- Amazon.co.jp ・本 (260ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062015424
感想・レビュー・書評
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日本で最初の横書き小説。
小峰元氏の「青春ミステリーシリーズ」に高校生や予備校生、東大生など、受験に関るようなエピソードや登場人物が多いのは、この時代は『受験戦争』という言葉がまことしやかに囁かれていた時代だからだろう。
昭和40年代。
昭和39年の東京オリンピック開催で『もはや戦後ではなくなった』日本は、高度経済成長の時代に入った。
この時代に『三種の神器』と呼ばれたのは、car ・colorTV・cooler。
新興住宅地の開発によって、小中学校の生徒数が劇的に増加した。
私のいた中学校など、一学年12クラスもあった。
1クラス50名ほどだから、一学年600人の超マンモス中学だった。
子どもが多くなり、当然有名大学への受験競争は激化。
当時の東大入学ベスト3は、トップが都立日比谷、次いで学芸大付属、教育大付属駒場などの国公立高が御三家だったと記憶しているが、そこへ割って入ったのが関西、兵庫県の私立灘高校。
独自の勉学理論で中高一貫教育を主張し、一気にトップに上り詰める。
小峰元氏は大阪出身なので、受験戦争に巻き込まれた高校生たちに興味があったのではなかろうか。
この小説、なかなか面白かった。
先に読んだ『ホメロスの殺人方程式』よりも、キャラの関西弁が小生意気で、心地よい。
出てくる刑事も人情味があり、他の登場人物もリアリティを感じさせる。
最後、主人公の高校生の終わり方はちょっと儚げで、しんみりさせる。でも前向きだ。
1974年発行だから、40年近く前になる。でも、色褪せない。
小峰元の描く高校生は、読み始めは、何の葛藤も屈託もない一見ユーモラスな人物に思えるが、その奧にはいつも何処かもの悲しい影や雰囲気を漂わせている。
そこが、人間として共感できるし、この世界に入り込んで読める原因だろうか。
そう考えれば、彼に影響を受けたという東野圭吾氏の作品も、謎解きももちろんだが、登場人物の個性や背景などの描写が興味深く、多くの読者を魅きつける要因になっているのではないだろうか。
時代を感じさせる表現も興趣をそそる。
この時代は、高校生の男子が母親のことを「ママ」と呼ぶのが当たり前だったろうか?
私は、母親を「ママ」と呼んだ記憶はないのだが。
その他、「ハレンチ」とか、「赤尾の豆単」とか、「インスタントカメラ」とか懐かしい表現が現われる。
特に「インスタントカメラ」は犯人探しの伏線にも使われている。
───正真正銘、この本は日本初の横書き小説である。
“あとがき”で小峰氏自身が、「これからは、アメリカでペンがタイプライターに変わったように、横書きの教科書で育った戦後世代は、日本語も横書きが主流になるに違いありません。その世代はワープロを主要な筆記具にするでしょう」と、今から40年ほど前に予見しているのはまさに慧眼、すごいと言わざるを得ない。
それでも今現在、公文書類は横書きが多くなったが、未だに小説などは縦書きが主流だ。
不思議なものだ。
DMや雑誌などは縦横混在なのに、「小説」は縦書き。
確かに、この横書きの小説は私もやや読みにくい気がした。
単なる慣れだけではないような気がする。
平仮名と漢字の入り混じった長い『物語』を読むには日本人独特の感性として縦書きに適しているのだろう。
東野圭吾ファンなら是非、内容も面白いこの横書き小説をご一読いただきたい。
───最後に
図書館から借りた私の手元にあるこの一冊。
1974年10月発行ということもあり、40年近くの間、いったい何人、何十人、いやひょっとすると千人をも超える人の手に渡り、読まれ続けてきたのだろう。
ところどころの染み、汚れ、色褪せたページ。
昔は学校の図書館のように、毎回返却されるごとにハンコを押していたのだろう。返却日付表なるものが貼られたままになっており、最後に貼り代えられた日付は、61.3.15と押印されている。
昭和61年は、東京23区の局番がまだ三桁だった時代で、図書館の電話番号も三桁だ。
これを見て、図書館の本というのは数十年も読み継がれるわけだから、大切に取り扱わなければいけないとあらためて自戒した。
人生にやり直しがきかないように、図書館の本も紛失したり、破れたりしてしまえば、それこそその本は「絶滅危惧種」になってしまうのだから。
文中に出てくるように「クレオパトラの溜息を私たちが今でも吸っている」のだとしたら、この本から伝わる故小峰氏の溜息も、東野圭吾氏や私もいまだに吸い続けているということになる。
再度、合掌。故小峰元氏に感謝。詳細をみるコメント0件をすべて表示