宿澤広朗 運を支配した男

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  • 講談社
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レビュー : 46
  • Amazon.co.jp ・本 (246ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062140669

作品紹介・あらすじ

サラリーマンとして、男として、頂点をきわめる寸前で急逝した宿澤広朗の、知られざる苦闘の生涯。天才ラガーにして名監督。巨大銀行専務取締役。

感想・レビュー・書評

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  • ★2008年12月11日 98冊読了 『運命を支配した男』加藤 仁著 評価B
    ラグビー全日本元監督、早稲田の名スクラムハーフそして住友銀行専務まで上り詰めた宿澤広朗氏のドキュメンタリーである。凄まじいばかりの生き様、全ての面において一流だった事がよく分る。勿論宿澤さんの存在、素晴らしさは早稲田OBの父から聞いていたものの、その詳細をこの本で知るにつけ、本当に惜しい人材を失った気がする。もしかしたら、三井住友銀行だけでなく、金融界、財界を変えられたかも知れない逸材であったと知りました。あまりにも早い彼のノーサイドホイッスル。本当に残念。合掌。

  • スポーツ系ノンフィクションは色々あるが、その中でもラグビーと将棋は殆ど外れがない。
    この本も、やはり面白かった。

    しかしこの本が他と違う点は、ラグビーと仕事(銀行マン)の両方で成功した人であり、途中からはラグビー協会から(真相はわからないが)解任されるなど失意や遺恨残しながら、逆にそれをばねにサラリーマンとして結果を出し続ける過程についても書かれていたことで、ただのスポーツノンフィクションとは違った。

    自分の中で宿澤さんと言えば、NHKの土曜のスポーツコーナーなどに出演してラグビーについて語っている姿であり、ラグビー協会で理事などをしているが、サラリーマンなんだとという事と、執行役になったという報道を新聞で見て「すごいなぁ」と思った程度だが、本書を読んでみると「すさまじいな」という印象の方が強くなった。

    「努力は運を支配する」「全力疾走しないと失速する」という考えや感覚があったようで本書からは何度も書かれている。
    特に「全力疾走しないと失速する」という言葉が見て、自分にはそんな感覚になった事が人生で一度でもあったのだろうか?と考え反省しながら読んでいた。

  • ラガーマンとしては、日本代表選手、日本代表監督と頂点を極め、ビジネスマンとしてはメガバンクの専務取締役まで登りつめた男。ビジネスマンとして頂点を極める寸前で急逝した男の生涯を描いた作品。
    「努力は運を支配する」。この言葉通り、宿澤さんは人知れぬ努力によって、ラガーマンとしてもビジネスマンとしても成功を収めていった。
    そんな誰もがうらやむ経歴を持った宿澤さんだが、その陰では人知れぬ重圧と孤独に戦っていた姿があり、リーダーとしての苦悩がうかがえる。
    真っ直ぐで、負けず嫌いで、シャイで、孤独な男。そんな宿澤さんの魅力を存分に味わえる作品である。

  • 天才ラガーにして三井住友銀行専務取締役。熊谷高校から早稲田大学そして、日本代表監督としてスコットランドと戦い史上初勝利を収める。
    日本ラグビーの改革者であり敏腕ディーラー。昨年のエディ・ジョーンズジャパンがW杯で3勝するまでの唯一の1勝をジンバブエから奪った監督でもある。
    55歳で逝ってしまうには早すぎ、日本ラグビー界は貴重な人材を失った。

  • 「努力は運を支配する」がこの本の超概要。
    とりあえず読みました。

    宿澤広朗という「天才ラガーにして名監督。巨大銀行 専務取締役。」のお話。

    この方の現役時代の活躍を知らない世代の人でも、ラグビーか銀行に多少の縁がある人は読んで損しない内容かと。

    【感想・メモ】
    チームをまとめる能力に長け、ラグビー・銀行業で伝説的な功績を残してきたが、ラグビー協会の大きな改革という点ではその手腕が通用しなかった。

    ボランティア(無償の善意)に対しては、成果評価できないという問題点を指摘。

    自伝ではなく、生前の姿を描くノンフィクションという位置づけだけに、宿澤広朗氏が演じてきた「宿澤広朗」像、が描かれているという印象をうける。

    多くの方が取材に応じ、宿澤広朗氏とのアツい思い出を回顧していることから、その人望の厚さをうかがい知れる。

    246ページというページ数は、この方の実績や魅力を伝えるにはあまりに少なく、その短い生涯を表すようだ。

  • コーポレートアドバイザリー業務を銀行業界で最初に立ち上げたのが宿澤さんだったのか。
    清水喜彦副頭取や現楽天球団社長の立花さんの話などの話も出てきて面白く読めた。

