日本文学盛衰史

  • 講談社
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感想 : 13
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  • Amazon.co.jp ・本 (598ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062105859

作品紹介・あらすじ

「いったい、何を、どう書けばよいのだ?」漱石が、鴎外が、自然主義者が、浪漫主議者が、そして、近代文学の創始者たちの苦悩が、百年後の日本に奇蹟のように甦る。

感想・レビュー・書評

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  • 著者がたまに出す本気が大好きです。

  • 明治時代、日本文学がテイクオフする際の文学者たちの苦闘を著者独特の現在の風俗と過去を自由に行き来する文体で描く。特に、田山花袋と石川啄木の章が面白かった。しかし、大逆事件をきっかけに、日本文学の無力が明らかになった。そして、溌剌とした明治の文学運動は衰亡に向かう。歴史を小説にしてしまうという壮大な試みであった。

  • あまり内容的には似ていないのだけれど、坪内祐三著『慶応三年生まれ 七人の旋毛曲り』の方が面白かった。いままで誰もが苦しんだ言文一致の小説の創作をめぐる話といっていいのかな。明治と現在の時制が入れ替わり、明治の文士がいきなり現代語で会話するのにはびっくり。高橋氏は「小説にそんな価値があるのか」と疑義を呈しながら、実は自分自身はその小説を創作することから逃れられないと気付いているのです。

  • ≪県立図書館≫

    文学史の知識が薄いので、すんなり読めなかった反面、
    いい勉強になった。
    反面、事実と虚構がいりまじっていたので、最初は混乱した。
    しかも、明治時代と、10年前の現代と、の2つの時間が本の中に流れている。
    今読んでいる私の視点では、2つの昔がMixされていることになるのだ。
    だから、懐かしいような、訳が分からないような、複雑な感覚になってしまった。

    しかし、読み進むにつれ、「小説」として受け入れて読めるようになった。
    そうやって読んでいくと、各キャラクターのイメージがつかめてきた。
    その思想、心の流れを感じられるようになり、
    実際の啄木や二葉亭に、ちょっと遠回りをしながら近づけた、そんな感じがした。

    本当、死者のことなんて、本当のことなんて、想像するしかないんだ。
    そして、想像は「おおいに死者を誤解する」こととつながってしまうんだなぁ。
    あるいは、今生きている人に対してだって、
    私達は、おおいに誤解している、のだろうな。

    もっと、読書を重ねてから、再度この本を読んだら
    きっと、また違った楽しさを感じるのかもしれない。
    著者の、日本文学への想いを感じさせられた。

  • 何だ何だこれは。小説ってここまでやっちゃっていいの? いいんです。そんな小説。
    二葉亭四迷、坪内逍遥、国木田独歩、森鴎外、夏目漱石、石川啄木…。誰もが名前くらいは知っている近現代の文豪を登場させ、その私生活を追いながら、気付くと、啄木が援助交際したり、田山花袋がAVを撮影したり、たまごっちやビートたけしやエヴァンゲリオンが出てきたり、そのうち著者・高橋源一郎さんの胃カメラの写真が出てきたりと、ホント、何というのでしょう、「何でもアリ」過ぎて、度肝を抜かれます。
    筋といったものはないですが、文豪たちの文学観、創作活動における苦悩、ライバルたちへの嫉妬といったものが緻密に描かれ、興味を惹かれました。それから個人的には、夏目漱石が著作で残した数々の秘密の謎に迫る数章は興奮を覚えました。
    ハードカバーで598ページの大部(2,625円)で、図書館から借りて読みました。他の本と並行読みをしていたら、4か月くらいかかってしまって、何度も図書館へ出向いて借り直すハメに。他に借りたい人がいたかもしれません。この場をお借りしてお詫びします。
    にしても、高橋源一郎さんはすごいや。

  •  小説です。タイトルだけ見ると違う気がしますが、小説です。
     で、久々にオモレェートモレェーと読んだ。小説でしか出来ない仕事を久々に見た。

     簡単に紹介すると、明治を生きた小説家や詩人たちの動向を小説にしたもの、です。二葉亭四迷から始まって鴎外、漱石、啄木、紅葉、一葉――と、だいたい、こういう文人とか芸人とか政治家というのはエピソードの固まりで、それだけ面白い人々だからできる職業であるともいえると思うのですが。
     この「明治期の日本文学」を、小説家である高橋源一郎がどうりミックスするか。分解して再構成するか。本作のキモはなにしろその辺の「小説の可能性」であると思われた。
     読者のミナサマにはあんまり難しく捉えて欲しくはないのです。ただ、ある素材に対する料理の仕方、という意味で物凄いものが見られますよ、と云うことでいいかしらん。

     映像他いろいろの媒体に小説と云うジャンルが押されているようなことが云われているけれども、その上で「小説は面白い!」という証拠として、この作品、勧めてもいいんじゃないかなぁー、と思った。具体的になにがどう面白いか、というのはこれから読む人のために書きたくないのですが。

     ただ、このくらい「何でもアリ」じゃないとどんなジャンルでもそこそこで終わっちゃうだろうなぁとは思った。
     筆者はハードカバーで読んだのですが、文庫版が出ているので「可能性を追求しているものを読んでみたい!」というかたは、是非是非。

  • これを傑作と云わずに何を傑作と云うのか。
    もっと評価されるべき。

  •  2001年の刊行当時話題になったときは読み損ねていた本で、明治文学史の勉強も兼ねて読んでみたのだが、やはり話題になるだけのことはあり、面白かった。

     当時、話題になっていたのは、1・花袋がAV監督になったり啄木が援助交際したりといったSF的なパロディーの要素、2・連載中に作者自身が胃潰瘍で倒れた「原宿の大患」で、これは実際の患部のレントゲン写真が本の中に載っているという前代未聞の試みだった。そして、3・漱石「こころ」の解釈については、当事の論壇で激しい議論を呼んだものだ。

     これはその是非についてはおくとしても、議論になるだけの強烈な魅力があることは確かだ。ネタばれにならない範囲でメモしておくが、つまり「こころ」における先生と、K、もしくは語り手の「私」は、漱石自身と、漱石が裏切った(もしくは裏切ったという良心の呵責を抱いた)ある文学者との関係が反映しているというもので、しかも当時の政治や社会も絡んだ上での「裏切り」だったというのだから(しかも事実に基づいて推測しているのだから)、これは激論になるのも当然と言える。「こころ」についての章はきわめてスリリングだ。

     どうしても「こころ」に注目が集まってしまうが、それ以外の章も高橋源一郎のパスティーシュの腕が冴えており、樋口一葉と当時の文学青年たちの交遊を、思いきり現代を舞台に移植して、サガン風の文体で書いた章なども皮肉が効いていておもしろい。

     高橋による明治文学史研究にして、高橋ポストモダン文学の到達点と言える傑作だと思う。

  • 日本近代文学への愛情。
    本当に文学は盛→衰→死へと向かうのだろうか。大好きな一冊だが、どこへやってしまったのか・・・

  • たまごっち…

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著者プロフィール

作家・元明治学院大学教授

「2020年 『弱さの研究ー弱さで読み解くコロナの時代』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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