歌うクジラ 下

著者 :
  • 講談社
3.13
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  • Amazon.co.jp ・本 (362ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062165969

作品紹介・あらすじ

見知らぬ声に導かれるように、果てしない旅は続く。やがて青い地球を彼方に眺める宇宙空間に想像を絶する告白が。圧倒的な筆力と想像力。村上龍渾身の壮大な希望の物語。

感想・レビュー・書評

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  • 極端な階層社会の上層へ歩みを進める。主人公の目を通して、矛盾に満ちた社会を見ていく。重たい小説で、気軽に読み始めるべきではなかった。誰も生きている意味を問わず、自らが生まれた階層の中で息をする。旅人として、階層をひとつずつ登っていく主人公は最上層の最も上で、ようやく生きる意味を見つける。どんな思いをもって、この小説を書いたのだろう。

  • 本書には2種類のメッセージがあります。

    1つは政治や制度が持つ「形骸化」という性質へのアイロニーです。
    本書の舞台は近未来の日本なのですが、様々な階層の人間が、階層ごとに棲み分けた上で、それぞれの居住地区内で最適化を図っています。
    その最適化はどれも数十年前に打ち立てられたコンセプトに基づいており、現在そこに住む人間はそのコンセプトを意識することなく、ただの制約条件という感覚で環境を享受しています。
    思想のアウトプットを引き継ぐだけでは、思想は引き継がれません。
    現在資本主義や民主主義を制度として我々は引き継いでいますが、その思想を引き継いでいる人間は本質的にはいません。
    思想は従来のものとの比較のなかでしか生まれないものだからです。
    資本主義や民主主義の思想がかたちを持つのは、次の新しい思想に塗り替えられようというときになってからです。
    そういう本質的な思想と制度のギャップを指摘しています。

    もう1つは、村上龍が書籍やテレビ番組を通してずっと前から繰り返し発信しているものではあるのですが、「サバイブする」というメッセージです。
    主人公は旅の過程で想像力や交渉を通して死を免れます。
    ただ、個人的にはこちらのメッセージは破綻していたと思います。
    主人公は終始、他人の用意したレールの上を進むだけで、そこに主体性はほとんど介在していません。
    また最後に「移動する」という行為に生き甲斐を見出して生きることに希望を持ちますが、作中の「移動」は「レールの上の移動」であり、レールを最後まで進んでしまった主人公にこの「移動」を再現することはできません。
    そもそも後者のメッセージはあまり意図していないのかもしれません。
    村上龍には珍しく、それくらい強度の低いものになってしまっていました。

  • 大惨事が現実に起こっている時期だから、無意識のうちにそれについて考えながら読んでしまったのだけれど、人類がどれだけ複雑で強固なものを編み出しても畢竟、最後はシンプルなものに帰結するのだと思う。世の中がややこしくなって善悪や正しいものがわからなくなって戸惑う人が増えているが、本当に必要なものや大切なものは驚くほどわずかだ。だから、この話の中で出てくる未来に生きる多くの人たちはびっくりするほどわかりやすい生活をしている。

    人間の創造した便利で本来、人が幸福になるためにあるものが、犯罪や非なるものに結びつくという危険を孕むため、法的に外部から圧力をかけられるという皮肉。これはわたしに時計仕掛けのオレンジを喚起させた。それはもう現実に起こっていることだし、物事が表裏一体だとするならば今後も変わらないだろう。作者の想像する未来は案外間違っていないかもしれない。

    人間の持つ感情について考えさせる描写がたびたび出てくるが、わたしたちの持つ感情にはひとつひとつ意味があることを知った。嬉しさも悲しさもひどく当然なものとして扱っているけれど、例えばなぜ近しい人が死ぬと人間は悲しいという感情を持つのか、考えたことなどなかった。

    キーワードは上に引き続き「想像」すること。想像することによってわたしたちは不安や恐怖を引き起こすという事実。

    矛盾を併せ持つが同時に合理的でもある世の中に散らばる数々の事象。結びに人の一生とはこういうものだ、との記述がある。思い当たる節がたくさんあって、ちょっと鬱々とした。でも作家にはやっぱり心理描写に終始するのではなくて、こんなふうに時代背景を考慮して作品を書いて欲しいなと思うよ。閉塞とか欲望とか希望とか。

    (20110403)

