- Amazon.co.jp ・本 (498ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062180320
作品紹介・あらすじ
世界各地で、死んだ人間が生き返る「復生者」のニュースが報じられていた。生き返った彼らを、家族は、職場は、受け入れるのか。土屋徹生は36歳。3年前に自殺したサラリーマン、復生者の一人だ。自分は、なぜ死んだのか?自らの死の理由を追い求める中で、彼は人が生きる意味、死んでいく意味、そして幸福の意味を知る・・・。講談社現代新書『私とは何か』と併せて現代日本の切実なテーマに向き合う注目作。
ある日、勤務先の会社の会議室で目覚めた土屋徹生は、自分が3年前に死亡したことを知らされる。死因は「自殺」。しかし、愛する妻と幼い息子に恵まれ、新商品の開発に情熱を注いでいた当時の自分に自殺する理由など考えられない。じつは自分は殺されたのではないか。とすれば犯人は誰なのか、そして目的は? 記憶から失われた自らの死の謎を追求していく徹生が、やがてたどりついた真相とは・・・? ミステリー仕立てのストーリーを通し、自殺者3万人を超える現代の生と死、そして幸福の意味を問う傑作長編小説!講談社現代新書『私とは何か 「個人」から「分人」へ』と併せて現代のテーマに向き合う注目作。モーニング連載の話題作。
感想・レビュー・書評
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「日蝕」、「ドーン」とは違って、導入から小説の中に入りやすく、493ページの長編小説にも関わらず、1日で読み終えてしまった。読後は長編を読み終えた充実感というよりも、読んでいる時には感じなかった「死」を意識することになる。それは残された自分の時間に恐怖や焦り、そして残していく家族の悲しみに不安であった。
恐怖や不安を感じる作品ではあるが、内容の読み応えやスリルを求める点で、読んでよかったと思う作品であった。
本作は、3年前に自殺をした主人公・土屋徹生が、36歳で当時勤務していた会社の会議室で生き返る。
しかし、死ぬ直前の記憶がない。愛する妻と1歳の幼い息子、新商品の開発に情熱を注ぎ充実した生活を送っていたはずで、自殺の理由が思い当たらない。自分の死の理由を追い求める中で、人が生きる意味、死んでいく意味、そして残される人間の気持ちというのを、「分人」という概念を通して理解をしていくという話し。
主人公・徹生が生き返った36歳という年齢は、 徹生の父が亡くなった年であり本作で、意味のある年齢となっている。そして、読後に分かったことであるが、筆者にとっても意味を持っていた。それは、作者の実父が亡くなられた年齢であり、2011年の東日本大震災に見舞われた時の年齢であった。
震災により亡くなられたたくさんの方たちの死と作者自身の実父の死が重なり、少なからず影響を受け世に放たれた本作は、私を含め、読者にやがて迎える「死」が自分と残された遺族が受ける影響について考えずにはいれなくなる。
徹生の死因は自殺である。必ず迎えるその時を待たずして、自らその時期を早めてしまう自殺を実行する人間の心理要素が、作者の唱える「分人」の存在を知ることで理解が容易になる点がいくつかある。
もちろん、自殺で亡くなった当人たちが自分の気持ちを発表した文献等はあるはずはないため、本作での説明が正しいこと裏付けるエビデンスはない。
ただ、私自身はその考え方に納得し、腑に落ちたという意味で説明をしたい。
例えば、会社員が自分の子供に使うお子ちゃま言葉で、会社関係の人間とは接しない。家族と一緒にいる私と会社で仕事をする私、子供といる私は、姿こそ同じであるが、声のトーンから思考に至るまで全く異なる私である。人間誰しも接する人により、声のトーン、話し方、思考を無意識に変えている。このそれぞれが分人という理解であるようだ。
本作の登場人物で、NPO法人ふろっぐの代表・池端の分人の説明によると、「ゴッホだけじゃない、人間はみんなでしょう。裏表なんて言いますけど、本当は二重人格どころか、つきあう人の数だけ幾つも顔を持っている。誰と喋っても『オレはオレ』のごり押しでは、コミュニケーションは成り立ちませんから。」である。
