新しい人よ眼ざめよ (講談社文芸文庫)

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  • 講談社 (2007年3月6日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (400ページ) / ISBN・EAN: 9784061984677

作品紹介・あらすじ

神秘主義詩人ウィリアム・ブレイクの預言詩(プロフェシー)に導かれ、障害を持って生まれた長男イーヨーとの共生の中で、真の幸福、家族の絆について深く思いを巡らす。無垢という魂の原質が問われ、やがて主人公である作家は、危機の時代の人間の<再生>を希求する。新しい人よ眼ざめよとは、来たるべき時代の若者たちへの作者による、心優しい魂の呼びかけである。大江文学の一到達点を示す、感動を呼ぶ連作短篇集。


<いま現在の僕とイーヨーの共生の意味があかるみに浮かびあがる。>

神秘主義詩人ウィリアム・ブレイクの預言詩(プロフェシー)に導かれ、障害を持って生まれた長男イーヨーとの共生の中で、真の幸福、家族の絆について深く思いを巡らす。無垢という魂の原質が問われ、やがて主人公である作家は、危機の時代の人間の<再生>を希求する。新しい人よ眼ざめよとは、来たるべき時代の若者たちへの作者による、心優しい魂の呼びかけである。大江文学の一到達点を示す、感動を呼ぶ連作短篇集。

リービ英雄
『新しい人よ眼ざめよ』は、innocence(無垢)の危機から始まる、ともいえる。(中略)ブレイクのinnocenceとexperience(経験)の歌が、おり交ぜている、という以上に、語りの言葉の一すじとなる、fatherとsonの詩が、「父親」たる語り手によって読まれている、だけでなく、読まれていること自体が物語の一主題となってゆく。このような「引用」のめざましい活かし方を一言で描ける文芸用語を、ぼくは知らない。――<「解説」より>

みんなの感想まとめ

真の幸福や家族の絆を深く考察するこの作品は、神秘主義詩人ブレイクの影響を受けつつ、障害を持つ長男イーヨーとの共生を通じて人間の再生を描きます。主人公の作家は、無垢と経験の対比を通じて、現代の若者たちに...

感想・レビュー・書評

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  • ・鶴見俊輔による解説の中の以下のセンテンスがこの連作短篇における大江健三郎の祈りの核と思う。

     詩は定義する。読者にとって、そのように詩をうけとる時がある。詩の定義の仕方は、数学が定義する、自然科学が定義する、社会科学が定義するのとは、ちがうはたらきで、この言葉をもってこれから生きてゆけば、この領域での経験に関するかぎり、これでやってゆけるという予感をあたえる。



    ・「怒りの大気に冷たい嬰児が立ちあがって」の中に、今まで小説を読んでいてあまり感じたことのない類の感動があった。それは動揺と言ったほうが正しいかもしれないほどになじみのない心の揺れだった。当該シーンは、いつか来たる自分たちの死について長兄のイーヨーに咎めた言い方をした両親に対し、イーヨーの弟妹が反撥するという箇所で、弟が次のように言う。

    「──イーヨーは、人指ゆびで、まっすぐ横に、眼を切るように涙をふいていたよ。 ……イーヨーの涙のふき方は、正しい。誰もあのようにはしないけど……」

    このセリフの良さ、いやセリフじゃなくて、この切実な想いとイーヨーの泣き方を見て「正しい」と弟が看做すに至る根拠というのは、おそらく「言葉」とか「論理」の外側にある。言い換えれば私たちの外側にある世界の理のようなものに感応したということかもしれない。いやこんなふうに分析というか言及すること自体があまり良くない。この良さ。言葉にできない良さが強烈にある。私はここに、かなり興味がある。

  • ブレイクの詩が私には難解でどう解釈したら良いのかさっぱりわからなかった。ブレイクの詩を理解できたら、この本への理解もまた変わりそうだけれど、
    不思議な光さんの言動に、人間の本質が表れているような気がして、光さんの言動を、よく理解しようと思いながら読みました。寄宿舎から帰ってきた時、イーヨーと呼ばれることに抵抗した。イーヨーと呼ばれること、光と呼ばれることの違いをどう感じたのかな?
    それから、誘拐された時に辛かった想いは、なぜ吐き出さずに内に留めようとするのかな?
    光さんは頭が良くて、内にたくさんの情報を溜め込んでいるのに、「父は死んだ」と思い込み、「善い足」の定義が思い浮かんだことで、よみがえったように父が生きていることを認識した・・・ということ?うーん難しい。
    光さんの弟、妹の思いやりの深さに何度も感動した。

  • めちゃくちゃ泣いた。

  • 初めての大江作品。障害児の息子との関わりについて思い巡らせた連作短編集。正直理解しきれない部分、妻やきょうだい児たちの苦労を思う部分もあり、なかなか素直には読めなかった…。

  • #67奈良県立図書情報館ビブリオバトル「親父」で紹介された本です。
    2016.6.18
    https://m.facebook.com/events/1016777948369356?view=permalink&id=1022319361148548

  • 「無垢の歌、経験の歌」

    ① 仕事でヨーロッパに滞在中の「僕」(=大江健三郎)は、立ち寄った駅構内の書店でウィリアム・ブレイクの’一冊全集’を買った。僕にとってブレイクは特別な作家で、かつて僕が描いた、脳に重い障害を抱えて生まれてきた長男「イーヨー」が登場する小説の中でも何度か引用してきた。それは父と子に関係する詩の一節からだったのだが、今回もまた、最初に開いたページにある「無垢の歌」から僕は啓示を受けとることになる。
    ……《夜は暗く 父親はそこに居なかった 子供は露に濡れて ぬかるみは深く 子供は激しく泣いた そして露は流れた」。

    ② 帰国した僕は空港に出迎えにきた妻と次男の不穏な様子から、家庭内がただならぬ事態に陥っていることを察する。帰路、彼らは終始無言だったからあえてこちらから問いただすことはしなかった。そして帰宅。問題の震源地だと推察していたイーヨーは、僕が手渡したベルリンみやげのハーモニカに何の興味も見せようとしないばかりか、数日ぶりに顔を合わせた僕を、「発情した獣が、衝動のまま荒淫のかぎりをつくして、なおその余波のうちにいる。(略)息子はいわばその情動の獣に内側から食いつくされて、自分としてはどうしようもないのだという眼つき」で見返すのだった。

