烏有此譚

  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本
  • / ISBN・EAN: 9784062159333

感想・レビュー・書評

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  • 2冊目『烏有此譚』(円城塔 著、2009年12月、講談社)
    何が何だかわからない、というのが素直な感想である。
    ジャンルとしては一応セカイ系SFということになるのだろうか?取り止めも脈絡もないような話のようであり、”喪失”と”補填”、そして”誕生”を描いた正統な純文学のようでもある。
    本文にも匹敵する大量の注釈が空白の多い物語を埋める。その注釈の配置にも仕掛けが施されているという、ハイコンテクストな小説である。作者はちょっとどうかしている。

    〈それで、何ともなるわけではないけれど〉

  • ページの下半分を注釈が占めているという、変わったページ構成。

    そもそも話し自体も、いったい何の話なのかよくわからない構成・・・

    そういう作風だし、読むの3作目ともなればいくらか慣れるけど、でもやっぱり難しい・・・

    でも注釈をまた注釈してさらに注釈するってのは、なんだか追いかけるのが結構楽しかったりする。

  • 幻想のようでそうでなくて、不条理文学のような違うような…掴めない作品。注釈はほぼ独立した物として後から読んだが第四の壁を突き抜けたメタ視点が入った瞬間ドキッとしてしまった。末高に降り積もる灰とは結局何なのか、この作品は何なのか…よく分からないまま流され読む感覚は朝吹真理子「流跡」に似ている。

  • 【感想】
    ・これは、半世紀近く前に書いたぼくの大学での卒論とそっくりやなあ。もちろん内容はまったく異なるけど注に注を重ねる形式が。ぼくは好みでランダム・アクセス可能な論文(というのもおこがましいが)を書きたかった。そういや思い出した。提出したその日に教授から「おもろかったよ」とわざわざ電話がかかってきてびっくりした。評論家でもある教授にとってはぼくが注で遊び的にやっちまった会話風な言葉遣いだけが不満だったようだがそれについてはぼくもちょっと取って付けた感あるなと反省はしている。本文はせいぜい原稿用紙三十枚くらいで、あとは全部注、その注、さらにその注という感じで何階層までつくったかは忘れたけど。まあ、本文がメインルーチンで、実のところサブルーチンを付けるための骨格で、本文の言葉は注を引っかける受容体で、真のメインはサブルーチン=注それぞれやった。その自分の経験から、今回はまず本文だけ読んで全体の流れを把握して、それから注をそれぞれ独立した短文として読むことにした。たぶんその読み方で正解で戸惑いなく楽しく読めた。ま、それやと詩集かエッセイ集みたいなもんやけどね。
    ・本文部分は自動筆記したときの文章に似ている。その場合でも書く者の傾向とか好みとかは出はする。ちょっぴり科学というかSFの味付けがある。
    ・本文は進むにつれ、普通になっていき、ちょっとつまらないような、理解しやすいような。
    ・あまり意味のない文章だとは思いつつどこか納得させられるところもあり、どことなく安部公房を読んでるような気分でもある。
    ・むかし、埃が主人公の小説を書いたことがあり、周辺では何書いてるのかわからんと、すこぶる評判が悪かったのだが、なんとなくそれを思い出したりもした。
    ・ぼくはこういうの好きやからけっこう楽しめました。

    【一行目】
     末高の裡(うち)には灰が降り、僕の部屋には雑多なものが堆積していく。

    【内容】
    ・内容は特にない。と言ってもいいのでは? ということ自体が内容。

    ▼メモ取らず読んでいるだけでヒマなので注に出てきた書籍のリストをつくってみた。抜け落ちはあると思う。

    『麗しのオルタンス』ジャック・ルーボー
    『がんばれガートルード』スティーブン・リーコック
    『忘れられたバッハ』
    『仙界とポルノグラフィー』中野美代子
    『イヴの卵~卵子と精子と前成説』クララ・ピント-コレイア
    『ホワイト・ライト』ルーディー・ラッカー
    『あなたの人生の物語』テッド・チャン
    『多面体と宇宙の謎に迫った幾何学者』シュボーン・ロバーツ
    『南方熊楠英文論考』
    『ブラックロッド』古橋秀之
    『人類が消えた世界』アラン・ワイズマン
    『秘密』フィリップ・ソレルス
    『グレート・ギャツビー』フィッツジェラルド
    『砂の女』安部公房
    『ピエール』ハーマン・メルヴィル
    「トップをねらえ!」(明確には出てないが)
    『猫のゆりかご』カート・ヴォネガッド
    『たった一兆』アイザック・アシモフ
    『新編木馬と石牛』金関丈夫
    『穴と境界~存在論的探究~』加地大介
    『人口論』トマス・ロバート・マルサス
    『ディアスポラ』グレッグ・イーガン
    『ホット・ゾーン~恐怖! 致死性ウイルスを追え!』リチャード・プレストン
    『故事新編』竹内好訳

  • 装丁惚れ。本文の理解を求めるための注かと思ったら、さらなる混沌の渦にとぐるぐる。大きな疑問符がこれでもかと頭の上をぷかぷかしているのでありました。真っ当に見えた僕の語りが次第に思弁的になり、精神的変調の兆しでこれまで明確に見えていたように思えた世界がくるりと裏返って不安定に。決してすんなりするすると脳内に入り込む世界ではないのですけど、そんなところが魅力的で、読み終えて妙な興奮の中冷めやらずのまんままた読み返している自分。灰の話と穴の話に妙にふむふむと没頭して読んでいる自分なのでありました。(2010年1月読了)

  • memoのように注を書き綴れば
    それは生涯ひとつの物語になるかも…
    そこですべてを吐き出すことができれば、それ以上書き続ける必要はない。
    人生にも注を!