ゴッホがなぜ自殺をしたかの仮説が本作で記されており、自分の中の病んだ分人=耳削ぎ事件の分人が死にたいと思ったのではなく、健全なゴッホの分人が病んだ分人を死に追いやったということになっている。その理由を「包帯のゴッホは、恐い感じは全然しないです。やさしい目をしてるし、このパイプのモクモクって煙もユーモラスだし。…たいへんでしたね、とか、なんか一言、声をかけてあげたくなります。」と徹生の言葉が説明している。
これを以前読んだ「たゆたえども沈まず」を読む前に読んでいたら、もしかしたらあの作品のゴッホ兄弟の気持ちを別の角度で、考えて読むことができたかもしれないと、思わずにはいられなかった。
今まで、自殺者の精神的な弱さにフォーカスし、非難することしか思い浮かばなかったが、本作はもしかしたら弱い自分を追い込んだ強い自分の存在があったのではないかと考えるきっかけになった。
では、自分が好きでない分人を放念するには、他の分人はどこを受け入れて、どのように自分の意識を変えてあるいはその分人に接していくべきなのかというのを考えてしまう。
さらに、本作で気分転換についての考え方も変わった。「人間は分人ごとに疲れる。でも、体はもちろん1つしかない。疲労が注がれるコップは1個なんです。会社でこれくらいなら耐えられると思っていても、実はコップには、家での疲労が、まあ半分くらい残っているかもしれない。そうすると、溢れてしまいます。」
ということは、私が気分転換に行うランニングは、肉体的疲労を加算させていることになる。つまりは気分転換で頭はすっきりしても疲労は蓄積させていることになる。そして、疲労は、麻薬のようにアドレナリンを放出し、充実感を増大させる。この事実(かどうかはわからないが)に、これからは疲労は、体の疲労として捉えて、無理をせず、出来るだけ睡眠を取るようにしたいと、思った。
いつか迎える死までの時間は限られていることを認識し、何のためにこれから生きていくか、自分および遺族に何を残していくかも併せて、早い段階で考えたい。と、真剣に思った。 -
この本を読んで、いやー本当いつ死ぬかわからんなーと思った。自分のことを嫌っている人ももちろんいるわけだし。殺されるかもしれない。死ぬかもしれない。でも、ずっとそう思って生きるのは多分つまらない。だけど、悔いのないように、楽しく生きれば、いい人生だったなって死ぬときに思えるから、楽しく、生きようと思った。(久しぶりにいいこと言った)
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2024/08/27
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授業でビブリオバトルをするときにこの本でやってみたけど、言葉が止まらなくなった。(時間オーバーしそうになった)ノー原稿でチャレンジしてみたけ...授業でビブリオバトルをするときにこの本でやってみたけど、言葉が止まらなくなった。(時間オーバーしそうになった)ノー原稿でチャレンジしてみたけど、ヨユーなくらいだった。自分でもびっくり。2024/10/15
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平野さんの作品は、「決壊」と「ドーン」しか読んだことがなかったが、「決壊」を読み終わった時、もの凄い衝撃を受けた。
それからこの作家さんがずっと気になっていたのだが、私の探し方に問題があるのか?書店で見つけることが出来なかった。
今回 Amazon で9冊平野さんの本を購入した。
何と表現したら良いか?文章の虜になってしまう。
この作品は、「決壊」に比べると随分易しい表現で、誰にでも読みやすく書かれている気がする。
平野さんの作品は、1ページを何度も読み返す為、長い時間を費やして読んでいたのだが、この作品は時間をかけずに読み終わった。
易しい表現ではあるが、平野さんの文章の魅力は満載で、少し生きづらく思っている人には、勇気というか、
生きやすさというか、視点を変えてくれる作品ではないかと思う。
この作品でもすっかり心を鷲掴みにされ、読み終わった後はしばらく放心状態になってしまった。
これこそが読書の喜びだろうなぁ。 -