    ③ 妻はイーヨーにお襁褓を履かせ寝かしつけてからやっと重たい口を開いた。彼女が言うには僕が留守のあいだ、養護学校で鬼ごっこをしていたイーヨー(体格は大江健三郎と変わらない)がとつぜん妻を柔道技でなげ倒したのだと。家ではイーヨーの世話をする妹の顔を正面からげんこつで殴りつけ、弟を羽交い絞めにして小突いているのだと。家族の食事のあいだは包丁を体の前に捧げ持った姿勢のまま、じっと窓から外を睨んでいると。ブルックナーを大音量でかけながらそれに負けない大声で「パパは死んでしまいました!」と叫び続ける、などなどと。
    ……《誰ひとり自分よりほかを自分のように愛しはしない (略)だからお父さん、どうして僕が自分以上に あなたや兄弟たちを愛せよう? 戸口でパン屑をひろっている あの小鳥ほどになら あなたを愛しもしようけれど》。

    ④ しかし翌朝。ソファで転寝していた僕は異変に気付いて目を覚ます。イーヨーが僕のはだしの足をなでさすりながらこう呟いているのである。「足、大丈夫か? 善い足、善い足! 痛風、大丈夫か? 善い足ですねえ! 本当に、立派な足です!」 そしてうっちゃっておいたハーモニカに手を伸ばし和音を探り始めたのだ。かつて僕が痛風になったとき左足を大きく腫らし激痛に苦しんだことのあるのを、イーヨーは強い印象をもって観察していた。そしてそのとき「善い足」という”定義”を確立して胸中深くしまいこんでいたのだ。今回僕のはだしの足を見てその”定義”がよみがえり、死んで消えたはずだった僕を再認識、ふたたび僕を父として実体化するのに成功したというわけだった。

    ⑤ 僕は自分が本当に死んでしまったあとのイーヨーの人生に思いを巡らす。そして彼が道に迷わない手引書として、’善い足’の定義だけではない、世界、社会、人間についての「定義集」を完成させたいと考えている。

    ▶▶▶障碍者のいる家庭での容赦のない暴力について正直に書かれていて胸に迫るものがある。体力のある障碍者とその父親との力関係についても。



    「怒りの大気に冷たい嬰児が立ちあがって」

    ① 最初にその詩に出会ったのは、入学して間もない東大教養学部の図書館でのこと。僕が座った横の机の上に大判の本が広げて置かれていて、その席自体は無人だったのでなにげなくそこをのぞき込んだのだが、そのとき目に入った短い詩句に僕は衝撃を受けたのだ。
    ……《人間は苦役しなければならず、悲しまねばならず、そして習わねばならず、忘れねばならず、そして帰ってゆかなければならぬ/そこからやって来た暗い谷へと、労役をまた新しく始めるために》。
    しかしそこまで読んだところでその大判本の所有者と思しき教授か助教授かが帰ってきて、結局誰の詩だったのかもわからないまま、その場を気マズく感じた僕はそそくさと図書館を後にした。

    ② それから10年後。たまたま読んでいた英詩のアンソロジーの中で僕はついにあの詩句(人間は苦役しなければならず、……)に再会、それがウィリアム・ブレイク『四つのゾア』の一節であると知った。興奮した僕はすぐに(そのときはもう深夜だったにもかかわらず)東大の同級生で当時女子大の講師をやっている英文学者に連絡を取り、自分たちがちょうど学生だったころ教養学部の図書館を使ってブレイクの研究をしていたような、そんな教授か助教授かに心当たりがないか訊いてみた。すると彼が答えるに、あるとすればそれは「独学者」ではないかと。「独学者」というのは学生らが付けたあだ名だが、「独学者」はダンの専門家だったらしく、学生にダンの詩集の任意のページを開けさせてはそこに出てくる語句やイメージからその学生の運命を占ったりしていたと。しかしホモセクシャルの性向が露見して大学を追われ、その後自殺しているのが見つかったと。 ……もしあのとき僕が「独学者」に声をかけたとしたら「独学者」は例のブレイクの詩句から、その後の僕の運命をいかように診断したか。あるいは僕たちはそれからどんな関係になっていたか……。

    ③ ……《帰ってゆかなければならぬ/そこからやって来た暗い谷へと》。
    僕にとってこの”暗い谷”とはまさに、森の谷間の村に違いない。僕が幼いころ父と祖母を立て続けに亡くしたその地は、僕にとって死のイメージと結びついている。のみならず、地蔵堂の裏で発見され、みんなで見物にまでいったひと柱の首吊り死体によっても。そしてあの出来事……。川でひとりウグイ採りをしていた僕は、深い淵へと潜水したあと岩と岩の間に頭を挟まれて動けなくなり、そのまま死を覚悟したことがあった。その後、異変を察知して僕の後をつけてきていた母によって力づくでそこから引きずり出され、九死に一生を得たのだが。今でも後頭部に手を伸ばせば助け出された時にできた傷跡に触れることができるし、水中に広がる血の煙幕と母の怒ったようなその時の顔は鮮やかな記憶として残っている。

    ④ それから十数年後。イーヨーが頭に二つ目の頭ともいうべき大きな瘤をつけて生まれてくる。そして僕は二か月半の懊悩を経て瘤の切除という危険な手術を決断する。そのとき弱り切っていた妻と母に向かって僕は、「肉体そのものに、生命への方向づけと、死への方向づけに動くものがあるとして、そのさかいめに赤ん坊がいるとしたら、本人の、というか肉体そのもののというか、そいつの自由にまかせようや。生まれてこなかったより生まれてきたことが、必ずしも良かったとばかりはいえない時代なんだから……」。そんな僕をあっさり無視して母は妻に「ああした人間ですから、私どもは頼りにすることはできません、あなたのチカラ(で)、イーヨーさんに助かってもらわねばなりません」と、かつて僕を死の淵から引きずり出した時のあの怒った顔でいうのだった。
    ……《僕の母は呻いた! 父親は泣いた。/危険にみちた世界へと僕は跳んだ、/ひとりぼっちで、素っ裸で、声高く叫びながら、/雲間にそそむ鬼のように。》

    ⑤ ところでイーヨーは死について一体どう認識しているのか? 初めて癲癇の発作に襲われたあのとき、――左手で床をバタバタ叩き、よだれを垂らして、白目をむいていたあのとき、イーヨーはどんなヴィジョンを見ていたのか? ある日イーヨーが聞き分けが悪くなって妹や弟に良くない態度を見せたときがあった。そのとき妻はいつものようにこういってイーヨーをたしなめた。「イーヨー、だめでしょう、そういうことをしては。私たちが死んでしまった後は妹と弟の世話になれなければいけないのよ」。するとイーヨーはこう言いかえして僕たちを驚かせた。「大丈夫ですよ! 僕は死ぬから! 発作がおこりましたからね! 僕はすぐに死にますから、大丈夫ですよ!」。癲癇の経験を経てイーヨーは死の想念に取りつかれてしまったようなのだ。新聞やテレビのニュースを見ては、「ああ、今朝もまた、こんなに死んでしまいました! 急性肺炎、八十九歳、心臓発作、六十九歳、気管支肺炎、八十三歳、ああ! この方はフグ中毒研究の元祖でございました! 動脈血栓、七十四歳、肺癌、八十六歳、ああ! またこんなに死んでしまいました!」。そして以前は好きだった駅弁も、生魚も受け付けなくなり一年で十キロほど体重が落ちた。「ああ!日暮里商店街御一行の皆さんが、弁当で中毒されました!お茶屋弁当でした!」。

