- Amazon.co.jp ・本 (294ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062139397
作品紹介・あらすじ
東京都下の団地の日常の中で、一人の少年が苦悩しつづけた、自由と民主主義のテーマ。受験勉強と「みんな平等」のディレンマの中で、学校の現場で失われていったものとは何か?そして、戦後社会の虚像が生んだ理想と現実、社会そのものの意味とは何か?マンモス団地の小学校を舞台に静かに深く進行した戦後日本の大転換点。たった一人の少年だけが気づいた矛盾と欺瞞の事実が、30年を経て今、明かされる。著者渾身のドキュメンタリー。
感想・レビュー・書評
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昔は「団地」。自由と民主主義がテーマ。受験、みんな平等、学校現場、戦後社会の虚像、、、理想と現実、社会の意味とは?
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■一橋大学所在情報(HERMES-catalogへのリンク)
【書籍】
https://opac.lib.hit-u.ac.jp/opac/opac_link/bibid/1000138647
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滝山コミューン。多摩の小学校に打ち立てられた、生徒の班活動を基礎にし、民主主義という皮をかぶった異質性の排除。減点主義による締め付けはおぞましく、そのあり方はナチズムにも通じるような活動と思った。これが、先生やPTAの支持を受けて推進されていたのだ。理想の教育というものが難しいものであることを改めて感じる。生徒の自主性を重んじているつもりで、その実、大人の思惑を一部の子供に代表させて、子供たちを支配していたのだ。民主主義を考える上で、頭に置いておかねばならないことの一つであろう。
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時代のトピックと、小学校行事の一場面、強烈な自意識を抱える内向的な少年の目線と、大人になって俯瞰している目線。
偏りなく詳細に書かれていて、ユニークな本。自分もほぼ同世代で、一時は団地にいたし団地の多い郊外のニュータウンで育っているので、手に取るように感じがわかる。作者同様、単に懐かしいとはとても言えない、しかし自分に強い記憶と影響を与えているあの時代と全生研教育。何とも言えないざわざわした気持ちをかきたてる。同質化圧力へのアレルギーと、しかしやはり無意識に大きな組織で常識的にふるまうことをも求める自分の原点でもある。
<blockquote>P176 だが西武では、たとえ駅舎を改築して駅前をきれいにしようが、人工的な住宅街を作ろうが、あるいは狭山丘陵に遊園地やスキー場や野球場を開設しようが、沿線の郊外が帯びる独特の陰影まで消し去ることはできなかった。</blockquote> -
★こんな時代と地域があったのか★1970年代に盛んだった政治の季節が過ぎ去ったの後の小学校教育の歴史研究であり、同時に著者の自伝でもある。常に「私」の物語に回収される危険を気にしつつも、その影響は逃れ得ない。だからこそ逆に非常に興味ある内容になっている。しかし、ダメ班に対する嫌悪感の出口が、東急沿線と慶応の中学というのはプチブルへの回収とでも言われそうで皮肉だ。集団教育を指導した先生のその後をもう少し知りたくなった。
著者とは一世代違い、暮らしたのも西武ではなく東急沿線だった。それでも団地に暮らし、中学受験をした感覚など随所に近しい部分を感じた。著者が日記を含めて当時をこれだけ鮮明に覚えていること、そしてソ連式とでもいうべき集団教育とそれへの違和感をはっきり感じていたことに驚く。選挙を経て児童会の役員をしていたがそうした雰囲気はみじんも感じなかった。実際になかったのだろう。
もうひとつの大きな違いは、育ったのが団地だけで成り立つ地域ではなかったということだろう。造成地が周囲に残り、団地と戸建て住宅だけが並ぶ地域では、あまりにもはっきりとした区分があり、一体感は醸成しなかった。団地に対して先進的な感覚は全くなく、劣っている印象しかなかった。
著者の例は極めて特殊だったのか? -
普通、小学校時代の思い出はわざわざ本にしようとはしませんし、記憶も鮮明ではなかったりするのですが、この本は鮮明な描写でポスト政治の時代である70年代初頭の日本の雰囲気を感じ取ることができるようになっています。天皇、鉄道、団地に詳しい政治思想史の学者が少年時代の思い出を振り返るとこうなる。興味深いノンフィクションでした。
小学校時代のイベントの細かいイベントや気持ちの動きまで細かく記載されており、後半ではエース教師の生活指導改革が小学校全体に影響力が及んでいく様子に原少年と一緒に憤りを感じることができるでしょう。 -
3分の1くらいは読んだけど、ごめんなさい。
何が言いたいのか、何を書きたいのかよく分からなかった。
今の僕には縁がなさそうな本だった。 -
ああ、そういうことだったのね、と腑に落ちる点も。
時代のある部分を切り取っていることは確か。でも日本全国津々浦々の全てがこうだったわけではない、のも確か。
あまり必然性がわからなかった。