  • 文武両道を極めた最たる人物
    太く短く生きた人生が詰まっています

  • 「努力は運を支配する」この言葉は今まで何度も聞いた。スコットランド戦は秩父宮で見ていたので強烈に覚えている。その裏話はその後いろいろと特集されていたので、知ってる内容も多かった。学生ラグビーから日本代表監督まではまさに「努力が運を支配」したように思える。
    この本のポイントは組織人としての宿沢をどう見るかだろう。日本協会では直言居士で上司の恨みを買い解任され、銀行では上司の覚えめでたく頭取候補にまで出世していった事実をどう考えるか?運だけとは言わないが、正直サラリーマンとして特別な努力をしているとも思えず、やはり「宿沢」ブランドが大きく影響したのでは?という印象はぬぐえない。一方、ブランドが効かない協会においては後ろ盾となる上司の急死により孤立していく(その敵対した総大将が延命し、東京五輪TOPにまで就任というのも皮肉ではあるけど。後輩を守りきれなかった日比野のコメントも苦しいし)。急逝は残念な事ではあるが、ヘビースモーカーで自己管理もできていないという甘さもある。魅力的な人なのだろうが、いろいろと反面教師となる側面もある。
    学生スポーツとは何か?(勝利至上主義の米国型か?リーダー育成の英国型か?)の指摘は興味深い。自分も宿沢と同じく英国型であるべきだと思うが、そこに問題となる学生ラグビーとナショナルチームの断絶も生まれるわけで、宿沢自身がその矛盾をどう解決しようとしていたのかがわからない点は残念。
    勝つ事に執念を燃やす故の保守性(絶対に負けは許されない)はラグビーの試合やディーリングという勝負の世界において重要な要素であり、その堅実さからディーリングでは月次で負けを出した事がないというのは、人物像をよくあらわしている。また、ライブドア事件や金融業界につきまとうグレーゾーンだからこそのフェアプレーの精神というのはラグビー選手ならではの思考だと感じた。

  • 宿澤ジャパンがスコットランドに勝った試合を見た記憶はない。1989年5月28日何をしていたんだろう?第一回のワールドカップも見ていないので日本代表の試合をまともに見たのは第2回ワールドカップの宿澤ジャパンだった。今から思えばスコットランド戦もアイルランド戦も前半は健闘していた。林、梶原のタックルは記憶に残っている。時々チャンスを作るがノックオン、スローフォワード、オーバーザトップがもったいないのと、後半タックルミスで突き放されたと言う印象だった。

    宿澤が代表監督を打診されたのはこの年の2月中旬、前年11月のアジア大会で韓国に破れ代表監督の日比野は辞意を固める。当時ラグビー協会の専務理事であった白井善三郎は宿澤がいた早稲田が日本選手権を二連覇した時の監督であり、早稲田では日比野の3年先輩に当たる。その白井が日比野に対し「お前、宿を口説いてくれ」と言った。89年2月、呼び出された宿澤は開口一番「早稲田かと思いましたよ」と言った。当時住友銀行のロンドン駐在から帰国し引き続き為替ディーリングの仕事をしていたのだが、当時会長でラグビー好きの磯田一郎の鶴の一声で決まったようだ。監督になってからも朝一で出社し今日の為替はどう?と声をかけそれから練習に出かけた。翌年には銀行の配慮で法人部に移る。

