- Amazon.co.jp ・本 (338ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062180474
作品紹介・あらすじ
突撃、隣の外国人の食卓。日本初の比較"ごはん"文化論的ルポ。
感想・レビュー・書評
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日本に住む外国人の食事をテーマにしたルポルタージュ。高野秀行さんの著書を読むのはこれが初めてだったが、肩肘張らない気楽な読み心地で、書いてあることはすごく面白いのに「どうだ!」感はほとんどなく、読んでいる間ずっと楽しかった。取材対象のことを書きながら、取材する側であるご自身も透明人間じゃないので当然登場するのだが、そのバランスが心地良かったのかもしれない。
どの章も、感じ入ったり笑ったりしたところがそれぞれあったが、その中から選ぶ「特に面白かったところ」をメモ。
・どんなときでもギャグを忘れないフィリピン人女性アメリアさんの言葉「津波で美しいものは何もかも流された…。残ったのは私だけ。いちばん美しいものが残った」にプッと噴き出す高野さん
・気取ったおフランスに対する敵愾心からの、取材を経ての和解という、高野さんの内なるストーリー風に仕立てたエンタメ性の高さ
・時間にルーズで堪え性のない盲目のスーダン人男性アブディンさんと高野さんの「馬鹿のかぎりを尽くして」きた十年来(当時)の友情物語
※ahddamsさんに「オススメありますか?」とお聞きして教えていただいた本でした。ありがとうございます! -
日本に住む外国人が何を食べているかを追ったルポである。
出てくるのはタイ人、イラン人、フィリピン人、フランス人、台湾人、ムスリム、ブラジル人、インド人、ロシア人、朝鮮族中国人、スーダン人と多彩。
各国料理の写真が冒頭に多数収録されている。
在日外国人が何を食べているか。興味深いが、一筋縄ではいかないお題だ。
副題に「不思議な食生活」とある。例えばフランス人ならフランス料理を食べているのだろう、インド人ならカレーを食べているのだろう、と予測は出来る。そしてある程度、あたっている部分もある。
だが、「一般的な日本人の食事」と問われた場合、百人いれば百様であることを思えば推して知るべしであるが、ステレオタイプなものばかりであるはずはない。
沖縄系ブラジル人のコミュニティでは、沖縄料理、ブラジル料理、ペルー料理、アフリカをルーツとする料理、地中海でよく食べられるクスクスと多彩なものが食されている。それは彼らの辿った歴史をそのまま背負っているようでもある。
言葉もまた同様で、ポルトガル語、日本語の標準語、沖縄言葉が混ざってしまったりする。
フランス人が語る日本とフランスの違いが興味深い。パリに住む外国人はそれぞれ同国人が作るコミュニティに住み、自らの言語や文化で生活が出来る。極端な場合、何十年も滞在していてもフランス語が話せないこともある。日本では、外国人であっても日本語を使って生活する必要があり、そしてまたいつまで経っても「ガイジン」と見られる。
そう語るフランス人は旧フランス領アルジェリア出身である。
異なる文化の中に飛び込み、そこから取り入れるものもあり、そして生まれ育った国の伝統を引き継ぐ部分もあり。
食という切り口は、しなやかにしたたかに生き抜く彼らの一面を見事に浮かび上がらせる。
内容自体も興味深いが、外国人たちの生活を飄々と紹介していく著者の視線もまた楽しい。
取材の合間にがっつりと考察をしつつも、著者自身が移民たちとの宴を心底楽しんでいる。時には取材そっちのけで飲み食いに励んでしまったり、酔っぱらってしまったり。
数多くの知人・友人の伝手を辿って、取材相手を見つける「人徳」もすごい。
当然のことながら、日本に住む彼らがいつでもハッピーでいるわけではない。
重くすればずしんと深刻にすることも出来る話題を、相手を思いやりつつもユーモアを交えてさらりと読めるルポに仕上げるところは、絶妙に「軽い」人柄による天賦の才だろう。
だから最後はついつい、冒頭の写真に戻って、タイのお坊さんの食べる料理やら、イランのデザート「ズルビア」やら、フランス料理店のまかない料理やら、台湾の腸詰めやら、ブラジル風コロッケ「コシーニャ」やら、ロシアの水餃子「ペリメニ」やらが食べてみたくなる。
