ザ・ラストバンカー 西川善文回顧録

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  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (322ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062167925

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  • 【概要】
    SMBC頭取、日本郵政社長を歴任した筆者の回顧録。不良債権処理から金融危機、合併や民営化の現場で何が起こっていたのかが語られる。
    【感想・印象に残った点】
    ・安宅産業の整理では、対新日鐵商権のみを狙った伊藤忠との交渉が印象的。またニチハのような企業再生が産まれているのも興味深い。
    ・住友銀行の東京進出という磯田一郎頭取の悲願。その足掛かりとなった平和相銀買収で恩を売ったイトマンに磯田氏は肩入れをしていくことになった。
    ・住専では中坊氏と対決。金融ビッグバンからの業界再編においては証券子会社の設立や三井との統合をとりまとめた。

  • 不良債権と寝た男の物語が動き出すのは1975年の安宅産業危機、石油取引を拡大しようとする安宅産業のアメリカ子会社が与信限度額のわずか3%の保証でNRCと言うリファイナリーに中東から買った石油を売る取引からだった。第一次オイルショックで中東の原油は4倍に値上がりし、NRCと安宅アメリカは膨大な赤字を抱え赤字状態に陥った。安宅アメリカの債券総額3億3千万ドル、当時のレートで1000億円にのぼり、95%が無担保で安宅産業本体の保証がついていたが安宅の返済能力を超えていた。安宅産業の負債総額は1兆円あり2万人の従業員が仕事を失い、3万5千社の取引先に連鎖倒産を及ぼしかねない。Too BIG to Failはもうこの時に始まっていて住友銀行は救済に乗り出す。西川氏はこの特別処理チームの実行部隊に入る。救済と言っても主力行の債権放棄と他の商社による吸収と言うのは今と変わらない。合併相手としては住友商事と伊藤忠が候補だったのだが住友商事の副社長と住友銀行の専務がそりが合わない。交渉相手は伊藤忠一本にしぼられた。まあそんなもんなんだろう。

    伊藤忠は繊維がスタートで鉄鋼などは弱く、安宅の新日鉄の商権が狙いだった。この交渉のハイライトは伊藤忠副社長の瀬島龍三の登場、おお不毛地帯だわ。伊藤忠の合併条件は3つ、新日鉄の商権、一切の負担を持ち込まない、伊藤忠のメイン行は第一勧銀のまま、だ。伊藤忠は結局鉄鋼と化学の一部を引き受け、安宅産業はばらばらに分離し一部は他社に合併された。この時安宅繊維を引き受けたのが後のイトマンで当時の社長が住友から転籍したイトマン事件の主人公河村氏だった。住友銀行は主要関連会社にも人を出して再建し、債券を引き継いだ会社では回収に当たった。破綻した安宅産業だが東洋陶磁コレクションが当時の時価で152億になるほど保有していた。なるほど半沢直樹の世界だ。

    1978年安宅産業の処理が済んだ住友銀行は事業本部製に組織を改めた。本部内に審査部門と業務推進部とを入れるようにしたのだが西川氏は当時の銀行としては画期的と評価するが同じ責任者が両方を見ることになった。今ならガバナンスがないと言われるだろうが、じゃあ分けたままならバブル時代にちゃんと審査できたかと言うとそれも怪しかろう。西川氏自身が後に組織を元に戻している。

