空白を満たしなさい

著者 :
  • 講談社
3.88
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本棚登録 : 1684
レビュー : 241
  • Amazon.co.jp ・本 (498ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062180320

作品紹介・あらすじ

世界各地で、死んだ人間がよみがえる「復生者」のニュースが報じられていた。生き返った彼らを、家族は、職場は、受け入れるのか。土屋徹生は36歳。3年前に自殺したサラリーマン、復生者の一人だ。自分は、なぜ死んだのか?自らの死の理由を追い求める中で、彼は人が生きる意味、死んでいく意味を知る―。私たちは、ひとりでは決してない。新たな死生観を描いて感動を呼ぶ傑作長編小説。

感想・レビュー・書評

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  • 「日蝕」、「ドーン」とは違って、導入から小説の中に入りやすく、493ページの長編小説にも関わらず、1日で読み終えてしまった。読後は長編を読み終えた充実感というよりも、読んでいる時には感じなかった「死」を意識することになる。それは残された自分の時間に恐怖や焦り、そして残していく家族の悲しみに不安であった。
    恐怖や不安を感じる作品ではあるが、内容の読み応えやスリルを求める点で、読んでよかったと思う作品であった。
     
    本作は、3年前に自殺をした主人公・土屋徹生が、36歳で当時勤務していた会社の会議室で生き返る。
    しかし、死ぬ直前の記憶がない。愛する妻と1歳の幼い息子、新商品の開発に情熱を注ぎ充実した生活を送っていたはずで、自殺の理由が思い当たらない。自分の死の理由を追い求める中で、人が生きる意味、死んでいく意味、そして残される人間の気持ちというのを、「分人」という概念を通して理解をしていくという話し。
     
    主人公・徹生が生き返った36歳という年齢は、 徹生の父が亡くなった年であり本作で、意味のある年齢となっている。そして、読後に分かったことであるが、筆者にとっても意味を持っていた。それは、作者の実父が亡くなられた年齢であり、2011年の東日本大震災に見舞われた時の年齢であった。
    震災により亡くなられたたくさんの方たちの死と作者自身の実父の死が重なり、少なからず影響を受け世に放たれた本作は、私を含め、読者にやがて迎える「死」が自分と残された遺族が受ける影響について考えずにはいれなくなる。
     
    徹生の死因は自殺である。必ず迎えるその時を待たずして、自らその時期を早めてしまう自殺を実行する人間の心理要素が、作者の唱える「分人」の存在を知ることで理解が容易になる点がいくつかある。
    もちろん、自殺で亡くなった当人たちが自分の気持ちを発表した文献等はあるはずはないため、本作での説明が正しいこと裏付けるエビデンスはない。
    ただ、私自身はその考え方に納得し、腑に落ちたという意味で説明をしたい。

    例えば、会社員が自分の子供に使うお子ちゃま言葉で、会社関係の人間とは接しない。家族と一緒にいる私と会社で仕事をする私、子供といる私は、姿こそ同じであるが、声のトーンから思考に至るまで全く異なる私である。人間誰しも接する人により、声のトーン、話し方、思考を無意識に変えている。このそれぞれが分人という理解であるようだ。
     
    本作の登場人物で、NPO法人ふろっぐの代表・池端の分人の説明によると、「ゴッホだけじゃない、人間はみんなでしょう。裏表なんて言いますけど、本当は二重人格どころか、つきあう人の数だけ幾つも顔を持っている。誰と喋っても『オレはオレ』のごり押しでは、コミュニケーションは成り立ちませんから。」である。
     
    ゴッホがなぜ自殺をしたかの仮説が本作で記されており、自分の中の病んだ分人=耳削ぎ事件の分人が死にたいと思ったのではなく、健全なゴッホの分人が病んだ分人を死に追いやったということになっている。その理由を「包帯のゴッホは、恐い感じは全然しないです。やさしい目をしてるし、このパイプのモクモクって煙もユーモラスだし。…たいへんでしたね、とか、なんか一言、声をかけてあげたくなります。」と徹生の言葉が説明している。
    これを以前読んだ「たゆたえども沈まず」を読む前に読んでいたら、もしかしたらあの作品のゴッホ兄弟の気持ちを別の角度で、考えて読むことができたかもしれないと、思わずにはいられなかった。