    ⑥ 前章で取りあげたイーヨーの荒れっぷりについての報告かたがた、僕と妻はイーヨーを連れて、イーヨーの手術の時からお世話になっている脳外科のM先生のところに受診に行った。イーヨーはいろいろな検査に引っ張りまわされたが、M先生との再会ということで上機嫌であった。「大変苦しかったが、がんばりました!」。しかし今回の受診で、妻を通して知らされた衝撃の事実があった。それは19年前、イーヨーの手術に際して、僕は当然イーヨーの巨大な瘤だけを切除したものとばかり思っていたのだが実はそうではなく、瘤の中には脳の一部も含まれており、機能していないと判断されたその脳ごと切り取って廃棄されてしまっていたというのである(脳分離症)。当時、僕がM先生から手術の内容について詳しく説明されたのは間違いない。……だとすればそのとき僕が先生の話を聞きちがえていたのか? あるいは曲解して聞いてしまっていたのか? ……まさかM先生が間違ったことをいう筈はないし……、病院帰りのタクシーの中で頭を抱えながらそうして煩悶していた僕だったのだが、イーヨーはそんなこと気にもしないで『人間の証明』みたいに、「そうなんですよ! 僕には脳がふたつもありました! しかし、いまはひとつです。ママ、僕のもうひとつの脳、どこへ行ったんでしょうね?」。……僕は、「イーヨー、きみのもうひとつの脳は、死んだ。しかし生きてがんばっている立派な脳が、きみの頭のなかにあるよ。ふたつも脳があって、すごかったね」。イーヨー、「そうですね、すごかったものだなあ!」「そうです! がんばって長生きいたしましょう! シベリウスは九十二歳、スカルラッティは九十九歳、エドゥアルド・ディ・カプアは、百十二歳までいきたのでしたよ! ああ! すごいものだなあ!」

    ▶▶▶'55年頃・東大教養学部の図書館 → '45年頃・四国の山奥の村を流れる川の底 → '80年頃・東京、大江健三郎宅のリビングルーム → '63年頃・東京、大病院の外科室 → '80年頃・東京、大病院帰りのタクシーの車内。 ………時空が行き交い、イメージが躍動する。死と誕生のテーマがそれを貫き、合間で笑い声が弾ける。/今回は大江のお母さんまで登場。イーヨーと同じく……「生」に対するクセが強い!/ところでウィキペディアで調べてみると、確かにシベリウスは92歳に死んだことになっているが、スカルラッティは72歳、エドゥアルド・ディ・カプアは52歳までしか生きていない。……これ一体どういうことなんだろうか???



    「落ちる、落ちる、叫びながら……」

    ① 1980年11月25日。それは三島由紀夫が陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で割腹自殺を遂げてからちょうど10年目にあたる日であった……。

    ② 僕はそもそも健康のため週に二、三回ほどスイミングクラブを利用していたのだがイーヨーにも泳ぎを教えようと思い立ち、最近はイーヨーを連れてクラブに通っていた。イーヨーはといえば不思議に全く水を怖がらない。しかしその泳ぎ方というのが、浮かぶとも沈むともせずただ水中をたゆたっているだけ、なのである。僕の指導に対する返事(「はい、そういたしましょう!」)だけは元気がいいものの。

    ③ ところでスイミングクラブにはプールが3面あるのだが、最近になって、ガラス仕切りの向こう側の25ⅿプールがしばしばある特定のグループによって独占されはじめ、我々一般の会員にとっては利用がしずらくなった。で、そのグループというのが総勢15名(最初になぜか大声を出してスペイン語で点呼をするのでそうとわかる)。二十代後半の男性たち。そろって半ズボンめいたカーキ色の水着を身につけた均質の肉体。護送車のような中型バスでやってきては従業員用ドアから施設に入る。更衣室も独占。泳ぎ終わったらさっさとシャワーを浴びて同じバスに乗って去っていく、という謎の軍団。

    ④ 統率者は朱牟田さんという男。朱牟田さんによると、水泳は彼らに施す鍛錬の一環であると。”うちの若いもん”は半分がもと左翼、半分はもと右翼だと。スペイン語については、いずれメキシコシティに彼らを連れて「乗り込もう」としているので、スペイン語以外は厳しく禁止して勉強させているのだと。そして僕に向かって、三島由紀夫の自決十周年記念として”うちの若いもん”とスペイン語で議論をしてもらえないかと打診してきた。……僕はスペイン語には全く自信がないし、そもそもこんなヤバそうな軍団と関わり合いになるのもイヤなので当然断ったのだが、かてて加えて同じクラブ員の南助教授からは、このグループは三島思想を体現するグループで、僕がノコノコ出かけて行ったりなどしたらそれこそ血祭りにされるだけだと脅しをかけられた。

    ⑤ そんな中イーヨーは相変わらず水中で、浮かぶとも沈むともせずゆっくりと……。

    ⑥ ある日軍団の水泳の練習中、クラブの施設の壁を打ち破って、軍団員3名が脱走するという事件が起こった。しかし統率者の朱牟田さんは恬として動ぜず、脱走者にけががなかったことを日頃の鍛錬よろしきを得た結果だとむしろ得意顔なのだ。そして三島事件からちょうど十年目のその日。朝からテレビやラジオでは三島が頻繁に取り上げられていた……三島の生首を使った過激な演出などはなかったけれども。そしてスイミングクラブ。例の軍団があいかわらず一面のプールを独占していた。僕とイーヨーはプールサイドのベンチに座って、混んだプールが空くのを待っていた。と、突然、ガラス仕切りの向こう側、軍団員たちが色めき立つ。なにごとかと思ったその瞬間、ガラスが向こうからこぶしで打ち割られ、そのまま突き出された血だらけの手が前方を指をさす。「El ninõ, el muchacho la piscina, difícil, enferno.......peligroso, anegarse!」その先には、僕の隣にいる筈だったイーヨーが、潜水用プールの底に静かに沈んでいるのが見えた。誰よりも先にそれに気づいたのが朱牟田さん。彼は異様な敏捷さでもって、沈むイーヨーの元に駆けつけた……。

    ⑦ 助け出されたイーヨーは、「僕は沈みました。これからは泳ぐことにしよう。僕はもう泳ごうと思います!」力を込めてそういうのだった。

    ▶▶▶「三島事件」というのがあった限りは当然、「三島事件からちょうど十周年」というのもあったんですね。また、「盾の会」の「その後」もあったろうし、「分家や元祖、新や改・盾の会」なんかもあったんだろうなぁと思いました。