描写が素晴らしく映像を見ているかのように情景が浮かび人物が動く、ほんとに素晴らしい。
言葉も淡々と流れていくように綺麗で、眉間の皺一つ表現するにもこんな言葉を並べるんだと、ほんとに天才だなと感心してしまった。
前半は自死を受け入れられない、本当の自分とは?というところに振り回されててしまうんだけど、後半に分人という本当の自分は一人ではないという考えを受け入れる事で、あらゆる自分を肯定していいんだという考えへと変化していく。
最後の終わり方もよかったと思う。
どちらにも取れるような終わり方で、悲しい気持ちにならなくてよかったと正直思った。 -
死んだ人が生き返る世界で、かと言ってその不思議さにフォーカスするのではなく、生き返った人の苦悩や葛藤が書かれている。
めんどくさいこと考えるな〜とも思うが、なんだかんだ共感して感動した。自分の生が周りの人に影響を与えているんだなとしみじみ思う。
あと、子供とのからみを書かれると弱い…
最後が何とも言えないが、その後の世界で皆んな幸せになっていることを願う。 -
ある夜、勤務先の会議室で目醒めた土屋徹生は、帰宅後、妻から「あなたは3年前に死んだはず」と告げられる。
SFなのか、ミステリーなのか、と読み進めていくうち、何か妙なリアルさを感じる。
「死んだ人間が生き返る」なんてことあり得ない事だけれど、もし現実に起きてしまったら、こんな問題が生じてくるだろうなぁと。
徹生の死因は「自殺」で、妻や子供、母親、仕事の関係者、はそのため心に深い傷をそれぞれに負っていた。
徹生は戸惑う。息子が生まれ、仕事も順調だったはずの当時、自殺する理由などないはずで、自分は事故か殺されたのではないかと疑い、心当たりのある犯人に接触したり、自分の記憶を思い出そうと翻弄する。
妻は、苦しんだこの3年の重荷が重過ぎて、無かった事にできないし、以前のようには戻れない。
「復生者」は世界中でも多数確認され、保険金の返済問題など、復生者の会で、相談したり、復生者同士の交流が生まれる。
後半は、「死生観」、「個人の分人」など哲学的な事にも触れ、表紙のゴッホの自画像の理由も判明する。
着地点が分からなくて、遺族の辛さが生々しいほど痛々しくて、今までにない小説で一気に読んだ。
全国で生き返る「復生者」たち。その集会に参加した徹生は、そこで自らの死についての衝撃的な真相を知る。
生と死の狭間で「自分とは何か?」という根源的な問いを追究し、「分人」という思想が結実する。
自死したゴッホの数々の自画像。
それぞれが、ゴッホの「分人」であり、「分人A」が特定の「分人B」もしくは「個人」そのものを抹殺しようとする。
確かに共に過ごす相手によって、私は私でしか無いけれど、主人の前、友達の前、親の前、愛犬の前、その人にしか見せない「私」がそれぞれにいて。
「この人と一緒にいる時の自分が好き」とかある。
下巻は、「死生観」や「分人主義」など、哲学的な話が中心になってくる。
自殺について。
誰かの死が周りに及ぼす影響。
逆に誰かの生が周りに及ぼす影響。
生を受けた者が、死後に遺せるもの5つ(記憶、記録、遺品、遺伝子、影響)あること。
記憶、記録、遺品は、死者を思い出す時に遺族に近付いてくるもの。
遺伝子、影響は、死者から遠ざかっていくもの。
明日もし自分がこの世から消えて無になってしまった時、愛するものに何が残せるか。
最後の着地点も、切ないけれど良かった。
元々「生きたい」とか「生きる」ことに執着していない私だけど、それはやっぱり変わらないけれど、遺される者へ、やるべきことは、あるんだなって思えた。 -
最初は話の設定に面白味を感じ、どうなっていくんだろう?と展開に期待したが、佐伯が気持ち悪過ぎてどんどん嫌になってきた。
そして哲学的なんだか心理学的なんだか、言ってること(佐伯の言ってることじゃなくて、著者の言ってる『分人』云々のこと)はわからなくもないけれど、もうわからなくってもいいやという気になってきて、飛ばし読み。
コメントご丁寧にありがとうございます。
はい!読みました!
「ドーン」に続いて分人の考え方が刻み込まれた気がします...
コメントご丁寧にありがとうございます。
はい!読みました!
「ドーン」に続いて分人の考え方が刻み込まれた気がします 笑