    当時の磯田頭取は後に天皇と呼ばれた人で東京進出を狙って平和相互銀行を合併しようと狙っていた。当時は銀行業は規制が厳しく新店舗の出店はほぼできない状態だったからだ。平和相銀のオーナー小宮山家は持ち株を資産管理会社「川崎定徳」に売却するのだがその資金を用意したのがイトマン系列のノンバンクだった。そしてその株式を住友銀行が買い取る。西川氏は正当な取引と説明しているが・・・まあそう言うしかないわなあ。買ったはいいが平和相銀はボロ店舗ばかりでまた問題融資先もたちが悪く追い貸しを続けていた。それ以上に禍根が残ったのはイトマンに借りを作り元磯田当時会長の子飼の部下河村社長の影響力が増したことだった。バブル期に不動産事業にのめり込んだイトマンは金融引き締めと不動産価格引き締めの影響で危機に陥る。マスコミが許永中などの闇社会とのつながりで住友銀行をたたいたのもこのころだった。西川氏は住友銀行が闇の紳士と関係が深いダーティーな銀行だと言う、実態とはかけ離れたイメージが植え付けられたと言う。しかし、磯田会長がイトマンに借りを作り元子分の河村社長が関わる以上関係があると見られて当然だろう。磯田会長の退任を取り付けようと西川氏は巽頭取に電話し怒鳴り上げた「頭取、磯田さんをなんとかしてください。早く辞めさせてください。こんなことが続いては銀行はもちませんよ!」退任会見まで開いたにも拘らずいつまでも辞めようとしない磯田会長の態度に当時常務企画部長だった西川氏は本店の部長をほぼ全て集めて退任要望書をまとめ巽頭取に渡した。やはり十倍返しか。
    西川氏は最後に磯田氏は周りに載せられただけで真っ当な人だったと書いている。そこで持ち上げてもしょうがなかろうに。

    住専問題では西川氏は銀行は被害者だと言う。大蔵省主導で出資させられ、店舗網が十分でない住専に融資先を紹介したのに焦付いたら銀行の責任と言うのは到底承認できないと。また、頭取就任時にはリスクを取って貸し出しを増やしたとも言う。流れた大和銀行との合併、UFJとの合併、さくら銀行との合併などでも西川さんの言い分を聞いていると住友銀行には何一つやましいことはなく正しい決断ばかりだと言うがこれは一方的な見方だと思う。違う人の話を聞けば全く違う物語に聞こえるだろう。

    最後は日本郵政社長就任の話で鳩山邦夫との確執が面白い。さすがにこれは鳩山の方が無茶苦茶でかんぽの宿をオリックスが入札で取ったのに取得価格に比べ売却額が低過ぎるなどは言いがかりだ。資産価値がぼろぼろなんだから責任を問われるのはそこに投資した人たちだろう。

    西川氏が大変な苦労をされたのはその通りなのだろう。30年間も不良債権処理ばかりだったのだから。しかし、そう言う銀行になった責任については特定の誰かが悪かったと言う話ではないと思う。

  • 色々なとんでもないことがさらっと書いてあって、びっくりした。

  • 2013/07/16読了。

    住友銀行頭取、三井住友銀行頭取、日本郵政社長を歴任した筆者の回顧録。不良債権処理から金融危機、合併や民営化の現場で何が起こっていたのかが語られる。
    感想としては、銀行のトップが各々の事態に対し何を考え、どう判断したのかが分かること、そして、日本経済、金融の現代史をおさらい出来ること、の2点で優れた一冊であった。
    銀行が変化してきた歴史を知れば、今後も様々に変わっていくであろうことは明確である。

  • 実直な人だね。政治家のくだりは分かるわ。政治に関わると無意識に自分が偉いと思っちゃう人多いよね。

  • 政治の世界の頭の悪い人たちに絡まれたせいで評価は分かれるでしょうが、この人の経営者としてのレベルは他業種と比べてさえ頭二つは飛び抜けたものだと思います
    その氏の力量ゆえに、この本が比較してつまらぬ内容になってみえるのは残念です

