アサッテの人

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  • 講談社
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本棚登録 : 721
感想 : 171
  • Amazon.co.jp ・本 (202ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062142144

感想・レビュー・書評

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  • けっして世間を惑乱するためでなく、
    諸々の凡庸から人知れず離反するために挙動の言動をとる男。

    そんな日常を逸脱する、悲しく真剣な男の物語り。

    「彼は、つまり、僕の言葉でいえば、世界の外、あの「アサッテの方角」に身をかわそうとしているのだ。」(121ページ)

  • 疎外、逸脱、アサッテとつながり、次第にアサッテに取り込まれ見失う。
    通念から身を翻すには、まず通念に取り巻かれていないと翻そうにも翻し得ない。
    哲学的で物悲しくて面白い。

  • この小説を乱暴に一言で説明すると、叔父の「アサッテ」に対する作者の考えが語られてゆく小説、つまり「アサッテの考察」といえるのではないでしょうか・・・。

    (感想)
    僕は、「アサッテ」とは本来、予想の否定だったのではないかと思います。ありきたりな日常を突き崩す予想外の要素(いわば衝撃的に訪れる”何か”)であり、それは自らの中にある予想さえ覆すものだったのではないでしょうか。

    その予想とは、容易に想像される「日常の一コマ」であったり、言語と言うルールに対する予想や、「意志(≒本能)」と言う概念的なものにも及びます。

    ところが叔父は「アサッテ」を意図的に作り出そうとしてしまう。予想外であるべき「アサッテ」を追い求めてしまう。こうして叔父の「アサッテ」は崩れ去ってしまう。

    僕自身と言う存在も、現在の社会全体も、あらゆる日常は「予想」の上に成り立っていると思います。僕はそれを便利だと感じるとともに、どこかでそれを「つまらない」と感じることもありますし、「窮屈だ」と感じることさえあります。

    陳腐な表現をしてしまえば、「アサッテ」とは、こうした窮屈さから解放されたいと言う欲求、いわば自由への欲求とも言えるのではないでしょうか。吃音と言う逸脱から解放されると、言語と言う”規則”に対する”自由さ(”吃音”や”アサッテ”はそれだったのでしょう)を求めはじめる叔父。そして、自由を求めるあまり、自由さに雁字搦めにされてしまった叔父。

    繰り出される独特の言葉遊びは愉快でありながら、少なからず叔父に同情してしまう部分があるのは、こうした側面によるものなのかもしれません。

  • 作者の文章の上手さに感心してしまいました!

    若さと爽やかさもある、そして意外性のある物語と思われます。

    群像新人賞とのW受賞として話題になりましたが、
    ニクイばかりの演出に、なんかグウの音も出ない感じ・・・。

    こういう方がこれからもっと増えてくれればいいのに、と
    思う反面、もう少し真面目な作品が生まれてくれればいいのになぁ
    とも、思いました。

    チューリップ男やテポンテュー、朋子さんの儚げなイメージなど
    とてもイキイキとしている反面、難解な学術的な理解しがたい
    謎が並び立ち、渋面の老いた顔も覗かれます。。。

    これって一体なんなの?って感じです、素朴な疑問なんですけど、
    答えてくれない、様々なイメージが重構造になっていて
    (評義員の方達は入れ子とおっしゃってました)なんとも判定しがたいような・・・。

    とにかく、文章はとても上手いと思いました!

    それと、女房の詩には笑いを誘われてしまいました。。。

    二人の童子のハナシって、なんか昔読んだ『日本霊異記』、
    菅原道真の住まいの件が連想されます。

    ほかにも夢魔が出てきたり、ライプニッツやその他哲学者の名が登場したり言語学や社会学・・・作者の方は相当な勉強家と思われました。

  • 構成的には、少し粗雑さがあると思った。それでも、芯を貫く意識のようなものを感じました。それは、とても若者的な情熱のような感覚。それは日常的な感覚の逸脱を論理で迫るという大胆な試みである。一見、それは矛盾に見える。日常の感覚の逸脱を、日常の感覚の一つである論理で探るという手法には、それ自身に限界が見えているような気がする。それでも、そういう非言語の領域を、どこまで言語として炙り出されるのか。そういう野心は、とても哲学者的な意思を感じる。それもとても大きなエネルギーを持った熱意として、この文章を通して如実に伝わってくるものがあった。

  • 読み始めはなんだか読みにくいなぁと思って少し我慢して数ページ読んでいたのに、ある瞬間からうゎこれおもしろい!って思いました!楽しみ!