  • “大気圏を抜けようとしています。大気圏を抜けようとしています。よろしかったらどうぞ窓の外をごらんくださいまし。よろしかったらどうぞ窓の外をごらんくださいまし。機械的な合成音で目が覚めた。機内の時計を見る。四十分弱眠った。出発してから一時間が経ち、高度モニタの表示は78だった。地球から七万八千メートル離れている。窓の外に目をやると、地球の輪郭が見えて、思わず身を乗り出した。地球が、夜と昼に分かれていた。地球を包みこむようにして、黒い影がゆっくりと西に移動しているのがわかる。夜が移動している。きれぎれの雲が白い吐息に見える。夜は生きものなのだと思った。比喩としてではなく、本当に生きているのだと実感した。生物としての夜の移動を眺めていると、自分がどこにいるのかが曖昧になり、自分が消えてしまっているような感覚にとらわれた。人間は風景によって自分の位置を確認すると父親のデータベースで読んだことがある。よく知っている場所でも周囲の風景が変わってしまうと地理がわからなくなると書いてあった。”

    この文章で涙が出た。
    一気に読んで、アキラと一緒に旅をしているつもりにでもなっていたのかもしれない。
    最後まで次の展開が読めなくて、息をつく暇さえない。
    最後に彼が知ったこと。最後に彼が祈ったこと。
    その祈りがどうか叶いますようにと。

    “身体を削るような冷気が押し寄せてくる。びっしりと窓を覆った細かな氷をグローブの指先で剥がす。彼方の小さな光が、わずかに大きくなった気がする。闇と氷に覆われた視界に存在するたった一つの光だ。ぼくは光に近づくことはできない。今のぼくには移動する手段も力もない。だが、移動について気づいたことをアンやサブロウさんやサツキという女に伝えたい、そう思った。だから、小さな光がイスンであることを祈るしかない。ぼくは生まれてはじめて、祈った。生きていたい、光に向かってつぶやく。生きていたい、ぼくは生きていたい、そうつぶやき続ける。”

  • 『歌うクジラ』下巻読了。一言で言うと、大変マッチョな小説。マッチョな主義主張がたくさん描写されるけれど、近代的マッチョイズムを批判する小説かもしれない。女性差別的、移民差別的、一部のエリートクラスによる社会管理主義の誤謬が描写される。村上龍は『カンブリア宮殿』で経営者たちにこびへつらったインタビューをしている。あんなこびへつらってたら、もう昔みたいな小説書けなくなるんじゃないかと思っていたが、村上龍はやってくれた。毎週テレビに出演して経営者相手に良識者ぶっている中、こんな危ない小説を書いていてくれたことが嬉しい。

    全てが効率に基づいて管理される未来の日本社会で、エリート層の間に幼児性犯罪が頻発する。人間が文化を作ったのは何故かという村上龍おなじみの議論が、『歌うクジラ』でも展開される。人間は他の動物と違って発情期がない。故にいつでもセックスできる。文化、ファッション、言語、イメージ、マスメディア、コミュニケーションは、発情期の代替物として機能する。つまり、発情期を失った人間は、文化に触発されて、セックスをする。

    人間は本能からでなく、文化から、性の禁忌を学ぶ。社会が変容した時、性の規範や禁忌が崩壊する場合がある。日本社会のエリート層は、人間に発情期がないこと、社会が変容し、性の禁忌がなくなったことを、幼児性犯罪増加の原因だと仮定する。エリート層たちは、女性の間に発情期を復活させることにする。上層と最上層の女性から、社会をよくするためだと協力を募って、大規模な実験が行われる。

    発情期を復活させられた女性たちは、排卵停止になった。日本人の人口が減少する。エリートたちは、日本の生産性を維持するため、移民を大量に招き入れる。同時に、まだ排卵が停止していない最下層の女性たちに子どもを生ませるため、エリートたちは最下層の女性相手に毎日セックスするようになる。

    小説の語り手の少年は、日本社会最上層の最高権力者と、最下層の女性の間に生まれた子どもだということが小説後半に判明する(なんかここらへん荒唐無稽というか『聖闘士星矢』みたいな展開。星矢たちブロンズセイントは、大富豪が世界中の女性とセックスして生まれた私生児の兄弟だったし)。最高権力者は、少年の意識に語りかけ、少年の若い体を乗っ取ろうとするが、少年は自分の意志で体を渡すことを拒否する。そして、小説が終わる。

    読書中は、総合格闘技の試合を楽しんでいるような気がした。純文学が柔道だとすれば、村上龍は柔道の金メダリストである。その龍が総合格闘技の試合に出て、世界中から集まった異種格闘技の強者たちと戦っている雰囲気がした。文学の特権など数十年前に消失しているのだから、『歌うクジラ』みたいに、グローバル市場という総合格闘技場を舞台に戦う意志がない小説は、市場から消えるだろう。