  • p3
    一刻も安穏とすることは許されなかった。スピードと力のある決断がつねに求められた。ただただ、ひたすら全力で走ってきた。

    p42
    評点はABCDの四ランクだ。といっても中堅中小企業が多いから、AとBは滅多にない。大体がCで、Cにだけさらに上中下の評点がある。Dは問題外となる。いろいろな項目から総合評価するわけだが、その中でも重要だったのが経営者の脂質や経営のやり方だった。それを私たちは「仕振り」と呼んでいた。「この会社は仕振りがよくないね」などと言ったものだ。

    p45
    問題なのはレポートを書くのが早いか遅いかではない。また、優等生的なバランスの良さが求められているのでもない。最も大切なのは、明快な結論である。

    あえて与信可とする結論にはリスクを負う。しかしリスクを負って徹底的に調査をしたのと、リスクを負うのを恐れてあやふやに済ませた調査とは全然違う。調査部経験者は大勢いるが、結論を明快にせず無難なレポートをまとめる優等生は、その後見事なくらい出世していない。支店長や部長止まりで役員にはなれなかった。

    p56
    バンカーとして知恵を絞り、汗と血を流さなければならいのは、メインバンクとして支える企業が危機に至ったとき、どのように再生させるかであろう。さらには不良資産や合併新会社が不要とする資産・関係会社をどう処分するか、損失発生を極力小さくしながら切り離すという難しい作業となる。その際、関係会社の切り離しにはM&Aの手法を多く使った。
    もちろん、そのような苦労を骨身に染みて味わわされることになろうとは、そのときの私は想像すらできなかった。

    p76
    ここで伊藤忠側の合併交渉の責任者として登場するのが瀬島龍三だ。元陸軍作戦参謀でシベリア抑留から帰還した後の1958(昭和33)年に伊藤忠に中途入社し、「線維相場の神様」の異名を持つ越後正一社長によって副社長に抜擢されていた。山崎豊子さんの小説『不毛地帯』の主人公のモデルになった人である。

    p102
    「向こう傷を恐れるな」。磯田さんの経営スタイルといえば誰もがこの言葉を思い出すと思う。磯田さんは頭取・会長時代、住友銀行の危機に直面するたびに士気高揚のため「向こう傷を恐れるな」と私たちに繰り返した。

    p162
    出資比率は大和証券60パーセント、住友銀行40パーセント、社長は大和証券のしかるべき上級役員を、副社長は住友銀行から出す。さらに社名は「大和証券エスビーキャピタル・マーケッツ(大和証券SBCM)」ということに落着した。
    この案に対して、住友銀行内部には不満とする向きがあったことも事実である。しかし住友銀行には、住友キャピタル証券という証券子会社はあったが、まだまだ経験が浅く大和証券に太刀打ちできるような会社ではなかった。むしろ私たちは大和証券の胸を借りるのである。一連の落としどころを報道で叱咤、ある経済誌の編集長兼社長は、「西川さん、あの出資比率は見事だ。あれ以外にはない」と評してくれたものだった。

    p166
    東京三菱も考えられない。第三者から見れば三井も三菱も同じ財閥系なのだから、どちらと一緒位になっても同じだろうと思われるかもしれない。しかし、三井と三菱とではまったく性格が違う。三菱は住友と同様、グループ内で人的交流が盛んに行われるなど、グループの結束力が非常に強いのだ。その両者が統合することに対しては、お互いに相容れないもが肌感覚としてあったと思う。

    p169
    一つ問題になりそうだったのは、合併後の新会社の名称についてだ。今でもよく一般の方から「住友が前でなくてよかったのですか」という質問をもらう。私はどちらが先でも構わないと思ったし、逆にそんなことで揉めているという情報が流れたら、そのほうが恥ずべきことだと思っていた。それは白水会でも同様で、どちらの名前が先かについて反発は一切なかったのだが、「さくら」の名前を使うのはやめてくれという結論になった。
    そうなると岡田さんのほうに大変な苦労をかけてしまう。太陽神戸銀行と合併時に岡田さんは、「三井」の名前を最後にした「太陽神戸三井銀行」という名称にして合併相手に気を使い、さらに二年後にさくら銀行と改称してどこの銀行の旧名にも偏らないものにしたのだが、三井の名を復活させると今までのその苦労が無に帰すことになる。そう危惧したのだが、岡田さんはしっかり「三井住友銀行」で決めてくれた。
    合併の前倒しを発表した記者会見で岡田さんは、「さくら銀行という旗印の舌で全行員が心を一つにして努力してきた。名前から離れる一抹の寂しさはあるが、住友という300年の歴史あるブランドと並べた際に重さの差はいかんともしがたい。新銀行として行員も取引先も理解してくれると思う」と述べている。
    これこそ経営者の深い、そして断腸の決断というのである。岡田さんの努力を思えば、住友の名が前に来るかどうかなど、取るに足らない話だった。ただ、海外業務に関しては住友が強いので、SMBC(スミトモ・ミツイ・バンキング・コーポレーションの略)という名前にした。

