新・考えるヒント

著者 :
  • 講談社
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本棚登録 : 164
レビュー : 15
  • Amazon.co.jp ・本 (250ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062121637

作品紹介・あらすじ

小林秀雄と池田晶子、二人の思惟する精神の、宿命的出会いが生んだ「正しく考えるためのヒント」。

感想・レビュー・書評

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  • おいでませ、池田某。
    帯は人生を考えるだが、おそらく池田的には「人生が考える」と言った方が正確なような気がする。
    この池田という人間は、いわゆる哲学者という人種ができない「生きる・死ぬ」ということばをもって考えることをしたというところに文体がある。有無とか自他とかそういうことばでなく生死。誰だって生きているのだから、これほど共通したものは他にない。これを常識と呼んで差支えないだろう。だけどこの生きるってことにどれほど驚きと自覚を持って生きているか。その本質的で根源的な驚きを持たぬから迷うし悩む。「人を騙して金儲けして何が悪い」だなんて居直れる。池田は自身は小林そのものだと言っているが、これが池田の限界であり、小林にはできなかったことだ。だから、自分が小林自身だと言うのは少し語弊がある。やっぱり、池田は池田なのだ。池田には、本を開くだけでわっと迫る精神の動きがある。好奇心の塊に近い。しかし、小林ほど静かな落ち着いた人間の拡がりはない。小林が紡ぐことばは読めば読むほど深く落ちていく。気付いたら考えている。池田が発することばは、一度入ったらそれっきり、もう考えずにはいられない。それはまるで嵐。だから時に恋しくなる。
    批判とか、批評ということばを小林ほど覚悟をもって行うひとはいるのか。批評は、書くことは何でも否定するとか内容が分からないからだめだとかそういうゴミを投げつけることではない。そのひとがそのひとでしかない、このことに驚き、また、そのひとがそのひとでしかあれなかった人間の限界を示すことだ。「わかる小林」あんなのまやかしだ。わからないからこそ、小林はそのひとに触れ批評するのだ。
    最近池田の本にも「池田のありがたいことば集」みたいな風にして出版されたものがあるが、池田が生きていたらこの仕事は断っていたと思う。池田にはそういう宗教の警句みたいなことはできないから。池田が書いたことばは書いたそのことばの向こうにいることばの尽きる精神を掴むからこそ「在り難い」のであって、何でもかんでも神棚みたいに拝んだり聖書みたいに都合のいいように引用するものでは決してない。それができるのはそれこそ、詩人や小説家の力なのだから。
    あなたが死んでもう何年になるでしょうか。あいかわらず眠ったままの精神が多いままです。繁栄こそ平和だと豪語する国の首相、客観的な歴史の認識ができると思ってるマスコミ。知ったつもりになって解釈を行い続ける教育者。あなたの成しえたものが何て無力だったか。プラトンもきっと同じように感じながら書いていたことと思います。最近ではあなたのすばらしいことばをまとめて出版するということもなされています。なんだか吹き出してしまいます。たかだが学生の若造にすぎませんが、あなたのことばを誰よりも感じられる人間だと自負しております。こうやって大海に落ちた一滴が自分とともにあることを思うと、書くという行為もまんざらでもないですね。そんな風に思えるまでに自分も年齢を重ねていければと思う次第であります。また少し、あなたとは距離を置いて考えていきます。次出逢う時までさようなら。

  • 素晴らしかった。

    難解ではあるが、読んでいるうちに、本の中へ、言葉へ…否、池田晶子の精神へと入り込む。

    あり余るほどの精神の豊かさと美しさに、感動して涙が出るほどだ。心から敬服したい。

    手元に置いて、何度も読み返すことにした。
    この味わい深く、美しい言葉の世界に入り込み、幾度も対話したい。
    それは年を経るごとに、円熟するであろう。

