偶然完全 勝新太郎伝

著者 :
  • 講談社
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感想 : 12
  • Amazon.co.jp ・本 (402ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062174749

作品紹介・あらすじ

「大統領や首相の代わりはできるけど、勝新の代わりは誰ができるんだ?」「今後はパンツをはかないようにする」「俺としゃぶしゃぶか?一つ"シャブ"が多いんじゃないか?」「最後の弟子」が描く「最後の役者」勝新の真実。

感想・レビュー・書評

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  • 今や玉緒の夫として認知される勝新を週刊誌に連載を持った当時の担当編集者が取材に基づいて書き下ろす。豪傑伝説も全ては俳優勝新太郎として存在するため。周囲の人に愛される存在だったことが伝わります。

  • (要チラ見!)

  • スターを辞書で定義させようとしたら、例示として用いられそうな人。話題を振りまき、金を惜しみなく使い、大衆が憧れる「勝新太郎」として生きる。芸能人は夢を売る商売でもあるんだから、この生き方に何が問題なのかと思わせてくれる本。
    正直自分くらいの年齢だと勝新太郎の名前は知っていても、座頭市くらいのイメージしか無く、またそのイメージも北野武によって上書きされている。この本を読んだ後、勝新太郎を是非映画で観てみたくなり、レンタルする。便利な世の中です。

  • 本書の題名である「偶然完全」。その四文字が勝新太郎の人生を勝新太郎にしか送れない人生にしていると思いました。起こったことを、出逢ったことをよしとするポジティブ人生観は今、溢れかえっていますが、起こってしまったことに、出逢ってしまったことに完全性がある、という信念には凄まじいものがあります。一回こっきりの完璧。信念と書きましたが、でも実は起こってしまったことに本人もかなり動揺しているんですよね。そこに可愛いらしさも感じます。オレこんなだから許してもらえるよね的な上目遣い感。不完全なことから完全を生もうとするから甘えも必要になるはずです。可愛らしさと凄まじさの振幅が勝新太郎のクリエイティブなのではないでしょうか?それにしても「偶然完全」などの彼の言語能力にはびっくり。たぶん、それは人に対して、というより、揺れる自分を納得させるために生まれたものだから、だと思いました。

  • 表紙の顔が北大路欣也に似てやしませんか(笑)。

  • 「結局、勝新太郎はどうしようもなくスターなんだ」――それがこの本を読んだ感想。

    芸能の世界には、スターとしての資質や魅力に生まれつきあふれた人がたくさんいる。でも、勝新ほど、人生の端から端まで、徹底的にスターであり続けようとした人はいない。しかもそれは単なる見栄ではなく、「勝新太郎」というスターを愛し、あこがれる人たちのためだったというのが、この本を読んで感じたことだった。

    正直、こんな人が近くにいたら、たまらない(笑)。

    豪快で繊細、いい加減で几帳面。自分勝手な行動で人を振り回すのに、たまらなく気遣い屋で優しい……周囲に見せる姿の振り幅がとんでもなく大きい。一緒にいると、ものすごく面倒な目に遭うのに、ついつい大好きになってしまう……一番タチが悪いタイプですね。

    勝新自身が女優にメイクをしたというくだりを読んでいて不思議に思ったのは、まったく見たことがないシーンなのに、その真剣な目や繊細な手つきが想像できるような気がしたこと。勝新の映画は数えるほどしか見たことがないけれど、それでもその姿が「絵」として強烈に印象に残っているんだろう。だから、「彼ならこう動く」というのが想像できるのかもしれない。

    そう考えると、晩年の勝新が映画で活躍できなかったことが改めて残念だ。しかもその原因が皮肉なんだもの。

    勝新が一番やりたかったのは映画を作ること。おそらく映画以外は、あまり興味がなかったんだと思う。だからこそ、映画以外のビジネスの話にはこだわりなく乗ってしまう。結果、抱えた借金が俳優活動の足かせになっていくんだよね。

    映画を撮ったら撮ったで、演技も演出もこだわるスターだからこそ、監督とかみ合わない。映画にすべてを賭けているからこそのこだわりが、結果的に勝新自身を映画から遠ざけることになる。取りやめになったCMのエピソードなどを見ると、製作所時代の大監督たちよりも、孫くらい年が離れた、なんとなく飄々としている今時の監督たちの方が、もしかしたら上手く折り合いを付けられたかもしれないなんて思った。

