やがて哀しき外国語

著者 :
  • 講談社
3.40
  • (28)
  • (55)
  • (146)
  • (9)
  • (3)
本棚登録 : 676
感想 : 65
  • Amazon.co.jp ・本 (284ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062068000

作品紹介・あらすじ

村上春樹の魅力の世界。プリンストン通信。久々の長篇エッセイ。アメリカより愛をこめて。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • お恥ずかしいことに、村上春樹さんがそんな暮らしをしていたとは、全く知らず、小説を読むだけでは知ることのなかった、色々なことを知ることが出来ました。

  • 今も昔も村上春樹の考えはぶれてはいない。でもこの時期の村上春樹は「揺れている」。それは国のことかもしれないし、仕事のことかもしれない、ルーツかもしれないし、床屋のことかもしれない。
    その前の「遠い太鼓」は旅行記として秀逸だった。流れる旅人となってヨーロッパを楽しむこと(もちろん不愉快なことも)村上春樹というフィルターを通して全て受け入れていた。冬のギリシャ以外は。
    この「やがて悲しき外国語」は、2年半のアメリカ滞在(そのあとはマサチューセッツに引越し)の中のより深い文化の交わりの接点におけて揺れる彼自身が深く思考することにより表層に浮き出てくる思いが連なっている。良いも悪いも綺麗も汚いも美しいも醜いも、たとえ文学を通じて知っていたアメリカでさえも異邦人として、全て同じテーブルに載せられた時に、どちらのことも考えることの可能性を広げる。ある意味平等性をもって判断する価値観(あくまでもこの時点ではどちら側に着くかは決めることはしないようにしているような気がする)が養われているような気がする。
    この後のエッセイは、よりソフィストケートされて、読みやすく分かりやすく、どちらかの立場に著者は立って記述するのであるけれども、その前段階をみると彼も人なんだなぁとちょっと安心したりする。

  • 海外で生活するというのは想像がつかない。もっとも住みたいと思わないが。英語を流暢に話す姿を夢想するが、習得したいという欲求はい。自分のことすら日本語で満足に話せないのに、外国語をべらべら話せるようになれるとは思わない、という箇所に納得した。なるべくなら日本語だけで生きて生きたいが、そうもいかない。パソコンの関係で英語を目にするだけでうんざりする。

  • 村上春樹の書くものに憧れていた頃が私にはある。それは「これなら私にも書ける」と思えたからで、つまり書き手として村上春樹を低く見ていたからできた蛮勇でもある。だが、今になってこの本を読み返すと侮れない知性と批評眼を備えていて、それが「一見すると」鋭利に他人を傷つけるかたちとして現れ得ないことに気づく。つまり「一見すると」毒がなさそうで、その奥には確かな切れ味のナイフを潜ませている。ここに収められたジャズやアルトマンの映画、小説論や文化論を「今」読むと、流石に古びている感もあるが「今」なおアクチュアルと思える

  • 大雨とウイルスの蔓延で外に出られない夏の午後、巷で再評価されている80年代シティポップをBGMにして1994年に上梓されたエッセイを貪り読む。

    1990年前後の世界像とか村上春樹個人の想いとか、空気感とか、いま読むからこそ感慨深く感じるものがある。村上龍との差異とか、COACHの位置とか。「ヒエラルキーの風景」で語られていた〈共通一次男〉はあれから30年経ってもまだ日本に巣食っているし。

    最後の「さらばプリンストン」は珍しく文学研究の匂いを醸し出していて面白かった。しかし一方で、いま誰が「第三の新人」を読んでいるだろうか、と寂しさにも似た冷笑を浮かべたくもなる。山下達郎や大貫妙子のリバイバルみたいに、吉行淳之介や小島信夫が再注目される日は来るのだろうか。アルトマンの『short cuts』は観ようかしらん、と思った。

  • 1994年3月18日 第二刷
    エッセイ 再読はしないな

  • 1990年代初めのアメリカ・プリンストン在住時のエッセイ集。話題は小説、街、ジャズ、車、映画、外国語など。各界著名人や当時のアメリカ社会の裏話など、うなずきながら楽しく読了!

