さかな記者が見た大震災 石巻讃歌

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  • 講談社 (2011年12月27日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (258ページ) / ISBN・EAN: 9784062173599

作品紹介・あらすじ

■念願かない「さかな町」で筆を振るった朝日新聞の名物記者が描く、石巻と東北再生の物語。泣けて、怒って、笑えて、ついでに魚が食べたくなる一冊!■久米宏氏推薦「三陸の人間達の必死の『生』を、無数のさかなの眼が大海原の奥から見つめている」■この本は、石巻で三年間、「さかな記者」の修業をした私の震災考であるとともに、何かしなければという思いに突き動かされた私の行動録である――著者


■念願かない「さかな町」で筆を振るった朝日新聞の名物記者が描く、石巻と東北再生の物語。泣けて、怒って、笑えて、ついでに魚が食べたくなる一冊!

■久米宏氏推薦
「三陸の人間達の必死の『生』を、無数のさかなの眼が大海原の奥から見つめている」

■「ニュースステーション」のコメンテーターとしても知られた朝日新聞の名物記者・高成田享氏は、定年後、シニア記者として同新聞の石巻支局長をつとめていた。「さかな記者」を自認していた著者は、石巻を第二の故郷と考えてきた。
 ところが、支局長退職1ヵ月後に起きた東日本大震災。
 震災復興構想会議の委員にも就任した著者が目にした、石巻復興・漁業復興・東北復興の物語。
 震災復興会議の裏側、行政の愚策への批判、NPO子ども未来基金の立ち上げまで、「さかな記者」1年間の記録!

■活き活きとした筆致で描かれる「さかな町」の〈3・11〉
この本は、石巻で三年間、「さかな記者」の修業をした私の震災考であるとともに、何かしなければという思いに突き動かされた私の行動録である――著者

■本書の印税は、NPO法人「東日本大震災こども未来基金」に全額寄付されます。

感想・レビュー・書評

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  • 2011年(平成23年)3月11日14時46分に発生した東日本大震災。その時、筆者は夫婦で欧州旅行をしていたところで、娘さんからの連絡で地震のことを知ったそうだ。宮城県石巻市局長という職場を最後に40年間勤めた朝日新聞社を退社した記念旅行中で、日本に帰る際、ロンドンのヒースロー空港で入管職員に「あなたの家族は大丈夫か」と尋ねられ、「大丈夫だ」と答えると笑顔で通してくれ、世界中が日本を心配しているのだと感じたという。

    私は西日本にいたので全く地震の影響のない土地にいたのだが、当日のことはよく覚えている。

    その日は会社で新人研修を受けていた。研修室に小さめのテレビが備え付けてあったから、地震の情報を誰かからの連絡で知った社長と奥さんが「テレビを点けて」と部屋に入ってきた。テレビを点けると、津波に追われて逃げる車の様子など、にわかには現実とは思えないパニック映画のような映像が映し出されている。あまりにも甚大で悲惨な状況に皆、言葉も出なくなり、研修最終日で学ぶ内容がほぼ終わっていたということもあって、予定していた閉会式をせず、そのまま解散になった。「どれほどの被害になるだろう」と心配しながら家路についた。

    取引をしていた企業に仙台の会社があった。社長や上司たちは関係者から被災地の様子を聞くことがあったようで、すぐに事務所に募金箱が設置され、私たちに募金を呼びかけた。さらにボランティア活動の希望者を募ったり、直接トラックで支援物資を運んだりもしていた。零細企業なので取引先と親密な関係を築きがちだった。ボランティアに行った人から、迂回路を使って行く道路の混雑状況や、「なんであんな良い人たちが……」という社長たちの話を朝礼や飲み会で聞いて、毎月少しばかりのお金を募金箱に入れるくらいしか私にできることはなかった。

    ここからは本書の内容について書く。

    筆者の記憶が鮮明に書かれている一冊で、事柄が時系列で並べてあるのではなく、筆者が石巻で築いてきた人間関係を中心に、震災後の人々の活動を書き連ねてある本だった。人間関係の説明から話が入っていくので、最初は少し読みづらい。地震より何年も前に筆者がその人といつ、どのように出会ったかとか、その人がどんな仕事をしているかから話が始まるので、今と昔が入り乱れるのだ。地元の漁業関係者だけではなく、政界や自治体、NPO法人などたくさんの人々と交友を結んでいるので、多くの登場人物が出てくる。さまざまなエピソードに年月日が付してあるのに感心してしまった。記者というのは、人と出会う時、いつも記録をとっているのだろうか。あるいは記憶力が私とは桁違いなのかもしれない。

