下流志向──学ばない子どもたち、働かない若者たち

著者 :
  • 講談社
3.67
  • (106)
  • (150)
  • (218)
  • (14)
  • (8)
本棚登録 : 1105
レビュー : 201
  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062138277

作品紹介・あらすじ

リスク社会に生み出される大量の弱者たち。"自分探し"の果てに。学力低下、ニート増加の深層。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
  • ↓のレビューを全面的に改稿して、ブログ記事にしました。 http://burogu-mircea-blog.blogspot.jp/2014/08/blog-post.html
    ________

    通俗的な功利主義的態度(消費者的主体像、心理的な契約・等価交換関係)が蔓延しているという現状認識のもと、処方箋として、リスクヘッジ的な態度を提案する。実際は『先生はえらい』的なアレも、そこに追加されるわけだけど。

    基本的には面白かった。ただ、教育の成果は数値化できない云々言ってるくせに、「学習時間」で子供の学力測ってるのにはたまげた。あほかと。
    ニートに関する認識もひどいもの。特に最近『無業社会』(西田亮介・工藤啓)でとりあげられるような若者も、成金のぐーたら息子も、構造的に生み出されるニート(階層的な問題のある)も、一緒くたにしている。要するに「根性なし」「考えが甘い」「師匠を持て」と連呼。これは処方箋でもなんでもない。
    加えて、ニートの数について触れた部分で、「統計は正確ではない」という内容のことを言っているが、統計についての無知を晒していて、それで『先生はえらい』ですかと思わざるを得ない。
    まぁ、最初の1,2章は面白く読めるのではないでしょうか。基本的に眉唾で読むべきです。

  • 役に立つ、と思って学ぶのは損ですね。学ぶことに対する感覚が腑に落ちました。

  • 今までの価値観を大きく変えてくれるような本に出会った瞬間は、なんとも言えない愉悦に浸れる。この本がそうだ。教育を消費者感覚で考えることは、教育の自殺行為である。そもそも教育が子どもの「何で勉強しなきゃいけないの?」という問いを想定していない、という導入から、この本ヤバイなって感じがビンビンした。教育内容の価値の無時間性、等価交換の不成立など、本当に面白い。この理論は、ぜひ自分のものにしたい。これほどまでに思考回路の吸収を貪欲に求めたことはなかった。きっと、二度三度読んで、はじめて馴染んでくるんだろうな。

  • 2007年1月30日初版
    内田樹 著


    今を生きる子どもたちがなぜ、自ら学びや労働を放棄し逃走するのかを考察した一冊。

    毎度毎度、内田先生の言葉は分かりやすくて、
    逆に危険なくらい今回もいろんな腹落ちがありました。
    おそらく大事な視点は「本当にそうか?」と疑ってかかるくらいの視点。
    分かりやすいがゆえに鵜呑みの思考停止にならないようにと。

    子どもたちの等価交換志向とその背景にある「消費主体としての自我確立」。
    それに対しての教育と労働が、構造的に前提として帯びている「非同時性」。
    そこの矛盾から生まれる、権利の放棄。

    なんで上の世代の考えでは全く理解できない行動を、
    彼ら若者が、至極合理的かつ真顔でやれてしまっているか。
    そこに内在している両者の考え方のねじれが、解けるカタルシス。


    初版から5年経っているので変わっているところは変わっていると思うんだけど、それにしてもある大きなマインドの変化を捉えてセットしておく意味で、とても参考になった一冊でした。

  •  本書は内田の友人が開催した講演会で内田が語った内容を文書に起こしたものである。それだけに分かりやすく、また断片的な著作が多い内田作品の中では珍しく一貫したテーマを扱っていることもあって、それでなくても売れている同氏の本の中でも際立った売り上げを記録した。
     テーマは「学ばない子どもたち」と「働かない若者たち」である。内田によれば両者は同じ根を持っており、それは戦後日本における生活スタイルの変化と無関係ではない。
     日本国憲法によれば教育を受けることも労働することも、ともに国民の権利であると同時に義務である。だが今の子どもたちや若者たちは、少なくともそれをありがたい権利とは思っていない。むしろできれば避けたい苦役だと思っている。なぜだろうか。
     内田によればそれは、かつて子どもたちは労働主体として社会共同体へ参画したのに対し、現代ではまず消費主体として社会に参入していることに原因があると説く。
     内田は言う。子どもが親からお小遣いをもらって初めての買い物をするとき、記憶に刻み込まれるのは法外な全能感であろうと。商品売買の場面において、買い手の年齢など売り手はカウントしない。お金さえ払ってもらえれば、大人と全く同じ待遇をする。買い手としてそのような経験をした子どもは、この世はお金が全てであり、あらゆる関係を損得勘定(≒無時間モデル)でとらえようとする。教育さえも。それゆえ子どもたちは教師たちに問う。何のために勉強するのか、こんなことを覚えて何の得になるのか、と。
     労働に関しても同じことが言える。初めから消費主体として社会に参入した若者たちには、社会への恩返しとしての労働というモチベーションが欠落している。よって若者たちは問う。どうして働かなければならないのか、と。
     だが内田によればそれらの問いは間違っている。われわれは生れ落ちたときにすでに社会に参与している。それは自分の自由意志の問題ではなく、そこから自由意志が生まれるところの前提としての環境であり、選択の余地はない。あるいはすでに選択は終わっている。最初に労働主体として社会に参与していれば、上のような誤った問いが発生することはなかったであろう。
     内田樹は哲学者と呼ぶには何かが足りない(もしくは過剰である)ような気がするのだが、とにかく書くのが上手い。雑然としている世の中を実にクリアに切り裁き、しかも面白おかしく語ってくれるものだから、読者は何だか得をしたような気分になる。これだけ売れているのはビジネスマンでも興味が持てるようなテーマを一貫して扱っているためであろう。買って決して損はない啓蒙書である。

