アサッテの人

著者 :
  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (202ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062142144

感想・レビュー・書評

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  • けっして世間を惑乱するためでなく、
    諸々の凡庸から人知れず離反するために挙動の言動をとる男。

    そんな日常を逸脱する、悲しく真剣な男の物語り。

    「彼は、つまり、僕の言葉でいえば、世界の外、あの「アサッテの方角」に身をかわそうとしているのだ。」(121ページ)

  • 疎外、逸脱、アサッテとつながり、次第にアサッテに取り込まれ見失う。
    通念から身を翻すには、まず通念に取り巻かれていないと翻そうにも翻し得ない。
    哲学的で物悲しくて面白い。

  • この小説を乱暴に一言で説明すると、叔父の「アサッテ」に対する作者の考えが語られてゆく小説、つまり「アサッテの考察」といえるのではないでしょうか・・・。

    (感想)
    僕は、「アサッテ」とは本来、予想の否定だったのではないかと思います。ありきたりな日常を突き崩す予想外の要素(いわば衝撃的に訪れる”何か”)であり、それは自らの中にある予想さえ覆すものだったのではないでしょうか。

    その予想とは、容易に想像される「日常の一コマ」であったり、言語と言うルールに対する予想や、「意志(≒本能)」と言う概念的なものにも及びます。

    ところが叔父は「アサッテ」を意図的に作り出そうとしてしまう。予想外であるべき「アサッテ」を追い求めてしまう。こうして叔父の「アサッテ」は崩れ去ってしまう。

    僕自身と言う存在も、現在の社会全体も、あらゆる日常は「予想」の上に成り立っていると思います。僕はそれを便利だと感じるとともに、どこかでそれを「つまらない」と感じることもありますし、「窮屈だ」と感じることさえあります。

    陳腐な表現をしてしまえば、「アサッテ」とは、こうした窮屈さから解放されたいと言う欲求、いわば自由への欲求とも言えるのではないでしょうか。吃音と言う逸脱から解放されると、言語と言う”規則”に対する”自由さ(”吃音”や”アサッテ”はそれだったのでしょう)を求めはじめる叔父。そして、自由を求めるあまり、自由さに雁字搦めにされてしまった叔父。

    繰り出される独特の言葉遊びは愉快でありながら、少なからず叔父に同情してしまう部分があるのは、こうした側面によるものなのかもしれません。

  • 作者の文章の上手さに感心してしまいました!

    若さと爽やかさもある、そして意外性のある物語と思われます。

    群像新人賞とのW受賞として話題になりましたが、
    ニクイばかりの演出に、なんかグウの音も出ない感じ・・・。

    こういう方がこれからもっと増えてくれればいいのに、と
    思う反面、もう少し真面目な作品が生まれてくれればいいのになぁ
    とも、思いました。

    チューリップ男やテポンテュー、朋子さんの儚げなイメージなど
    とてもイキイキとしている反面、難解な学術的な理解しがたい
    謎が並び立ち、渋面の老いた顔も覗かれます。。。

    これって一体なんなの?って感じです、素朴な疑問なんですけど、
    答えてくれない、様々なイメージが重構造になっていて
    (評義員の方達は入れ子とおっしゃってました)なんとも判定しがたいような・・・。

    とにかく、文章はとても上手いと思いました!

    それと、女房の詩には笑いを誘われてしまいました。。。

    二人の童子のハナシって、なんか昔読んだ『日本霊異記』、
    菅原道真の住まいの件が連想されます。

    ほかにも夢魔が出てきたり、ライプニッツやその他哲学者の名が登場したり言語学や社会学・・・作者の方は相当な勉強家と思われました。

  • 構成的には、少し粗雑さがあると思った。それでも、芯を貫く意識のようなものを感じました。それは、とても若者的な情熱のような感覚。それは日常的な感覚の逸脱を論理で迫るという大胆な試みである。一見、それは矛盾に見える。日常の感覚の逸脱を、日常の感覚の一つである論理で探るという手法には、それ自身に限界が見えているような気がする。それでも、そういう非言語の領域を、どこまで言語として炙り出されるのか。そういう野心は、とても哲学者的な意思を感じる。それもとても大きなエネルギーを持った熱意として、この文章を通して如実に伝わってくるものがあった。

  • 読み始めはなんだか読みにくいなぁと思って少し我慢して数ページ読んでいたのに、ある瞬間からうゎこれおもしろい!って思いました!楽しみ!

  • おもしろすぎて一気読み。
    レビュー見ると評価が二極化しててるのおもしろいなー。
    チューリップ男最高。
    「ポンパッカポンパ、ポンパッカポンパ。…へぇー、だって。」

  • 諏訪哲史さん二作目。
    冒頭の度々出てくる“ポンパ”についていけなくて、最初は「これもしかしたら面白くないかも」、「ロンバルディア遠景みたいに楽しめないかも」と不安になったけど、杞憂だった。朋子の家庭スケッチくらいからぐんぐん惹き込まれて、夢中になって読めた。
    言葉遊びを無邪気に楽しむ叔父の様子や、朋子との和やかな団欒、朋子の奇妙な言葉に対する考察は楽しく面白かった。後半の叔父がすこしずつおかしくなってゆく様子は読むのがつらかった。特に二冊目以降に入ってからが…。
    叔父は朋子の死と同時に世の中の現実感を失ってしまって、かつての“アサッテ”が訪れなくなってしまったんだろうな…と思うと苦しい。
    終わりの「叔父の行方は依然として判らない」の一文が良すぎて、最後の追記は蛇足じゃないかと思ったけど、蛇足じゃなかった。“ポンパッカポンパ、ポンパッカポンパ。…へえー。だって。”をする叔父がありありと思い浮かんで、胸が締め付けられた。これは作為や欺瞞に踊らされているが故に生じる感覚かもしれないけれど。
    ロンバルディア遠景もそうだったけど、物語全体に漂う排他的で退廃的な雰囲気がすごく好き。文章が良い。大便箋にあったようなとろけるようなあまい文体の詩(?)大好き。
    次の作品も楽しみだなぁ。

    “ポンパ”
    “チリパッハ”
    “ホエミャウ”
    “タポンテュー”

  • 実在する作家が実在する叔父(アサッテの人)のことを書いたエッセイという感じで、構成も内容もとてもおもしろかったです。言葉というものについて、またその意味や意義、生きるということについて、色々なことにハッとさせられました。ちょっと哲学的な小説。

  •  
    ── 諏訪 哲史《アサッテの人 20070600 群像 20070721 講談社》
    http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4062142147
     
     Suwa, Tetsushi 作家 19691026 名古屋 /2007 第50回群像新人文学賞 20070822 第137回芥川賞
    http://d.hatena.ne.jp/adlib/19850105
     中学生諸君! 歴史年表 ~ 1912-2020
     
    (20180715)
     

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著者プロフィール

諏訪 哲史(すわ・てつし):1969年、愛知県生まれ。作家。國學院大學文学部で種村季弘に学ぶ。「アサッテの人」で群像新人文学賞・芥川賞を受賞。『種村季弘傑作撰Ⅰ・Ⅱ』(国書刊行会)を編む。

「2024年 『種村季弘コレクション 驚異の函』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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