    筆者は大震災を機に東日本大震災復興構想会議の委員に就任し、震災で親をなくした児童・生徒を支援する「東日本大震災こども未来基金」を立ち上げ、理事長に就任する。本の前半が土地とたくさんの人々の紹介という印象だったけれど、中盤から筆者の持つ復興の構想が記述される。前半よりもっと固い内容になってくるし、今までの漁業界をこの復興を機に刷新したい、というようなかなり尖った主張も展開される。賛同するかどうかはまた別の話として、内容自体はすっと頭に入ってくる。筆者がその土地にどういう人々がどういう生活をしているかをこの本に書いてくれているのを読んだからだ。構想だけを読んでも、その土地の生活を知らない私には到底理解できない内容に思えた。

    また、本書には復興に関して筆者の人間関係を上回る非常に多くの人間の思惑が絡むものなのだ、ということも折に触れて書いてあった。地元の人たちだけでも復興に関して目指すところが一つではない。生活が一変してぎすぎすと軋むような人間関係に苦心しながら、一つ一つの折り合いをつけていったであろう各所のまとめ役たちの苦労は想像しても余りある。ものすごく頭を絞って考えた構想が通らないのは「損」を感じる人がいるからで、その限界を見せてくれることで、読者の私も個人という限界について考えさせられたし、復興はどうやっても一人ではできないものなのだとよく分かった。

    被災や復興の話に織り交ぜてある漁業の話も大変興味深かった。「さかな記者」のさかなの本も読んでみたいと思う。今食べている魚がどこで上がって、どのような技術で食卓まで流通してきたのか、あまり考えずに普段食べているけれど、「食べ物も、飲み物も、そこにドラマがあるからおいしいんですよ」と筆者が言っていた。それを知らないのは、ひどく勿体ない食べ方をしているのかもしれない。

    本書は漁業の歴史や金融など多角的な視点が書かれるが、根っこに「仕事が続けられれば生活できる」という信念を持っているのだろう。震災があった時の社長たちの様子が思い出される。私は根が怠け者なのですぐに働きたくなくなるのだけれど、働けていればこそ生活が続けられるのだとは常日頃思っている。何年経とうとも震災の影響が生々しい人もいるだろう。新たな災害もたくさんあった。これからだってどんな災害が出てくるか不安は尽きない。けれど希望を忘れず地道に活動している人がいるということを思って、私は私でいつも通りの生活を続けられるだけ、続けていこうと思う。

  • ニュースステーションに出演していたことがある元朝日新聞記者の著作.定年後,さかな記者を志望し,石巻支局長をしていた関係で構築した人間関係を中心に,東日本大震災の経験をまとめたもの.寄せ集め感があるが,逆に生々しさを醸し出していると思う.テレビや新聞報道では伝えることがないことが書かれており,興味深く読めた.政府が設ける◯◯会議でさえも、本来介入できない霞が関の役人が自分たちの考え,既得権益の保護にマッチするよう記録などを常態的に操作していることよくわかった.あとがきにあるが,本書の印税は著者が理事長を務める東日本大震災こども未来基金に全額寄付するとのことで,間接的にだか私も協力することができた.

  • (2012.01.25読了)(2012.01.17借入)
    【東日本大震災関連・その51】
    いままで、東日本大震災で被災した人たちの書いた本や被災した人たちに取材した本を主に読んできましたが、知らぬ内に復興に関する本も大分出てきているようです。
    遅ればせながら、そちらの本も探しながら読んでゆきたいと思います。この本は、被災者たちの話でもあり、その人たちが復興に向かって歩み出した話でもあります。
    著者は、「あとがき」で以下のように書いています。
    「この本は、石巻で三年間、「さかな記者」の修業をした私の震災考であるとともに、何かしなければという思いに突き動かされた私の行動録でもある。」(246頁)
    著者は、東日本大震災のとき、「卒業(退職)旅行」でパリへ行っていたのだそうですが、日本に戻ってから、仙台、石巻、東京と動き回りながら石巻の復興の手助けを行った記録です。ただし、復興についての考え方は、人それぞれですので、賛同できることばかりとは限りません。

    この本の目次は、以下の通りです。
    序章、パリ・東京・仙台・石巻
    第一章、さかな町の復興
    1.「まるか」復活物語
    2.魚市場の復活
    3.「フェアトレード東北」の戦い
    4.IMOの仲間たち
    第二章、水のほとりで―漁師たちはいま
    1.北上川河口で想う
    2.名振湾の思い出
    3.給分浜の漁師 すくい網の名人が動いた
    4.奥松島・宮戸島
    番外編、放射能の恐怖と不安
    第三章、復興構想会議の委員になる
    1.首相からの電話
    2.財源問題
    3.雇用問題
    4.水産特区と漁業問題
    5.「提言」を終えて
    第四章、子どもに夢と希望を
    1.東日本大震災こども未来基金
    2.テイラー文庫
    3.東北こども博
    巻末資料、提言「海と生きる日本」

