- Amazon.co.jp ・本 (392ページ)
- / ISBN・EAN: 9784061984011
作品紹介・あらすじ
土佐藩執政、父・野中兼山(良継)の失脚後、4歳にして一族とともに幽囚の身となった婉。男子の係累が死に絶えた40年後、赦免が訪れ、自由となったものの、そこで見たのは、再び政争の中で滅びてゆく愛する男の姿であった……。無慙な政治の中を哀しくも勁く生きた女を描き、野間文芸賞、毎日出版文化賞を受賞した名作「婉という女」に、関連作「正妻」「日陰の姉妹」の2篇を付し、完本とする。
哀しくも勁く生きた女たち
土佐藩執政、父・野中兼山(良継)の失脚後、4歳にして一族とともに幽囚の身となった婉。男子の係累が死に絶えた40年後、赦免が訪れ、自由となったものの、そこで見たのは、再び政争の中で滅びてゆく愛する男の姿であった……。無慙な政治の中を哀しくも勁く生きた女を描き、野間文芸賞、毎日出版文化賞を受賞した名作「婉という女」に、関連作「正妻」「日陰の姉妹」の2篇を付し、完本とする。
高橋英夫
野中婉はその聡明さと気性の激しさによって、わが身の「一身二生」を覚った女性だった。そのことを覚って、そこから身を立て、何者かになってゆこうと心に念じた女性だった。大原富枝が野中婉を作品の女主人公に選んだのは、野中婉のそうした人生と思念のかたちに強く惹かれたからであったのは、明らかなことである。(略)志をもった女性によって書かれた、志ある女のすがたと心がここにはある。――<「解説」より>
感想・レビュー・書評
-
野中兼山は江戸時代土佐藩で治水・新田開発など幅広く藩政改革を任され実績を上げるが守旧派の妬みを買い失脚する。収録された「婉という女」「正妻」「日陰の姉妹」は野中兼山とその妻、娘たちの物語であり、S 35/2〜36/2にかけて発表され、合わせて“野中サーガ”というべき物語となっています。歴史小説というよりは格調高い純文学です。女の生理に根ざした目線で男を視続ける描写は時に生々しく濃密です。(といって、性的な描写は全くありません。) 兼山の男系を断とうとする仕打ちは執拗かつ陰険です。男の嫉妬の方がタチが悪いと言いますが、おぞましい。
詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
乾いた女性視点で女の一生が描かれており、端正な文体と共に時代を経ても色褪せない作品でした。
-
すごい生きざま
-
「婉という女」だけ読んで頓挫。
こういう使い方がただしいかわからないけど、つまるところ喪女の話なんだろうなと思った。
話はまったく変わるけど、女流作家っていうのは文章を読んだだけでその人がかわいいか、またはブスかっていうのがひょっとしたら写真を見ないでも判別できるかもしれない……と何故か読みながら考えた。
話は戻って「婉という女」であるが、どこか白々しい。
というのはやはりそこに話は戻っていくが、この婉という女は獄中に育たずともたぶん貰い手などいなかったと思う。だったらいっそ「モテないです」と白状したほうが清々しい。 -
江戸時代の学者、野中兼山の娘と妻の話。女性は、強くはなくとも、堪えることの上手な生き物だ。古い時代の情景が浮かぶような描写。婉の風変わりな姿が印象に残る。
-
「婉という女」では、与えられた境遇の中でじっと耐えることしかできず、己を抑えて生きることしかできなかった女 婉(えん)が、幽閉が解かれたことをきっかけに「生きよう」と決心し、自分の人生を築いていきくお話。ここに登場する女性は強いです。「正妻」は、兼山の妻市(いち)が主人公。正妻でありながら、夫婦の交わりを結ばずに終わった空しい女の一生です。妾とその子供達は一族とみなされて幽閉されたのに、市は幽閉の人数にいれてもらえなかったかわいそうな人。わしはこっちのお話のほうが面白かった。