誠は天の道なり―幕末の名補佐役・山田方谷の生涯

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  • 講談社
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感想 : 4
  • Amazon.co.jp ・本 (243ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062070829

感想・レビュー・書評

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  • 山田方谷という人物を最近知って興味を持ったため借りてきた。小説というより山田方谷の人物と考え方の紹介といった方がいい。ビジネス書という位置づけらしいが、どちらかというと政治経済書に近い。利益を得て会社を潤わせるのではなく、どう国を豊かにするかについて書かれている。

    幕末、徳川家のことを「もう着られない古着」と例え、永く持たないと予測していたが、それでも誠の道を貫いて主人の板倉勝静を幕閣で徳川家に殉ずるように誘導するのは、本当に誠の道なのかと思う。

    山田方谷の影響で戊辰戦争の最後の最後の函館まで幕府軍として戦ってしまった板倉勝静がなんともかわいそうになってしまった。勝静のブレーンとしては酷くない?

  • すごくいい
    必読書

  • 「経済は世界史から学べ!」を読んで、紹介されていた山田方谷を調べてみようと読んでみた。非常に読みやすく、幕末の歴史背景も分かりやすく説明されている。都に近い国を前、遠い国を後で備前、備中、備後というのも知らなかった
    この本の優れているのは、人や出来事だけでなく、それぞれの思想がどこからきて、どこへ受け継がれていくかという点だろう。ただ、逆に言うと、その説明が冗長すぎるため、山田方谷の説明が少し短いようにも思える。
    読後、正直思ったのは「へー、なるほど。面白かったな。あれ?でも、結局、山田方谷はそんな凄いことをしたんだっけ?」というものだった。山田方谷を知るには、もう少し他の本を読まないと駄目かもしれない。
    ただ、岡山にゆかりのある人は読んで損はない、非常に面白く感じるだろう

    メモ
    ・江戸時代は分断管理。政権に関わるものは給与を少なくする、関われないものは多くする、ただし義務は増やす
    ・京都に高瀬川を開発した角倉了以は高梁川の高瀬船をみて思いついた
    ・岡山の福岡町は黒田如水が博多に移った際に福岡という名前をつけた。が、地元商人に反対され福岡と博多と言う名前が残った
    ・方谷駅は人名がNGだったので、強引に地名と言いはって地元民が名付けた
    ・方谷の思想の限界は尊王敬幕にあった
    ・周りは藩主、方谷を理解できない人が多数いた
    ・上杉鷹山もそうだが、あの時代は養子になっている人が活躍している。旧勢力
    ・長州藩は江戸時代、元旦に「徳川を討つか」「今年は止めよう」というやり取りを200年以上続けた。薩摩藩の妙円寺参りも有名
    ・藩単位というタテ社会をヨコに繋げたのは思想だが、本来の思想ではなく、手段としての施策等が使われた
    開国による経済のみだれなども、その一つ
    ・横井小楠の思想は方谷らより進んでいた
     だが小楠はスタッフ(助言者)であり、ライン(実行者)ではなかった。方谷はどちらも兼任した
    ・方谷の弟子で有名なのが河合継之助
    ・方谷のユニークな意見は「国論として攘夷が決定すれば攘夷と唱えている薩摩、長州が戦争すべき」というもの

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著者プロフィール

童門冬二(どうもん・ふゆじ)1927年生まれ。79年東京都庁を退職、本格的な作家活動へ入る。99年に勲三等瑞宝章授章。ベストセラーとなった『上杉鷹山』など、在職中の経験を踏まえ、組織と人間の関わりを歴史の中に見出す手法で数多くの小説を手がける。

「2022年 『家康、人づかいの技術』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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