ジョン・レノン対火星人 (講談社文芸文庫)

著者 :
  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061983656

作品紹介・あらすじ

住所はなく、消印は「葛飾」、そして差し出し人の名前は、「すばらしい日本の戦争」…名作『さようなら、ギャングたち』に先立つこと一年、闘争、拘置所体験、その後の失語した肉体労働の十年が沸騰点に達し、本書は生まれた。「言葉・革命・セックス」を描きフットワーク抜群、現代文学を牽引する高橋源一郎のラジカル&リリカルな原質がきらめく幻のデビュー作。

感想・レビュー・書評

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  • こちらも約30年ぶりの再読。タイトルからしてインパクト大。だいたい『○○対○○』系のタイトルは、その組み合わせの時点でどれだけ笑いを取れるか・・・もとい、興味を引けるかが勝負だと思うので、これはもうタイトルだけで勝ってると思う。まあジョンレノンも火星人も作中にはそもそも出てこないし戦わないし万一戦ったらどっちが強いのかはわからないけれど。

    (余談ながらこの手のタイトルのあほらしさの最高峰は『エイリアンvsヴァネッサ・パラディ』だと思う。最近だと『シャーロック・ホームズ対伊藤博文』というのを本屋で見かけてとても気になった・笑)

    一応ストーリーらしきものはあり、盗作常套三流ポルノグラフィー作家の主人公のもとへある日突然『すばらしい日本の戦争』と名乗る人物から猟奇的な死体の描写ばかりを書き綴ったハガキが毎日届くようになる。のみならず、実は殺人犯である彼は出所してきて、主人公と恋人「パパゲーノ」(※どっちも男)の暮らす部屋に押しかけ同居。ナンバーワントルコ嬢の「テータム・オニール」の協力で、彼らは『すばらしい日本の戦争』の頭に住みついた死体を追い出すべく治療を開始する。

    無理やりタイトルの意味を解題しようとするならば、望まれない闖入者=火星人=『すばらしい日本の戦争』、彼を愛でもって更生させようとする主人公たち=ジョン・レノン、というこじつけも可能だし、解説を参考にするならば、暴力VS愛、というシンプルな意味にも解釈できる。まあ深読みせずとも面白いものは面白い。

    若い頃より今のほうが自分の知識が増えているので、単純に実在の人名などだけでも、理解できる部分が増えてより楽しめた気がする。元ネタを知らないと笑えないという意味では、髙橋源一郎実は衒学的な作家なのかもしれない。


  • 『さようならギャングたち』と同じ様で実は意を別にする作品。(やはり作者もあとがきで触れていた)
    直線的なエロとグロの洪水が様々な言葉で襲いかかってくる。ナンセンス系は割と冷めた目で読んでしまうが、あまりにおかしすぎて笑ってしまった箇所もある。
    主題以上にもっと理解してあげたい楽しい作品だった。


  • 【あらすじ】
     ポルノグラフィー作家の「わたし」へ、東京拘置所「すばらしき日本の戦争」という差出人から死躰について書かれたハガキが立て続けに送られてくる。
     彼の身元引受人にされた「わたし」は、かつて自分も参加した闘争運動のリーダーの彼が精神病に罹患していることを知る。
     闘争の同士で拘置所の出所仲間である、№1風俗嬢「T・O」と、障害者ファッションデザイナー「ヘーゲルの大倫理学」に協力を求め「すばらしき日本の戦争」の治療を進める。
     遂に「治った」と言った「すばらしき日本の戦争」は姿を消し、自殺する。

    【感想】
     
     かつて起こった闘争のリーダー「すばらしい日本の闘争」さんが、拘置所から送ってくる死躰について書かれた手紙。彼の目に映る死躰はもしかすると、すばらしい日本の闘争が守ろうとした一種の思想を失った人々のことを言うのでは?と想像してみる。
     
     精神病(?)と診断された妹が、よく漏らしていたのが「みんなおかしい」という言葉だった。わたしは両親同様に、それが妹の幼稚なわがままで、発達が遅れ気味な彼女のいつもの言い訳にすぎないだろうと取り合わなかったことがある。

     でも彼女の言っていることが正しかったのでは?と感じることがままある。
     「すばらしい日本の闘争」さんは支離滅裂に見えるような死躰の話をしたかもしれない。けれど、或る意味でその光景は事実だったのかもしれない。
     というのも、エピローグで「わたし」が見た、伊勢佐木町の汚らしい雑踏なんて、ほんとに死躰が街を汚して歩いているようなものだから。
     それに「苦しい」と異常者は言うだろうか?痛みや苦しみは正常な肉体と精神の機能だと思う。
     動物は狩りに胸をいため、神様にその罪悪感を消してもらおうと祈りを捧げながら、大量に食べ残すだろうか?そんなことをする動物は、動物的正常から逸脱した異常動物だろう。
     人間の正常とはなんだろう?
     そこのところがわたしにはいまいちよく分からない。ただどんな人間が異常と見做されるかはある程度認知されているので、それには倣っているつもりだ。そうやってそのときそのときの通念に併せて意識的、無意識的に擬態する機能のことを正常と言うのではと考える。
     人間社会で生きていくには演じれば演じるほど正常と見なされて、そのうち演じていること自体を忘れていく。そこには正常も異常も、存在しない気がする。
     正しさは個人じゃなくて社会が決定している。

     さいごに「わたし」が「すばらしい日本の戦争」に施した精神治療は詳細が明かされないまま「わたし」自身の失敗発言と「すばらしい日本の戦争」の「今、ぼくは自分について考えてる~ぼくは治った」発言で、彼が自殺する。

