- Amazon.co.jp ・本 (454ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062043656
感想・レビュー・書評
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山頭火の伝記。(1882年(明治15年)12月3日 - 1940年(昭和15年)10月11日)
山頭火が山口県の地主の息子であったことをはじめて知った。父に続く二代のダメ人間で、資産を食い潰した。俳句を作るほかは、何もできない、人にたかるばかりで暮らした。
遍路や行乞は仏道修行ではなく、いやで仕方なかったが、飯を食い酒を飲むための手段であった。やらずにすむなら、友人知人が金を恵んでくれれば、なくなるまで飲んでいた。
周りに迷惑をかけながら生きる、そのダメさ加減にあきれ、最後までそんな話しばかりが続くこの本に、途中ちょっといやになった。
そんな山頭火の作った句と言えば、まずこれ。
「分け入っても分け入っても青い山」
この本はその時々に、作った句をちりばめてあるのだが、意外にピンとくる句に出会わなかった。
その中では孫を歌ったこの句。
「この髯をひっぱらせたいお手手がある」
これはいい。
井月、「乞食せいげつ」「虱せいげつ」と呼ばれた山頭火に似た俳人が、伊那谷にいたらしい。明治22年、66歳で没。p335。
山頭火がどんな生活をしていたのかという疑問は解消したが、これ以上山頭火を追いかける気にはならなかった。
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面白いのだけど、しんどかったな。著者の岩川隆の感慨が読んでいて手にとるようである。山頭火の中に、山頭火にからみついている著者の中に、自分自身を見る。だからこれは、評伝としていい本であろう。
山頭火の句はいいと思うのだけど、私としてはちょっと好みではない。私は尾崎放哉のほうが好きだ。いわしげ孝の漫画(まっすぐな道でさみしい)では若い頃からのライバルのように書かれていたが、日記を丹念に追っているこの本(どうしやうもない私)では、山頭火と尾崎放哉が絡んだり、評価したりしている場面はほとんどない。ちょっと気になる。
そしてまた、人間や人生のどうしようもなさという意味でも山頭火と放哉はいい勝負だし、尾崎放哉を書いた吉村昭の「海も暮れきる」もまたすごい本で、面白いのだけどつかれるというか、考えたり、ため息をついたり、嘆いたり、突っ込んだり、つまり「ハマり」ながら読まざるをえないような本だ。文体はかなり違うが、ねっちり度ではこの本(どうしやもない私)は「海も暮れきる」と並んだ気がする。
最後に、一番好きな句は、この本のタイトルにもなっているこれ。
どうしやうもないわたしが歩いてゐる