    よくエンタメ系の人気作家が、この小説には色々な要素が入っているけど、エンタメですから、読者に喜んで読んでもらえればそれでいいですみたいな発言をするけれど、そういう発言を聞いていると、殺意を覚える(いつになく攻撃的なのは、村上龍の文体に感染しいているせい)。エンタメがエンタメだけで純粋に完結する、あるいはエンタメという核を志向するだけでは、総合格闘技場で戦えない。エンタメであり、文学であり、エンタメでなく、文学でないもの。日本社会で起きている問題の総体をある一つの物語の中に強引にぶちこんで、読者に問題提起を迫ること。これが、村上龍が『愛と幻想のファシズム』あたりからやっている小説の書き方だったと思う。

    ドストエフスキーもトルストイもバルザックもディケンズも、ガルシア・マルケスも夏目漱石もそうした手法を使っていた。それが、ノンジャンルの小説だった。今、純文学という名前で確定されている小説のジャンルは、純粋な文学などでなく、本来はノンジャンルの総合格闘技的テキストだったはずだ。ノンジャンルの怪物じみた力を失った小説は、市場から撤退するしかない。

    といっても、村上龍の『歌うクジラ』はたいして売れないと思う、なんかマッチョすぎるし。ここまで書いても総合格闘技場の壁にぶち当たるとなると、村上春樹のヒットは、奇跡だと思える。

    『想像は危険だ。想像は何よりも危険だ。誰も他人の想像を支配できない。想像は支配の道具ではなく、想像する主体を導く。想像する力がお前を導く。想像せよ。お前は導かれる』(上巻p.348)

  • 人類がついに不老不死のSW遺伝子(Singing Whale)を発見した22世紀の世界の話です。
    村上龍氏の新作はiPadで先行発売されて話題になりましたね。
    SW遺伝子とは、限られた一部の選ばれた人間に応用されました。
    その反作用として犯罪者には、老化を促進させる方法が取られました。
    人々の徹底的な住み分けがなされた日本で・・・・・

  • ディストピア小説。平野啓一郎「ドーン」と同じく中間小説的でもあった。(いい意味で中間小説的)社会の意識、感覚的なことを扱っていて、読み比べすると面白いかもしれない。後半は一気に読ませる。自分は自分でいることができるだろうか。生きるとか生きる意味とか、いろいろと問われた気のする作品だったと思う。面白かった。

  •  不老不死の遺伝子を発見した人類は、この遺伝子を注入する人間を選別し、反対に犯罪者には寿命を短くする措置を行った。そして、最下層から最上層という格差を生み、羨望の機会を封じるために階層間の情報を遮断した。
     極端な格差社会が進み、荒廃した22世紀の日本を、15歳の主人公・タナカアキラは旅をする。父が残した遺言に従って。突然変異により毒性の体液を持つクチチュのサブロウさん、移民反乱軍の子孫たち、サルとヒトとの混血のネギダールという女、最上層の身分であるサツキなどに助けられ、目的を果たすも、すべては支配者であるヨシマツの陰謀だった。

     非常に読み進めにくい文章、グロい不快な表現は、わたしに何度も本を閉じさせた。頭の良くないわたしには、完全にこの物語を理解すること、一字一句追うこと(何せ表現がくどい!)、情景を想像することは不可能だと諦めながら読むしかなかったが、それでもぼうっと浮かび上がる芯の部分はわたしの中に残る。
     主人公が最後に行き着いた、人が自分を憎まないためには、憎むのを中断する手段が必要だ、というのは的確だと思う。そのために仕事があり、家庭があり、社会があり、出会いがある。
     現在危惧されている高齢化社会、そして移民の受け入れ問題。実際、コンビニの店員ではリーさんとかヒャンさん的な名札をつけた人が増え、安価な労働力を国外から求めている実感がわたしにすらある。今後大きく舵をきり誤れば、こんな未来が待っていてもおかしくないと思わせるのに十分なほど、綿密に練られた物語。日本人が日本人であるというだけで、豊かで幸せな生活が送れるなんて幻想かもしれない。
     この物語は、現代の日本が抱える社会問題への壮大な皮肉だ。ここまでの想像力、構築力は並大抵のものではなく、「村上龍天才かよ」とおもった。

  • 色んな人との出会いと別れを繰り返してやっとヨシマツのもとにたどり着いたアキラ。しかしヨシマツの目的はアキラの脳を強奪し自分のものとすることだった。

    読むのを途中で止めるほど退屈ではないものの、楽に読み進められるほど面白くもなく、「こんなもんか」と思いながら読みました。

    作中で平等は棲み分けによってなされると言われていますが、本当にそうでしょうか。こんな未来が来ない事を祈ります。

  • そんな乱暴なやり方してもうまくはいかないよと。
    ただ、ここまでではないにしろ、昔はそれに近い程度は格差があったんじゃないかと思ったりね。じゃあなんで、罪悪感でつぶれることになったのかというと、人が体得した概念に当時と物語の中では差があるからじゃないかと。
    とまぁ、思った。

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