    「蚤の幽霊」

    ① 三島事件とは三島由紀夫が引き起こした、天皇制的な宇宙観によるフィジカルなパフォーマンスであり、そもそも多面的で力強いメッセージを持っていた。しかしこれに先立つ『風流無譚』事件にすっかり凝りてしまっていたマスコミは三島事件から距離を置き、軍服コスプレの三島のスナップショット、そして彼が残した空疎な「檄」のみで決着をつけようとした。おそらく三島自身も効果を期待していただろう衝撃の生首写真も闇に葬られた。こうして三島の熱演は不発に終わった。

    ② ところでどこで見知ったのかイーヨーは、あの時一部のマスコミだけに出まわった三島の生首写真を覚えているようなのだ。ということはこの十年もの間、イーヨーの悪夢に三島の生首がしばしば出没していたということなのか。いやそもそも、イーヨーにとって夢とは? 幾度かイーヨーに夢についてたずねてみたことがあったのだがその回答は要領を得ず、「あーっ、それは難しいです、ぼくは忘れてしまいました!」。しつこく訊いていると、「――もういいよ、やめましょう!」。……イーヨーが果たして夢を見ているかどうかさえ僕にはよくわかっていないのである。

    ③ アブラハムは神の御託宣に忠実に従い、我が子イサクを生贄として屠ろうとした。アブラハムの赤誠を理解した神によってすんでのところで止められたのだが。一方僕といえば、イーヨーが奇形で生まれてから5週間、心の中ではイーヨーの死を望んでいた。もしあのとき何らかの微力でも外から働けば、イーヨーは死んで(僕によって殺されて)いたと思う。「僕は息子がゆっくりしたあゆみながらすこしずつ伸長させている知能の力の、ある段階において、次のようにいう日が来るのではないかと思うことがあった。」「――お父さん、本当のことをいうと僕は小さい時分からひとつのおなじ夢を見る。それはさらに僕が小さかったころ、つまりは生まれたてのころ、お父さんが僕を殺そうと一所懸命に手だてをもとめている夢なんだ……。」

    ④ イーヨーがまだ子供の時、特殊学級の教師から、イーヨーは夢というものを知らないかもしれない、とほのめかされたことがあった。その時の妻の反応とは逆に、ブレイクを引き合いに出しながら僕は、夢など見なくてもいいとうそぶいたことがあったのだが。
    ……《おお、狡猾なたくらみが、眠っているおまえの小さな胸にしのびいる。おまえの魂が眼ざめる時、恐ろしい稲妻がきらめく》。
    しかし今はそうは思っていない。なぜなら、現実から向こうの世界に通じる抜け穴が夢だとすると、イーヨーが見る夢、すなわちイーヨーの抜け穴と僕のそれとがどこかでつながるのではないか、そんな期待が持てるからである。

    ⑤ かつて夢の抜け穴の先で僕が出会ったことのあるイーヨーは、ブレイク「喜びの日」の’オーク’そのままに、光り輝く雄々しいような筋肉のかたまりの全裸で、これこそがイーヨーの本来の姿であると僕は確信したのであった。……しかしまた一方で別のイーヨーにも。同じく全裸ではあるが、全身から湧きたつ忌まわしい臭い、射精したての血に汚れた性器、鱗に覆われた巨大な上半身。’やってしまった事’の重大さも理解できず、人々に追われて自宅の台所にただ身を隠しているだけのイーヨー。ブレイクの「蚤の幽霊」の姿のような。……当然このイメージは、抜け穴を通して知ることができたイーヨーの別の姿ではなく、あくまで僕自身に由来する僕の歪んだ考え方が創造したものなのだが。

    ⑥ 脳に障害を持つ者に対して抱く性的な恐怖。それはイーヨーの通う特殊学級の教師からも露骨に示されたことがあった。僕自身にも経験がある、イーヨーのお襁褓替えの際の、その次第に成長していく性器を目にするときの曰く言い難い感情。またちょうど僕が東京に出てきたときニュースとなった、瀬戸内海の小島で白痴の少年が引き起こしたという忘れがたい陰惨な性犯罪事件。……ところで、こうした衝動的な犯罪というのはそれが起きた場所が大きく関わっているのではないかと思うことがある。呪われた場所が事件を後押ししたというような。若いころから僕は、将来はたぶん森の谷間に帰ることになるだろうと漠然と思っていたのだが、作家となり家族もできてしまった今となっては、イーヨーを連れたうえでの安心できる場所、すなわち僕が死ぬまでイーヨーと暮らせる’終の棲家’というものを探索し続けていた。そして僕はいつか、その候補地として伊豆に山荘を構えることになっていた。

    ⑦ とある週末にその山荘へ家族全員で出かける計画にしていたのだが折り悪く台風が直撃、みんなに納得してもらって今回の伊豆行きは中止という運びとなった。……はずであったが予定していた当日にイーヨーがいきなり、「さあ、まいりましょう、僕は伊豆の家へまいろうと思います!」といって、リュックをかついで登山帽をかぶって玄関に構えて動こうとしない(すでに大人の体であるその胴体には1ⅿほどの人形・チヨチャンが縛りつけられている)。いくら説得しても聞く耳を持たず、挙句の果てには再びアレが始まった……「パパは死んでしまいました! 死んでしまいましたよ! 僕はひとりで伊豆へまいろうと思います! パパは死んだのですから! みなさん、ご機嫌よう、さようなら!」。イーヨーのあまりの聞き分けのなさに僕の方もヤケクソになってしまって、僕も自分だけのリュックを用意してイーヨーと二人だけ、伊豆に向かってさっさと出発した。……台風の中。二人きりで電車を乗りつぎながら(チヨチャンもいっしょだが)。会話どころか目も合わさず。伊東の駅からは怪訝な顔をする運転手に送られてやっと山荘まで。山荘の庭では撥ねかえってきた枝に顔を打たれ、僕は眼鏡をはじき飛ばされたうえ鼻血を出す始末。……イーヨーはマットレスを自分で用意していると思ったら暖炉の前に敷いて、早々に横になると早や鼾をたてはじめた(脇にはチヨチャンを横たえて)。僕はといえばやはり暖炉の前に腰を下ろし、ウイスキーを飲みながら携帯してきたブレイクを読みはじめた。うつらうつらしながら……。うつらうつらしながら僕は死を思う。イーヨーに教えるべき「死の定義」を思う。僕の父の死ともうその歳になろうとする自分を考えあわせる。……そうやって眠りの底に落ちていく僕にイーヨーが隣から優しく、「――大丈夫ですよ、大丈夫ですよ! 夢だから、夢を見ているんですから! なんにも、ぜんぜん、怖くありません! 夢ですから!」