    今まで、自殺者の精神的な弱さにフォーカスし、非難することしか思い浮かばなかったが、本作はもしかしたら弱い自分を追い込んだ強い自分の存在があったのではないかと考えるきっかけになった。
    では、自分が好きでない分人を放念するには、他の分人はどこを受け入れて、どのように自分の意識を変えてあるいはその分人に接していくべきなのかというのを考えてしまう。
     
    さらに、本作で気分転換についての考え方も変わった。「人間は分人ごとに疲れる。でも、体はもちろん1つしかない。疲労が注がれるコップは1個なんです。会社でこれくらいなら耐えられると思っていても、実はコップには、家での疲労が、まあ半分くらい残っているかもしれない。そうすると、溢れてしまいます。」
    ということは、私が気分転換に行うランニングは、肉体的疲労を加算させていることになる。つまりは気分転換で頭はすっきりしても疲労は蓄積させていることになる。そして、疲労は、麻薬のようにアドレナリンを放出し、充実感を増大させる。この事実(かどうかはわからないが)に、これからは疲労は、体の疲労として捉えて、無理をせず、出来るだけ睡眠を取るようにしたいと、思った。

    いつか迎える死までの時間は限られていることを認識し、何のためにこれから生きていくか、自分および遺族に何を残していくかも併せて、早い段階で考えたい。と、真剣に思った。

  • 平野さんの作品は、「決壊」と「ドーン」しか読んだことがなかったが、「決壊」を読み終わった時、もの凄い衝撃を受けた。

    それからこの作家さんがずっと気になっていたのだが、私の探し方に問題があるのか?書店で見つけることが出来なかった。

    今回 Amazon で9冊平野さんの本を購入した。

    何と表現したら良いか?文章の虜になってしまう。


    この作品は、「決壊」に比べると随分易しい表現で、誰にでも読みやすく書かれている気がする。
    平野さんの作品は、1ページを何度も読み返す為、長い時間を費やして読んでいたのだが、この作品は時間をかけずに読み終わった。

    易しい表現ではあるが、平野さんの文章の魅力は満載で、少し生きづらく思っている人には、勇気というか、
    生きやすさというか、視点を変えてくれる作品ではないかと思う。

    この作品でもすっかり心を鷲掴みにされ、読み終わった後はしばらく放心状態になってしまった。

    これこそが読書の喜びだろうなぁ。

  • ミステリーかな?と思っていたけど、死生哲学含まれていて最後には自分の「人生」を振り返ってみたりしました。

    『死にたい』って言う人ほど、実は『生』を望んでいる
    自殺した人は「自分で死ぬ」んじゃなくって「世間や色々なものから、見放されて孤独になって、生きるエネルギーが無くなって自殺してしまう」
    「本当は生を強く望んでいる」「生にしがみついている、逆なんだよ」と、カウンセラーの先生が言ってました。

    「そっかー・・・」 生と死は真逆じゃなくて隣り合っているんだと昔、私は衝撃を受けたことがある。


    分人という考え方は、とても興味深いです。「私とは何か」=個人から分人へ= という平野氏の本読んでみたくなりました。


    死後この世に残るもの 「記憶」「記録」「遺品」「遺伝子」「影響」

    日本は自殺が多い。なんでだろう?
    武士の名残りなのか?その勘違いなのか?
    そのエラーが遺伝子に刻まれているのか?

    私の父は44歳で主人公と同じ死に方をした。(方法は別だけど)自分もあと数年で父の年齢に並ぶので、感覚的に理解できる。

    故人の「遺伝子」で私はここに存在しているから一時期はそれで混乱したけど、今は徹生みたいに感謝している。この心境になるまでに20年以上もかかった。現実はこんなにきれいに事は収まらない。

    でも心が揺さぶられる小説だと思った。何度か読んでみたいな。繰り返し読むと、分からないことが分かるような気がする。

    りっくんの「桃」や「どんぶらこ」が気になり過ぎて・・・(^^ゞ
    一度読んだだけでは、なぞが残る。途中で千佳も復生者なんじゃないか?と思ったり・・・
    色々と考えてしまった。

  • 相変わらず凄い吸引力。私にとっては分厚い本だけど正味3日で読了。終盤までほぼ脇役だった妻が、最後の1/10でキャラが立ってくるとは。とにかく最後まで気が抜けない作家。途中で出てくる最悪な奴も徹底してて、ヒミズを思い出す。読みながらいつも最悪の想像をしてしまうのだけれど、読後感はいつも良い。悔しい。日本の自殺者年間3万人、そのそれぞれに親がいて、場合によっては配偶者や子どもがいたり、孫がいたり。色んなことを考えながら読めます。