    ●船はあっても(28頁)
    私が鈴木漁業の底引き網漁船の様子を尋ねたら、自分の船だけでなく宮城県の底引き網漁船13隻はみな沖にいて無事だったと答えた。それなら出漁はいつかと尋ねたら、船があっても出漁はできないと説明してくれた。
    「まず、港が整備されなければ、燃料もないので出漁できない。燃料が手に入って、出漁できても、獲った魚を冷やす氷がないし、水揚げする魚市場もない。石巻にかぎらず三陸の水産加工場は大きな打撃を受けたので、獲っても買ってくれるところが少ない。出漁できるようになっても、需要が回復するまでは、出漁する船を制限して、水揚げは組合でプールすることでも考えないとね」
    ●予兆(33頁)
    年明けに店に立ち寄ったときのことだ。
    「毛ガニがこの時期にこんなに獲れたことはない。海の底がぐちゃぐちゃになっていて、大きな地震が起こるんじゃないかって、本当に恐ろしいよ」
    ●魚は(48頁)
    店を開けても、石巻の魚市場が開かなければ、地元の魚は手に入らない。正彦さんも仙台の魚市場まで毎朝、仕入れに行った。仙台も岩手から茨城にかけての三陸沖や常磐沖の魚が手に入らないので、ほとんどの魚は北海道、青森、それに日本海からの魚だった。
    ●沖出し(72頁)
    「何度も津波が来るので、港に戻れなかった。翌日に帰ったときは、港の景色がすっかり違っていて、戻る浜を間違えたかと思った」
    あるべき防潮堤も、集落の家々も、すっかり無くなっていたのだから、わずか一日で浦島太郎の心境になったわけだ。
    ●孤独と孤立(82頁)
    「人は孤独には耐えられるが、孤立には耐えられない」
    ●鼻血を(134頁)
    震災後、子どもが突然、鼻血を出したことがあり、子どもの友達も鼻血が出るという話を聞いて、万が一、放射能の影響だったら子どもをここに置いておけないという気になったという。
    ●雇用問題(166頁)
    16年前の阪神・淡路大震災と今回の大震災と違いの一つが雇用問題の重要性だといわれる。阪神・淡路大震災で多くの被災者は、住むところには困ったものの、働く職場は残っていたところが多く、雇用問題は住宅問題の深刻さに比べると、程度が軽かったという。
    ●ボランティア(171頁)
    ボランティアは次々にやってくるのに、ボランティアを求める人たちがなく、各地のボランティアセンターは、仕事を探すボランティアであふれた。
    実際には、ボランティアの仕事は山ほどあったのだが、被災者からすれば、まさか家の片付けまでしてもらえるとは思えないし、知らない人たちを地域に入れるのも怖いし、戸惑っていたのだ。
    ●漁協(187頁)
    海や川は国民の財産であり、漁協のものではない。沿岸や河川を漁協が総合的に管理する見返りに、漁業権が期間限定で与えられているにすぎない。その海は、豊かな漁業資源が維持されているとは思えない。日本沿岸の漁業資源の水準では多くの魚種で、低位のまま推移している。工業廃水や生活排水で海が汚れたのが主な原因だが、漁業者の乱獲も影響していると私は見る。(主観に基づいて、結論を出して、漁協から管理権を奪ったほうがいいというのは、どうなのでしょう。)
    ●増税(190頁)
    (建築国債ではなく復興増税で復旧・復興に必要な財源を確保することにしたのは)大規模な復興需要によって、日本が長期的なデフレ経済から脱出するチャンスを逃した(と著者は言うのですが)

    ☆関連図書(既読)
    「ふたたび、ここから」池上正樹著、ポプラ社、2011.06.06
    「石巻赤十字病院の100日間」由井りょう子著、小学館、2011.10.05
    「奇跡の災害ボランティア「石巻モデル」」中原一歩著、朝日新書、2011.10.30
    「海に沈んだ故郷」堀込光子著・堀込智之著、連合出版、2011.11.05
    (2012年1月30日・記)

  • 水産特区問題にたいする筆者の考え方には同意できない。

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著者プロフィール

(たかなりた・とおる)

ジャーナリスト・仙台大学教授。1948年岡山市生まれ。東京大学経済学部卒業。71年に朝日新聞社に入り、山形、静岡支局を経て経済部記者。アメリカ総局員(ワシントン)、経済部次長、論説委員などを経験。96年から97年までは、テレビ朝日「ニュースステーション」キャスターも兼ねた。98年から2002年までアメリカ総局長(ワシントン)。帰国後、論説委員に戻り、米州や国際経済を担当。定年を機にシニア記者として08年1月から11年2月まで石巻支局長を務める。11年4月から仙台大学教授。

 東日本大震災を機に、東日本大震災復興構想会議の委員に就任。また、震災で親をなくした児童・生徒を支援する「東日本大震災こども未来基金」を立ち上げ、理事長に就任。農林水産省太平洋広域漁業調整委員。農林水産省鯨類捕獲調査に関する検討委員会委員。著書に『話のさかな』(荒蝦夷)、『こちら石巻 さかな記者奮闘記』(時事通信社)ほか多数。

「2011年 『さかな記者が見た大震災 石巻讃歌』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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