    ⑧ 翌朝僕が目を覚ましてみると、開け放たれた窓から差し込む光の中に妻の姿を認めた。昨日のうちに妻と次男と長女とは僕とイーヨーを追いかけるように家を出たのだが追いつけず、昨晩は伊東のビジネスホテルに一泊して今朝やっと山荘に到着したのだという。今は子供たち三人で荒れた庭の片づけをしているのだと。眼鏡はイーヨーが見つけてきたと。追いかけてきたのは長女が言うに、イーヨーは山荘に着いたらきっとおさまるけれど、僕の方が何をしだすかわからなくて心配だからだったと。かつて僕の自宅に滞在したことのあるアメリカ人研究者が妻あての手紙で、あるとき僕と話していて、イーヨーが三島の生首の悪夢を見ているというよりも、僕の方が三島の幽霊を見ているようで怖かったらしいと……。

    ⑨ ……僕は妻に、イーヨーが夢を見ているのかどうかわからないけれど、夢を見ている人がいるということはわかっているようだと伝えた。イーヨーがこの先悪夢を見るようなことがあったとしてもきっと自分で自分にいって慰めてやることができるだろうとも。「――大丈夫ですよ、大丈夫ですよ! 夢だから、夢を見ているんですから!」と。

    ▶▶▶人間にとってあまりにも身近でありながら徹底的に不可知の領域――夢。
    人間でありながら、そんな夢を見ているのかどうかわからない存在――イーヨー。
    そんなイーヨーが僕の夢の奥深くに現れて、性と暴力について、そして子殺しについて僕を問い詰める。



    「魂が星のように降って、跗骨(あしぼね)のところへ」

    ① ブレイクの『ミルトン』では、詩人ミルトンの霊がブレイクの跗骨(あしぼね)(すなわちブレイクの体にとってはあくまで周縁部)を通してその体内に入りこむ。
    ……《それからはじめに私は見た、天頂から落ちる星のように垂直にくだってくる、つばめのように、あるいはあまつばめのように素早く/そして私の足の跗骨(あしぼね)のところに降り、そこから入り込んだ》。
    以前イーヨーは、僕との間に衝突があった次の日、眠っている僕の左足(かつて痛風で苦しんだことがある)をさすりながら僕との和解を試みたことがあった。僕の周縁部から、おずおずと僕の核心に歩み寄るように。

    ② ……《想像力は状態(state)ではなくて人間の存在(existence)そのものである。》《人間の永遠の肉体は、想像力である》。
    ブレイクによると想像力は人間の存在そのものである。ところでイーヨーにとって想像力とは? 『洪水はわが魂に及び』にも書いたが、イーヨーは小学校に入る前の段階で50種類以上の野鳥の鳴き声からその鳥の名前を言い当てることができていた。「ビンズイ、ですよ、ルリビタキ、ですよ、センダイムシクイ、ですよ」などと。しかしイーヨーはそもそも眼に障害があって鳥の姿は識別できているとは思えない。つまり頭の中に各々の鳥のイメージは形成されていないはずなのだ。なら、この鳥の名前当てに彼の想像力がどのように機能していたのであろうか?

    ③ ふつうの意思疎通もままならないイーヨーとの関係において、日々のルーティーンをイーヨーに守らせるというのは骨の折れる仕事である。対策としてたとえば、替え歌を歌ってやってイーヨーをその気にさせ、自発的に行動しているように仕向けるというやり方。あるいは数を1,2,3……などとイーヨーに聞こえるようにカウントして次の行動を催促するという方法だ。だがこちらの方はなんだかイーヨーを追い詰めているようで家族全員抵抗を感じている。ところでそれならば、イーヨーが本当に自分からすすんで行うようなことがあるのかといえばそれは、ある。ひとつにテレビを見て覚えた言葉を元に言葉遊びをするということ。これは、中学校の特殊学級の先生が連絡帳を通して、イーヨーのダジャレを弄する習慣をどうにかしてほしいと注文をつけてきたほど頻繁だ。そしてもうひとつが、鳥の名前当ての延長線上にあると思われる、作曲をするということなのである。

    ④ 作曲については、僕の知り合いの編集者の夫人がピアノ教室を開いていて、そちらの方でイーヨーが小学校三年生からお世話になっている。イーヨーのピアノの腕前の方はともかくとして、作曲は先生にその成長を認めてもらえているほどである。ところで群馬に障碍児が農耕して共同生活をするような施設があって、一度イーヨーを連れて見学に行ったことがあるのだが、そこが開設十五周年を迎えるにあたって、クリスマス記念祭の余興として僕とイーヨーとに音楽劇の共同制作を依頼してきた。テーマは「戦争の惨禍を避けるための弱者たちによる協力」。それに応えて僕が書いた脚本が音楽劇『ガリヴァーの足と小さな人たちの国』。

    ⑤ 舞台中央にガリヴァーの巨大な足のハリボテ。登場した王がガリヴァーの巨大な足に向かって、隣の国が攻めてくるので船が来たのを見つけたら岩を投げつけて沈没させるよう命令する。ガリヴァーは王をいさめ、別の国のひとだからといってむやみに殺すことはできないし、いったん戦争になったら両国間の憎悪は高まる一方だと。そしてガリヴァーは、実際に隣の国からやってきた使者にも同じように説得し、攻めてこないことを約束させて帰国してもらう。……などという台本を不安に感じながらイーヨーに説明したところ、「ああーっ、大きい足です! 立派な足ですね! これはパパの足でしょうか? このように長い話では、僕にはなかなか作曲できません。これは大作ですねえ! 難しいですねえ!僕にはむりなようです! 僕はなにもかも忘れてしまいますから!」

    ⑥ 『ガリヴァーの足と小さな人たちの国』はピアノの先生と家族全員とが協力しながら、十日ほどでかけて完成させた。……演者たる他の子供たちの能力や時間的な制約のため、曲を簡単にしたり端折ったりするのをイーヨーになんとか納得させながらではあるが。「よくわかりました! 演奏家が繰りかえしをはぶいて演奏する場合がございます、えーと、グレン・グルド、またモノラルではリパッティがそういたしました!」

    ⑦ そして本番。イーヨーは巨大な足のハリボテの中に隠れてプロンプターをやりとげた。音楽劇が終わり、作曲者としてステージ上に促されたイーヨーは、「僕は足のなかにいようと思います、ありがとうございました!」「カーテン・コールは、はじめの悲しい合唱を歌います! つづいて元気よく、最後の合唱へまいりましょう! その後は、「きよし、この夜」! 父兄の皆さんも御一緒に!」。ハリボテの後ろから掲げられた照明が、右腕をゆっくり振りながら歌うイーヨーの影法師をくっきりと浮かび上がらせた。

