- Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
- / ISBN・EAN: 9784061984486
作品紹介・あらすじ
わたしは自分の人生をあきらめない
年頃の綺麗な娘であるのに男嫌いで評判のお島は、裁縫や琴の稽古よりも戸外で花圃の世話をするほうが性に合っていた。幼い頃は里子に出され、7歳で裕福な養家に引きとられ18歳になった今、入婿の話に抵抗し、婚礼の当日、新しい生活を夢みて出奔する。庶民の女の生き方を通して日本近代の暗さを追い求めた秋声の、すなわち日本自然主義文学を代表する一作。
大杉重男
『あらくれ』は、(中略)「歴史」への抵抗としての秋声の小説の在り方を、最も生々しく語るテクストである。お島という1人の女性の半生を淡々と語っているように見えるこの小説は、しかし決して1人の女性の「歴史」ではなく、むしろ「歴史」への抵抗の荒々しいドキュメントとしてある。――<「解説」より>
感想・レビュー・書評
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わたしは自分の人生をあきらめない
この一文から、講談社の「あらくれ」紹介文が始まります。
主人公の女性が、まさに諦めない無謀とも言える行動力で商魂逞しく生きていこうとする半生の小説です。
紹介文の続きは、
年頃の綺麗な娘であるのに男嫌いで評判のお島は、裁縫や琴の稽古よりも戸外で花圃の世話をするほうが性に合っていた。幼い頃は里子に出され、7歳で裕福な養家に引きとられ18歳になった今、入婿の話に抵抗し、婚礼の当日、新しい生活を夢みて出奔する。庶民の女の生き方を通して日本近代の暗さを追い求めた秋声の、すなわち日本自然主義文学を代表する一作。
1915年新聞小説。だから、長編。
最初の結婚から逃げて、自分で決めた男には裏切られて、家を出る。兄を頼って行った町では、兄に裏切られて、旅館のご主人と懇ろになるが、本妻が戻ってきて、追いやられる。東京に戻って、洋裁店を始めて、そこで、華やかに頑張るが、商売も新しい夫も上手くいかない。
自然主義の写実文学とのことですが、女性が生きていくには大変な時代だったかもしれないが、大変過ぎて読んでも何がなんだか。
嫌われ松子の一生を思い出しました。
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非常に人間に辛い作品だなぁと感じた。
淡々としているというより、感傷に浸るということがない。登場する人々はだいたいだらしなく愚かで、その日暮らしの貧しい暮らしである。しかしそれを描写する秋声の筆に、庶民の愛しさや切なさのようなものは全くない。みんな嫌な人に見えるのだ。
お島さんは作中で何度も泣いているのに、そういう印象は全く残らず、ただ猛り狂うように怒ってばかりのあらくれ者に見える。なぜ彼女は心を許せる人と出会えないのか。なぜ彼女は誰かと協力できないのか。作者は人間をどう見ていたのかなということに興味を持った作品だった。 -
古井由吉さんの自選全集が出た記念に、古井さんが好きな本が取り上げられていた。漱石、鴎外やギリシア悲劇のような古典中の古典ばかりが並ぶ中で、徳田秋声の「あらくれ」と「黴」が取り上げられていた。正宗白鳥あたりまでなら読んだ記憶があるが、徳田秋声は初めて。
もともと新聞小説だったからか、章がかなり細かく切ってある。で、なんとなくゆっくり話が進むのかと思いきや速い速い。「お島待ってくれ」と言いたくなる。これだけ怒涛の展開なら連続テレビ小説とかにできるんじゃないか。
主人公のお島が男嫌いで結婚するよりも、男まさりに働くのが好きという話なのだけれど、お島がとにかくパワフル。後ろの表紙に「日本近代の暗さを追い求めた」と書いてあるけれど、ストーリー自体はそんなに暗い感じはしなかった。
しかし、文章に乾いたところが無く、そこは独特の陰りを感じる。動詞の使い方に今風の小説には見られないような美しさがある。漢字の使い方もほれぼれする。古井さんの小説も確かにどこかよぎるような気がする。
『黴』も読んでみたい。 -
なにか心に刺さるかと思ったら、幼少期からの描写から何かがあって今の人格を作り、、見たいな話もあまり特徴的な物もなく。とくにはッとさせられることもなく、眠いまま終わった感じ。日本自然主義文学って日常系ってこと?
