- Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062107174
作品紹介・あらすじ
「そこに居てくれること」で救われるのは誰か?ケアする関係の本質に迫る臨床哲学の試み。
感想・レビュー・書評
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「語りを哲学する」というコンセプトで書かれている本です。
患者さんの語りをはじめとして「弱い」と考えられている人の語りを通して存在の意味を深く追求されています。
「浦河べてるの家」も出てきます。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
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インタビュー記事
外来講師オススメの本 -
<弱さ>がもっている力。
めいわくかけてありがとうという、たこ八郎の言葉。
さまざま切り口から、ホスピタブルな光景に触れる。
風俗業を行う女性、袈裟を着た詩人、華道家、ダンスセラピスト。
人の力を引き出す関わりとは何なのか?
ケアする人、ケアされる人との関係が、支配にならないように。
高橋源一郎氏が、お子さんに脳炎になったと知り、絶望しかけたが、
そこから自分のこれまで感じたことのなかった充実感、生きるパワーを感じたと。
自分はいったい誰なのか?自分固有のものはあるのか?その答えを自分の内部に求めようとしてもおそらく見つからない。誰かにとっての一人の他者になりえているということが、自分の存在の意味を見いだすことができるだけだ。
鷲田さんの巧妙な語り口に引き込まれる。 -
最後にある、鷲田さん自身のエッセイ部分までは、よくわからない。
鷲田さんの伝えようとしていることが高尚すぎて、いい意味でわからない。
でも、まともに読んで頷けたのは最後のエッセイ部分ぐらいですが、それだけでもめちゃくちゃよかった。
弱くあることは、必ず、ひとをひきつける。ひとを癒す。世の中に、希望が持てる。
鷲田さんの著書のなかでも言葉が透き通っていて、沁みてくる。気持ちのよい読後感でした。また、読みたい。 -
大阪大学の先生。もしかしたら、内田樹さんの推薦かもしれないが、ちょとと購入動機は不明。
建築の山本理顕先生のほかに、性感マッサージ士、ダンスの臨床心理士みたいなひと、学校の先生、精神科医、なんか共通項は弱い人たちの周辺にいる人たちというぐらい、いろいろな職業の人の話が書いてある。
今の自分は、24時間介護を受けている遠藤さんの言葉に強く感動した。
「君がやりたいことを、まっすぐ人につたえながら、できないことはみんなに鉄だってっもラッテ江、堂々といきていきなさい。先回りして、人がどう思うだろうかとか、これはいけないことではないかとか、勝手に一人で考えてやめてしまう必要なんかないんだよ。自分から逃げていては何にも始まらない。だって、君は一人で勝手に何かをやっていくなんてできないだろう。」(p179)
職場のおおいちゃんという、かわいい女性の後輩に、佐々木さん、時々やわらかい本もよんでますね、といわれてちょっとびっくり。確かに土日は宗教ものとか、この手を読んでいるが、一定の歳をとった自分としては、悩みをちょっとはかかえていて、それを癒しているんだよね。若い優秀な女性にはやわらかい本と感じるんだね。
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鷲田さんはものすごく強いひとだとおもう。
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自分の中に生まれた「弱さ」を放逐しようとみんなが躍起になっている。
「弱さ」は悪いもの、ということになっている。
「弱さ」には、叶えられなかった夢に対するくすぶった気持ちとか、誰かへ届ける勇気がなかった言葉の数々とか、そんなものも含まれる。
長田弘のベッシー・スミスを讃えるエッセイにある言葉を思い出す。
「誰もがよそよそしく生きることに慣れすぎていて、生身のじぶんをつくっている単純な感情のもつ力に向き合わない」
この言葉を、ようやく理解しかけたような気がする。
「弱さ」とは、ときにこの「生身の自分のもっている単純な感情」であったりするのだ。
こういった感情は、弱いゆえに先に進めないゆえに悪い、となんとなく世界がそんな方向性で動いていって、その世界で生きている自分も流されたりして、ないがしろにされていく。
ひどいときには、怠惰や愚鈍のレッテルを貼られて、思いはどこへも収束できずにゆらゆらと漂い続けてしまう。
けれど、この「弱さ」が力になるのである。
この「弱さ」と向き合わないことには、いけないのだ。
「弱さ」と向き合うことを教えてくれる人たちの本。
そして、長田弘曰く「じぶんの憂鬱や悲しみを軽蔑したり、あるいは逆にそれに甘えたりせずに、真にじぶんのものにすることができなくてはいけない」
人は基本的に寂しい。だから、弱くもなる。
私も時々寂しくなって、泣いたりする。
けれど立ち直れる。それは、自分が徹底的に甘え、世話をされ、親に愛された過去があるからではないかと、著者は書く。
そうだと思った。
辛さや、苦しさから立ち直れるのは、両親に愛された記憶、あるいは両親には絶対的に愛されていたという確証があるからだ。
私は幸いにも、その確証を当たり前のように享けて来た。
感謝しなくてはいけない。
この先、私がどれだけ人を愛し、その人と家族になることがあっても、この愛情は二度と享けることはないのである。
家族の中に存在する「感情労働」なるもの。
そう、家族は「分かりあえて当たり前」ではない、のである。
その前提に立たないで関係を創っていく面倒臭さにまみれること。
人は、どんな人でも不器用にやっていくしかないのではないかと思う。
器用にこなせているのは、なんだかまみれられていないのではと思う。 -
月刊誌に連載していたものをまとめた物だからなのか、全体的にひとつひとつの話に深みがなく薄い感じがします。
インタビューに応じてくれている登場人物はみんな魅力的な人なのに。
その魅力を引き出しきれていない感じ。
哲学者然とした分かりずらい言い回しも好きじゃなかったです。
著者プロフィール
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