神なるオオカミ・上

著者 :
制作 : 唐 亜明  関野 喜久子 
  • 講談社
3.89
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本棚登録 : 78
レビュー : 11
  • Amazon.co.jp ・本 (526ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062138499

作品紹介・あらすじ

文化大革命時代、北京の知識青年・陳陣は内モンゴルのオロン草原に下放され、現地の古老・ビリグのもとで羊飼いをはじめた。天の教えを守り、草原とともに生きる遊牧民の暮らしに魅せられていく陳陣。やがて、かれの興味は、遊牧民の最大の敵でありながら、かれらの崇拝の対象である「オオカミ」へと向かう。オオカミにのめりこんでゆく陳陣は、自らの手でオオカミの子を捕らえ、飼うことを夢見るのだが…。

感想・レビュー・書評

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  • 久々に分厚い本を読んだ。しかも文字数が多い。
    前半は読むのに時間がかかったけれど後半は一気読み。
    好きなジャンルであるけれど、若者たちの会話の内容には緊張感がなくそのたびに内容自体も間延びした感じでがしたけれどもビリグ爺さんの話はどれもよかった。たぶん、この時期それだけ草原を巡る環境もおおらかさがあったのだろう。これから読む下巻のあらすじを読んでそう思った。
    オオカミが草原を育むための大きな存在であったことに気づかされたし、犬とオオカミの攻防や草原に住む動物たちの描写は興味深く面白かった。

  • めちゃめちゃおもしろい 文革のころの内モンゴル しかし字が多い

  • 日本人にとっては、中国という国はよく分からない。いや、よく分からないというよりは、巨大である、人口がとてもつもなく多い、共産党の一党独裁だ、などという見方のみで語る傾向がある。その中国を意外な側面から知ることができる小説だと思う。

    モンゴルに生きる民とは。文化大革命が与えた影響とは。そして、雄大な草原に生きるオオカミは、どういう存在なのか。

    ボクたちはオオカミといわれてもピンとこない。熊や虎の方が恐ろしいように感じてしまう。だが、オオカミはモンゴルにおいて、天の遣いなのだ。そして、中国の歴史は、モンゴル族と漢族の争いの歴史でもあった。そういう風に見ると、なるほど、よく分かった気がする。

  • 生命の真の意味は運動にあるのではなく、戦いにあるのではないか。哺乳類の生命の始まりに、億万個の精子が雌雄を決する精神をもって、一個の卵子をぐるりと取り囲んで攻める。前の者が倒れても後の者がつづき、子宮に精子の死体があふれるほど戦闘を激しく繰り広げる。動くが戦わない、又ぶらぶらして突撃しない精子たちはすべて無情に淘汰され、尿とともに体外に排泄される。もっとも頑強な戦闘力を持つ勇士、一個の精子だけが、億万個の同胞兄弟の死体を踏み、勇猛果敢に奮戦し、卵子に攻め込み、それと結合して、新しい人間の生命の胚胎になる。その間、卵子はたえず液体を分泌し、軟弱無力の精子をすべて殺す。
    生命は戦いによってえられるもので、戦闘は生命の本質である。いままで、世界で多くの農耕民族の偉大な文明が消滅したのは、農業が基本的には平和な労働だからである。
    しかし、狩り猟と遊牧業、そして航海業、商工業は過酷な猟戦、兵戦、海戦、商戦という競争と戦闘が伴う。今の世界では、先進国の民族はすべて遊牧、航海、商工業をおこなってきた民族の子孫である。二つの大国によって北アジアの寒くて貧しい内陸に封じ込められた、人口の少ないモンゴル民族は、依然として絶滅していない。歴史上の古代エジプト、古代バビロン、古代インドの農耕民族より、明らかに強い戦闘力と生命力をもっている。

    「士は殺すべし、侮辱するべからず」。殺すことも拝むこともできるが飼ってはいけない。と、この本は主張する。

    確かに一体性の無限と違い、この相対性の有限世界は相手の存在を知ることで自分を確認することができると言う、特殊な場所である。
    二つの存在が立ち向かうとき、居残りを掛けた殺し合いへとその摩擦を導くのか、個とその一体感を兼ね備えた切磋琢磨し会う共生社会とするかの、二つの体感があるのではないだろうか。
    まず生き物は対等な選択権の中で生存競争を体験し、その暴力から知力をへて物質への依存による数の暴力を開発したことで、自らつくりだした煙幕に巻き込まれる恐怖を体験している。
    一時的都合による見せ掛けの仲間、利己的に利用し合うための嘘と詐欺が、シンプルであったはずの相対世界を出口の見えない複雑な詭弁に絡めてしまった。
    そのことで、一騎打ちの殺し合いからも手を取り合った切磋琢磨からも横道にそれてしまった。
    自律することで共存する過程をネグってしまい、依存だけの強制社会に紛れ込んでしまった。一度手にした欲という安全地帯が恐怖という副産物を伴っていたために、見せ掛けだけの安全地帯だと知った後も手放すことができなくなってしまったのではないだろうか。と私には思える。

  • 多分今年一番の当たりでした。
    なぜ草原のものたちはオオカミを畏れるのか。
    なぜ草原のものたちはオオカミと戦うのか。
    すべての答えがそこにあり、オオカミたちからの問いがここにあります。

    彼らに答える言葉をもたない者は、未来に耳を貸さない者かもしれない。

  •  朝日新聞、中国出版事情特集の最初に取り上げられたのが本書「狼図騰」(神なるオオカミ)である。「毛択東語録」以降、最も読まれている本と紹介されていた。

    文化大革命時代、内モンゴルに下方された陳陣、
    遊牧民の最大の敵でありながら、崇拝の対象である「オオカミ」にのめりこんでゆく。

    上・下巻1000ページを超える長い長いオオカミの話が続く、


    わずか十数万のモンゴル騎兵がなぜユーラシア大陸を席巻したのか?

    遊牧民族のオオカミ・トーテムと中華民族の竜トーテムとどのように結びつくのか?
    神社で見る竜の顔がオオカミの顔に似ているような気がしてきた・・・

    草原の天(タンゴル)の道理は、遊牧民族の側にある。草原民族が守っているのは「大きな命」草原と自然の命は人名よりも大切。農耕民族が守っているのは「小さな命」もっとも貴重なものは人命と生きること。

    オオカミは草原を守る神なのに、どうしてオオカミ狩りをするのか?
    オオカミ狩りをしなければモンゴル人はもっと少なくなるが、オオカミを狩りすぎてもモンゴル人が少なくなる。


  • 中国・内モンゴル自治区に下放された北京の知識青年。モンゴルの自然と人々の素晴らしさに目覚めていく。
    しかし、その自然と英知は徐々に外部の人間の欲望に侵されていく。

    「オオカミ王・ロボ」を読んだ時の感覚が戻ってきました。

  • 中国モンゴルの砂漠化は 山羊の増加も原因なんだそうだ。山羊は草を根っこから食べてしまうので カシミヤ山羊が増えると そこはもう草が生えない。遊牧民は動物を育ててるんではなく 草原を育てている、と長老達は言う。生態系への強い理解。経済 ってものの 強欲さ。 経済に飲み込まれ 白鳥を撃ち 花を抜く 草原に麦を植えようとする 新しい世代。毎年 増える黄砂 止まらない砂漠化。

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