- Amazon.co.jp ・本 (338ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062176019
感想・レビュー・書評
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タイトルがずいぶん前から気になっていた本。「会社員小説」というカテゴリを現代小説の中に規定し、それに当てはまる作品をクラシックから現代作品まで取り上げた評論。
「会社員小説」というのは自分の経験からいえば、男子向けの「経済小説」と、女子向けの「お仕事小説」(ただし、どちらも厳密な分類ではないです、念のため)を足したものと考えてよいのだと思う。そして、日本における「給料取り」が確立した時代の、夏目漱石作品の登場人物もこれにあたるという。そう指摘されればたしかにそうだと思う…漱石先生の作品の登場人物たちは、あまり熱心に仕事してる風がないけれども。
「給料取り」業の側面を描くのか、人間的な面を描くのかで「会社員小説」の切り口もさまざまに分かれるさまが、多くの例を挙げて述べられている。作家ごとに取り上げられかたの多寡があるけれど、中でも、日本の「会社員小説」としては源氏鶏太と黒井千次が大きく取り上げられていた。過去の文学作品を振り返るモードでもないと、黒井作品はともかく、著者もご指摘のとおり、源氏作品はもう誰も読まないだろうと思う。面白くないわけじゃなくて、「古い」と単純に感じる。会社員小説自体が、常に流行りもののカテゴリのひとつでもあるし、その中に取り上げられる「会社員の属する業界・職種」が流行りすたりの決め手のひとつなんだろう。世の中、勤め人が多数派だから、勤め人の属性を持つ読み手をつかみたいと思うのは当然だし、ぐわっと読まれて、「そうそう、私/オレの日常、こんな感じ!」と共感を得たいのは当然だが、そういう「流行」を意識しすぎると、急速に古くなっていくような気がする。庄野潤三の作品などはその古さが出ない面を持っており、その解説が興味深かった。
後半の「そもそも会社ってなに?」を解説する章は必要だと思ったが、少々だれてきて光速で読み進んでしまった。でも、最後2章の選択は個人的にストライクゾーン。特に最後の章は「これできましたかあっ!」と喜んでしまう作品が出てきて楽しかった。そうそう、究極の勤め人であって勤め人でないあの人って!
津村記久子・絲山秋子の作品(と、そこに登場する女性の会社員)を解説した部分がシャープで見事。やや無理やりかなあ?と思うところもちらちら見えたけれど、それが評論というジャンルにはお約束の要素でもあるので、許容範囲かと。巻末の注釈も充実しているので、会社員小説総なめにも味見にも使える1冊だと思う。松田青子『スタッキング可能』が評論の対象として間に合っていれば、もっと面白く展開できた部分があったかもしれない。 -
絲山秋子さんの「沖で待つ」が好きだ。
芥川賞を受賞されたときの文藝春秋を捨てられずにいる。
伊井直行さんの本書は、会社員小説の書評を集めたような本である。その中に「沖で待つ」を見つけたときには嬉しかった。解説を読んで、なるほどなと思う。
いつだったか、駅から会社に向かう道路を歩いているとき、同じ会社の従業員が行列になって歩いている姿を見て、みんないろんな問題抱えているだろうに、毎朝ちゃんと出勤して仕事してえらいなぁとしみじみ感じた。華々しく活躍している一部の人を除き、大抵の会社員は地味に堅実に仕事をこなして、その働きが会社の支えとなっている。会社員小説というのは、そういった会社員に寄り添う存在なのかな、と思う。働く中での良いことも悪いことも小説の中に散りばめて。
おそらくこの方面の先駆は、昨年81歳で亡くなった中島誠の『虚の城 サラリーマ...
おそらくこの方面の先駆は、昨年81歳で亡くなった中島誠の『虚の城 サラリーマンの文学 』(転轍社 1978年)『企業小説とは何か 山岡荘八からアーサー・ヘイリーまで 』(日本工業新聞社1979 年)だと思います。
黒井千次の描く「会社員...
黒井千次の描く「会社員小説」も読まれることは少なくなっていますが(私も学生の頃でも、すでに問題集の例題でしか見なくなっていましたし)、この評論から推測する限りでは、津村記久子や絲山秋子といった、「女性の会社員」を組織内から描く作家に、その系譜は継がれているように感じました。