- Amazon.co.jp ・本 (319ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062108607
作品紹介・あらすじ
銃弾より「キャッチコピー」を、ミサイルより「衝撃の映像」を!スパイ小説を超える傑作ノンフィクション。NHKスペシャル「民族浄化」で話題を呼んだ驚愕の国際情報ドラマ。
感想・レビュー・書評
-
ウクライナとロシアの戦争が継続している今、読むことで新たな側面を知ることができる本として有益だと思う。
実際、ロシアの言い分としては、病院や教会を爆撃したのはうちのミサイルじゃないと言い続けているし。
日本人は勧善懲悪、盛者必衰、因果応報を信じているから、ロビー活動とか強烈にプッシュしている印象はないけれどPAが必要である、ということがリアルにわかった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
This is a documentary book about the back side of the public relations strategy during the Bosnian conflict in the 1990s. It is said that it was the "shadow gimmicks" of the American public relations company that decided the victory or defeat of the Bosnian conflict. Jim Half, who was in charge of public relations for Ruder Finn in the United States, skillfully guided public opinion to turn sympathy to client Bosnia and Herzegovina.
-
広告代理店のハーフという人物がどのようにボスニアヘルツェゴビナを善に、セルビアを悪に仕立てたかについて詳細に説明した本である。
他の書物でも同じような内容のものが翻訳である。 -
戦争報道の見方を改めて考えさせられる一冊でした。今、読むのは意味があると思いました。 sns時代ではないので少し状況は違うかもしれないが、PR企業が果たしている役割はおおきいのだろう。
-
本書は1991年から1992年頃のボスニア・ヘルツェゴヴィナでの紛争の背後に米国の「PR企業」というモノが在ったという事柄に題材を求めている。
1999年頃にテレビのドキュメンタリー番組を制作すべく取材が重ねられ、国内で放映して好評を博したことを踏まえ、国外向けの英語によるコンテンツも制作したという。それが更に書籍化され、本書は2002年に登場している。
本書の中の「執筆時現在」は2001年後半位と見受けられる。その時点で「十年前…」を振り返るような内容となっている。
扱われているボスニア・ヘルツェゴヴィナでの紛争で30年前、本書の取材で振り返っている時点で20年前と「やや旧い」ということは否定しない。が、最近も「戦禍」の報や「情報の争い」ということが謂われている状況が在る訳で、「最近の事象の過去事例?」というようなことを思った。そこで見出した一冊だ。
ユーゴスラビア連邦が社会主義政権による統治を諦めた後、各共和国が相次いで独立した。1991年にボスニア・ヘルツェゴヴィナも独立した。
ボスニア・ヘルツェゴヴィナにはモスレム人(オスマン朝がバルカン半島を統治した時代にイスラム教へ改宗した人達の後裔)、セルビア人、クロアチア人等が住んでいる。相対的に数が多いモスレム人が主流を占めるような感になった中、セルビア人はユーゴスラビア連邦に留まることを主張していたという。そしてセルビアの援護を受けたとされるが、セルビア人がモスレム人を攻撃する紛争が始まった。
この紛争が始まった時、「国際的な支援や協力を何とか得て紛争を乗り切る」というように考えたボスニア・ヘルツェゴヴィナ政府はハリス・シライジッチ外務大臣を米国に派遣した。
独立したばかりのボスニア・ヘルツェゴヴィナから単身で米国に乗り込んだシライジッチは何とか米国政府のベーカー国務長官と面会を果たした。
ベーカー国務長官は「世論を味方としながら各国の支持や協力を得なければなるまい」と助言した。そんな時に出会うのが「PR企業」である<ルーダー・フィン>の幹部だったジム・ハーフだった。シライジッチは<ルーダー・フィン>に協力を求め、<ルーダー・フィン>はそれを応諾して業務を請負うこととなった。
「PR企業」とは何か?
