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Amazon.co.jp ・本 / ISBN・EAN: 9784062138123
みんなの感想まとめ
この作品は、観光旅行では味わえない京都の深い魅力を探求する都市案内です。定点的にお店を訪れ、町を歩くことで、京都の隙間や孔が織りなす独特の風景を体感できます。著者は、三山を基準にした地理的な安心感を提...
感想・レビュー・書評
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f.②2023/8/26
f.①2008/5/2
p.2007/3/27詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
年に1、2回の観光旅行では味わえない京都を教えてもらった。定点的にお店を訪ね、町を歩き、異界への入り口を覗き見るのも一興である。
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京都には孔や隙間があるからより魅力が引き立つのも分かるし、定点となる三山があるから京都で地理的に不安にならないのも納得がいく
立命と同志社の小学校の給食の豪華さに慄いた(急いでHPを見に行った)
尖ってなくて見栄張ってなくて媚びてなくて心地よい都市案内だった
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京都の平熱 哲学者の都市案内
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あー実に京都っぽい。著者の深い愛情が伝わってくる。
P22 「ものの味わいの判る人は人情も判るのではないかと思いやす」と言った料理人がかつていた。じぶんのために働いてくれている人への想いがないと、味は判らないというわけだ。
P41 京都の住民ほど歴史意識が希薄な人種は珍しいのではないかと思っている。思い出を夢と混同したり、希望を過去の痕跡と取り違えたりする、そういう一種の時間感覚と歴史意識の欠如が、古いお寺や町屋の佇まいに眩惑されて「歴史的」という気分にすりかえられているだけのことではないのか、と。(中略)京都人の、単純にリニアでない時間感覚には注目しておいてよい。
P54 奇人のいる街は住みやすい。これ以上行ったら本当に終わり、という人生のリミットが目に見えるかたちで示されているからだ。(中略)見て見ぬふりをする。遠ざけながらもその存在を許容する。これこそ成熟した都市がはぐくんだ寛容の精神である。そんなモダンな都市でこそ奇人伝説は生きながらえる。ノイズこそ活力の源だと、そんな無意識の計算ができることが、モダンな都市住民の条件なのかもしれない。
P57 かつての場末がおどろおどろしかったのは、実は共同体がそこで消える、もしくは解体されるのを肌で実感できたからだ。「普通」が通用しない場所として。それが今、「普通」の場所が、何が起こるやもしれない場所になっている。
P64 社会の近代化とともに「貧」という共通の定めに協同してあたる「共同防貧」という力が殺がれてゆき「貧」が孤立化してくる、「貧」は常に「孤立貧」という形をとるようになる。昭和の初めにそう指摘したのは柳田國男である。この「貧」を「問題」と読み替えれば、現代人は「問題」に共同してあたる力を失っているという警告として、柳田の言葉は今もわたしたちを撃つ。
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市バス206に乗ってのガイド。
普通のガイドブックとは、100%違う本。
京都といえば、神社仏閣が思い浮かび、観光で行くには、どこのが良いのか?と、ガイドブックで探したりする。
でも、この本では、神社仏閣はほとんど出てこない。
観光客が好きそうな「京都」を前面に出したグルメも出てこない。
男性目線での普段着の街並み。
著者の人生模様。
哲学的、文学的にちょっと小難しく書かれてしまい、噛み砕くのに苦労する部分があったのは、自分が簡単な本しか読んでいないからだろうか。。
この本の全体を要約するとすれば、オープニングの文だろうな。
『こういう街の並びは、言うまでもなく「あっち」の世界へ通じている。法悦の世界(神社仏閣)、推論の世界(大学)、陶酔の世界(花街)。だが、そうした「表」のきわで、ひっそりとつつましくきまじめに生きてきた京都人のにちじのそのただなかに、さらに」別の世界」につづく孔がいっぱいある。』
この本を読む前に1個だけ予習すると良いことが。
市バス206のルートをあらかじめ見ること。
それを知っているか?知らないかで、楽しさが格段に変わると思う。
自分は、206で一周をしたことがあったので、かなり興味深く、納得のガイドだった。 -
京都出身の哲学者による、206番を軸にした京都案内。と言っても、観光名所案内になるわけもなく、京都を舞台に都市であったり、生活であったりを考えながら、の旅になるわけだが。