    代表監督に就任した宿澤は「外国人に通用する強さかスピードがある」「ディフェンスが強い」を基準に選抜をした。wikiでは他にラインアウトとゴールキックを重視したとも書いており防御を中心に走り回る事ができるチームだったようだ。梶原もここで抜擢され右プロップの田倉とともにスコットランド戦が初キャップを得た。また当時大学生のラトゥ、吉田、堀越(平尾が断ればキャプテン候補だった)、青木などがレギュラーに抜擢されている。しかしスコットランド戦まではわずか6ヶ月と時間がない。勝ちに拘る宿澤は具体的にどうやって勝つかに集中する。ロンドンでの為替ディーリング時代もポジションはその日のうちに手じまいし翌日には残さず、ばくちではない負けないディールと瞬間での判断が宿澤のスタイルだった。

    宿澤は情報、分析、活用に力を注ぎスコットランドの防御の弱さに着目する。「スコットランド戦は勝ちにいく。相手は第二線防御が甘く、ジャパンのバックスで25点は取れる。だから失点を20点以内に押さえれば勝てる。」繰り返し言い続けた。「お約束どおり勝ちました」宿澤の試合後の第一声だ。宿澤はどういう条件が揃えば勝てるか具体的な状況を想定し、練習を重ねたのだ。その後の銀行時代の話を見ると意外な事にパソコンは苦手で、本も読まず、新聞は目を通す程度。宿澤の言う情報は自分で見たり会ったりしたことを重視している。ワールドカップの準備ではジンバブエまで偵察に言っている。

    銀行員としての宿澤はバブル崩壊後の不動産処理と言う傷を比較的追わず、大塚駅前支店長時代もここぞと言う場面で行動力を見せ見違えるような業績回復を果たした。平成2年イトマン事件で構内が沈んでいる時には宿澤の代表監督での活躍は銀行の励みにもなった様だ。市場営業部時代には債券の運用でリスクを取り「攻めの宿澤」は2002年には銀行の粗利の1/3にあたる5815億を稼ぎだした。この時の他行の稼ぎは3千億台だった。

    911テロではその夜事件を知ると銀行にかけつけすぐに指示を出している。先ず第一に「ドル資金の調達」次に「お客さんのためにできる限りの事をする」そして「勝機を逃さない」。1と2はセットでドル資金が足りなければ銀行の信用は失墜し、お客さんを助ける事もできない。そして緊急事態では大損する可能性があるディーラーに対しても「レートを出せ、逃げるな」と指示している。「勝機を逃がさない」と言うのはどさくさで儲けると言うのではなく金利低下のポジションをとると言う事で、あくまで論理的な思考に基づいている。宿澤はラグビーと仕事は関係ないと言うがこういう一瞬の判断はスクラムハーフの面目躍如でありキャプテンシーの発揮もさすがだ。

    アマチュアリズムに限界を感じラグビー改革に情熱を注いでいた宿澤だが協会理事を事実上解任されたのが2005年の6月、急逝の一年前の事だった。2004年の欧州遠征で惨敗し、萩本監督解任と外国人監督(エディ・ジョーンズが候補だった!)の招聘が理事会で固まったのに直後の報道では監督続投。早すぎる改革に反対する守旧派の抵抗だった。

    さて本日のチャレンジカップの対オールブラックス戦、1968年のNZ遠征でオールブラックスジュニアに勝ったのが大西ジャパンで「NZラグビー暗黒の日」と呼ばれ、1974年には宿澤も途中出場した試合でNZ学生選抜に初勝利を挙げている。しかしその後代表チーム相手をテストマッチとするようになってからはブルームフォンテーンの145点、前回WCでも83点を取られ惨敗している。宿澤は国際ゲームでは失点を20点台前後に押さえないと勝ち目はないと考えていた。景気の良い事を言うのは良いが失点を何点に抑えられるだろうか。30点台に抑えられれば上出来なのだが。

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著者プロフィール

1974年、愛知県生まれ。1972年早稲田大学政治経済学部卒業。出版社勤務を経て、ノンフィクション作家として独立。以来、評伝、ルポルタージュなどを手がけ、3000人以上の定年退職者に取材するなど、生活者の視点から取材執筆活動を続けた。2009年死去。
著書に『定年後の居場所を創る』(中央公論新社)、『定年後』(岩波新書)、『定年後の8万時間に挑む』(文春新書)、『社長の椅子が泣いている』『定年からの旅行術』(ともに講談社)など。

「2016年 『宿澤広朗 運を支配した男』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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