    本自体は、著者が勝新と過ごした日々を書いた後半になるほど面白い。著者自身、おそらくそんなに文章が上手な人ではないんだろう。前半は、彼が出会う前の勝新の話を取材ベースで書いているんだけれど、エピソードをただまとめた感が否めない。でも、著者自身が出会った勝新を書き出すあたりからは、俄然、筆の滑りが良くなる。特に勝新が病に倒れてからは、読みながら涙が出た。

    それにしても、稀代のスターはその人生自体が演じた役に劣らぬくらいドラマチックなんだな。

  • 先日読んだ二冊の映画関係の本と、記述が重なっているところがあり、興味深く読んだ。

  • 最後まで
    寄り添って 書かれた 人物評伝
    思い入れがある分だけ
    興味深く読ませてもらう

    人と付き合っていく上での
    「人との距離感の大切さ」
    を つくづく 思ってしまった

    傍目には
    おもしろい人だろうけれど
    身内としては
    ちと 勘弁して欲しい人ですね
    でも
    その分 魅力になってしまっているのでしょう

  • 「大統領や首相の代わりはできるけど、勝新の代わりは誰が
    できるんだ?」

    本人がそう語った通り、勝新太郎はかけがえのない役者だった。
    彼が亡くなって14年が経つのだが、石原裕次郎や美空ひばりとは
    違い、命日となってもまるで勝新など存在しなかったように彼の
    話題が出て来ることがない。

    本書は共演者やスタッフ等、周辺を丹念に取材して書かれている。
    その弊害か、饒舌になり過ぎている部分があり、中だるみする。

    監督して、演出家としての勝新のことならば先に発行された
    『天才 勝新太郎』(春日太一 文春新書)の方が興味深く読める。

    終章では著者の一人称の文章で、雑誌連載で勝新に関わるところ
    からその死までを描いているのだが、この部分の感傷的表現を
    抑えられなかったのか。

    「今後パンツははかない」の大麻事件、久し振りの映画「座頭市」での
    真剣での事故、妻・中村玉緒との離婚記者会見騒動等、暗い部分も
    あって評伝としてはバランスが取れているのだが、残念な部分も多い。

    役者としては自然な演技にこだわり、仕事を離れても旺盛なサービス
    精神を発揮し、周りに気を遣い、人々を楽しませた勝新のような役者は、
    もう出て来ないだろう。

    勝新を慕った役者のひとり、原田芳雄も今年、旅立った。向こうで、楽しく
    やっているかい?

  • 久々にジャケ買いした一冊。勝新太郎と言われても、子供のころに記者会見で見たキテレツなイメージしか残っていなかったのだが、表紙の写真に「おいっ」と呼び止められた気がして思わず購入した。読み進めて素顔を知るにつれ、そのイメージは驚きへと変わっていく。

    著者は、勝新太郎の最後の「弟子」と称される人物。かつて、勝新太郎が週刊誌で人生相談をしていた時の編集者であったそうだ。勝新太郎とは親子以上もの年齢差がある著者の筆を動かしているのは、その生き様を何とか後世に語り継がねばという使命感だろう。

    いわゆる癖のあるカリスマが、現実と虚構の境目が分からなくなるくらいの熱意で周囲を圧倒し、常識を覆すものを作っていく。そんな評伝を最近読んだなと思い返したら、『スティーブ・ジョブズ』だ。己の動物的な勘を頼りに生き抜いていくという点で、二人は酷似している。スティーブ・ジョブズはどこまでも役者だし、勝新太郎はどこまでもアントレプレナーなのである。

    スティーブ・ジョブズの生み出す世界観が「現実歪曲フィールド」と称されるなら、勝新太郎の世界観は「偶然完全」というものだ。

    例えば、人と人がたまたま出会って、素晴らしい関係を築くことがある。あらかじめこのような人と会うと心構えをしていれば違った関係になるかもしれない。偶然だから、完全な関係が生まれる。
    そんな「偶然完全」という造語を、勝新太郎は好んで使っていたという。そして偶然による奇跡の矛先は、芝居にも向けられた。