  • 6年前の本か、なんか時代遅れ感があると思った。
    調査して得られた事実に即していない、印象・経験に基づく思いつきを述べたもの

  • なぜ今の子どもたちが勉強しなくなったのか
    若者が働かなくなったのか
    を等価交換や消費者の概念を用いて説明する。
    納得させられる事多し。

  • 素晴らしい。
    学力低下問題、NEET問題について理路整然と語っている。
    特に「消費者として振舞っている」が故に上記のような問題が生じたと言う指摘は自分も消費者目線でモノを考えガチなので(時としてそれは顧客目線としてビジネスの場で尊ばれる)、目から鱗の思いがあった。

    思うにこの「コレを学んで何の役に立つのか?」という等価交換の意識と「知らないこと」という不快なことを存在しないことにするという経済効率だけを考えた消費者的意識が一連の学力低下、ニート問題に繋がっていると思う。

    お金に色はない。
    4歳の子供だろうが、30代の紳士だろうが、80歳の好々爺だろうが使うお金は同じだ。ただそのお金の多寡のみで判断される。
    元来、子供は社会とコミット出来ない存在だったが、"消費者"としては一人前に社会と接することが出来る。
    だから、子供はまず"消費者"としての態度を(充分な学校教育を受ける前に)自然と学ぶ。
    そうすると、"授業を受ける"という"苦役"に対して「等価交換」を求める。曰く「コレを学んで何の役に立つのか?」。

    <BLOCKQUOTE>消費行動は本質的に無時間な行為なのです。</BLOCKQUOTE>
    <BLOCKQUOTE>僕たちは代価の提示と、商品の交付の間に時間差があることに耐えられない。</BLOCKQUOTE>
    <BLOCKQUOTE>「消費者主体」のサービスはすべて<B>交換から時間と言う要素を排除する</B>ことによって成立しています。</BLOCKQUOTE>
    だから、彼ら・彼女らは積極的に学びや労働から逃走する。
    学びも労働も掛かるコストと得られるベネフィットは時間的に同時ではありえないからだ。

    <BLOCKQUOTE>教育論やニート論を仕上げることを急務だと感じているのは、<B>ニートを孤立させてはならない</B>と思うからです。</BLOCKQUOTE>
    という思いのもとに内田樹は語る。
    総て自分の意思で「逃走」している、つまり自ら下流を志向している日本のニートは階級や階層でその手段が奪われたイギリスやフランスのニートとはこの点で大きく違っている。

    <BLOCKQUOTE>「何の役に立つのか?」という問いを立てる人は、ことの有用無用についてのその人自身の価値観の正しさをすでに自明の前提にしています。</BLOCKQUOTE>
    これは無茶な前提だ。
    自己決定が常に正しいとは限らない。

    <BLOCKQUOTE><B>自分自身の価値判断を「かっこに入れる」ということが実は学びの本質</B></BLOCKQUOTE>


    <BLOCKQUOTE>「自己決定したことについては自己責任がある」というロジックこそがニートを作り出した僕には思えるからです。</BLOCKQUOTE>
    自己決定が正しいというのは未来の自分が責任を持つと言う連帯保証人になることで成り立っている。
    いま下流を志向してる若者たちは未来の自分たちをただ同然で売り払っている状態だ。

    とにかく全編に渡ってアンダーライン引きまくりで"気づき"を誘発するパンチライン炸裂な本書だが、一番心に残ったのはこのライン。
    <BLOCKQUOTE>知性とは、煎ずるところ、自分自身を時間の流れの中に置いて、<B>自分自身の変化を鑑定入れること</B>です。</BLOCKQUOTE>

  • 子供の学力低下とニート化に関する、他の人とはひと味違う考察が行われている。ひと味違うが故に、これまでの論考にもう一つ納得いかなかった私も腹に落ちた感があり。彼らにとっての最適解が行動に現れているとするならば、確かに功利主義的な説得では彼ら以上の理屈を振り回す事が出来ないがゆえに、全く通用しない。まさに「働いたら負け」の世界。しかしこの消費社会に浸かりきった現代の親達に、子供の理屈を超える何かを提示できるだろうか。

  •  途中まで読んだところ。
     再読予定で読了扱いとする。

全201件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

うちだ・たつる 1950年東京生まれ。武道家(合気道7段)。道場兼能舞台兼私塾「凱風館」館長。神戸女学院大学名誉教授。翻訳家。専門はフランス現代思想史。東京大学文学部卒業。東京都立大学大学院人文科学研究科修士課程修了。ブログ『内田樹の研究室』。



「2019年 『そのうちなんとかなるだろう』 で使われていた紹介文から引用しています。」

内田樹の作品

下流志向──学ばない子どもたち、働かない若者たちを本棚に登録しているひと

ツイートする