    烏有此譚memo

    p79 烏(いずくん)ぞ烏有に帰さんや昼夜を問わず。
    烏(いずくん)ぞ此(こ)の譚(はなし)有(あ)らんや
    どうしてこんな話があるのだろうか、いや、ない=馬鹿話
    ※79ページに来るまで自分が読んでいた本のタイトルをすっかり忘れていた。
     もちろんこの文章が本のタイトルの説明になるのだろう。

    末高に灰が降り始めたらしい…
    ※末高…どう読むのかわからない。末高は末高の長男であるらしい。???
     「灰」はキーワードではあるが、それは下記のように展開する。

    薪が灰となり、灰は木にならない。かといって、灰をあと、薪が先とは見るなと道元は言う。
    薪は薪であり、灰は灰である。別個に別れ、連なりを考えるべきではない。生と死も同じことである。

    注の最後の一文
    さあ、はじめよう。音楽だ。
    ※さて、この一文は?
     もう物語は十分だってことか?
     注がこの物語を締めくくっている。


    ※注はこの物語の重要なアイテム。
     でも文章中に出てくるたびに注を探して読んでいては物語がわからなくなる。
     次の注を探し続けるために物語を読んでいるようなものだ。
     注は全部で六四

    冒頭よりずれっぱなしの注が本文に追いつくのはp97
    終盤、注の空白を埋めるための注が登場
    ※後半、注が少なくなると物語に集中していくのだが、
     そこに空白を埋めるための注が登場してくる。
     
    ※注を読むのは本文の理解をより深めるためではあるのだけれど
     それが本文にとって良いことかどうかはわからない。

  • 小難しいことは考えずに読み進めればよろしい。

    正直言うと頁の間を行ったり来たりしていると本文の内容が驚くほど頭に入ってこない。それと反比例するように注釈を読むのが楽しくなってくる。次の注釈を読むために本文を読む進めるという、見事な本末転倒っぷりがおかしい。

    読むのに骨が折れる本というのは世の中に数多溢れてるが、指の数が両手じゃ足りなくなるのはこの作品くらいじゃなかろうか。
    校閲さんの苦労を想像すると自然と頭が下がる。

  • 少し飛び道具っぽい作品だけど、本と戯れるような読書体験が面白かった。

    ページの下段3分の1ほどが注釈に使われており、この注釈を素直に読んでいくと、本文をすっ飛ばしてどんどんページをめくることになる。

    むしろ注釈のほうが熱を帯びて書かれているため、さらに注釈の注釈がまた注釈を加速させるなどし始め、せまいスペースで大暴走している。

    我に返ったように、かなりページを戻って本筋に戻るときの、「つーか、何の話だったっけ?」という感覚がバカバカしくて笑ってしまう。

    この構成は、本作の全体に通底する、「どこからともなく降って湧いてくるもの」を体現していて、テーマに一貫性を感じた。

    部屋にたまるホコリと、わいてくる虫の話から、物理学や数学、宇宙、ゲーム、文学、SF三大馬鹿物質まで、気が遠くなるほどの知識に裏づけされた、なんでも来いの脱力ボケの数々。

    そしていつしか、本文に注釈の番号がふられていると、「きたきたきたあ!」と、歓喜している自分に気がつくという、痛快な奇書である。

  • 本文と、大量の注を使った外連味ある小説。

    本文への注、注への注、さらにその注への注と、どこを読んでいるのか分からなくなる重層的な構造。多すぎる注は、時にページさえ本文からかけ離れる。あまりにも混乱するので本文だけ通しで読んで、2回目は意地になっていちいち本文から注へ飛びながら読んだ。
    読む箇所を混乱させることで、読者が寄り添うべき語り手の視点を混乱させる仕掛けだろうか。ゲームブックのようでもあり、ニコニコ動画のコメントのようでもあり、本文と挿絵が大幅にずれていく合巻のようでもある。

    この注が、おそらくクライマックスであろう主人公と謎の声の対話の場面になるとまったく無くなる。急にしーんと静まり返ったようで、緊張感が漂うのが不思議。とはいえその中にも「独立した注」がぽつんと現れて「それにしてもこの空白は空きすぎではないか(p105)と韜晦を始める。信用ならない。

    使われている言葉で、一点だけ印象に残ったところ。
    前半の末高との会話で、配偶者を「嫁」とずっと呼んでいる。本来嫁とは息子の妻を指す語で、自分や相手の妻を指すのはくだけた口語的な使い方。文体全体はむしろ硬い感じなので、ここだけ浮いていると感じた。しかし広瀬虫:末高=末高の長男というイメージを考え合わせると、本人の妻であり息子の妻という意味を重ね合わせて使っているのかも知れない。

  • 121:また円城文学に煙に巻かれている……! わけがわからない、でも面白い。そんな素直じゃない面白さが満載です。でもやっぱり文系なので、かなりついていけないところもあり。タイトルの読み下しが「いずくんぞこのはなしあらんや」となります、と脚注にあったときの衝撃といったら(笑)
    オススメはできないけど、くせになる面白さです。

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著者プロフィール

1972年北海道生まれ。東京大学大学院博士課程修了。2007年「オブ・ザ・ベー
スボール」で文學界新人賞受賞。『道化師の蝶』で芥川賞、『屍者の帝国』(伊
藤計劃との共著)で日本SF大賞特別賞

「2023年 『ねこがたいやきたべちゃった』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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