- Amazon.co.jp ・本 (226ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062178969
作品紹介・あらすじ
世界の片隅で猫愛を生きる幸福介護の日々を、西哲がはげまし、民俗がかばう。ドゥルーズの捕獲装置に注目した『海底八幡宮』の著者が、ぎりぎりまで追求する文学者の「内在平面」。
感想・レビュー・書評
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老猫ドーラの介護と親の死後手続き、作家業の暮らしの中に、垣間見え、たまにはページを乗っ取っていく何人もの神様たち。
自身(と猫家族)の人生を生きていくにあたって対峙しないといけないものと戦うべく武器を得て、活路を切り開いていっている感じがしてすごく好き。
生きるために荒神様を見つけてきたんだな、研究してるんだろうなと、すごいよなと思う。
偶然『琵琶法師』を読んだところだったので、語りの主体が移り変わるという琵琶法師的語りが昇華されて小説になっているのかもしれない…とボーナス的感動もあった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
高齢になってしまったドーラちゃんの猫介護に追われる筆者は、今度は家内を守ってくれる「荒神様」に活路を見出した模様。昔の作品では私小説といえども一応架空のキャラクター名があった気がするのだけど、最近はすでに「笙野」なんですね。
荒神様三種がそれぞれキャラが立っていたので予想していたより楽しく読めてしまった。飛蚊症の虫とまで対話してしまう筆者だから、今更何と脳内対話されてもさして驚かない。金毘羅設定はずっと継続中で、金毘羅に乗っ取られる前の人格まで登場。
論争相手よりもストーカーみたいな女性読者が怖い。基本的に笙野作品は、これ1冊だけ読んでもわけがわからないと思う。数冊読んで基本設定を把握していればそれなりに面白く読める。 -
痴呆猫と荒神様と私小説。
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(後で書きます。語りの主体が文字通り「にに」とひっくりかえる瞬間)
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いまさら父親の出生にまつわる新事実が発覚してしまい、荒神様は3つの姿で立ちかわり降臨し、猫のドーラは認知症で、うわーっ!
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笙野頼子さんの新刊、まだ読んでないけどまた猫モノやああー!またタイトルが強烈やのう。
読みたいなあ。猫飼ってるとえぐられちゃうのかなあ。でも読みたいなあ。 -
痴呆になった飼い猫とよろずの神様荒神様と自身の過去話を絡めた、長〜い独り言のような内容に読み疲れて途中挫折。
エッセイでもなく小説でもなく告白本でもなく、全くよく判らなかった。