出生の秘密

著者 :
  • 講談社
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感想 : 8
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  • Amazon.co.jp ・本 (626ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062130059

作品紹介・あらすじ

衝撃作『青春の終焉』に続く新たな地平-精神分析、現代思想から漱石、丸谷文学までを貫く"秘密"を論じて、読む快感の小説論。

感想・レビュー・書評

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  • 三浦雅士の読書量、博覧強記振り、思考の深さやテンポの良さに圧倒される。頭の良い人というのはこういう人を言うのであろう。彼の作品は「漱石-母に愛されなかった子」を読んだだけであったが、気になる評論家(?)ではあった。この作品は特定の作家の小説をその作家の生い立ちや親子関係特に母親との関係を辿り、その深層心理に分け入って分析・洞察する評論の大作である。丸谷才一・芥川龍之介・中島敦・夏目漱石等のいろいろな作品を取り上げ登場人物の出自や家族・人間関係を追って、その作品に仮託した作家自身の思いに迫る。そもそも小説や文学が人間にとっていかなる意味を持つものなのか、執拗にいろいろな角度からこの問いを繰り返し、「小説は人生である」という結論に辿り着く。
    「僻み」について、そこまで言うかというほど徹底して語られる。哲学や心理学・精神医学の大家の理論を下敷きに、その概念が人間にとって普遍的に凡ゆることの動因になることを示す。込み入った分析にも関わらず論理展開が鮮やかで(少しバイアスのかかり過ぎはあるが)キレがよく読む者の脳髄に快感を齎す。偉大な作家の出生にまつわる心の闇を白日の下に晒し、書く誘因を探る三浦雅士渾身の作家論(小説論)である。
    読みたい本がたくさん出てきた。

  • ふむ

  •  岩波新書の三浦雅士「漱石」をお読みになって、面白かったという感想をお持ちになられた方は、是非。こっちが元ネタという感じです。「青春の終焉」から「出生の秘密」へ、三浦雅士の近代文学論の、あるいは、近代文学史論の、いいたいことまとめましたという本。この本の後10年以上、これといった近代文学批評はないんじゃないでしょうか。例外は、高橋源一郎の小説かな?
     ちなみに、漱石に興味がないと読み切るのがむずかしいそうです。お貸しした国語の先生が挫折して「ぼくは、漱石がそれほど好きじゃないんだと分かった。」とおっしゃっていたのが印象的でした。「そういうもんですかねえ?」と心の中で思いました。

  • 世界は言葉によって構成されている。物心ついて以来、目の前にある現実、たとえば、あれが雲、これが花と言葉によって言い換えることで自分の周りに定着させてきた。長じるに及び言葉に言い表しようのない胸苦しさを覚え、どうやらそれが人を恋することなのだと分かったのは、文学があったからだ。自己憐憫の甘さも、自尊心の苦さも言葉として知ることで落ち着き所を得た。もし言葉がなければ、あれらの物狂おしい精神の惑乱は人をして狂気に追いやっていたかもしれない。

    言葉のない世界はカオスである。意味を持たない現実だけが断片的に現れては消える。この世界に人間は正気でとどまることができない。しかし、人間は身体を通じ現実に触れることでイメージというものを生みだす。快不快がそこに生じる。感覚が人間に言葉を発することを命じ、言語が生まれる。同じ言語を共有することで共同体や社会、国家が成立する。

    出生以来、人間が自我を得るまでの精神的葛藤をアルチュセールは戦争に喩えている。我々がさほどに苦痛や恐怖を覚えていないのは無意識の中に繰り込まれてしまっているからだ。作家の場合、通常は表面に出ることのない無意識が表面化される。明晰な意識の下で書かれたにせよ、無意識はその裏側にべったり貼りついているからだ。

    特に自分の出生について何ほどかの葛藤を覚えている作家にしてみれば、作品にそれが反映しないはずがない。安定した自我を得るまでにさらされていた環境が、作家をしてどのような作品を生み出させたか。「作品は、その現れがどのようなものであれ、作者による作者自身の探究にほかならない」という考えを持つ三浦のことだ、出生の秘密を手がかりに日本近代文学を読み解いてみようと考えたのはよく分かる。

