- Amazon.co.jp ・本 (232ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062165082
作品紹介・あらすじ
小学校で落ちこぼれだった薫少年は、筑波大付属高校へ進学して東大の法学部に入学するが、物理学の面白さに目覚め、物理学科へ学士入学。そこで盟友・茂木健一郎と出会う。ところが二人とも大学院の試験に失敗し、それぞれの道を歩み始めることに…。一芸に秀でるのではなく多芸であったからこそ、いまの自分たちがある。彼らの発想の原点を赤裸々に語り明かす。凸凹コンビの人生指南。
感想・レビュー・書評
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大半は竹内薫のエッセイ。後半1/3位が茂木健一郎との対談。二人は東大物理学科の同級生だったという。その中での「落ちこぼれ」「異端児」だったが故に境界人として現在のように広く活躍できているという。二人に共通するのは「文系」「理系」などのカテゴリーにとらわれず、その壁を越えて思考することができたこと。
アメリカと日本の「科学」の捉え方の違いや、似非科学に騙されない方法、数学と物理の違いなど、興味深いトピックが豊富で楽しい。
知という云うものは限りがなく、誰もがそれを追究する権利がある。それだけでも充分幸せだと思う。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
前半は竹内薫さんのエッセイで後半が竹内薫vs茂木健一郎の対談。
思考について、「発想力」といったところに力をおいて述べている本。『壁」理系と文系、英語と日本語、数学と物理、科学とそうでないもに壁があってどう超えるか?
対談部分も読みやすかったが、思考のレッスンになるかというと、特に新しさは感じなかった。 -
摂南大学図書館OPACへ⇒
https://opac2.lib.setsunan.ac.jp/webopac/BB99245492 -
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ジョー ンズは『日経サイエンス』(一九九一年一月号)に大発見にいたる思い出話を書いていま すが、自分の狭い専門分野だけに閉じこもっていたら埒が明かなかった。ジョーンズは、 自分とはまったく違う専門分野の人のところにアドバイスをもらいに行ったんです。 自分の守備範囲だけではどうしようもなくなったときに、別の専門分野の人のところへ 勉強するんですね。そうすると別の分野の知見が融合されて、突破日が生ま 9自分の得意分野からでて探検に行くことによって、未知の世界が自分よ 新しいものがでてくるんですよ。
科学もプロとアマとでは大違いであるように、文章もプロとアマの差は大きいのです が、残念ながら、読者に伝わる文章という観点が、日本の科学者には欠けているんです。 科学雑誌が売れない一つの原因になっていると思います。
数学、物理の分野では天才がある発見をしたときには、よくあることなんです。だから 大きな業績を残す人は、実は専門バカではないんです。自分のテリトリーを広げてチャレ ンジを続ける「冒険者」なんです。 期だけに閉じこもっていれば、時間もかけられるし学校の成績もい ませんが、世界は狭いまま。そこに閉じこもっていると、子どものころは神童だったのに 大人になったら普通の人になってしまう。 秀才と天才の差は、ここら辺にあるのかもしれませんね。
科学の二つの敵―-第一が宗教右派で、第二が 環境左派と呼ばれるグループーとです。宗教右派というのは、キリスト教原理主義の人 たちなんです。この人たちは、『聖書』の内容がそのまま現実に起きたと解釈するグルー プで、キリスト教全体から見ると異端で少数派に属しますが、アメリカではそれなりに勢 力が強いんですね。
科学だけが絶対的に正しい価値観だとは言わない。複数の価値観があるけれじ という価値観を守らなければならないという自覚があるんです。 また環境左派と言われる人たちも科学の敵です。この人たちは「自然のままであれ」と 主張して、遺伝子操作などにことごとく反対するんです。 -
S図書館
著者のエッセイ
竹内氏の子供時代は苦労の連続だった
脳トレより自分の興味あることをする方が幸せになれる -
特段感想がない
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一芸に秀でていなくても何にでも興味を持ち一通りのことが出来る器用貧乏人:ルネッサンス人のほうが今の時代つぶしがきいていいんだって!
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得たものは何もない
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前半 竹内氏のエッセイ
後半 竹内氏、茂木氏 対談
自分は理系で理系だからこそ面白いと思えた気がしているが、
文系理系の境界線、すべての境界線が意味のないもの
日本人の固定観念の馬鹿らしさ -
わかりやすい
理系とか文系とか、そもそもそこに拘る