    ▶▶▶イマイチまとまりはないが、たくさんの面白いエピソードがでてきてそのぶん楽しめる。



    「鎖につながれたる魂をして」

    ① 養護学校に籍を置いたまま、イーヨーが福祉作業所での職業訓練に通うようになった。職業訓練といってもその内容は、割り箸を紙筒の中に入れていくという単純なもの。だがこれがイーヨーにかかったら、割り箸をためつすがめつ点検しながら「ああ、残念でした、この箸は頭の部分が欠けております!」などと言っては台所のごみ箱に、一本一本丁重に処分しにいくのである。

    ② 妻はイーヨーの作業着に、返還前の沖縄県教職員組合によって発行された憲法のパンフレットを忍ばせていた。このパンフレットというのはすでに故人となってしまったが、施政権返還運動の活動家であったFさんに頂いた小冊子である。かつてFさんは胸ポケットに憲法のパンフレットを携帯しておくという運動を推し進めていたのだが、妻の行動はこれに倣ったものだ。Fさんによると、「このパンフを胸ポケットに入れさせて置いてですね、困ったことがあれば、障害児がハイといってこれを出す。それだけで、すべて解決。そういう社会をですね、実現しなければ、だめですよ。それをめざさないかぎりは、みな敗北主義ですよ」。Fさんは沖縄の返還を見ることなく、泥酔しての就寝中に火事に遭遇、焼死してしまったのであるが。

    ③ 森の奥の谷間の村で僕の父は三椏(ミツマタ)を加工(ヘグると呼んでいた)、紙幣の原材料を製造し、または他の農家への’ヘグリ機械’の貸し出しも行っていた。
    ……戦中のこと。県知事、警察署長たちがそんなヘグリの作業を視察に訪れたことがあった。彼らは、いかにも彼ららしいといえば彼ららしいのだが、高圧的な口調で、僕の父に向ってヘグリの作業をその場でやってみせろと命令した。他の作業員は兵隊にとられ父しかいない中、’ヘグリ機械’をひとりで操作するなど大変危険なことなのだ。結局父はどうにかこうにかその場でやってみせたのだが、僕と母はその様子を固唾をのんで見守っていた。というのも、父が操作をミスして大けがを負うのも怖かったが、なによりも恐ろしかったのは、父の積もりに積もった怒りが今にも爆発するのではないかということ。終始なにも言わずヘグリの作業をする父のその手には、腰に括りつけた鉈の柄が強く強く握りしめられていたのだった。
    ……その一年後。父は深夜に突然、怒り狂った大声を出して死んだ。
    ……そしてそれから半年後、終戦。玉音放送のあったことを聞いた母は、「お父さんのいっておられたとおりになりましたが! 上の者が下になる、下のものが上になる。そのとおりですが!」

    ④ 下層の弱者を暴力をもって虐げるために巧妙に構築されていた、天皇を頂点とする戦中の社会構造。新憲法発布はだから、当時11歳ころの僕にとっては、父が逆に県知事や警察署長や天皇陛下にヘグリの作業を命令できる保証書となるような、それほどの衝撃をもって受け止められたのである。ブレイクもまたアメリカ独立宣言によって大いに鼓舞されたように。
    ……《粉碾き臼を廻している奴隷をして、野原に走り出でしめよ。/空を見上げしめ、輝かしい大気のなか笑い声をあげしめよ。/暗闇と嘆きのうちに閉じ込められ、三十年の疲れにみちた日々、/その顔には一瞬の微笑をも見ることのなかった、鎖につながれたる魂をして、立ちあがらしめよ、まなざしをあげしめよ。》

    ⑤ しかし新憲法で暴力が掃討されてしまったワケではない、当然のことながら。とくに自らの身を守るすべをもたない障碍児にとって現実は、悪意と脅迫の雨の中を傘を差さずに歩くようなものに違いない。障碍児が突然死したときなど、「おめでたいこと」などという声が関係者の口からでさえ聞こえてくることがある。前述のイーヨーの通う福祉作業所には「福祉施設建設反対派」の婦人たちが訪れ、下校するイーヨーをつかまえてなにやら詰問するのである(聞かれた内容についてイーヨーは決して僕にしゃべろうとはしない)。僕の家にはひとりの異常者からいやがらせの無言電話がひっきりなしにかかってくる。あるいは、”障害児を大切にするのは不当”、”オ前ガ精神病院へ行ケ!”などと。……こんなことが積もり重なって、被害妄想癖が昂じている僕を妻はつねに大変心配しているようなのだ。鉈の柄を強く握りしめていた父を僕と母がおびえながら見守っていたように。

    ⑥ そんな僕でも三十台の中頃といえば、抵抗なく自宅に人を招いていたこともあった。ある日、関西から来た若者二人を招いた時のこと。その一人、愛想のいい宇波君という学生は僕が書いた卒業論文のコピーが目当てでやって来たというのであるが、妻やイーヨーがその場から席をはずすやいなやそれまでの態度が一変、あくまでアカデミックな口調ではあるが僕の作家としての姿勢をずけずけと非難、侮辱してくるのである。曰く、何ごとにつけても大江は成長が見えずとにかく「カッタルイ」のだと。しかも彼は信じられないくらいの事情通で(僕が被爆二世の組織に寄付したときの金の使われ方などなぜだか知悉している)、この度は左翼活動費として我々に資金提供をせよ、などと臆面もなく要求してくる始末。もう一人の寡黙な学生稲田君は黙ったままなので聞いてみたら、彼も宇波君と同意見だという。その場にイーヨーたちが帰ってきたので宇波君の物腰はまたもとに戻り、その場は散会となったのであるが。

    ⑦ その日はイーヨーの下校の時間に合わせて僕が自転車で彼を迎えに行っていた。イーヨーがなかなか校門から出てこないので僕は教室まで訪ねていった。するとそこにひとり残っていた先生が、イーヨーなら30分ほど前に帰りましたよと。僕は帰り道、周囲を見回しながらとにかく家までとってかえし妻に報告した。妻はイーヨーが迷子になったこと学校に連絡、自分も含めたクラスの保護者による捜査活動のため家を飛び出していった。僕は家に残って、じりじりする思いで学校や妻からの電話連絡を待っていた。そこにかかってきたのが例の異常者からの無言電話なのだ、間の悪いことに。しかも一旦かかってきた以上、それは30分おきに延々繰りかえされるに決まっている。……うんざりしながら二回目の無言電話を切ったとき、ふと思いついたのだが、もしやイーヨーはこの異常者に誘拐されているのではあるまいか? 以前コイツは家の郵便受けに自分の就職の不採用通知などを放り込んでいたこともあるくらいなので僕の自宅は知っているはず。と、そこへ三回目の無言電話。僕はしばらくの沈黙のあと思い切って、「モシモシ、モシモシ…」。するとその異常者が「オ前ガ精神病院へ行ケ!」と。コイツは閉じこもった部屋からいつものルーティーンとして迷惑電話をかけてきていた、ただそれだけだった。僕がコイツからの電話で安堵したことなど、あとにも先にもこの一回キリである。