隣に鷲田さんがいて案内をしてもらっているかのような体験。京都の街を思い浮かべながら読むとなおよし。2時間のテレビ番組とかにもよさそう。
京都駅の解釈の話が一番印象的。京都駅にはパサージュがあるのだ。 -
人が匿名にはなれても、孤独にはなれない
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ガイドブックに載っていないような、
ディープな京都の姿を知ることができる。
「へぇーそうなんだ!」と思えることも沢山書いてあって、
今すぐ街歩きがしたくなる。
所々に難しい文化論的記述があるので☆ー1としました。 -
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何という本であろうか。
もちろん、京都のガイドブックなどではないし、旅行記でもない。
ご自身が育った京都という街への愛しさが、全編に溢れている。
都市論でもあるし、何よりすばらしい「京都論」である。
京都という街のことを語っていながら、知らずそれは人間論へと展開されていく。その自然さがいかにも京都の町並みとぴったり符合している。
今すぐにでも京都へ行きたくなった。そうして、1ヶ月でも1年でも滞在して、京都の町並みを散策してみたい。もちろん、京都市バス206号系統に乗車して、である。
今年上半期に読んだ本の中で、文句なしのベストワン! -
良かったけど、私は秘密の京都の方が好きだな。ちょっと男性目線プラス地元過ぎて、観光客向けではないかも。
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○京都人がかつて「着倒れ」と呼ばれたのは、ひとつには、リミットが明確だったからである。一方に飾りの極みともいうべき舞妓さんの衣装があり、他方にあらゆる飾りを削ぎ落とした貧相の極みともいうべき修行僧の出で立ちがある。服装の両極端が様式としてはっきりと見えるかたちで提示されているので、そのあいだであればどんな服装も許されるという自由を、京都の町中では、幼いころから膚で感じつつ育った。
→今の京都もそうじゃない?芸大の奇抜服装からいか京のウエストポーチまで。 -
京都の日常、それも京都特有の濃さを含んだ生活観に溢れる一冊。
京都駅から市街地を一周する市バス「206番」の路線を辿りながら、臨場感たっぷりに京都の素顔に迫るという面白さ。
京都ラーメンやおうどんといった庶民の味、古都に潜むアングラなスポット、祇園、学生運動、喫茶店、京大西部講堂、フォークやGS、西陣、建築、遊郭、近代化した都市…そしてそこに暮らす人々。
“よそさん”には理解しがたい京都の気質を語ったこの本は、時に主観的に、時に客観的に都市の変遷を見てきた哲学者ならではの語り口が生きている。 -
京都本というのはたいていオカシイ。イメクラなみだったり、オシャレ系だったり、生涯学習っぽかったりして、しっくりこない。ふつうに読める京都本を並べてみたら、なんのことはない、下京のフツーの育ちの人のばかりだった。京都は狭くて広く、イメージは多様で、生活は生活。いまんとこいちばんしっくりくる京都本を一冊。市バス206系統で巡る場所と記憶。
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生活者あるいは哲学者の視点からの京都案内
京都の旅に持っていきたい一冊。
一人路線バスに乗ってこの本を読みながら、うむと納得したい。 -
七条通り周辺がすきになった。
人通りは決して多くはないけど、粉もんやや定食屋さん、居酒屋のならんだ下町っぽいお店のよさは、この本を読んで再認識。
観光本より、誰かの目から見た京都の方が魅力的だな。 -
写真:鈴木理策
装丁:守先正
内容:
古い寺社は多いが歴史意識は薄い。
自然そのものより技巧・虚構に親しむ。
けったいなもんオモロイもんを好み、町々に三奇人がいる。
「あっち」の世界への孔がいっぱいの「きょうと」のからくり。
(帯より)
まず、表紙に使われていた鈴木理策の写真がいい。それにタイトルだ。「京都の平熱」。「平熱」とは実に京都らしい。ちょうど近く京都に行く予定があったので、これはいいガイドブックになるのではないか、それに鷲田清一の本とあればただの京都エッセイではないだろう。京都の地図もついていて、旅への期待を膨らませてくれそうで、個人的にタイムリーな内容で購入。 -
京都市街を大きく1周する市バスの206番の路線に沿ったエッセイ。
私も京都での学生時代よく206番のバスに乗っていた。
わざと逆回りにのって遠回りして下宿に帰ったりして。
地方出身の学生であったし、めったに途中下車しなかったのでそんなにいろいろなところがあったなんて知らなかった。
バスの窓からの景色が思い出されてなつかしいなあ。
著者の鷲田先生と一澤信三郎帆布の社長とが似ているとの話が出てくるが私は以前神戸市立博物館で鷲田先生そっくりのかたをお見かけしたことがある。ご挨拶の機会をうかがっているうちにどうも声が違うと思って人違いであることに気がついたのだが。ほんとそっくりだった。
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