- Amazon.co.jp ・本 (216ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062155298
感想・レビュー・書評
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AMAZONの評判は上々だけれど自分は飯島愛=孤独死という図式に当てはめているような印象を強く感じたなぁ。
飯島愛さんはカッコいい女性だと思うわけですが、やはり弱さももっていたわけで、この本はその部分を強調しすぎている気がした。自伝で匿名にした人の本名を暴くのは、やっぱりゲスいよ。
N.Y,在住のDJ、通称トシくんて後藤さんだと思ったけど、違うのか・・・。和歌っこ産との『噂もあったし、渡米時代も符号するし(あの時代N.Y.でハウスDJやっていたのなんて数限れれるでしょう)、トシくんだし、そうだと思っていたんだけどなぁ・・・。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
切ないなぁ。。。というのがいちばんの感想(´ω`)
三つ子の魂百まで、じゃないけど心の奥底にへばりついた 愛されてない という想いは、大人になっても、こんなに多くの人に愛されても消えないんだな…と。
全身全霊で愛される経験をしてたらこんな亡くなり方してないんだろうな。
バラエティでしか観たことなかったけど、あの笑顔の裏にあるたくさんの寂しさを知りました(´ω`) -
■たくさんの人に愛されていたと思うのだけれども,
それをうまく感じ取れなかったのかなぁ…と。 -
飯島愛の孤独さを色々な人へのインタビューから聞いて書き出し、孤独死した事件の事を細かに書いてある。
色々な人愛されていたのだが、本人は孤独だったようだ。 -
生き方に共感する人が多かったのがすごくよく分かった。
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イブのニュースは衝撃的でしたが、もう1年以上経ったんだ。
家から逃げられるのは若いうちだけなのかも。だんだん諦めの方が強くなってくもんね。でも、精神的な部分では根源的な問題からはいつまでも逃げられないのだろうな。
表に出る職業を選んだ時点で、認められようとする心が満たされると同時に、認めないとする視線に耐える必要も出てきてそのバランスを保つのって大変だろうなと思う。 -
友だちや先生と話していて、たまたま柱の向こうにある物を取りに行った時、次の瞬間、閃光が走ったかと思うと爆風が押し寄せ、我に返って元の場所へ戻って見ると、同じところにいたはずの先生は真っ黒焦げの塊に、友だちは影も形もなく塵と化していたという原爆投下の時の実際の体験談を知ってみると、腐っていようと糞尿にまみれていようと白骨化していようと、未だしも人間としての尊厳はまだ存在するのだと、悲痛な思いで嫌々をしながら嗚咽を漏らしてしまいました。
飯島愛の露出した性器丸出しのSEXシーン満載ビデオを見せてくれるって言っていたお習字の先生も、約束を反故にしていつのまにか亡くなってしまいました。
あっ、これって大島渚の『愛のコリーダ』の話題になったときに、脱線して先生が勝手に言い出したことなんですよ、私が特に見たいとか言った訳ではありません、念のため。
お習字を習っていた先生と、何かの拍子にお互い映画好きだとわかってからというもの、時に映画の授業になったりすることもしばしばありましたが、ふたりの名誉のために言っておきますが、99%は真面目な映画の話で、特にこの先生にはイタリア・ネオリアリズムやトーキー以前のサイレント時代の名作も機会を作って見なきゃあダメだよと教わりましたが、日活ロマンポルノについては遅れてきた世代ではありますが、一応の知識は持っていて、ですからそれを代表する女優たちについては知っていましたが、それ以外のAV女優には全然関心はありませんでしたから、彼女については軽薄なタレント位の認識しかありませんでした。
それが、いつのまにか『ウチくる!?』や『サンデー・ジャポン』の中の軽妙洒脱な人物に脱皮する様子を見て驚いたりしたものでした。
そして『プラトニック・セックス』です。永沢光雄の描いた『AV女優』の普遍性はここでも証明されたという訳です。
飯島愛といい大原麗子といい山城新伍といい、孤独死でも何でもない見事なりっぱな最期だと思います。
死は場所も体裁も選ばず、いつも突然やって来るものです。
まだやり残したことが多少はあったかもしれませんが、ほとんど自分の望んだことをやり遂げた彼らなりの生きた証がちゃんとあるではありませんか。
そうじゃなくて、戦争や誰でもよかったという無差別殺人で、無念のうちに虐殺された人たちの死こそ問題なので、このまま行くと人類の共食い的殺戮がやがて蔓延し、毎日ここかしこで殺し合いが繰り広がり、滅亡への途をたどるばかりではないですか。
しかもそういうまったく理不尽な殺人ではないものが、ニュースで毎日、親が子供を殺し、子供が親を殺し、恋人が彼や彼女を殺し、孫が祖父や祖母を殺し、生徒や学生が先生を殺し、などなど、普通の当たり前の人間関係の者たちが平気で殺しあう日常茶飯事が、いま目の前に現実として横たわっているのです。