日本国内で「PR」とでも言えば、宣伝、広告というようなことを思い浮かべ、そういうのは広告代理店が取扱うというように連想すると思う。米国の場合は少し異なる。
「PR」は「Public Relations」(パブリックリレーションズ)の略で、宣伝、広告というようなことも含むが、そこに留まらない。主体となる個人や団体と、「公」=社会との関係全般を包括するような概念だ。
何事かの情報を発信しようとする場合、単純に宣伝、広告に留まらず、様々な媒体で取上げられるように仕掛けるメディア対策というようなこともあるであろう。発言力や実行力が在る有力な人に接するような活動が必要で、活動に際する様々なアレンジもあるであろう。公に何事かを声明するような場面でのスピーチライター的なことを誰かがすべきであろう。テレビ放送のようなモノに出る場合の話し方や見せ方というようなことで、通の助言も要るであろう。こういうようなことを一切合切行って、主体となる個人や団体と、「公」=社会との関係全般を包括的に助言して動くのが「PR企業」だ。
シライジッチが政府の特命で米国に乗り込んだ時、米国ではボスニア・ヘルツェゴヴィナの名前も場所も知られていないような様相だった。それが「ボスニア・ヘルツェゴヴィナを救え!」ということになり、反対側のセルビアは「極悪…」ということになって行った。そこにジム・ハーフの活躍が展開する訳だ。
ボスニア・ヘルツェゴヴィナでの紛争では銃弾や砲弾が飛び交うような実戦に加え、「情報の争い」が間違いなく在った。ボスニア・ヘルツェゴヴィナは米国の「PR企業」と出会って先手を打てたということで、この「情報の争い」を制した訳だ。
或る意味で「酷く怖い話し…」というように思った。ボスニア・ヘルツェゴヴィナを含めた「ユーゴスラビアの紛争」そのものが、「昨日までの普通の隣人同士」が激しく殺し合うようなことで怖ろしいのだが、それに留まらない。情報発信のやり方、見せ方で「白か?黒か?」という話しになって行き、紛争の帰趨や紛争後の復興への支援というような様々なことを「決定付ける?」というようになる訳だ。
或いはこのボスニア・ヘルツェゴヴィナを含めた「ユーゴスラビアの紛争」や、少し前のクウェート侵攻を巡るイラクでの戦闘というような時期から、「戦禍」に伴う「情報」が一層重くなったということなのかもしれない。
本書に登場するボスニア・ヘルツェゴヴィナでの紛争で、<ルーダー・フィン>は「セルビア人の“民族浄化”(エスニッククレンジング)でボスニア・ヘルツェゴヴィナは大変だ!」と訴える発信を展開しているが、それに多用したのはファックスだった。現在はもっと色々なツールが使われて、こういう「求め、訴える」は更に輪が大きくなっているかもしれない。(因みに“民族浄化”(エスニッククレンジング)という表現は、このボスニア・ヘルツェゴヴィナ関係で<ルーダー・フィン>が多用し始め、やがて米国の国務省でも使って定着したようだ。些か「曖昧?」な面も在る表現かもしれないが。)
最近では?「求め、訴える」という話しが在れば「如何しますかぁ!?」となって、何やら「求め、訴える」を「容れる」という話しを演出して、輪を更に大きく「ツクル」かのような動きまで、多少目立つ場合さえ在るのではなかろうか?
何となく思うのは、名前も場所も知られていないような地域での出来事が強く発信され、それに注目してみて、そこから興味が在れば「少し詳しく本でも読もう…」という程度に考えて行動すべきではなかろうか?さもなければ、必要以上に強く反応しなくとも構わないようなきさえする。或いはこういうことを一寸考えてみようというのが「メディアリテラシー」というように呼ばれていることであろうか。
興味深い?怖い?何やら引き込まれるように勢い良く読了したが、酷く複雑な読後感だ。 -
PR企業が国際政治に多大なる影響を及ぼしている。
本来は白黒はっきりしない民族間の問題が、PR企業により悪者のレッテルを貼られることにより、結末へ向かっていく。
危機管理におけるPR力の凄まじさの一片をみた。
サブタイトルにある、情報操作という意味においてではなく、世論形成プロセスの妙によって、このような結果を迎えたのだと感じる。
最後の筆者の意見にあるように、紛争や人の生死が関わる状況に対して、PR企業の暗躍が影響を与えるということの倫理上の問題はあると思う。しかし、大切なことは、PRの現場が、地球規模で様々な案件に拡大していることを強く認識する必要がある、という点だと思う。
また、日本におけるPRの実情も気になった。 -
ユーゴスラビア紛争当時の国際世論を形作ったPR戦略を追ったノンフィクションです。広報やPR、広告に関わる人にはひとつの実態として興味深く読めると思います。
-
戦争ですらPR会社の世話になる。どちらの主張も自分は正義だから、国際世論という仲間づくり。当事者たちなとてもスリリングかつエキサイティングだろう。20数年前のボスニア紛争でこれだから、SNS全盛の現代ではさぞかし。
-
●まずPR企業という存在を初めて知った。PR企業は、顧客を支持する世論を作り上げる。ボスニアとセルビアの明暗を分けたのは、PR企業の有無だった。
著者プロフィール
高木徹の作品