    そんな一冊。

  • 連載コラムとちがいやや硬い。

  • とても読み応えのある作品です。1章読み終わるごとに、少し時間をおいて考えてしまいました。小林秀雄さんの方も読んでみたくなります。

  • 2011.10
    新・考えるヒント
    機会に心があると見ているのは自分の心だという常識を忘れているのだ
    直接経験、即ち童話を反省的言語で語ろうとしたベルグソン論
    言語以前の経験
    神話は理性の母である、本居宣長したのはしたのはこの理由
    民族こそがその物語によって創られている
    あの少年は鬼の子だ
    あの事件の不気味さに驚いてはいない
    およそ考えてせられているということとは、どうあってもたたかうという精神である
    倫理、即ち行為の規範を自身の外に求める、錯覚
    法律は個人の自由を規制するものではあるが従うか従わないかは個人のじゆうである
    自身の内的な規範に従って自由に行為すること
    人間の良心の問題
    善悪を判断する自由は自分にある
    陸沈、隠居
    学ぶとは精神が経験を反省すること
    哲学は死の学びである
    哲学を始める年齢は五十歳
    年齢は真の学問にとってはその本質的な条件をなす
    姿は似せ難く、意は似せ易し
    好きだからこそわかることがある
    愛することと知ることがまったく同じ
    批評という方法
    思って得るとは、古典の言葉の背後に、動いてやまないその精神の運動を見る
    その精神の運動に即して動いている自身の精神の運動を見る
    常識を思惟することの困難さ
    こちたき名どもを、くさぐさ作り設けて説く暇人たち
    きわめつくさねばやまじ、という熱い思いを知らずに、どのようにして学問など可能なものか
    万物の根源としての究極の最小物質という考えは、それ自体が考えである、すなわち精神のうちに見出したのであって、外界すなわち物質界のうちに見出したのではない
    科学の萌芽としてのそれはあくまでも仮定された考えであって、実在ではない
    証明されたのは究極の最小物質が実在するという自身の考えであって、物質が究極の実在であるというそのことではない
    究極的に実在するものな物質ではないもの、非物質、すなわち精神である存在するということは生存するということでは必ずしもない
    美しい花がある。花の美しさというようなものはない。
    見えない美しさそのものはどこにあるのか、見える花においてあるとしか言うことができない
    抽象は具象に完全に現れている
    抽象のみ抽象できるわけではない
    言葉とは存在との交情によつて考えを妊娠し生まれた子供のようなもの
    思考も対象も最初からない
    あるのは思考しているというその事実だけ、したがつていったい何を思考しているのかという問いが正当なものとなる
    現象学も思考主体と思考対象という二分法が疑われれた形跡がない
    考えている自己の何であるのかを考えるのなら、思考主体と思考対象という二分法など、くさぐさ作り設けられたこちたき名、のように見える
    考えるとは、何かをむかえる行為であり、その何かが物なのだ
    ものという何かは、あるところのもの、存在ということになる
    考えるとは存在を考え存在ろ交わること
    天地の間に己ひとり、在るという言葉は、人倫の間に己ひとり、在ると読めばいい
    己ひとり在る、とは独我に気付き、これを徹底するからこそ、人倫に展ける
    哲学、西周、ヒロソヒ、希哲学、不具者になってさまよい出した
    思惟に関する学問は、学んで知ることなどできない、思って得る以外にない
    懐疑する確信、この一点に自覚的にとどまり続けること
    ヘーゲル、大論理学、方法とは内容の形式である、自らが方法と化してその運動をうちから自得する以外に知りようがない
    弁証法を弁証法たらしめているところの概念そのもの、究極の抽象性、この世の言葉では語れない
    ロゴスの降臨
    過去は現在にあるからひとはそれを思い出すことができる
    歴史とは思い出すという行為以外の何物でもない
    全存在は現在のうちにようとは、心理的事実としての存在論的事実である
    物質は意識しある、そして意識とは自己である
    太初に言葉ありき、人はロゴスよりも前に遡ることはできない
    考えているのは絶対にこの現在である、こ自己であるということに、存在の最大の謎がある
    問い方を変えてみよう、存在を考えているのは誰なのか
    自分が自分であると思っているものの根拠は実は自分にしない、と気がつくこと、道徳についての思索はこの、気付き、この不可解への気付きからしか始まらない
    この世の行為の道徳性とは、完全にその動機にあり、現れた行為の側にはない
    外在的道徳を信じないならば、内在的道徳はそのようなかたちでしかわれわれには
    あり得ない
    考えているのは精神、無私の精神
    コギト エルゴ スム におけるエルゴ、ゆえに、が無私の秘密であろう
    考えているところのものがある、直感に等しい
    デカルトはその直感を主客成立の方向へ開いた、こちらは主客以前へと遡った
    精神は必ず普遍性を目指すとはいえ、まさにそのことによって個々の精神は個性あるものとなる、ここにも無私であることの逆説がある
    無私の場所とは、すべての個性的な精神が個性的であるがゆえに普遍的であるような場所
    そのような無私を方法として、対象を批評する小林秀雄の文章に私は強烈に小林秀雄という人を感じる
    文は人なり、言葉は私のものではないからこそ私を現す
    実行するとは意識を殺すこと