  • 前回、「ドーン」を読んだ時にも思ったんだけど、平野啓一郎は良くも悪くも「インテリ作家」って感じだと思った。

    以下は、平野の「私とはなにか」(講談社現代新書)と合わせてのぼんやりした感想。

    分人主義の発想はおもしろいし、それをリスクヘッジ的に利用することで自殺を防ぐ思考が出来る(「自分が抱える多様な分人の一つが憎いからといって、自分全てを否定することはない」)というのは理屈としては納得するけれど、人は必ずしも図式的に還元し、理解できるようなメカニズムを持って自殺するとは限らない。
    認知行動療法みたいなもので、少し調子が良い時には使えるかもしれないけど、うつのどん底にあるような状態ではやっぱり心に届くのは難しい。
    (「私とは何か」で「新型うつの特性は分人主義で説明できる」ということが書いてあったが、どの分人も全て機能が低下するような従来型のうつはどう説明されるのか、ということでもある)

    主人公・徹生とラドスワフさんが対話するシーンが個人的にはおもしろかった。それから、佐伯はひどく憎たらしい存在だが、彼が滔々と語る言葉の中にはなかなか容易に否定出来ない(あるいは真っ当な)意見がかなり含まれていたように思う。

  • 500ページ近くあるが、夢中でページを捲り、一気に読んでしまった。

    まず、主人公の死の真相が気になって止まらなくなる。
    自殺なのか、それとも誰かに殺されたのか。
    もし自殺だとすれば理由はなんだったのか。
    他殺だったら犯人は誰なのか。

    そして、その真相を追っていく中で示される
    「分人」という考え方に深く引き込まれていった。
    今まで絶対的な自分というものがあるはずだとなんとなく思っていたので
    「分人」という考え方は私にとって革新的だった。

    小説として面白いだけでなく、価値観を揺さぶるタイプの本。
    平野啓一郎の作品は初めてだったけど、この本に出会えて良かった。

    (後半になってくると「分人」の思考が少しくどく感じられるのと、
    主人公の奥さんの「秘密」が勿体ぶったわりには意外にあっさり
    回収されてしまったのが、ちょっぴり残念。)

  • 久しぶりに感想を書きたくなった小説。
    ごちゃごちゃになっている感情を整理したくなったので。

    疑問を解決しようと、前へ向かう主人公の姿は、導入部分から中盤までは苦しかった。
    問題を無理やりこじ開けて、これから生きていかなければならない人間の一度あいた穴を完全に塞ぐことができるのか。
    壊れた形を、そうならなかった完璧な未来の延長線上に、立て直すことは可能なのか。
    ぼくには直感的にそれは無理だろうと悟った。
    だから主人公の行動が全て無駄な努力のようで辛かった。

    だけど、物語中盤である事件が起こり、ラデックさんや池端医師との対話で主人公のベクトルが確実に変わっていった気がした。
    何か、言葉にするのは難しいのだけど、寛容という言葉に近いのではないのかと思う。嫌な分人を”見守る”という行為。
    それが僕を安心させた。否定するのではなく、見守る。あると知りながらもそっとしておく。
    その距離の測り方を正しくしておくのが大切なのではないか、と。

    ひとりで自分に向き合っている自分、愛する人と一緒にいる自分、面倒だけど我慢しながらだれかに付き合っている自分・・・。
    一人の自分の中に、色々な顔をした人間がいる。
    その色々な顔をした人間の一人一人に名前をつけて分人とする。
    だから人の数だけ分人ができるという分人論。

    そして、自殺とは、認めたい分人が認めたくない分人を消そうとする。
    否定的な分人が攻撃的に殺すのではなく、肯定的な分人が、否定的分人を消す。
    病んでない分人たちこそが、病んだ分人を殺そうとする。

    この箇所は比較的明るい文脈で語られていて、読んでいて納得したあと、少し自分のことを思い返し辛くなって本を閉じた。
    章の最後の「不思議と彼の言葉を信じられる気がした」という論理に寄りそいながらも、あたたかさを持つ人間の根源的な魅力に救われた。

    その一回目に来たことが大事なんじゃないかと、問う主人公にも、納得できる部分があったし、それに対する反証も、どちらの意見もわかったし、暖かかった。
    どちらが正しいとは言い難いけど、どちらが正しくてもいいと思う。