    「役者は科白の奴隷じゃない」 ― 脚本を徹底的に破壊して、その髄だけを抜き取ろうとするのが勝新太郎の流儀だ。役を演じるということは、仮面を被るということ。その仮面が溶け出し、素顔と交じり合っていくことをどこまでも追求する。普段の生活で話しているように、自然に会話をしながら物語を組み立てていかなければならないのだ。

    ただし、その手法には常に破綻の危険が伴う。脚本がないままに撮影を始め、脚本が気に入らないとすぐに撮影を中断するため、制作費も常にパンク状態。後から構成を組み立てようとすると、ストーリーに齟齬があることも多々あったようだ。有名な黒沢映画『影武者』での降板も、両者の脚本に対するスタンスの違いに原因がある。

    一方で勝は、芝居に現実を持ち込んだだけでなく、現実にも芝居を持ち込んでいる。そんな私生活でのエピソードも、本書には盛りだくさんだ。勝の家では、帰宅時に中村玉緒のほか、家政婦、住み込みの弟子たちが玄関で正座で出迎えることになっていたそうだ。ある日、虫の居所が悪かった勝は、出迎え方が気に入らず、「もう一回やり直し」と怒鳴り散らした。勝は車に乗り、途中まで引き返して、もう一度帰宅したそうだ。等々・・・

    普段から勝は、俳優の芝居よりも人が自然にする表情の方が勉強になると口にしていたようだ。ホステスなどその典型である。水商売で働く人たちは、それぞれが人生の事情を抱えて働いている、そうした本物の芝居を見ることが芸に繋がるというのだから恐れ入る。勝新太郎にとってフィクションとノンフィクションの境界線は、どこまでも曖昧だ。

    また、本書に登場する勝を取り巻く人物たちも、石原裕次郎からモハメド・アリまで、映画ばりの豪華キャストである。なかでも特徴的なのが、昭和のフィクサー 笹川良一。笹川は長崎県の対馬沖に沈んでいた帝政ロシア時代の装甲巡洋艦「ナヒモフ」の引き揚げに関与しており、ドキュメンタリー映画の話を勝に持ちかけていたのだ。そのきっかけが、なんと笹川が中村玉緒を狙っていたことにあったというから笑える。とんだ「人類みな兄弟」なのだ。

    数多く紹介される語録の中では、「東海道を歩くな」というメッセージが印象的だ。東海道とは、広くてみんなが通る道のこと。そのようなところではなく、いつ落ちるか分からないところに自分を置き、絶体絶命のところで遊ぶことにこそ醍醐味があるという。そんな中で失敗を重ねてきた男の生き様には、スティーブ・ジョブズのような晩年の華々しい成功譚こそなかったものの、時間をおいたことによって生まれる熟成された味わいがあるのだ。

    晩年の勝新太郎は、喉頭癌を患った。映画『座頭市』のロケで喉近くの頸動脈を切って亡くなった役者さんのことを思い出しながら、死の間際に「なんで、ここなんだい?」と自分の喉を指す描写など言葉もない。

    子供の頃にはキテレツとしか思えなかった勝新太郎の言動を、大人になった今、まざまざと凄みとして感じ入ることができる。これは、僕にとっての成長なのだろうか。おそらく違うだろう。僕が知らずのうちに、東海道を目指していただけなのだ。

    幸か不幸か、世は激動の時代。東海道と思って歩いてきた道が、いつのまにか獣道になる ― そんな現実に直面した時にも、本書は格好のガイドブックになってくれるだろう。なんとも覚悟の決まる一冊だ。

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著者プロフィール

1968年3月13日、京都市生まれ。ノンフィクション作家。
早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部などを経て、1999年末に退社。
スポーツを中心に人物ノンフィクションを手掛け、各メディアで幅広く活躍する。著書に『W杯に群がる男たち―巨大サッカービジネスの闇―』(新潮文庫)、
『偶然完全 勝新太郎伝』(講談社)、『維新漂流 中田宏は何を見たのか』(集英社インターナショナル)、『ザ・キングファーザー』、
『ドライチ』『ドラガイ』(カンゼン)、『球童 伊良部秀輝伝』(講談社 ミズノスポーツライター賞優秀賞)、『真説・長州力 1951-2015』(集英社インターナショナル)
『電通とFIFA サッカーに群がる男たち』(光文社新書)など。

「2019年 『ドラヨン』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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