    それが、出生の秘密を探るための資料を渉猟するうちに西欧近代思想史の総ざらえともいえるような大風呂敷を広げる羽目に陥ったというのが本当のところだろう。事実、ここに登場するのは、フロイト、ラカン、ドゥルーズとガタリ、パース、ヘーゲル、ハイデガー、ルカーチという錚々たる顔ぶれである。

    中村光夫が中島敦の『北方行』や『光と風と夢』を評価できなかったのは、「豊かに見ることを知らないからだ」と言ってのける三浦である。ラカンやパースの理論を用いての中島敦論はカフカと同時代に生きた中島の今まで語られてこなかった側面を活写して興味深い。また、芥川が人間心理の観察者にとどまり遂に内奧にまで達しないのは、精神を病んでいた実母の記憶がラカンのいう想像界と象徴界の継ぎ目に接触することを恐れさせたのだという指摘も新鮮である。

    しかし、最も力の入っているのは、その芥川の文学上の「父」であった漱石の分析である。実家と養家の間で何度もやりとりされるという過去を持つ漱石の「出生の秘密」は、この大文豪をして追跡妄想に悩まされる神経症患者にし果せる。その根にあるのは「僻み」であった。しかも、その僻みをヘーゲルの『精神現象学』の読解によって分析してみせるその手際の鮮やかなこと。

    そして、遂に「僻みの精神がもたらす孤独は、社会を否定し、新しい社会を構想する。なにもルソーに限ったことではない。それこそ人間のつねではないか。そう考えたとき、ヘーゲルには、感覚から知覚、科学的思考へと展開してゆく人間の精神の秘密、出生の秘密が、そのまま、社会の、共同体の、国家の秘密へと延長されてゆくことは自明だっただろう。自己意識の運動は個から類までを貫いているのだ。共同体もまた僻みの構造をもっているのだ。宗教も芸術も哲学も例外ではない。」という認識に至る。

    「出生の秘密」を主題に据えた丸谷才一の『樹影譚』をきっかけに、中島敦、芥川龍之介、夏目漱石といった日本近代文学を代表する作家が作品の中に封印した自己の出生の秘密を読み取っていくという刺激的な論考であるだけではない。その隠蔽された事実を暴くための証人として、押しも押されもせぬ思想界の巨人たちを召喚し、あわせて彼らの理論を総ざらいしていくという欲張った企画である。最後に丸谷の『エホバの顔を避けて』という国家観を問う作品でしめくくるという憎い離れ業をやって見せている。近頃これほど気合いの入った評論を読んだことがない。

  • 難解でありました。

    著者があとがきに書いているように、「書くことの苦痛と快楽をこれほど感じたことはなかった。」としていますが、読むほうにとっても難解な作品であった。
    出生の秘密がもたらす物語であるが、丸谷才一、中島敦、芥川龍之介、夏目漱石の作品に秘められたことについて、西洋哲学者のものさしで色んな角度で、三浦雅士説が展開される。
    難解ずぎて、相当読み飛ばしてしまいました(涙)。
    それにしても著者の博識には感銘を受けました(拍手)。

  • 漱石ファンにとっては必読の書。何度も読み返したくなる。
    内容は申し分なく素晴らしい。漱石の作品の根底に流れる暗部はここに見出された。

  • 生まれるとはどういうことか。創作とは人間の心のどんな作用によるものか。精神分析、現代思想から漱石、丸谷文学までを貫く「秘密」を論じて、読む快感の小説論。『群像』掲載に改稿、書下ろしを加える。(TRC MARCより)

  • 誰も自分の生まれるところを見ることができない。そのため、もしかして自分の本当の両親は、別のところにいるのではないか?本当は、高貴な家に生まれたのではないか?といった想像力が働く。つまり、出生の秘密が、物語を生み出す原動力なのである。

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著者プロフィール

文芸評論家

「2022年 『ベスト・エッセイ2022』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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