    ⑧ それはともかく6時を過ぎ、一向にイーヨーの捜索に進展は見られない。そんなところへかかってきたのが意外にも、あの稲田君(寡黙だった方の学生)からの電話であった。「一応、報告しておいた方がいいのじゃないかと思いまして」と彼は切りだし、「友人の宇波がひとりで計画し実行したことだが」 と前置きをしたうえでこうしゃべりだした。……「かれは奥さんに聞いた息子さんの送り迎えの手順を検討し、今日の午後、息子さんを自分の管理下においた。宇波はあなたが、実際の政治行動に参加せぬ、文筆だけの反体制文化人でありながら、障害児を持っているためにそのような自分の在り方に大義名分を見出しているのに腹をたてている。そこで障害児の息子さんを始末すればあなたを非行動について弁明できぬ場所に突き出すことができると、あるいはあなたに息子さんを無事戻す条件で、なんらかの行動への約束をさせることもできる、といっていた。(中略)いま宇波から連絡を受けたところでは、あなたのところに電話をしてもうまく通じなかったので、そのうち嫌気がさし、息子さんを東京駅構内で解放して、新幹線で関西へ帰るということだ。自分は直接関係ないが、一応報告しておいた方がいいのじゃないかと思いますので……」。
    僕と妻が東京駅に到着してから3時間後、「こだま」のプラットフォームで、売店脇のくぼみに体をスッポリはめて降りしきる雪を眺めているイーヨーをやっと発見することができた。イーヨーの長靴はズボンを伝ってたまった尿でいっぱいになっていた。新しいズボンと長靴を買ったが、まだ尿に濡れている古い長靴のなかに僕は吐いた。そのとき僕は自分の怒り叫ぶ声を止められなかった……。

    ⑨ 正月明けのニュースで、宇波三吉、稲田彰という元活動家が鉄パイプで殴り殺されたことを知った。……そしてそれから三日後。僕が不在のとき、自宅で妻が取った電話はあの宇波からのものだった。宇波曰く、初めから’宇波’、’稲田’ は対立するセクトにいた活動家の名前で偽名だったと。二人が死んだニュースを聞いて、あなたたちがざまぁ見ろと思ったか多少とも不憫に感じたかそれは知らないが、自分たちはこのとおり健在であると。あのとき置き去りにしたイーヨーがプラットフォームから落ちて死んでしまってた方があなたたちにとっても良かったんじゃないですかと。頭に障害のある子に生産性はなく、社会の一環たりえないと。ご主人はそんな子供を免罪符にして社会の荒波に立ち向かっていないと。障害児とふたりで甘えあって生きていると。このまま哲学的な成熟なしに年取ってどうするんだと。私は宗教集団にいて、青年部のリーダーで、人間の魂をどう救うか体を張って活動していると。わたしは死ぬか生きるかで頑張っていると。つきましては、ご主人がおられる10時ころにもう一度電話させてもらいますと。

    ⑩ その夜、僕は日課の寝酒をひかえて10時の宇波からの電話を待っていた。待ちながら考えていたのだが、宇波に対しては怒りしかないが、この二十年、たしかに僕も妻もイーヨーの障害に縛りつけられていた。それは間違いない。
    ……《粉碾き臼を廻している奴隷をして、野原に走り出でしめよ。/空を見上げしめ、輝かしい大気のなか笑い声をあげしめよ。》
    しかし同じだけの年月、イーヨーも障害という圧制者のもとに屈し、打ち勝つ見込みのない壮絶な戦いを続けていたのだ。
    ……《暗闇と嘆きのうちに閉じ込められ、三十年の疲れにみちた日々、/その顔には一瞬の微笑をも見ることのなかった、鎖につながれたる魂をして、立ちあがらしめよ、まなざしをあげしめよ。》
    そんなところへ、もうとっくに寝たと思っていたイーヨーが現れた。不審に思った僕がイーヨーの意図を読みとったとき、イーヨーはすでに電話の前に立ちふさがっていた。そこへ鳴りはじめた電話。それに手を伸ばす僕。そんな僕にイーヨーは体当たりを食らわせ、自分で受話器を取りあげると、「はい、はい!……そうです、僕です。……あなたは悪い人です! どうして笑っているのか? もう話すことはできない! ぜんぜん、なんにもできません!」。鈍器で殴りつけるように受話器を置くイーヨー。その場に駆けつけ、イーヨーの怒りがそのまま癲癇発作に進行することを心配する妻。しばらくして落ち着いたかに見えたイーヨーは妻に向かってこう言った。「僕はずっと覚えていました! あの人は悪い人でした! しかし、ママ、心配はいりません! もう僕は怒らないですよ! もう悪い人はぜんぜんいませんから!」

    ▶▶▶弱者への暴力が尽きることのない酷薄なこの現代社会。そんな中で発せられるイーヨーの叫び声だけが、力強く、美しい。



    「新しい人よ眼ざめよ」

    ① イーヨーの通う養護学校ではすべての生徒が一定期間寄宿舎生活をする決まりになっているのだがついにこの度、イーヨーが参加することになった。「寄宿舎に入る順番になりました! 準備はできておりますか? 来週の水曜日に入ることになっております! ……しかし僕がいない間、パパは大丈夫でしょうか? パパはこのピンチを、またよく切り抜けるでしょうか?」。―――しばらくしてから僕は、明確な答えなど期待せずイーヨーに、ところであのとき言ってた”僕のピンチ”って何のこと? と訊いてみた。するとイーヨーは意外にもはっきりと、「それはHさんが、白血病で亡くなった時でした! サクちゃんは、小児癌だったし! ああ、恐ろしかったものだなあ! パパはよく切り抜けました! ご苦労さまでした! 三年前の、一月二十五日前後の、一週間のピンチでございました!」

    ②当時イーヨーの弟のサクちゃんは血尿があって検査入院していたのだった。結局小児癌とは診断されず事なきを得たのだが。ところでその頃サクちゃんとしゃべっていて、もし腎臓に病気が見つかって摘出しなければならないとしたら誰の腎臓を移植されたいかという話の流れになったところ彼はこう答えた。「イーヨーはヒダントール(癲癇の薬)を飲んでいるからね」と。僕はムッとしてサクちゃんに、そんなにイーヨーの腎臓は悪くなっていると思うのか、そんなイーヨーの腎臓は要らないというのか、ということを言ってしまった。……これは僕の失敗なのだ。というのもサクちゃんの真意は、”抗癲癇剤は有害な成分を含んでいるのでそれを処理するためには腎臓はふたつ要るからイーヨーの腎臓をもらうわけにはいかない”ということだったからである。