  • 「・・・哲学など、完全に無用の長物である。(中略)科学が用なら、哲学の用とは、科学を用とするこの世のありようそのものを問い質すことに決まっている。」かっこいい、しびれた。世界や自己の不思議に誘われたと思えば、また現実に引き戻され、の繰り返し。

  • 著者、池田晶子さんが敬愛する小林秀雄氏の連載「考えるヒント」に想いをよせつつ、自らの考えを書いた本。
    当初、連載予定だったが、難しいという理由で連載されなかった原稿を基に書き下ろしたとのこと。
    たしかに難しい。
    内容は理解できていないかもしれないが、ただ解ったことは、私が池田晶子さんの作品は本物だ、文章表現が好きだと直感的に感じていること。
    それで良いということ。

  • 46歳で急逝した哲学者である彼女が小林秀雄の同著に模して書いた書。最近よく本屋にあって気になっていたので読んでみた。基本的に文体がとても難解である。気を抜くと内容がすっぽり頭からこぼれ落ちてしまう。あまり万人向けではないし、なにかを教え諭すでもない、かといって説教するでもなく、啓発してくることもしない。まさに本人語るところのエセーであり思考の文章化である。こういった文章は基本嫌悪するはずが、目からうろこの文言が結構あって、あーこの人はいーなーと感じた。私は知らない、や、私には想像もできない、など率直に自らを文章に投げ出す姿勢は常に体裁を気にする私自身の文章に向き合う態度を顧みさせてくれた。一番琴線に触れたのは、文言は忘れたが、なにか正面にモノがあるときそれを論じるとき、本当に自分の言葉で自分の考えで論じられるか。何かからの引用でもなく。本当に考えるとき必ず悩む、うじうじもするそれが考えることだと、上手い具合にかかれているメディアの言葉を引っ張り込みあたかも自分のもののように振る舞っている自分を恥じた。

  • (2004.06.01読了)(2004.03.06購入)
    池田晶子の本を始めて読んだのは、「死と生きる 獄中哲学対話」です。死刑囚との往復書簡で、自分の頭で考え始めた死刑囚の疑問に答えるというような本だったように思います。
    割と興味深く読めたという印象が残ってます。それ以外の本もそれ以来読んでますが、あまり印象に残るものではありません。既存の哲学書など読まなくていい。自分の頭で考えなさい。と、何度も書いてあったような気がします。
    池田さんの説明は、残念ながら分かりやすいものではなく、こんな事はこうなのだからあれこれ言わなくても分かるでしょう。私は分かるわよ。という感じの書き方が多くて、割と置いてきぼりを食ってしまう。「14歳からの哲学」は、本人も分かりやすく書いたといってるようで、評判がいいのだが、あいにくまだ読んでいない。