    p186
    住友銀行の頭取就任時の原稿で私最も力を入れているのは、業務運営における「スピードの重視」だった。お客様のニーズをつかむスピードを速める、お客様のレスポンスを速めていただくための仕組みをつくる、商品開発や新種の業務への取り組みを速める等々、スピード重視はさまざまな領域で実現されなければならなかった。

    p187
    事務方が書いてくれた草稿では、「スピードは競争力そのもの」と書かれている。それを私はボールペンで線を引き、「スピードとは他のどんな付加価値よりも高い付加価値だ」と書き改めている。そしてさらに、「ある支店で、『青信号、ゆっくり渡れば赤になる』という標語をつくったそうですが、まさに言い得て妙」と書き加えている。

    p188
    「私の経験から言っても、80パーセントの自信があれば、ほとんどの判断は正しいものになる。失敗を恐れてはならない。何もスピードを上げたために起きた失敗に限らない。前向きにチャレンジして結果として失敗した場合、その責任は問わない。減点主義の人事を廃していく。何も行動を起こさない者こそ、私は責任を問う」

    「経営は、失敗を全体として一定範囲内(経営として許容できる範囲内)に納める技術ともいえる。完ぺき主義、満点主義からは何も生み出せない」


    p189
    「我々の最大の競争相手は、他行でも外国金融機関でもない。それは、時代の変化だ。そして、その中で変化し続ける顧客のニーズやウォンツとの競争だと思う。真正面から取り組み、それを先取りする形で対応しなければならない。変化とは、変化に合わせて自分を変える。自らの革新がつねに求められている。過去の成功体験にこだわっていては対応できない。新風への期待にまだどこも応えていない。私は皆さんとガッチリとスクラムを組んで、真先にこの期待に応えていきたい」

    p192
    「収益性の悪い事業を固まりごと捨ててしまうことができないか、あるいは、ビジネスの方法を完全に変えてしまうことができないかといった観点からの検討が必要なのであり、改革と申しますのは思い切って捨てることであり、あり方を変えることであります」

    p207
    不良債権の処理など、トップ自ら動かずとも担当者にまかせて上から見ているだけにしておけば、そんなことを言われず無難に済んだかもしれないが、それでは下がついてこないだろう。自分が火の粉をかぶってでも、いまやらなければならないことを先送りせず、率先垂範、先頭に立ってやる。それを見て部下たちも進んで仕事をする。経営の責任者とはそういうものではないだろうか。

    p208
    資本調達の協議ともなれば、ゴールドマン・サックスの会長が自ら交渉のテーブルに出てきて私と直接、話をするのだ。トップ同士がフェイス・トゥ・フェイスで向き合わなければ、本当の信頼関係は築けない。あの人は誠実に仕事をする、彼なら大丈夫だという信頼があるからビッグビジネスは動くのである。

    p264
    私は挨拶の中で、三つの点をお願いした。
    一つ目は、「郵政グループのネットワークを活かし、総合力を発揮しよう」

    二つ目は、「郵政の現場、すなわちフロントラインの郵便局や支店に愛情を持って仕事をしてほしい」

    三つ目は、「郵政で働く誇りを思い出してもらいたい」

    p265
    「決して、現状に甘んじてはいけない。現状維持は、沈むことである。チャレンジして失敗すると今後の人事評価が下がるのではないか、と心配する人が多いと思うが、それはしないと約束する。私はむしろ『不作為の罪』を問いたい」

