- Amazon.co.jp ・本 (242ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062165181
作品紹介・あらすじ
一九七〇年に産声をあげた女性グラビア・ファッション誌は、二〇一〇年で四〇歳になった。その女性誌に先導されて、大きく生き方を変えてきた日本の女性たち。恋愛・仕事・結婚・出産・美貌-女が望むすべてを手に入れて、強く美しく生きる、たとえば黒田知永子、松田聖子や黒木瞳。もちろん、ごくごく普通の女たちも。二一世紀のポスト・モダンガールの生き方を女性誌の変遷を通して分析する。
感想・レビュー・書評
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社会
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今の女性の行動や言動になるほど。そういうことかという納得の分析が満載の本。
おもしろいです。 -
女性は選ぶ雑誌で10年後を選択してることになる。誰の為でもない、今の女性は「自分のためだけ」に可愛さをつくる努力を惜しまない。
1960年代まで既製服が皆無だったってホント?なんだか驚き。
女の子って、大変だけど、楽しいよね。すべては自分だけのためにかわいくなるのだー! -
成熟を認めない日本、元気のいい女性たち、大人かわいい…。うーん、最近、お買い物中毒で、自分着せ替えを楽しんでいる自分には耳が痛い(目が痛い?)
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ファッション誌の変遷というあまり巷にない分析が貴重な本。
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ファッション誌分析を通して、女性意識の変遷を描いた好著。ファッション誌オタク、コスメフリークであるという著者がファッション誌の現在を自己卑下にも似た滑稽さでおかしく描いている。
かつてファッション誌とは、女性がどのように生きていくかの指針であり「雑誌の選択が人生の選択でもあった」(p.32)。自立したキャリア志向なら「アンアン」、裕福な専業主婦なら「JJ」。またそれを卒業すると「クロワッサン」、「クラッシィ」があるように、その世代ごとに雑誌も変遷し、人生の目指すべき物語の「教養小説」として機能していた。
しかしそれは現在機能していない。なぜならいまの女性たちは、男とか他の女性の視線のためでなく、「自分が自分に満足し」「自分に萌え、私というキャラクターに萌える」(p.18)ために、その美を磨いているからだ。それはファッション誌がそういう生を肯定してきた成果でもある。そして、すべての世代において「カワイイ」が求められる時代=私萌えの時代となったのだ。
だから現在のファッション誌の機能とは「モデルや女優をお手本に、どんなキャラクターになるかを選ぶ手助けをする『キャラクター小説』」(p.16)へと変化してしまった。
「『つけま、ウィッグ、カラコン、眉ブリーチ』―「美ストーリィ」2010年7月号誌上で対談している48歳の山咲千里と24歳の益若つばさはどちらがどちらか見分けがつかない。いまどきの20代と50代は完全に同じ方向を向いているのである。」(p.170)
著者は章ごとに結婚、仕事、子供、美貌という「女たちの欲望」を追い、その結果女性たちは「(ファッション誌誕生から)40年間で着実に四つを掌中におさめてきた」と結論づける(p.176)。「誰かの妻、誰かの母として生きる脇役人生ではなく、どこまでも私自身が主人公として、主役人生を送る」(p.179)女性たち。
ここで描かれる女性たちの、なんと自分本位で、他者性のないことか。しかし、この自己本位こそが今「女が強い」と言われる要因のような気がする。自己の欲望に忠実であることは資本主義に適合的であり、またその自己肯定は強さである。「私萌え」はフェミニズムのひとつの到達点とも言えるのかもしれない。 -
女性誌研究のつもりで本屋で探したら、女性ライトエッセイの棚にあったんだけど、これは男が読んで驚愕すべき本だとおもう。
あぁ恐ろしい。。。俺たちはとてつもない生き物と共生しているのかもしれない。 -
結婚感とか、仕事感とかいろいろ考えさせられたなぁ。いつまでも、“自分が”キラキラ輝いていたいって思うのは自然なことなんだろうなぁ。。
仕事も恋愛も子育ても美貌も…欲張りな女が美しいってさ。(笑)
欲張りになれたらいいよねぇ… -
2010年9月出版ということで、現在進行形で物事が語られており、興味深く読んだ。
雑誌では花盛りの言い回しだが、「○代女子」という言い方は、気になっていた呼び名。
いくつまで「女子」なのか?
しかし、30代でも40代でも50代でも、魅力的で輝いている女性はたくさんいる。
その女性たちをかっこいいと感じ、そのように年齢を重ねていきたいと考えている私自身、「自分萌え」の一員なのだろう。