    この本は、小林秀雄の「考えるヒント」からタイトルを借りて、池田晶子が同じテーマでつづったもので、ところどころに小林秀雄の文章が、はめ込んである。
    この本を読むための準備として、「考えるヒント3,4」を読んだけど残念ながら関係なかった。
    池田さんは、文章のスタイルも小林秀雄のものを真似たといっているのだが、残念ながら、小林秀雄の文章から響いてくるような何かは、池田さんの文章からは響いてこない。
    池田さんは、明示しなかったらどこが小林秀雄で、どこが池田さんか区別できないだろうと自信満々だが、6割以上の確立で区別できそうに思う。

    ●学問
    「小林がなぜ学者ではなく批評家であったか」「哲学、科学、文学、そして歴史と、広範な知識と教養を有しながら、学問の方法と言葉によらず、しかし、いやだからこそ最もふかく思索しかつ表現しえたのは、現代では私の知る限り小林秀雄だけである」
    (「近代絵画」、「ゴッホの手紙」、「モオツァルト」、「ドストエフスキイの生活」と言う具合に、絵画、音楽、文学と幅広い分野について論じているのは、確かに小林秀雄のみかもしれない。絵画と音楽なら、吉田秀和がいる。)
    ●考えるということ
    「先日、私は、中学生向けの哲学書を上梓したが、専門用語はたった一つも出てこないものである。哲学者の名前も全く無い。必要が無いからである。生活常識を感じ、驚き、これについて考えるという基本的な思惟の営みに、専門用語も哲学者の名も、全く無用だからである。子供とは、この世に生まれて、これに驚くことの出来る最初の人である。彼らは、常識を知り、これに驚く。なぜあるのか。あるとはどういうことなのか。哲学の原点である。本物の哲学者の思惟の原点は必ずここである。」
    (須賀さんの「遠い朝の本たち」のなかに小学校の5,6年のころ「「私」という言葉が、ものを書いたり、言葉を話したり、歩いたり、笑ったりしているこの自分全体を指すのだということに気付いて、それをまるで重大事みたいに、凄い、凄い発見しちゃった、と騒ぎまわっていた」という文章があった。いろんなことを考え、いろんなことに驚きながら人は成長する。)

    ☆池田晶子さんの本(既読)
    「オン!」池田晶子・埴谷雄高著、講談社、1995.07.07
    「悪妻に訊け」池田晶子著、新潮社、1996.04.25
    「メタフィジカル・パンチ」池田晶子著、文芸春秋、1996.11.20
    「さよならソクラテス」池田晶子著、新潮社、1997.12.10
    「残酷人生論」池田晶子著、情報センター出版局、1998.03.20
    「考える日々」池田晶子著、毎日新聞社、1998.12.25
    「死と生きる 獄中哲学対話」池田晶子・陸田真志著、新潮社、1999.02.20
    「2001年哲学の旅」池田晶子・永沢まこと著、新潮社、2001.03.30

    著者 池田 晶子
    1960年 東京生まれ
     慶應大学文学部哲学科卒業

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著者プロフィール

池田晶子(いけだ・あきこ)
1960年、東京生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科卒。文筆家。
専門用語による「哲学」ではなく、考えるとはどういうことかを日常の言葉で語る「哲学エッセイ」を確立して、多くの読者を得る。とくに若い人々に、本質を考えることの切実さと面白さ、生死の大切さを語り続けた。2007年2月23日、没。
著書に、『14歳からの哲学―考えるための教科書』『14歳の君へ どう考えどう生きるか』『新・考えるヒント』『41歳からの哲学』『暮らしの哲学』『人生は愉快だ』『魂とは何か さて死んだのは誰なのか』『私とは何か さて死んだのは誰なのか』『死とは何か さて死んだのは誰なのか』『無敵のソクラテス』『幸福に死ぬための哲学ー池田晶子の言葉』など多数。

「2017年 『絶望を生きる哲学 池田晶子の言葉』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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