    p298
    私はその議員に言いたい。郵政民営化の道が断たれた時にこそ真の危機が国民を襲う。政治家の玩具と化し、役所仕事の非効率の極みでもあった公的サービスを復活させ、郵政グループの大きなネットワークを生かし切れなくなった時にどんな事態が生じるのか。それから目を逸らすことこそ国民への裏切りではないのか、と。

    p299
    私は、悪役とされることが多かった。住専問題では銀行は、住専に不良案件を押しつけた極悪人で、それに正義派が元日弁連会長の弁護士がマスコミの後ろ盾を得て挑むシナリオが描かれた。日本郵政社長時代には、私は国民の大切な財産でつくられた宿泊施設を破格の安値で売り飛ばし、歴史的な建造物まで破壊する男にされてしまった。さらに不良債権処理に伴う貸しはがしや銀行員の高給批判など悪役への攻撃材料には事欠かなかった。
    毀誉褒貶は、人の世の性であり、これに抗するほど私は若くない。かといって毀誉褒貶を誇りとするほど私は野心家でもない。振り返ってみれば、今、そこにある難題と格闘を続け、その結果としてほめ言葉も悪評もいただいてきたにすぎない。
    私自身はむしろ、銀行を取り巻く社会や経済の環境が根底から変わり続けるなかで、従来の枠に囚われずに思いの丈をためらわずに発し、実行できた幸せな時間であったと感じている。
    大手銀行の頭取を務めた人間の自叙伝であるならば、大規模プロジェクトへの融資による日本産業への貢献とか、組織の飛躍的な拡大をもたらした経営策の実践とか、一つや二つは華やいだ話題があるものだが、本書ではそうしたことには触れていない。そういうことがなかったのではない。それを懐かしむほどのんびりした時代ではなかったのだ。
    一貫してあるのは「破綻処理と再建」というキーワードである。破綻処理にも再建にも当然ながら痛みを伴う。痛みを伴わない破綻処理や再建があるというのならば、それは論理矛盾というものだ。痛みが伴わないのであれば経営が破綻することなどあり得ないからである。
    傷んだ企業の傷んだ事業と傷んだ資産を立て直すとは、雇用と事業をどこまで守るべきなのか痛みを持って決断することである。私たちは全能の神ではない。一人の人間としては一人でも多くの従業員の雇用を守り、一円でも多い利益につながるような事業にしたいと願う。だが、その願いを聞いてもらえるほど世の中は寛容ではない。したがって血を流すことはあっても、何を最後の一線として守るかの決断を、神ではないただの人間の集団がしなければならない。
    これは本書を書くにあたってのささやかな願いでもあったのだが、本書を読んでくださった皆さんが、私たちが合理性と現実の間で悶々としながら決断を繰り返してきたことを感じ取ってもらえたならば幸いだ。
    ビジネスはドライで、合理的なものである。これを否定する人は誰もいない。マスコミの記者も会社に属しながらビジネスとしての報道を続けているのだから、この合理性と無縁でいることはできない。では、なぜビジネスの現場における合理性を、合理性ではなく根拠なき情緒で批判するのだろうか。そのような態度が誠実なものではないことは、当のマスコミを含めた誰の目にも明らかであろうと思う。
    その象徴的な例が、かんぽの宿の事業評価および譲渡価額の決定にまつわる批判だった。世界でもっとも妥当とされる事業評価法に基いて決められた譲渡価額を、単純に投資額と比較した多寡で論じ、採算性の乏しい事業を続けてきた行政と郵政利権にタカる政治の構造には一切目を向けない。読者や視聴者のウケを狙ってのことだとするならば、その迎合主義は、真実の報道という自らの使命を欺瞞にしてしまうだろう。
    そのような根拠なき批判にひるむわけにはいかない。
    リーダーシップとは、直面する難題から逃げないことである。
    リーダーが逃げないから部下も逃げないし、前のめりで戦う。経営の席に者とはそういうものではないだろうか。遅滞なくスピード感を持って決断する。それは時に本当の意味でトップダウンであったろうし、時には部下たちが周到に根回しした案件を私がスパッと決断したものでもあったろう。それを「西川の独断」と評す人たちがいたが、私にすれば決断の現場の実態を何も知らない人の批判に思えてしかたがなかった。
    いま改めて人任せではリーダーはリーダーたり得ないという思いを強くしている。企業合併などの案件は、たしかに事務的に下から詰めていかなければならない項目が多い。だが、やはりトップに立つ人間が、出るべき場所に出るべき時に出て行って話をつめなければならない。そのようが早いし、何よりも互いが安心でき信頼が芽生えるからだ。