     そりゃするよな。と思った。だって、外から見れば異常だった彼は正常だったんだから。正常な状態から「治った」ってことは、彼にとっては「異常」な倫理を受け入れるわけでしょ。そりゃ死んじゃうよ。いつだって正常な社会から「おまえは異常だから死ね」と脅されて、毎年毎年たくさんの人が死んで、たくさんの人に病名が着くんだから。もし将来、健常者といわれる人たちが少数派に回ったらと思うと、すこしだけ楽しみでもある。

     登場人物達が魅力的だ。

     拘置所での不服従闘争を経て出所し、リンチでクリトリスをちぎられ、現在ナンバーワン風俗嬢をひて、36畳のワンルームをマンガで埋め尽くして暮らしている「T・O」

     15歳で、勃起不全の客の治療に全身全霊で取り組む風俗嬢の「石野真子」

     片足に障害を持ち、拘禁ノイローゼを罹患した元受刑者で、小林秀雄症候群と戦いながら著名なデザイナーをしている「ヘーゲルの大論理学」

     「わたし」に養育される社会的孤児の「パパゲーノ」

     「T・O」と「ヘーゲルの大倫理学」は拘置所或いは「マザーグース戦争(安保?)」の同級生。闘争後の彼らの日常が、平和で常識的な範囲にあるのが、それまでの闘争とのギャップで愛らしく感じてしまう。

     マンガに埋もれて、人工授精したこどもと暮らすのは素敵な余生に思えるし、障害をファッションにして、小さな庭みたいな業界・社会で評価されてほんわか生きているのだって充分素敵な余生だと思う。

     ポルノグラフィーを書いている「わたし」も含めて、人生で最も重要なイベントを終えて、現在に憩いを見いだしている、幸福な老人たちみたいだ。
     
     そんな同級生たちが、未だに戦禍の中を生きる「すばらしい日本の戦争」を救い出そうとしている。

     モチーフや固有名詞はテレビ文化にどっぷりと浸かったもので、乱用された固有名詞が黄ばんで匂いを放つ陳腐化に巻き込まれている。

     「わたし」の少年時代との決別・作家コンピュータの寓話・精神病の精神科医・資本論おじいちゃん・模範的市民。これら一つ一つの小話が小気味が良かった。

     反文学的文章・構成でシニカルに世相を切ると「戦争と平和」を言い換えた純文学的テーマ小説に変身しているのも見どころだ。



  • ナンセンス小説と言えばいいのか。
    形容し難い。作者独自の文体と固有名詞の洪水に酔うしかない。
    これが、60年代なのか、60年代とは。30年代とは。90年代とは。終末思想。死体。
    30年代、60年代、90年大門の30年周期、と考えると、2020年代は終末思想が蔓延するかもしれない、とか思った。テスラ、Twitter、ロシア、温暖化、プラスチック。
    オチから逆算すると、なぜ我々は死体が見えないのか、という疑問に突き当たる。死体は本来そこら中に転がっているはずだ。ただ、それは見えないように巧妙に隠されている。もしくは、我々が見えないふりをしているだけだ。死体がなければこれだけの物質は生産されていない。死体がなければこれだけの思想は生まれていない。死体がなければ、生者は存在できない。

    読んでいて頭がおかしくなりそうなのに、読むことをやめられない。これが小説なのだと言われればそうだし、こんなものは小説じゃないと言えばそれもそうだし。
    痺れた。

  • 2021/06/17
    これを読んだのは2回目。初めて読んだ時には文章のキレの良さにページをめくる手が止まらなかった。こんなに自由な小説があってもいいのか、と感動していた。しかし、それより先には進めず、この本で著者が言わんとしていることはまったくわからなかった。内田樹による解説を読んでも、あまりピンと来なかった。この小説の魅力に取り憑かれはしたが、それは言葉とか形式の面でだけであって、内容に関してはわからずじまいだった。
    今日、改めて読むと、それが少し見えてきたような気がする。が、なんというか、やっぱりまだ距離があるような気もする。内田樹の解説によれば、この小説の主題の一つは「暴力的なもの=邪悪なもの」なのだが、いまの私はそれをあまりよく知らないか、あるいは直視していないからなのだと思う。それに、内田樹が解説で提示していた、その時代の空気みたいなものを私はまったく知らない、というのもある。でもまあ、それでも著者のいう「むき出しの憎しみや怒り」といったものの一端は見ることができたように思う。ぜひともまた読みたい。


  • 2019.12.10

    死体に取り憑かれた「すばらしい日本の戦争」を助けようと試みる「わたし」たちの話
    スラスラ読めるけれど、理解できなかった
    エログロ描写には気分が悪くなってしまった…

  • 最初のとっつきにくさを呑み込んでしまえば、ある瞬間に強烈なドライブがかかる。
    エグさやグロさ、良識や善悪も越えて描かれる世界。
    クセになる。

  • さよならギャングの高橋源一郎の作品。ひさびさに触れたが文節では理解できるがトータルでは実験小説のよう。奇しくもビートルズのレボルーションNo.9のような小説。

  • 死者と自分。これをこの文体で表現しているところに凄さがある。ここで語られているような内容が別の文学的な文体で書かれている小説がおそらくたくさんあるんじゃないだろうか。この小説には文学的な言い回し、いわゆる文学的な空気感そのものがない。実際に巻末で著者はこの小説は全く文学的でないものでなくてはならなかったと言っている。その意味するところは、文学が形式化してしまっているという批評的な鋭い視点だと思う。反体制的というか、アンチ形式的なスタンスの小説であり、読み手にとっての文学そのものの幅を広げてくれるような小説であるように思った。

  • 混沌の沼に沈み込められ惹き付けられた、グイグイ読める文章で気が違えている、クレイジーで勢いが在って良かった!

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著者プロフィール

作家・元明治学院大学教授

「2020年 『弱さの研究ー弱さで読み解くコロナの時代』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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