    ③イーヨーの寄宿舎生活の準備をするため持ち物すべてに名札をとりつけていた妻が、サクちゃんの言った話として、「イーヨーが寄宿舎に入ったら、自分たちはあまり笑わなくなる」と。「イーヨーが滑稽なことをするからみんなが笑ってきた、というのじゃなくて、なんでもないことでもイーヨーが、みんなが笑うように元気をつけたんだ」と。たしかに僕もそう思う。この家の中はつねに祝祭の雰囲気が漂っている。というのもイーヨーは祝祭の道化であり司祭でもあるからだ。

    ④続けて妻は、僕の”イーヨー観”には他の家族が納得できない点があると。僕がヨーロッパにいるあいだ確かにイーヨーは荒れていた。がそれにしても、「発情した獣が、衝動のまま荒淫のかぎりをつくして、なおその余波のうちにいる……」などとは家族のだれも思っていないと。そういわれてなるほど僕は当時、知人でもあるエッペンドルファーという作家(かつ性犯罪者かつ殺人者)からの悪い影響、というか暗示といったものをこうむっていたと素直に認めざるを得ないのである。彼女はさらに、「イーヨーが悪くなってという十日間のうち、あなたが帰って来た日がいちばん恐ろしかった」と付け加えた。僕は、たしかにそうだったかもしれないなぁ、などと多少反省しながら寝酒を持ってすごすごと寝室へひきあげようとした。途中、二日後にはもうそこにいないイーヨーの部屋を覗き込んでみた。イーヨーは静かにまっすぐ天井を向いて寝ていた……と思ったら突然、「パパ、よく眠れませんか? 僕がいなくなっても、眠れるかな? 元気をだして眠っていただきます!」

    ⑤寄宿舎生活が始まって一週間後、イーヨーが最初の帰省をした。イーヨーは居間に入るなりソファで横になっている僕の足を掴んで、「善い足、善い足、大丈夫だったか? お元気でしたか?」。サクちゃんも、妹も妻もそこに駆けつけ、みんなで声をあげて笑った。そして夕食。献立は徹底してイーヨーの好物ばかりを選りそろえた。しかしひとりでレコードのジャケットを棚から出し入れしているイーヨーに声をかけても、「イーヨーは、そちらへまいりません! イーヨーは、もう居ないのですから、ぜんぜん、イーヨーはみんなのところへ行くことはできません!」。家族の者みなが困惑しておろおろするそんな中、サクちゃんが思いついたように、「光さん、夕ご飯を食べよう。いろいろママが作ったからね」。そういうと、「はい、そういたしましょう! ありがとうございました!」。……僕は思った。「息子よ、確かにわれわれはいまきみを、イーヨーという幼児の呼び名でなく、光と呼びはじめねばならぬ。そのような年齢にきみは達したのだ。きみ、光と、そしてすぐにもきみの弟、桜麻(さくらお)とが、ふたりの若者としてわれわれの前に立つことになるだろう。」
    ……《眼ざめよ、おお、新時代の若者らよ! 無知なる傭兵どもらに対して、きみらの額をつきあわせよ!》
    彼らの脇に、僕は再生した自分が立っているようにも感じた。やがて老い、彼らより先に死ぬ身として。
    ……《私が死ななければお前は生きることができない。/しかし私が死ねば、私が再生する時はお前とともにある。》

    ……おしまい。

    ▶▶▶これだけ深遠なことを追究しながら、家の中では案外まとはずれなことをしでかして、家族から結局フォローさえされてしまっている大江健三郎。……しかしそれだからこそ希望の光は家族全員に平等に降り注ぐというわけだ。
    ▶▶▶ロンドンの神秘主義的な詩人・ウィリアム・ブレイクは100年の時空を超えて。障害児・イーヨーは自宅の居間から直接に。それぞれが大江健三郎に計り知れないインスピレーションを与え、結果、大江は世界中の誰をもってしても書けないような家族の物語の傑作を産みだした!

  • 人生の背骨にしたい作品。初読では最終章でもって障害者の親である自分と、光を擁護するエゴイズムを主張しているのかと思い反発したが、個人的な体験を読み、見方が変化した。一体どれだけの苦労と、どれだけの思いを経てここに至ったのかと。大江自身が死にむかう中で、光に残したいものを書いていると思う。さらに、自身と成人を迎える光との新しい関係(光はイーヨーという名を捨て、新しい人となった、と思う)を再生と位置づけ、暗い谷間に帰る、というネガティブな一面とレインツリーやHさんとの対話を通してのポジティブな一面が並存しているように感じられた。他の大江作品を読めば読むほど深まる作品。何度も読みたい。

  • 初大江健三郎。で、何の予備知識もなしに読み始めたので途中置いてけぼりになった。
    前の作品を読んでいないと理解しにくい部分がある。

    何年か前に母にもらったポストカードの絵が、ブレイクのGlad Dayだったことにこの本を読んで気がついた。
    好きな絵ではないけど、印象はすごく強い。
    でもブレイクの詩を読むことはきっとこれからもない気がする。

  • ウィリアム・ブレイクの詩を肴にして、紡がれる連作短編集。とてもとても良かった。これまで大江健三郎は長編でこそ醸しだされる某かがあるだなんて思っていたけれど、そればかりではないんだ、と。はっと気付かされた。どの短編がいい、というよりも、どの短編もいい、という感じで、本当にいい。イーヨーは大江作品にとって、本当に大いなる光だと読むたびに思う。(10/8/25)

  • 大江健三郎のブレイクへの傾倒ぶりと、イーヨーが大部分を占める生活がまざまざと。
    イーヨーの弟妹たちは大江健三郎に対してどういう気持ちを抱いているんでしょう。それが気になって仕方ありません。

    それにしてもどうしてこの人は色んなところに責任負わされ続けなきゃならんのでしょう。だんだん辛くなって来た…

    12.02.28

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著者プロフィール

大江健三郎(おおえけんざぶろう)
1935年1月、愛媛県喜多郡内子町(旧大瀬村)に生まれる。東京大学フランス文学科在学中の1957年に「奇妙な仕事」で東大五月祭賞を受賞する。さらに在学中の58年、当時最年少の23歳で「飼育」にて芥川賞、64年『個人的な体験』で新潮文学賞、67年『万延元年のフットボール』で谷崎賞、73年『洪水はわが魂におよび』で野間文芸賞、83年『「雨の木」(レイン・ツリー)を聴く女たち』で読売文学賞、『新しい人よ眼ざめよ』で大佛賞、84年「河馬に噛まれる」で川端賞、90年『人生の親戚』で伊藤整文学賞をそれぞれ受賞。94年には、「詩的な力によって想像的な世界を創りだした。そこでは人生と神話が渾然一体となり、現代の人間の窮状を描いて読者の心をかき乱すような情景が形作られている」という理由でノーベル文学賞を受賞した。

「2019年 『大江健三郎全小説 第13巻』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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