熊の敷石

著者 :
  • 講談社
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感想 : 43
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  • Amazon.co.jp ・本 (168ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062106351

作品紹介・あらすじ

いくつもの物語に出会う旅は、フランス人なら誰でも知っているという寓話に辿り着いた。芥川賞受賞。

感想・レビュー・書評

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  • 『熊の敷石』
    夕暮れ時のモン・サン・ミッシェルの情景が印象的。宮沢賢治「貝の火」

    『城址にて』
    読んだ夜、火鳥から逃げる夢を見てしまった。
    開けてくれという声は、誰かに届いたのだろうか。

  • ☆2023(令和5)年中の目標 飯田一史「若者の読書離れというウソ」
    海部「日本人はどこから来たのか?」→図書館で見つからず
    関口美奈子「最初の男最後の女」→R060108
    「戦争は女の顔をしていない」「どくそせん」「ヒトラー対スターリン」→R060107

    ☆2001年1月芥川賞・その時に読んでいれば本好きになった…?→たぶん行動せず他人の目を気にしてばかりいた大学時代・異常的なコミュ症だった自分

    ☆筆者が書きたいメッセージは?
    le pavé de l'ours 余計なおせっかい(ラ・フォンテーヌの寓話より・孤独な熊が庭仕事好きな老人と仲良くなり一緒に暮らすことになる。老人が昼寝中に蠅を追い払ってやるのが熊の日課。ある日老人の鼻先に止まった蠅をどうしても追い払えず、敷石を一つつかんで思い切り投げつけ、蠅ばかりか老人の頭をかち割って即死させてしまう。無知な友人ほど危険なものはない。賢い敵の方がずっとまし。これが教訓)

    ☆YouTubeで解説 突きあげ式の小さな換気窓 家の周りの棒杭の列、有刺鉄線の代わりに太い針金☆ユダヤ人のヤン・収容所を暗示(解説聞くまで気付かず)

    友人ヤンをノルマンディーの小村に訪ねる 列車移動中の学生と話「ぼくの友人はカマンベール投げ選手権で優勝するのが夢でした」と学生が言う。

    P18 かなりの数の乗降客のなかに私を見つけだして手をあげてくれた彼の頭からは、最後に会ったときにはまだかろうじて残されていた髪がすっかり消え失せ、低温殺菌したような頭皮が清潔な光を放っていた。このスキンヘッドにくわえて、当時なら想像もできなかっただろうピアスを、先のとがった特徴ある両の耳朶につけている。
    →次ページ 声も抑揚も以前とおなじままだが、真横の助手席に座っていると、雲間から差し込んだ頼りない陽光にも銀のピアスがちかちかと反射してどうにも落ちつかない。→☆久しぶりに再会した友人との精神的、物理的な距離感

    モンサンミッシェルの尖塔が見える最も遠い地点の看板
    フランス語辞典を書きあげたリトレの生誕地アヴェランシュ 翻訳が仕事の主人公の興味
    一種の岬のうえにぽつんと止まった小さな町で、そこからは、林檎の花が咲く頃に見なければならない魅力的な地方を睥睨しつつ、正面にモンサンミッシェルの僧院と、ひと気のない砂州が見える。☆へいげい…にらみつけて勢いを示すこと「天下を―する」/横目でじろりとにらみつけること

    P46 47 モンサンミッシェルの記述
    「いいぞ」
     私たちが立っているのは、海面から三、四十メートルほどもある切り立った崖の突端だった。手すりもなにもない自然の展望台が一面のタ陽を浴びた海にむきあい、海面には地を這う泡のような、茶色く薄い潮が細波をつくって、前方右手に見えるサン・マロの城塞都市まで直線距離にして十五キロほどを一挙に引いていく。崖の左下には、太古の人々が魚を捕獲するために設けた魚礁の遺跡が顔を出し、沖の方に露出した砂には光があたって黄色い帯を描いている。モン・サン・ミシェルはその崖の中央のほぼ真正面に、靄のかかった淡い光を浴びて忽然と浮かびあがっていた。遠浅の水と砂のなかにぽつんとひとつ、チェスの駒のように置かれた僧院の横顔は、目を閉じるなんぞという子ども騙しに乗って半分白けかけた気分を完全に吹き飛ばした。衣服を、髪を、眼鏡を、身につけているものすべてを下から吹きあげる烈風がなで切りにし、身体を後ろへ反らしてしまうほどの力で鼻孔から喉もとへまっすぐに入り込んでもう呼吸すらできない。私の発した言葉がうまくヤンの耳に届かず、ヤンの説明も切れ切れにしか聞き取れない。百五十年前にエミール・リトレが書いた文章そのままの眺めが、いま私の眼前に広がっているのだった。大洋と雲のなんという調和だろう。誰かが刻々と変化する気象を背後で操作しているとしか思えないほど微細な色調の変化が、横雲のすみずみまで行き渡っている。露出した下の浜辺で漁師がひとり、仕掛けた網の状態を確かめながら、ゆっくりと歩いていた。急いた感じでないから仕事ではなくただの散歩なのかもしれないが、ときどき腰をかがめて浜に手を触れるその様子は海鳥の動きとそっくりだ。東の方には、海岸線というか堤防沿いの道路に従って家々が細長く連なり、今朝方、薄汚れたパリのひとつ星ホテルの窓から井戸みたいに深く風通しの悪い中庭を見ていたことが嘘のようだった。
    「ここがぼくのいちばん好きな場所だ」
     私は黙っていた。答えようがなかったのだ。
    「なにか言ってくれ」とヤンが大声で言う。
    「すばらしい」私も負けないほどの声で、叫ぶように応じた。
    「ほかには?」
    「ここから思いっきりカマンベールでも投げてみたいね」
    「カマンベール?」

