北門の狼<重蔵始末(六)蝦夷篇>

著者 : 逢坂剛
  • 講談社 (2009年8月20日発売)
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  • レビュー :7
  • Amazon.co.jp ・本 (466ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062157117

作品紹介

寛政九年、長崎での務めを果たし江戸へもどった近藤重蔵は、蝦夷地取り扱いについての建言書を奉呈した。かの地は松前藩が権益をほしいままにし、オロシャやエゲレスの船がたびたび訪れる内憂外患に晒されていた。翌十年、公儀による蝦夷地巡見の一行に加わることになった重蔵は、陸路、海路を突き進み、ついに蝦夷へたどり着く。本蝦夷からクナシリ、さらにエトロフへの渡海を決意する巡見隊に、凶暴な熊が襲いかかり、恐るべき敵が待ち受ける。

北門の狼<重蔵始末(六)蝦夷篇>の感想・レビュー・書評

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  • 今度は北方領土が舞台。
    因縁がつきまといます。
    どんな結末になるのか?

  • 感想未記入

  • 歯切れの良い語り口がこの作者を何時もながら好ましい。
    小説というよりも紀行文としての読み応えを感じる。特に渡海の際の情景、人の動き感情は読者を情景の中に引き込むものである。

  • 択捉に木標を建てる~長崎で異国の情報を手に入れた近藤重蔵はロシアの意図を知り,松前藩の対応に不満を抱いて,幕府の巡見使に加わる。津軽の瀬戸で揺られ,函館から内浦湾を舟で横断し,襟裳から釧路,厚岸から根室,国後まで辿り着くが,同行の者が異議を唱え苛々する中,最上徳内が追いつき,荒波の中,択捉に到着すると,国後の動乱の際に松前側についたアイノの大物イリコイがウルップからロシア人軍人を連れてコタンに火を付けた。いち早く察知した重蔵は,とって返して,ロシア人とイリコイを捕らえ,択捉のアイノに生計を立てさせる術を確立させることが重要だと考え,ロシア人を解き放ち,択捉が日本の領土である木標を建て,国後に引き返すが,江戸で愛人の音若を殺し長崎で捕らえて江戸に送った女盗賊・りよが襲ってきた~近藤重蔵の評価は大いに分かれるものだ。女盗賊りよについては鬼神のような活躍で,物語全体のアクセントとしては必要かも知れないが,納得できない部分が多い。蝦夷篇は続くのだろう。史実か?・・・調べると・・・1771年御先手組与力近藤家の三男として江戸駒込に生まれ,神童と言われ,御先手組与力,火付盗賊改方としても勤務。1794年,湯島聖堂最優秀で合格。1795年長崎奉行手付出役,1797年に江戸へ帰参し支払勘定方,関東郡代付出役と栄進。1798年幕府に北方調査の意見書を提出して松前蝦夷地御用取扱。四度蝦夷地へ赴き,最上徳内と千島列島,択捉島を探検,同地に「大日本恵土呂府」の木柱を立てる。松前奉行設置,蝦夷地調査,開拓に従事し,国後から択捉間の航路を調査させる。1803年,譴責により小普請方。1807年にロシア人の北方侵入に伴い再び松前奉行出役となり五度目の蝦夷入り。利尻島や札幌市周辺を探索。江戸に帰国後,将軍徳川家斉に謁見。1808年に江戸城紅葉山文庫の書物奉行。しかし自信過剰で豪胆な性格が見咎められ,1819年に大坂勤番弓矢奉行に左遷,1821年に小普請入差控を命じられて江戸滝ノ川村に閉居。1826年長男の近藤富蔵が町民を殺害して八丈島に流罪となり,連座して近江国大溝藩に預けられ,1829年6月16日死去。享年59。死後の1860年に赦免された。・・・毀誉褒貶・波瀾万丈の人生だ。まだまだ話の種は尽きない

  • 近藤重蔵
    しげ
    根岸団平 
    たね
    橋場余一郎
    最上徳内
    長嶋新左衛門
    下野源助
    村上島之丞
    清蔵
    長助
    りよ
    為吉
    えん

  • 愈々本編とも言える蝦夷篇に突入。重蔵一行は公儀の命を受けて蝦夷地巡視の旅へ。本作では460ページを費やしてエトロフまでの困難な道程が描かれるが、やっと「序章」の趣き。松前藩の糾弾と薩摩藩の探索はこれから。そして「あの女」が…

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