神屋宗湛の残した日記

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  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (225ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062076982

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  • コレクター向けB面集。

  • 著者が70歳を越えた後の作品のなかから、単行本未収録のものをおさめた。博多の豪商茶人、神屋宗湛の日記から秀吉の茶会を再現し、移りゆく時と人を浮彫にする表題作のほか、6篇。

  • 久しぶりに本を一冊読み終えた。

    福島県のいわき明星大学に行く用事があり、ついでに図書館に寄り、井伏鱒二著「神屋宗湛の残した日記」を借りた。

    井伏鱒二の著作を手に取ったのは、最近新聞で、井伏鱒二のことを読んだからである。

    当時中学生(旧制)だった井伏は、森鴎外をだまし、鴎外の直筆の手紙を手に入れたそうである。

    井伏は、老人になりすまし、鴎外に手紙を送った。内容は新聞連載中の鴎外の著作についてである。鴎外は、まさか中学生とは思わず、「老人」に返書を認めた。

    それだけ、井伏の文章が老成していたのだろう。

    今回初めて井伏の本を読んだが、平明でわかりやすい文章だった。

    さて、「神屋宗湛の残した日記」という本は短編集である。どの短編も面白かったが、なかんずく、「日記」が白眉である。

    神屋宗湛は、桃山時代の茶人であり商人である。

    茶道具のことが、多く書かれている。わたしは全く無作法なので、茶道具を記述したところは、よくわからない。

    おもしろかったところは、本能寺の変、と、秀吉の生のことばである。

    宗湛は、二十代のころ、織田信長に招かれ、本能寺に宿泊した。
    その晩、明智光秀の襲撃に遭う。

    宗湛は、騒擾の音に飛び起き、床の間に飾られた、掛け軸を巻き上げ、それを腰に差し、本能寺を脱出した。

    その掛け軸は、「遠浦帰帆」であった。
    この絵をググってみると、京都国立博物館に所蔵されており、ネットでも公開されている。
    http://www.kyohaku.go.jp/jp/syuzou/meihin/kaiga/chuugoku/item07.html

    ここで言い置くが、「神屋宗湛の残した日記」は小説ではない。
    おそらく、本能寺の件は、本当にあったことだと思われる。

    もうひとつ、おもしろかったのは、秀吉の生のことばである。
    このことばも、宗湛の日記から、そのまま起こしたことばであるので、実際に、秀吉が、使ったことばだと思われる。

    たとえば、
    「筑紫の坊主に、飯を食はせよ」
    「多人数なるほどに、一服を三人づつにて飲めや。さらばくじとりて、次第を定(き)めよ」
    「筑紫の坊主には、四十石の茶を、とつくりと飲ませよや」
    などということばがある。

    筑紫の坊主、とは、宗湛のことである。
    四十石の茶、とは、「四十石の壺」という名器があり、その壺の茶を、たっぷりと宗湛に飲ませるように、ということである。

    足利義政が「四十石の壺」の名付け親だそうである。
    ググってみたが、「四十石の壺」の写真は出てこなかった。

    44歳にして、井伏鱒二の本を初めて読んだわけであるが、十二分に読み応えがあった。
    本との出会いは、ちょうどその時分に、ちょうどよい本に巡り合うようになっていると思う。

    井伏鱒二の本を物色してみようと思う。

  • 2010/7/26購入

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著者プロフィール

本名・満寿二。一八九八年(明治三十一)、広島県に生まれる。早稲田大学、日本美術学校を中退。一九二九年(昭和四)、「山椒魚」「屋根の上のサワン」で文壇に認められる。三八年(昭和十三)、「ジョン万次郎漂流記」により直木賞を受賞。「鯉」「さざなみ軍記」「多甚古村」「丹下氏邸」「本日休診」(読売文学賞)「遙拝隊長」「集金旅行」「漂民宇三郎」(芸術院賞)「武州鉢形城」「黒い雨」(野間文芸賞)などの小説の他、詩集や随筆・紀行も数多い。六六年(昭和四十一)、文化勲章受章。九三年(平成五)没。

「2018年 『七つの街道』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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