの学校のコクゴでやる文学史の変な分類や、そもそも文学史に女性作家がほとんど出てこないところに、私が芙美子を読んでいて、百合子やたい子を読んでいない分かれ道があるような気もする。

    ただ、手にとる機会がなかった、「プロレタリア文学」という分類があまりそそらなくて読んでみようと思わなかっただけなのかもしれない。この評伝を読んで、芙美子もまた読んでみようと思ったし、百合子やたい子も読んでみたいと思った。

    百合子については、こんなところがおもしろかった。
    ▼たとえば顕治は、百合子の生い立ちの「何不自由のない階層のお嬢さん」というイメージをしきりに打消そうとしている。…
    宮本顕治が縷々弁解するにもかかわらず、百合子は、豊かな富によってその素質の開花が促された作家である。(pp.172-173)

    共産党という組織のためなのか、宮本顕治がそうしなければと思い込んだだけなのか、顕治はなんとかして「百合子は貧乏な家の出なのだ」と言いたかったようだ。けれど、そんな工作が、かえって百合子のよさをそこねている、娘を伸ばす自由さと、その裏づけとなる富と、まさに両手に花といった恵まれた条件があって、百合子という花は咲いたのだとたい子は書く。きっとそうだろうと思う。

    百合子が、すでに作家として書いてきた中条という姓を、なぜ宮本姓にかえたのか。作品はぜんぜん読んでないのに、百合子が「中条百合子」だったことはなぜか知っていた私は、ここも興味深く読んだ。

    ペンネームの改姓まで要求してきた顕治に、百合子はこう言ったらしい。「貴方は御自分の姓名を愛し、誇りをもつていらつしやるでせう。業績との結合で、女にそれがないとだけ言へるでせうか」(p.240)

    のちに、獄中にあった顕治を慮って(と私は読んだが)、百合子はペンネームも宮本姓とした。「あの百合子にこれだけの思いをさせる顕治とは何者ということもいえよう。だが、彼を愛したのは彼女である。それは、芸術と切りはなせない彼女の情緒豊満な自己表現の一部だったのである」(p.250)と、たい子は書く。

    どちらの評伝も読みごたえがあった。たい子が「芙美子さん」と「百合子」と使っているところに、それぞれの性格と関係が見えるようで、そこもおもしろかった。

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平林たい子の作品

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