- 本 ・本 (206ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062171076
作品紹介・あらすじ
だから僕は、被災地に向かった。
被災者の気持ちを、わかろうとする努力を怠らずにいたい。
無力感から歩みをとめてしまうことが、いちばん怖い。
立ち止まっていても、だれかの役に立つことはできない。
被災地のために、精一杯のことを
第一章 僕に何ができるのか
三月十一日/父として/自粛と他粛/無力感のなかで
第二章 そして、被災地に向かった
青空を見上げて/「また会いましょう」/こどもの日/灯りをともして/
プレイボール!/ファイト新聞
第三章 いま、思うこと
希望
――目次より
感想・レビュー・書評
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369.3
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乙武さんの東日本大震災に際しての自叙伝。震災当日のこと、その後被災地を巡って見聞きしたこと、感じたことを日記調に綴った1冊。
自身の「無力感」、世の中に広がる「自粛」ムード。心に引っ掛かっていた当時のもやもやを、この本で明瞭にしてもらった。カウンセリングを受けた気分。
震災からもうすぐ丸2年。記憶はどうしても薄れていくものなので、記録であるこの本を手に取り、今後も震災について身近に考えていきたい。 -
何故いまこの本?と思われるかもしれないけど、あの大震災のショックがだんだん薄れてきていると感じて手に取った一冊です
遅々として進まない復興や頑張る気持ちが緩みがちな自分への戒めとして読みました -
とってもよかった。
「無力感」にさいなまれるくだりが特に。
お勧めです。 -
当時を思い出した。
希望は、未来への希望 -
2012年50冊目。
最後のページに書かれた“乙武洋匡らしい支援”という言葉が全てだと思う。
「自分にできないこと」と「自分にできること」をしっかり見据えて、後者を実行する。
「自分らしさ」「自分ならでは」と、求められていることがリンクする場面を探す。
そんなシンプルな姿勢に感銘を受ける。
「何をしたらいいか分からない」という言葉の裏には、
現場のニーズを知らないことと、もう一つに、自分を知らないこと、があるのだと思う。
自分の素敵なところ、自分ならではのところ、をしっかり認めてあげることは、
実は貢献に繋がるんだと思う。 -
まさしく自分が考えていたことを表現してくれた!と感じた本。
私も被災地に行って、被災者の気持ちになるべく近づきたいと思っても、やはり大きな壁があって、わかりあえないと思った。「持つ者」「持たざる者」という境界線は、いかんともしがたいからだ。だからといって、「やっぱりわかり合えないんだ」とあきらめてしまうのも違うと思った。その答えを探していたら、この本が答えをくれた。
「・・・その人の気持ちには、もちろんなれない。でも、想像することならできる。相手の立場になって、心を寄り添わせ、うれしいだろうなと思う言葉をかけたり、行動をしたり、ただ何も言わず見守っていたり。
もちろん、その想像が間違っていて、相手を傷つけたり、怒らせたりしてしまうことだってあるだろう。でも、そうなることをおそれ、何も働きかけないことが、はたして善なのか。(中略) 僕も立場の異なる相手に対し、少しでも心を寄り添える人でありたい」
もう1つ。
ボランティアのあり方、支援のあり方について。
支援をする人は、なんでもかんでも被災者のためにしてあげることが良いことだと思っている人が多いと思う。だが実際には相手によって、どこまで支援すべきなのか、今の段階であればここまでしてもよいが、それ以上はしてはいけない、自分でするように促すなどの配慮をしていかないと、自立できないようになってしまうのではないかと、被災地に行って強く思った。
そのときによく思い出した言葉が、この本にある乙武さんの文章。
「けれど、僕は知っている。一方的に浴びつづける善意は、やがてボディーブローのように効いてくることを。相手に「してもらう」ことは本当にありがたいことだが、その関係性があまりにも一方的だと、いつしか自分を卑下するようになる。それは、物理的に「してもらう」ことの多かった僕が、小さな頃から闘ってきた葛藤でもある」
乙武さんの言葉は、等身大の言葉ばかりで、上から「こうあるべき」と無理に説得してこない。地に足が付いた言葉なので、とても納得させられた。 -
自分に出来ることがなんなのか。震災直後に読むのとまた違う感覚で読めた。それぞれが、いろんな場所で感じて来た不安、焦り、苛立ち、無力感…それを思い返しながら、どんなことができるか、また考えたいなと思った。良くも悪くも乙武さんらしい。
著者プロフィール
乙武洋匡の作品





