- Amazon.co.jp ・本 (258ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062177429
作品紹介・あらすじ
「死ぬのが怖い」ことをちゃんと考えれば、「生きること」を再発見できるはず!無宗教の日本人のために「死の恐怖」をはじめて真剣に論じた、全国民の必読書。
感想・レビュー・書評
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<私はおそらく、「死ぬのが怖」かった、のではなく、「存在するということが怖」かったのだ(そしてまた、自分はこの本の想定読者からは著しく外れていた)>
失敗読書である。
何に失敗したか、といえば、この本を選んだということに失敗したのであろう、おそらく。
基本、自分の感じたことの覚え書きに書いている面があるので、以下、あまりこの本に興味がある方の参考にはならないような気がする。その点、お断りしておく。
鮮烈な、しかしどこかで真剣に向き合わないようにしている思い出がある。非常に怖かったのである。今でも本当に思い出すと、おそらく怖さで身がすくむはずである。だから強いて客観的に書く。
多分、小学校高学年の頃だ。法事だったのか旅行だったのか、親戚の家で、どうしてか一人でいるときに、ふと、思い至ってしまったのだ。
自分がここにいる。そして自分の意識はいつか間違いなく消える。
そう思ったら、世界がぎゅんぎゅんと周りに凝集してくるような、「ああ、これは本当のことだ。恐ろしいけれどその通りなのだ」と絶望にも近い思いを抱いた。そして鏡を見に行ったことを覚えている。その中にも強ばった顔をした子供がいた。いたたまれないほど怖かった。
新聞広告でこの本を見かけて、「もしかしてあのときの恐怖が和らぐのか・・・?」と思ったのだ。
本書は「死」についての恐怖を和らげることを目的に書かれている。
合う人には合うタイプの本なのだと思う。
少々自己啓発的な匂いがする、全般として前向きな本である。ところどころに興味深い事実はあるし、クオリア云々みたいな話が好きな人には楽しく読める本なのだろう。
若い人にはあるいは救いの1冊になることもあるのかもしれない。
しかし、個人的に言わせてもらえば、この本のとっている手法は、全体としてそのことに正面から向き合っていくよりは「目を背けている」ように見える。がっぷり四つに組むよりは別の考え方をしようぜ、と言っているように感じられる。恐怖に身をすくませているよりは、何らかのよりどころを持って進んでいく方がよいだろうし、自分だって怖いものに蓋をして日々歩いているわけだ。そのこと自体に文句があるわけではないが、「あ、これはあの問題の解決ではなかったか」と思ったのは事実である。
多分、自分は「死」が怖いというよりも「存在」が怖かったのだと思う。
「虚無」から「存在」し、そしてまた「虚無」に戻る、ということが。
さて、その恐怖にこの先本当に取り組むことがあるのかどうかはよくわからないのだが。 -
理解できない部分もたくさん、まあ自分のコンディションのせい、思考してないせいなんだろうけど
学び
宇宙規模で捉える
幻想なんだろう
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一番印象に残ったのは、進化生物学から見た死の定義「死ぬことは進化のための必然である」、つまり、進化は「子孫を残すとともに自分は死ぬ」という基本原則があって可能となる。
人類もその原則に従って進化して、今があるわけである。しかし人類は進化のおまけとして、過去と未来について考える力を持ったために死ぬことを恐れるようになってしまった。
死というのはしごく「あたりまえ」のことであり、自然なこと。
そう分かっていても、死を三人称で捉えるのと、自分のこと=一人称で捉えるのには大きな違いがある。一人称で捉えた場合の「死ぬのが怖い」という恐怖を乗り越えるためにはどうしたらよいかということで、様々な分野(認知科学から哲学、幸福学、宗教学まで)からアプローチしていくのだが、最後は「やっぱりここ(東洋思想)に落ち着くのかな」という印象。
ヨガ(インド哲学や仏教哲学などの東洋思想)を多少は勉強してきたので、「“今”しかない」という思想の方向性はよく理解できる。が、まだまだ「死ぬのが怖い」は乗り越えられそうにない…。 -
内容は普通なのだが、僕の思想を理解させるために人に読ませるにはかなりぴったりな本だ。親にも一応おすすめしておいた。親の頭で理解できるかは微妙だが。それと、「種の保存」論だけは許しがたい。「遺伝子の保存」だっちゅーに。ローレンツか。また、悟りとは永続的なものではなく瞬間的なものである、というのはとてもすばらしい見解だ。僕が釈迦に対して抱いていた不信感に一気に説明がつく。前野先生の仏教解釈は、石飛道子先生の影響を受けているようなので、彼女の本も近々読みたい。究極のリラックス状態、というのにはどうにも賛同しかねるが。
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図書館でたまたま見つけた
著者の知識の広さにはびっくりする
科学的な話になったあたりは若干ついていけなかった -
面白かった!
