- Amazon.co.jp ・本 (358ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062144759
感想・レビュー・書評
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■ 1579.
〈読破期間〉
2015/5/17~2015/5/27詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
装丁といい、表紙といい、期待した。あさのあつこさん、あなたに京極堂を書くのは無理だと思った。西尾維新は、西尾らしくってよかった。柳家喬太郎、面白かったな。巻末の2本の漫画はどちらもよかった。全体的にもっとなんだろう、妖怪味が濃かったらよかったな。 トリビュート、意味調べてようやくわかった、今回の趣旨。西尾維新が読めたからよしとするか。
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ごめんなさい。
柳家喬太郎師匠の名前で検索したらヒットしたので京極堂シリーズを知らないまま読みました。京極夏彦の本には興味があったものの、その存在感に気圧されて(笑)手に取れずにいました。なので軽めにトリビュートから見てみようかなと。でもやっぱり、京極堂シリーズを好きな人が読まないと意味ないかな。
不思議な雰囲気は伝わってきました。 -
京極堂のトリビュートです。
純クレの松苗あけみさんが、榎木津を描いていおり、もーニヤニヤしてしまいました。映画【魍魎の匣】の原田監督の苦労話?も納得。私が好きなのはこちらの2本。
結構なビッグネームの方々が書いているのですが、有名作家さんだからこそ、こういうのは難しいのかもしれないなーと思いました。素人さんの同人誌の方が何十倍も面白いと思います…。(読んだ事ないけど)
私の中では、京極堂=野村萬斎、榎木津=谷原章介、関口=西島秀俊 鳥口=大泉洋 久保=伊勢谷友介 なイケメンパラダイス状態なので(今、自分で書いてて引いたわ…)京極堂に関して冷静な判断は全く出来ませんので悪しからず。※映画の堤さんは全くイメージではなかったのですが、案外良くてビックリしました。 -
あの作家が百鬼夜行シリーズに挑戦! 「姑獲鳥の夏」ではじまる京極夏彦の人気シリーズの世界にあさのあつこ、西尾維新、柳家喬太郎、諸星大二郎、原田真人監督らが挑む、豪華トリビュート! これはもう、おもしろくないはずがない。
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全体的に何となく物足りない。
西尾維新のそっくりは、堂島さんが出てきたのは嬉しいけど、やっぱりちょっと物足りない。
粗忽の死神は京極堂云々を感じないが単純に読み物としては面白い。
朦朧記録は……なんだかねぇ。何か切ないというか悲しいというか。話としては嫌いじゃないけど、それを彼らでやられるとなんだかねぇ。 -
詰まらん。レベルが低い。
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【収録作品】「鬼娘」あさの あつこ/「そっくり」西尾 維新/「『魍魎の匣』変化抄」原田 眞人/「朦朧記録」牧野 修/「粗忽の死神」柳屋 喬太郎/「或ル挿絵画家ノ所有スル魍魎ノ函」フジワラ ヨウコウ/「薔薇十字猫探偵社」松苗 あけみ/「百鬼夜行イン」諸星 大二郎
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こんなん2007年に出てたんですね…もう夏彦関連膨大すぎて追ってないけどさ…。参加者はあさのあつこ・西尾維新・原田眞人・牧野修・柳家喬太郎・フジワラヨウコウ・松笛あけみ・諸星大二郎とピンナップで石黒亜矢子・小畑健。以下なんとなく馴染みがある人だけ何故か呼び捨てなのはご了承下さい。
石黒さんは日本画妖怪っぽく描かれた京極堂。なんかそれっぽくてイイ(笑)。
小畑の榎木津絵は既に挿画として描かれたものなんだろうか。松笛あけみの漫画といい、エノさんはイラストにするとオッドアイなんですか…?
まさかあの能力がそんな素敵設定になってるなんて思いつかなかった…(薄笑)。
あさのあつこは本編の王道の流れをあさのあつこ風にすっきりさっくりまとめた感じ。なので薀蓄が似合わない(笑)。
西尾維新が案外原作の雰囲気を踏襲していて、且つ読みやすかった。「えっと堂島ってどこに出てきた人だっけ…」とかは思ったけど。
原田さんはアノ『映画・魍魎の匣』の監督だそうです。その映画の経緯みたいなものがメールとかメモとか脚本とかを中心に代理人が記述するというような体なんです。が。ぶっちゃけあの映画どうにも笑うしかなかったので…そして長い……すみません斜め読みっていうかほぼ飛ばしました…。
牧野さんは原作の雰囲気を残しながらも衝撃の設定とラストで面白かった!
喬太郎さんはやはり落語風。落語の語り調って本当にリズミカルだよなぁ。夏彦のリズムの根底は落語な気がするんだけども。そんで落語の導入から本編に入る鮮やかさってゾクゾクする。軽快さと洒落っ気満載です。
フジワラヨウコウって藤木稟の挿絵とかの藤原ヨウコウ氏とは違うんだろうか?これは殴り書き風だし、あっちは精緻すぎるのでよくわかんないんですが。どうなんだろう。
松笛あけみの漫画はしっかり少女漫画なのに、案外京極堂とかエノさんとかが強そう(笑)そして和寅が酷い(笑)。
諸星大二郎は普通に諸星大二郎漫画として面白い。
精神的に完全じゃないと夏彦作品は重すぎて読むの保留にしているんですが、これでちょっとリハビリできた気がする。
特に牧野さんのを読んで、改めて「関くんはどうしようもないダメ人間で鬱で死にたがってるのに読者としてそこまで引き摺られないのは何故か」とか思ったり。
関くんは鬱が本当にデフォルトで、本当に死にたいとか思っているのに、何かぽっかり穴が開いているというか、どこか淡々としてそれが自然だからなのかなと。
自然である、常態である、だから受け手は違和感を覚えない。だからこそそれをズルズル引き摺っていってくれる周りの人間がいる限り救われる。
基本的に「厭な小説」を書かせたら天下一品の夏彦作品だけれども、京極堂シリーズはその関くんへの救いが読者への救いにもなって助かってるんだなぁと。まぁ勝手な解釈なんですが妙に腑に落ちて、夏彦作品また読めそうだ。