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Amazon.co.jp ・本 / ISBN・EAN: 9784062158305
みんなの感想まとめ
日常の中で猫や両親、自分の死を見つめる物語は、静けさとユーモアが絶妙に融合しています。著者の描く淡々とした語り口は、読者を心地よい静謐な世界へと誘い、冬の晴れた朝のような清々しい感覚をもたらします。猫...
感想・レビュー・書評
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猫や両親、そして自分の死を見つめる日々の暮らしを描いた物語?随筆?なのだけど、平松洋子さんが『野蛮な読書』で書評を書いていた通り、「ふしぎな静謐とユーモアが漂う」ので、暗い感じは全くない。
冬の晴れた朝の張りつめた空気の中で、じっと考え事をするような感覚。しんと静かな気持ちになる。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
私小説のようなものなのだろうか。淡々と描かれる中で急に猫が心中しようと言い出したりして、面白い。題名がどういう意味なのだろうと思ったが、本当にそのままの意味だった。
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淡々と語る父母や猫、友人、そして自分自身のこと。静かに流れるように染み入る文章でした。3歳の猫に無理心中を迫られたり、ネコ用の水にカエルが陣取ってたりユーモアもあり心静かに読みました。
この本をどこで知ったのか忘れてしまったけど、良い本を紹介してもらえたと思います。 -
死を見つめる、静かな物語が2編収録された本。
小説であるのか、筆者自身の記憶であるのか、不思議な空間に迷い込んでしまったような気持ちをかかえながら読み進めた。文章は読みやすく、物語としても退屈はしなかった。
穏やかな気持ちになるとともに、むしょうに猫が飼いたくなった。
<収録作品>
傘と長靴/猫の水につかるカエル -
「逆さにして振っても、一滴も残っていなかったでしょうね」
父の死、猫の死、我が身の死…
幼少期、雨の日に父を迎えに行くことが「私」の日課だった。
父の死から幼少期の父との接点を思い返す『傘と長靴』。
厳しい父親と、小さな「私」が無言で坂をのぼるシーンは、白黒映画にできそうな味がある。
「死」というものの、ドラマ性のない、現実的な捉え方に好感がもてた。 -
私小説的死生観~「傘と長靴」母が死んで以来一人暮らしだった父が死に、駅まで傘と長靴を持って父を迎えに行っていた頃を思い出す一方、公園の野良猫に餌を与えるために早朝自転車に乗る。「猫の水につかるカエル」父の家から引き取ったのはソファで父を思い出すが、一方で年に一度の人間ドックで膵臓に何かが発見され、精密検査を受けるように薦められると猫が心中を申し出てきてもひたすら断るが、猫のために庭に用意した水入れ代わりに使っている弁当箱に住み着いたカエルに水を与えながら部屋の中を見ると、そこに私はいない~余り人に近づかない父が死んで、公園で姿を消した猫たちと重ね合わせ、母が遺したコートと父が遺したソファが色々なことを思い出させ、自覚症状がないまま検査で異状が見つかって、自分の死後を考え始める・・・小説だろうか? 作者が小説というのなら小説なのね
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淡々と暮らす主人公の回想。
死への穏やかな心持ちがなんとも言えない。 -
静謐な空気が言葉の隙間から漂い出てくるような錯覚に駆られる。日常の行為の中で去来する様々な思い。それは、目の前の出来事と過去を結びつけたかと思えば、穏やかな言葉のやり取りの中に忍び込む無口な怒りを気づかせたり、と忙しく動いているかのように思える。しかし一つの思いと次の思いの間には隙間が無いようでいて、実は何も無い時間が過ぎていったようでもある。その時間の思いがけない長さが不思議でもあり、自然でもある。
一体これは小説と呼ぶべきなのかそれとも随筆のようなものか。小説と呼ぶには作家と一人称で語る人物の重なり方には余りに隙がない。語られる言葉から立ち上がる世界は自分と地続きの世界であるようにすら見える。そしてそこには著者の個人的な思いが溢れているようである。しかし逆に随筆であるのかと思って読んでいると、一瞬地続きと見えた世界に少々継ぎ接ぎの跡が見え作り上げられた箱庭的気配があるようにも思えてくる。
もちろん、書かれていることが実際のできごとであってもなくても構いはしない。ただ虚実のあわいを歩いていく心もとなさを感じるというだけである。それは少しばかり居心地は悪いけれども決して不快な感じではない。
自分には「思い」というものに定まったイメージがある。思いは底の見えない水の中を上昇してくる気泡というイメージなのだ。思いの「種」は一つ一つどこからともなく湧き、水面に近付くに従って大きくなる。意識という水面に達した思いは薄い膜を張り半球を形づくるが、ほどなくしてはじけて消える。次々と。前後の脈絡もなく。
しかし一つの気泡が生まれれば水を湛えた器の中の物理状態は変化し、次の気泡を生む条件を変える。一つの思いの生成は脈絡がないようであってても次の気泡の生成とは無縁ではありえない筈。その一つ一つの泡の間にあるような無いような繋がりのことを、川崎徹のこの不思議な感覚を覚えさせる本を読んでいると、意識させられる。
『わたしは誰も待っていなかった。しかしずっと立っていたら、誰かを待っているような気持になった。むかしを思い出したのではなかった。駅頭に立つ、いや、ひとの流れに向かって立つ行為そのものが、待つことを表していた』-『傘と長靴』 -
自分の生活に深く根付いている者たちとの永遠の別れ、そして自分自身が向かい合う死について、何とも言えない距離感で描かれています。何処か淡白なようであり、でもすごくあったかいよなぁ。
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心中迫られるくらい猫に懐かれたい。
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傘と長靴まで読みました。売れる作家と売れない作家の違いってなんなんだろう。私にはまだわからない。
全体的に良い感じでした。が、私の気になるのは猫との心中はどうなったのかってこと。還暦迎えてもそれはそれで迷いのもとはあるってこと。 -
父親、母親、自分、猫、、
病や死と向き合う気持ちの綴られ方が好きでした。 -
21/11/24 景色が少し変わって見えた
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