    港町グランヴィル・埠頭沿いの観光客向けの店
    「お願い?」
     テーブルのうえに置かれている、ふたりでひとつ割り当てられた小さな陶製のバター入れを私は指さした。白地に青で地元の製造会社のロゴが転写してあるその容器には蓋がなく、バゲットといっしょに出てきたときには口が銀紙で密封されていたから、たぶん既製品なのだろう。
    「どこにでもある品かもしれないけど、この旅の思い出に持ち帰りたいんだ。恥ずかしくてちょっと言い出せないから、代わりに頼んでくれよ」
     ヤンは笑って手を挙げ、精算を頼むついでにウエイトレスに掛け合ってくれた。私はカードで支払ったそのレシートといっしょに、ナプキンに包んだエル・エ・ヴィールという奇妙な社名の入ったバターの容器をリュックに入れ、三角船の腹をたたく索の音がやまない港の車に向った。

    友人カトリーヌ 全盲の息子、目が閉じられた熊のぬいぐるみ
    ヤンの家で彼の撮った写真を見ながらの会話

    辞典の中に熊の敷石の諺を見つける

    冒頭の歯の痛みの記述・ヤンと食事し歯が痛くなったエピソードを思い出す


    砂売りが通る 仏語で眠くなるの意あり 海・友人とその娘

    城址にて フランスの田舎町・城の遺跡・友人と忍び込んだエピソード

  • ▼福岡県立大学附属図書館の所蔵はこちらです
    https://library.fukuoka-pu.ac.jp/opac/volume/82071

  • 芥川賞受賞とあるが、それ程のものではないように感じる。

  • 表題作「熊の敷石」(芥川賞)のほか、「砂売りが通る」「城址にて」の計3本。

    「熊の敷石」
    ノルマンディーに旧友を訪ねる話。その旧友がユダヤ人で、ナチスによる迫害にまつわる記憶が小説の後景となっている。モン・サン・ミシェル、仏語辞典を作ったリトレ、盲目の子供をもつ大家さん。
    同じように旅をするのでも、漂白と往還の違い。ボスニアにとどまる人の言葉「ここがあたしたちの家だからだ」。
    食い物の描写がうまそう。

    「砂売りが通る」
    3編の中でいちばん読みやすくて馴染んだ。砂の城と少女と。フランスは出てこない。

    「城址にて」
    これまた舞台はノルマンディーで旧友を訪ねる話。

  • 熊の敷石

  • かなり期待して読んだのだが……これがちょっと……なんというか……そうでもなかったような。

  • いつも本を読む早さで読むと頭に入らない。堀江氏の音楽のように流れてくる文章をゆっくりと噛みしめながら読まないと。 劇的な起承転結がなくても読後はさわやかです。

  • この本が出た時に読んで以来の再読。
    中身を全然覚えてなかったことにショック!

  • 堀江敏幸の本を手にするのは、ひそやかな愉楽である。誰かの家を訪ねるとき、列車を下りたときから、その人の住む世界に入っていくような心の高ぶりを感じるものだが、ちょうどそれに似た静かな興奮の予感のようなものが、本を手にしたときから胸の奥に立ち上がってくるのを覚える。久しぶりに会う友人が話す言葉の一言も聞き漏らさないよう、私は部屋の窓を閉め、外の音が入ってこないようにして、彼の口が開くのを待つのだ。

    書名にもなっている「熊の敷石」は、著者自身を思わせる日本人青年が、しばらく会ってなかった友人のヤンを訪ねてノルマンディーの小村を訪れるところから始まる。内省的な主人公にとって、自分の考えを人との会話の中に出すことは限られる。ましてや外国語を使ってというハンディがあってはなおさらのこと。しかし、ヤンとの間には「なんとなく」心を許せる関係が続いている。それが、互いの間にある距離感を読み誤らせるのか、ユダヤ人であるヤンの記憶の中に「私」は踏み込んでしまう。友達面をして、語りたくないことまで語らせ、かえって相手の傷を深くさせている自分を、ラ・フォンテーヌの『寓話』の中にある、顔に止まった蠅をつぶすために重い敷石を投げて、かえって友人を殺してしまう熊の中に発見する自己省察の目は鋭い。

    「エセ-」とは、「試考」「試論」の意味である。モンテーニュに始まるこのジャンルは、自分の身のまわりの小さなことから、自分では何も見つけられない事がらにまで判断力を適用する試みのためにある。堀江氏は、自分の作品がエッセイと小説の中間のようなものと解されていると、別のところで述べているが、彼の作品は、この国では随筆のようにとらえられがちな「エッセイ」より、語の本来の意味である「エセー」そのものではないのだろうか。

    ただ、その文体は、かつてはあったようでいて、本当はどこにもなかった種類の小説の文体を持つ。選り抜かれた言葉が、それでいて彫琢されたというでもなく、自然な息づかいで、できる限り嘘を言わないように注意深く語りかけてくる。現今、「小説」という名で売られている数多の作品を読んでも、このリアリティーに比肩するものに出会うことはない。

    著者自らの手になる装幀はエルヴェ・ギベール撮影の写真を無地の白い表紙にのせたもの。翻訳書を思わせる瀟洒な趣が本を手にとるときの歓びを倍加させる。他に、「砂売りが通る」「城址にて」の二篇を含む。

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著者プロフィール

作家

「2023年 『ベスト・エッセイ2023』 で使われていた紹介文から引用しています。」

堀江敏幸の作品

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