  • 実在する作家が実在する叔父(アサッテの人)のことを書いたエッセイという感じで、構成も内容もとてもおもしろかったです。言葉というものについて、またその意味や意義、生きるということについて、色々なことにハッとさせられました。ちょっと哲学的な小説。

  •  
    ── 諏訪 哲史《アサッテの人 20070600 群像 20070721 講談社》
    http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4062142147
     
     Suwa, Tetsushi 作家 19691026 名古屋 /2007 第50回群像新人文学賞 20070822 第137回芥川賞
    http://d.hatena.ne.jp/adlib/19850105
     中学生諸君! 歴史年表 ~ 1912-2020
     
    (20180715)
     

  • 「りすん」と対をなす作品というので楽しみにしていたが、全然入り込めず終わってしまった。
    本当はこちらから読まなければならなかったので、そのせいか?でも本作から読んでいたら、わざわざ「りすん」を読んでいたかも微妙。
    これを読んで感動するのは、自分の中にアサッテ言葉を持ちつつも今まで誰ともそれを共有したことがない、もしくは漠然と言葉にならないアサッテを持っていた人ではないか?
    逆に、アサッテ言葉を他人同士でで共有、使用していた、もしくは勝手気ままにアウトプットしていた、(例えば「りすん」に出てくる兄妹は、お互いにアサッテ言葉を共有していた)そういう人であればこれを読んでもさほど感動しないのではないか、とふと思った。
    実際私も、急に「マチュピチュ」とか言いたくなって、隣にいる人がまぁまぁ心を許せる人だった場合、「マチュピチュって知ってる?」とか、つい言ってしまうのだが、相手はもちろん、私がマチュピチュと言ったからには、私がマチュピチュに興味を持っていると思うわけで、親切な人は、スマホなどで即調べて、「インカ帝国の遺跡で、世界遺産なんだね、で、マチュピチュが何?」とか言ってくるので、いや、そういうことじゃなくてさ、と思うことがあって。
    で、そういうことを頻繁にやっていると大体は慣れてくれて聞き流すようになってくれるのだけど。
    つまり、そういう風に常にアサッテをアウトプットする環境を作っている私にとっては、この本はそれほど感銘を受けるものでもないのだ。
    場所をわきまえず、いきなりポンパなど意味不明の言葉を叫びだすようになってしまった叔父に笑いを誘われるという書評もあるようだが、そういう私にしてみれば、言葉の深みにハマってしまいついには狂気に陥ってしまうというホラーにしか思えないわけだ(私自身たまに、言葉遊びと現実の区別が、いつかつかなくなるんではないかと思うことがある)。
    再三、叔父は精神病を患っていたわけではない、と主人公は書いているにも関わらず、どう贔屓目に見ても叔父はかなり初期のころから頭がおかしい人としか思えないのである。
    とはいえ、エレベーターの中で一人になると、逆立ち、コサックダンス、陰部の露出、ちゅーりっぷの真似などをする、ちゅーりっぷ男はすこし笑ったが。
    最後の謎の踊り?のメモとか本当にぞっとする。これを正気を保ったまま書いたのであれば作者はすごいと思う。
    ていうか私もすでに周りからやばいと思われてるのかしら。

  • 読んだときはこの造語が流行っているに違いないと思ったのに、世間はほとんどスルーだったな。ラストのケンケンとびは泣ける。

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著者プロフィール

作家。1969年名古屋市生まれ。國學院大学文学部哲学科卒業。独文学者の故種村季弘に師事。2007年小説『アサッテの人』(講談社)で群像新人文学賞・芥川賞を受賞。他の長編に『りすん』『ロンバルディア遠景』(いずれも講談社)、短編集に『領土』『岩塩の女王』(いずれも新潮社)がある。またエッセー集に『スワ氏文集(すわし・もんじゅう)』(講談社)、『うたかたの日々』(風媒社)、文学批評集に『偏愛蔵書室』『紋章と時間――諏訪哲史文学芸術論集』(いずれも国書刊行会)、編著に『種村季弘傑作撰Ⅰ・Ⅱ』(国書刊行会)などがある。

「2021年 『スットン経』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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