読んでて前向きな気持ちになれるし、自殺についても否定的じゃない…深く考察してあり、広い造詣がある。
すごいですね。
読んでいて程よく力が抜けていく感覚があり、私も「達人」を目指したくなります。
周りを見て、自分を見ない…自分と他人を比べない、すごくむずかしいことだと思うけど、そこをうまく言葉に落とし込んでくれてある。
死と向き合い、そして生、幸せと向き合う姿勢。
自分なりの幸福を追求していこうという気になれる。 -
死ぬのが怖い、を超越する七つのルート。
1. 心は幻想だと理解する道
2. すぐ死ぬことと後で死ぬことの違いを考える道
3. 宇宙サイズの視点に立って、自分の小ささを客観視する道
4. 主観時間は幻想だと理解する道
5. 事故とは定義の結果だと理解する道
6. 幸福学研究からのアプローチ
7. リラクゼーションと東洋思想からのアプローチ
こう書くといかにもスピリチュアルな内容かと思われそうだが、中身は科学者として骨太のロジックになっている。答えのない問いではあるので、要所要所に考察と推察は入るものの、中身は腹落ち感のある内容となっています。 -
工学→ロボット開発→幸福学の前野隆司が「『死の恐怖』をはじめて真剣に論じた、全国民の必読書!」(帯)だということで読んでみたが、クソつまらない本でびっくりした。お金も時間も無駄になるので読まない方がいいと思う。
前野は「死後の世界は存在しない」という立場に立ち、それを「科学的に、論理的に」説明するという。
しかしその内容が…
たとえば、死後の世界が存在しないと言える理由の一つに「死後の世界に学会が存在しないから」を挙げる。
???????
日本に「学会」ができたのなんて、たかだか数十年前のことですけど…。学会なんてなくても、日本は存在したし、日本に限らず、今でも「学会」など存在しなくても存在している世界はいくらでもある。
これのどこが「科学的で論理的な」説明だというんだろう???
これで「真剣に論じた」本なのか????
ギャグなのか???????
「今自分が体験している世界」だけを頼りに、「それとは違う世界」があるのではないか?という視点には全く立っていない。これは、別に、死後の世界ではなくても、たとえば、動物の世界、昆虫の世界、魚の世界は、人間の体験している世界とは全く違うけれども存在している。いわんや死後の世界をや。
別に私は「死後の世界がある」という立場に立つつもりも全くないのだが…
こんな本が、「科学的で論理的」で「真剣に論じた」本だなどというのだから、講談社も気が狂ったのだろうか。
全編、科学的でも論理的でもなんでもない、自分がこう思うのだ〜というのを垂れ流してるだけで、全く納得どころか共感もできない。ただただ、反感だけが募っていく腹立たしい本。 -
再読すること。
クオリアの意味。 -
ニヒリズムは積極的無常感か
リフォローありがとうございます。
僕自身も四、五歳のときに突然そういうことに気づいて、怖くて日々泣いていたことがあります。...
リフォローありがとうございます。
僕自身も四、五歳のときに突然そういうことに気づいて、怖くて日々泣いていたことがあります。
今日、ふとそのことを思い出して、たまたまブクログを開いてみれば、このぽんきちさんのレビュー。
おもわず引きこまれました。
がっぷり四つに組んでみたい気持ちもありつつ、本腰を入れれば人生の全てを賭けなければいけないような気もして......
いつの間にか日々の生活に追われ忘れかけていました。
本棚を拝見すれば、以前にも他のレビューに花丸をしていたようで、これを機にフォローさせて頂きました。
これからもよろしくお願いします。
丁寧なコメント、ありがとうございます。
似たような経験をされたのですね。うれしい、というのも変ですが、やはりうれしいです...
丁寧なコメント、ありがとうございます。
似たような経験をされたのですね。うれしい、というのも変ですが、やはりうれしいです。
この話、修学旅行のときだったかにしてみたことがありまして、うまく言い表せなかったこともあるのでしょうが、いまひとつ「自分も」という人はそのときはいませんでした。
でも長じるにつれ、同様のことを思った人はそこここにいるのだな、と感じています。
哲学や宗教に答えを求める人もいた(いる)のだろうなと思います。
自分もこの先、本気で当たるのかどうか、確信は持てないのですが。
本を読みつつ、またここに戻ってくることもある、かもしれません。
今後ともよろしくお願いいたします。