  • ゆっくり、ふ〜んと読むのがいいと思う。
    何も考えずにアメリカの田舎町を旅行できる。
    突出して面白い箇所はなかったが、読んでいる内に何故か活力が芽生え部屋の掃除をした。そしたら溜まっていた不満や蟠りが浄化された。この本が関係あるのかは知らないが、この本を読んだときに何かのきっかけで自分は少し救われた気がする。だから少しこの本を大切にしようと思う。

  • アメリカ、プリンストンで村上さんが暮らしたときの話。

    --------------------------------------

    NBAを小学生のころから観ていてよかったな、と思うのはこういうときだ。村上さんはプリンストンに暮らしながら、フィラデルフィアに行ったり、ボストンやらニューヨークに車で向かったりする。それを読んだとき、アメリカの都市の位置関係が頭に入っているから、なるほどね、とわかる自分がいる。村上さんはけっこうロングドライブできる人みたいだ。やれやれ、とか言いながらハンドルを握っているのかな。

    ジャズを聴いておけばよかったな、と思うときもある。村上さんの本(主にエッセイ)にはジャズ関連の話題がわんさか出てくる。この本でも何度も取り上げられていたが、自分にはちんぷんかんぷんだった。ルイ・アームストロングと山下洋輔くらいしかわからない。こういう話題に対して、なるほどね、と感じる人はかっこいい。

    --------------------------------------

    『ミッドナイト・イン・パリ』という映画を先日DVDで観たばかりだったので、フィッツジェラルド夫妻の話題になったときには嬉しかった。やはり自分がわかるテーマの話は面白く感じてしまう。

  • 図書館で借りてきた。

    面白かった。書籍のタイトルになっている文章は、特に、自分のいま考えようと思っているところの契機になりそうなので、抜き書きをWFにしてみた。

    「大学村スノビズムの興亡」P41より引用
    <blockquote>でも「これはコレクト、これはインコレクト」という風に考えて暮らしている生活も、考えようによってはなかなか悪くないものである。とくに日本みたいな「何でもあり」という仁義なき流動社会から来ると、かえってほっとする部分もなきにしもあらずである。余計なことを考えずにとにかく細かい部分をコレクトに揃えておけば、それですんでしまうわけだから。とにかく『NYタイムズ』を購読しておけばいい、とにかく『ニューヨーカー』を取っておけばいい(まわりを見ていると取ってるだけで読んでいない人が多いようだ)、とにかくオペラを聴いておけばいい、とにかくガルシア・マルケスとイシグロとエイミー・タンを読んでおけばいい、とにかくギネス・ビールを飲んでおけばいい。でも日本ではそう簡単にはいかない。たとえばオペラなんて流行じゃないよ、今はもう歌舞伎だよ、という風にどうしてもなってしまう。情報が咀嚼に先行し、感覚が認識に先行し、批評が創造に先行している。それが悪いとは言わないけれど、正直言って疲れる。僕はそういう先端的波乗り競争にはもともとあまり関わってこなかった人間だけれど、でもそういう風に神経症的に生きている人々の姿を遠くから見ているだけでもけっこう疲れる。これはまったくのところ文化的焼き畑農業である。みんなで寄ってたかってひとつの畑を焼き尽くすと次の畑に行く。あとにはしばらく草も生えない。本来なら豊かで自然な創造的才能を持っているはずの創作者が、時間をかけてゆっくりと自分の創作システムの足元を掘り下げて行かなくてはならないはずの人間が、焼かれずに生き残るということだけを念頭に置いて、あるいはただ単に傍目によく映ることだけを考えて活動し生きていかなくてはならない。これを文化的消耗と言わずしていったいなんと言えばいいのか。</blockquote>

全65件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

1949年 京都府生まれ。著述業。
『ねじまき鳥クロニクル』新潮社,1994。『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』新潮社,1985。『羊をめぐる冒険』講談社,1982。『ノルウェイの森』講談社,1987。ほか海外での文学賞受賞も多く、2006(平成18)年フランツ・カフカ賞、フランク・オコナー国際短編賞、2009年エルサレム賞、2011年カタルーニャ国際賞、2016年ハンス・クリスチャン・アンデルセン文学賞を受賞。

村上春樹の作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
有効な右矢印 無効な右矢印
  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×