    Save Meを聴きながら、感想を書いていると、途轍もなく長たらしくなってしまった。反省。

  • 過去の平野作品の中でも、ストレートな表現という意味では一番。幸せとは?、孤独とは?、死にたいという気持ちとは?、自分とは?死とは?生きるとは?
     死者の復生という現象を通じて、様々な人間の中に生まれる様々な問いと葛藤を、もつれた糸をほどくように展開していくストーリーは、謎解きのミステリーよりもドキドキする。
     
     人間の死は、寿命か、寿命未満かのどちらかである。途中の死がいつ来るかもしれない不安を慰めるものは、生の充実や疲労である。一方、寿命に向かっていく穏やかな歩みは、生きている人から遠ざかって「無」に近づいていく道程である。
     自殺が罪であるキリスト教社会と対照的に、日本には社会的分人を消す方法として「出家」があったということは興味深い。

     ゴッホの自画像の件から、自殺をする瞬間の人間は、幸せに生きたいと願うがために、その支障となる分人を「消したい」と願うのだ、と徹生が気づくところは圧巻。

     ラデックとの最後の手紙のやり取り。
     ラデックは、人生に起こる1回だけの重大な瞬間に何を決断するのか、がその人を規定するという考え方を我々の人間性に対して試練を与える意味で「悪魔的である」とし、死の一回性を肯定しつつも、「切れ味の悪いはさみ」と形容したことに、とても救われた感じがした。
     死を語る資格を持つ者の分人に影響を残すことが死するものの幸福である、ということは、死の恐怖を少なからず軽減してくれるものであるはずだし、この死生観に立つことにより、日常を生きていく上でいかに足場となる分人を大切にして(誠実に)過ごしていくべきか、という教訓にもなると思われる。
     このような筆者の呈示する死生観があるからこそ、この小説は最後に感動的なハッピーエンドを迎えることができたのであり、これこそ「決壊」での悲劇的なラストを越えて産み出された作品なのだ、と思った。

  • 生き方、対人関係、死についてなどいろいろ考えさせられる
    いい作品でした
    が、僕の中では小説というよりは自己啓発本という認識です
    新しい考え方が新鮮で凄いなあと興奮させられました
    学ぶ事も多かったです
    でも小説としてはスッキリしなかった
    最後の終わり方が僕の中では悪い予想外でしたし・・・・
    え?って感じで終わってしまいモヤモヤしてます
    結局、分人主義の説明がしたかっただけかよと思ってしまうんですが・・・
    やっぱり最後は予想通りの展開にしてほしかったなと思ってしまいます

  • 「ドーン」で明確になった、分人主義の集大成。

    前作「かたちだけの愛」は、愛というテーマを分人主義のフレームワークで語った。この小説は、それを自分自身、死者、そして世界にまで考え方を広げて、「自殺」というテーマの中で上手く消化している。とても上手く。

    若干分人主義の説明くさいところも鼻につくこともあったけれど、第一にプロットや伏線の回収の仕方、言葉の使い方は素直に感心してしまったし、何より深い感動を得ることができた。それは思いやりであり、人間が素直に希求する何かを的確に捉えているからだろう。

    「自殺者が生き返る=復生する」という突飛な世界観を丁寧に伝え、それを限りなく有効に働かせている。平野啓一郎の世界観の作り方には毎回感心させられるけれど、これをスムーズにやってのけるのは卓越した筆力と構成力に違いない。

    いずれにせよ、読んでいて共感で涙がこぼれる小説はなかなか出会えない。自分の中で大切な作品になっていくのだと思う。

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著者プロフィール

平野 啓一郎(ひらの けいいちろう)
1975年、愛知県蒲郡市生まれ。生後すぐ父を亡くし、母の実家のた福岡県北九州市八幡西区で育つ。福岡県立東筑高等学校、京都大学法学部卒業。在学中の1998年、『日蝕』を『新潮』に投稿し、新人としては異例の一挙掲載のうえ「三島由紀夫の再来」と呼ばれる華々しいデビューを飾った。翌1999年、『日蝕』で第120回芥川賞を当時最年少の23歳で受賞。
2009年『決壊』で平成20年度芸術選奨文部科学大臣新人賞、2009年『ドーン』で第19回Bunkamuraドゥマゴ文学賞、2017年『マチネの終わりに』で第2回渡辺淳一文学賞、2019年『ある男』で第70回読売文学賞(小説部門)をそれぞれ受賞。2014年には芸術文化勲章シュヴァリエを受章した。『マチネの終わりに』は福山雅治と石田ゆり子主演で映画化が決まり、2019年秋に全国で公開予定となっている。

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