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広津和郎「徳田秋声論」より。
お島という女性の生涯を描いている。生涯といっても、生まれてからかなりまだ若い時(30代くらい?)までであるが。お島さんはおそらく明治期の、東京近郊に生まれている。
最初から最後まで、お島さんの人生は暗いトーンに満ちていて、理不尽にすら感じるほどだった。生家では実の母親に疎まれ、養子に出されるが、そもそもなぜ母親がそうまでお島を嫌うのかが特段理由らしいものもなかった。姉は別かもしれないが、彼の兄も半ばやくざ者のようにして暮らしているわけで、お島の親族の中でとりわけて彼女が嫌われ、不遇をかこつのが、単純に可哀想であった。
養父母のところでも、彼女は望んでもいない、生理的に嫌悪する相手との縁談を強いられ、ついに家を飛び出す。お島は養父母に媚を売る生き方が身についてしまっているが、しかし一方でなかなかに意志が強い。嫌なものは嫌、と飛び出していってしまう。
その後もお島自身は、他人の中で生きてきたため、うまく周囲に取り入るのには長けているように思うが、うまくいきかけても、結局は男性との関係性において破綻が生じてしまうことを繰り返している。お島はおそらくそれなりに美しい女性として描かれている。金持ちの男性から言い寄られるとか、お島の方で慕っていても妻帯者であったりなどし、結局なんども一文無しの宿無しになりかけながら生きている。
個人的には割と壮絶な人生だなと思ったけれど、徳田秋声はあくまで淡々と記載していく。苦しい人生は人生として、著者がそれを可哀想だなとか、反対にそれでも生を讃えるべきとしているのかはわからない。
解説では、夏目漱石の本作への有名な評「フィロソフィーがない」を紹介していたが、確かに、作者も、そしてお島も、全く分析的でなく、過去を批評したりそこから学び何かを生み出すとか、そうした態度とは無縁である。
しかし、誰も指摘していないけれど、周囲に、もしくは過去の財産等に執着せず、それらに隷属するくらいなら捨て鉢の自由を選ぶお島の姿勢は、当時としては新しかったのではないのか。特に後半部分では、自ら営業職のようなことをやり、自ら商売をすることにかなり意欲的である。現代にこういう女性がいたらむしろ立身出世していそうだが。
当時の時代背景などはわからないが、こうまで不倫、不義不貞がまかり通っているのだろうか。浅い感想になってしまったが、この小説はむしろお島が女性であるがゆえに強いられる困難が多かった。 -
いい意味で読むのに時間のかかる小説。そんな印象の1冊だった。
あくまで黙読なのに、まるで音読でもしているように一言一句丁寧になぞって読んでいた。斜め読みや流し読みになる部分が一切なく、最初の一文字から最後の一文字まで、本当に余すところなく全て読み切った! という達成感めいたものを感じずにはいられなかった。
淡々と綴られるお島さんの人生。時代を考えると彼女のそれが「平凡」とはあまり思えないが、それでも一人の女性の半生を劇的な何かがあるわけもなく描かれている。一見退屈にも思われるが、気が付けば「次はどうなるのだろう」「お島さんは今度は何をするのだろう」と頁をめくる手が止まらなかった。
今ならばそこまで珍しくもなさそうな、うっかりすると男もぶっ飛ばしかねないお島さんの「あらくれもの」っぷりは読んでいて「す、少しは落ち着いて下さい……!」と思いながらもどこか爽快で、「いいぞ! もっとやれ!」と思う自分もひっそりといたことは間違いない。
「どうしても私は別れます。あの男と一緒にいたのでは、私の女が立ちません。」
お島さんのこの言葉がとても印象的で、すごく好きだった。
静かでありながら先に先にと進みたくなる読んでいてすごくいい気持ちになる文章だった。とても好みの文章。他の作品も読みたいし、『あらくれ』もまた時間をかけて最初から読み返したい。 -
お島さんが気性が荒すぎて3ページに一回は怒ってんじゃないか…みたいな感じだった。怒りを表す語彙のバリエーションが無駄に増えてしまった…
ちなみに気性が荒いことについては、その辺は解説を読んでなるほどなと思った。
ホールデンみたいな人だなと思ったけどお島さんの方が社交性があって行動が伴うぶんうっとおしくはない。けど行動が伴うぶんヤバイ人感がすごい。
文アルに影響されてぼちぼち読んできたけど、織田作之助と私見の限り作風は似てるかなと思った。なるほど庶民派。
赤塚図書館 講談社文芸文庫
どうでもいいけど値段見てびっくりした、岩波金額に慣れすぎてしまった自分を感じる… -
心理描写をほとんどされず、ずんずん移動し続けるヒロイン・お島。
いかにも新聞小説らしい。
日々迫り来る締め切りに間に合わせるために、まさに、書くために描くという感じ。
なにかしらの「心理」(=真理)を描くのではなく、ただ「書く」というその一事につき、そこにある物・事を描いていった作品という印象だった。
一箇所に滞留して掘り下げるのではなく、絶え間なく動き、移動し続けていくお島について、頁をめくっていっても(柄谷が「日本近代文学の起源」で言うような、)内面という「深さ」は感じられない。
そこにあるのは、ひたすらに「広がり」である。 -
主人公のお島は勝ち気で男勝り、仕事をするのは好きだけど男は嫌いというまさに「あらくれ」。義親から縁談の話を進められては成立する直前に拒絶して家を出たり連れ戻されたり。ようやく結婚したかと思えばまた飛び出したり、身を固めたかと思えば自ら商売に力を入れ、浮いたり沈んだりを繰り返す。
「私は働かないではいられない性分ですからね。だから、どんなに働いたって何ともありませんよ」
世間の風習に抗い続ける態度はその決して愛されているとは言えない生い立ちから生まれた者なのか。風習から自由になる為に商売に力を入れることによって、資本の論理に取り込まれてしまう事は本当に自由なのか。時代に抵抗し続け、人生を疾走し続ける彼女の姿は、同時代的にはどう見えたのだろうか。「男」に惹かれるニュアンスを描いた最後は、肯定的なものなのか、否定的なものなのか。
読み進めながら、上記のような考えや思いが頭の中をぐるぐると廻り続けて、読了後もそんなぼんやりとした事しか書く事が出来ず…少なくともお島は、そんな曖昧な感情なんて省みることなく、彼女の人生を疾走し続けるんだろう。