    p302
    ましていまはスピードと決断の力強さが求められる時代である。トップ同士が重要な課題を認識し合い、トップの責任において決断していく。それがなければ激しい環境の変化に迅速に対応していくことなどできない。何もかも下から積み上げ、皆の同意を前提になどという悠長なことは許されないのだ。その意味で、トップの責任はきわめて大きくなっているし、屏風の前で決裁印を押していれば済む時代ではない。意外に思われるかもしれないが、いまだにそのような発想のままの経営者が少ないのである。

    最後に本書のタイトルになっている「ラストバンカー」について書かせていただきたい。
    これは、どこかの雑誌が私を評して使った言葉だと記憶している。悪い意味ではなく、ほめ言葉として使ってくれた。本来は、平時ではない時代の最後のバンカーという意味合いだろうが、記者会見でも株主総会でも事務局が用意した答弁を無難に読んでいるのではなく自らの言葉で語りかけようとする、敵対的な関係となってしまった相手にもためらわずに一対一で向き合う、そんな私の姿を、顔が見える最後のバンカーとして評価してくださり「ラストバンカー」と書いてくれてもいたようだ。
    バンカーの責務とは、健全な経営をすることによって、お客様から預かったお金をきちんと運用し、内外の経済発展に寄与すると同時に、銀行で働く人々の待遇をできるだけ改善し、その士気を高めて競争力を上げていくことだと考えて、私はここまでやってきた。だから私利私欲などまったくないし、私心もない。老夫婦が年金だけで食べていける以上の財産もない。現在、73歳。自分の痩身な体格を顧みると、よくぞここまで体力がもったものだと思う。
    「ザ・ラストバンカー」とは内心、少々、面はゆく忸怩たる気持ちがないわけではない。だが、今回この本を出すにあたり担当編集者からの勧めもあり、私への手向けの言葉として嬉しくちょうだいすることにした。

  • かなり細かなところまで自らマネージしたがる人なんだなとまず思った。

  • 不良債権処理や、その他の知られざる内幕話が暴露されているという意味で、まあまあ面白い。

  • 住友銀行頭取、日本郵政社長を務めた西川善文の回顧録。

    あまり中が見えない銀行の内幕が分かるという点で面白かったが、知見・教訓として得られる部分があまり無かった事が、少し残念。

    以下、面白かったところ。

    ・安宅産業の伊藤忠への売却における瀬島龍三式交渉。
     ‐複雑な物事を複雑なままつかまえて見るのではなく、非常に簡潔にポイントを絞り込んで見ていた。
     ‐伊藤忠からの回答は非常にシンプルであった。

    ・サービスのスピードは最も高い付加価値である(頭取就任時の草稿)

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著者プロフィール

三井住友銀行元頭取、日本郵政元社長。1938年奈良県生まれ。1961年大阪大学法学部卒業後、住友銀行に入行。大正区支店、本店調査部、融資第三部長、取締役企画部長、常務企画部長、専務等を経て、1997年に58歳で頭取に就任し8年間務める。2006年1月に民営化された日本郵政の社長に就任するも、政権交代で郵政民営化が後退したため2009年に退任。著書に『ザ・ラストバンカー 西川善文回顧録』(講談社文庫)などがある。2020年に死去、享年82。

「2021年 『仕事と人生』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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