そしてその写真を眺めつつ、コスモポリタンってなんだろな?とちょっと考えてみたりもするのである。
*ルポを初めてまもなく、東日本大震災が起きている。三陸に嫁ぎ、震災に遭ったフィリピーナの話が印象深い。 -
これも異文化体験ものになるのかな。でもさすがは高野さん、目の付け所が違う。日本に住んでいる外国人の食生活について、食卓をともにしながら、時には一緒に料理したり、宴会になだれ込んだりしつつ、驚きのルポをしてくれている。
わたしが住んでいるのは結構田舎で(世帯数が増えも減りもしない、というところが田舎)、また、きわめて出不精なので、普段「外国人」と接することはほとんどない。だからなのか、まずはこんなにあちこちに外国人コミュニティがあるというのが、へぇ~という感じであった。それがまた実に自然に地域に根付いている様子がよく伝わってきて、とても気持ちのいい読み物になっている。
もちろん、異文化というのは決して接して楽しいだけのものではなくて、むしろ不快なことがいろいろある。そこらへんも、世界を旅してきた(しかも並みの旅ではないものね)われらが高野さんのこと、よーくわかっていて、バランスのとれた書きぶりになっている。
日本に住むことを自ら選んだ人たちは、当然かもしれないが、日本の良さを口々に言う。街が清潔で、暮らしが便利なこと、人々が優しく親切なこと等々。それでも、高野さんが群馬県館林市にあるムスリムのモスクでみんなと食事をしながら、「外国を旅しているときにしばしば感じる『自分だけが間違っているのではないか』という思いにとらわれていた」と書いているのが強く印象に残った。「みんな、神を信じている。みんな、助け合って生きている。そして仕事より子供を大切にして生きている」
また、おそろしく手間のかかる家庭料理をみんなで作り、同じものを何日も食べ続けるのが普通という食生活のあり方を次々見せられると、和食洋食中華エスニックと毎日いろんなものを食べている日本人って、もしかしたらへんなのじゃないかと思わせられる。食べ物には本当にお国ぶりが出るものだなあとあらためて思う。
「おわりに」で高野さんが「この二十年で日本人の外国人への差別や偏見は激減した」と書かれていて、ここにはぐっときた。
「外国人への意識が健全になったということは、人間全般への意識が健全化されたということだ。『失われた二十年』などと言うが、私たちは実はものすごく成熟したのではないか。それは政治経済なんかよりはるかに大事なことではないのか」 -
今、日本には外国人が207万人もいる、と数字を挙げられてもよくわからないけど、北海道の人口を上回り、名古屋市の人口にせまる勢い、なんて言われるとへぇ~~!と興味を惹かれてしまう。 (*^_^*)
しかも、そんな外国からの人々は、
10年、20年と日本に根を下ろした生活をしている…。
そっか、じゃあ、そんな彼らは顔は日本人とは違うかもだけど、
外国人ってわけでもないじゃん。
で、高野さんは彼らを「移民」と呼び、日常の食生活にターゲットを当てて一冊作ってしまったという、とても面白いレポを読ませてもらいました。(*^_^*)
成田のタイ寺院、中華学校、群馬県館林市のモスク、南三陸のフィリッピン人主婦たち、鶴見の沖縄系ブラジル人、など、
高野さんは移民のコミュニティを足がかりにして、
日頃何を食べているのか、日々の食材の買い物は?調理法は?
宗教との関連は?と、
次々にびっくりするような“日常”が炙り出されてきて興味深い。
聖職者が尊敬されていること、
宗教が大きな心の拠り所となっているところ、などは
想像の範囲内ではあったけれど、
ロシア正教のクリスマス(2012年、1月17日)で、
日本のクリスマスはアメリカのクリスマスでしょう、と言われ、
そっか、世界中の人が同じ西暦の暦を使っているわけじゃないんだな、
と改めて驚いたり、
「天皇陛下と日本政府の幸せと長命」も祈ってくれているなんて、これまた驚いたり。
そしてその理由を「やっぱりさ、あたしたちはさ、あくまでゲストだからね」とちゃきちゃきの江戸っ子口調で教えてくれるマルガリータさん。
また移民というと、食い詰め感、があるのか、
抵抗を示す人あり、全然気にしない人あり。
朝鮮族中国人(朝鮮半島出身で中国に住み着いた民族)の、
日本は楽でいいよ、
韓国人からは北朝鮮のもっと北に住む遅れた人たち、として見下されるし、
中国でもしょせん異民族だったし、とつぶやく整体師の高先生。
民族の食事も根強く大事にしながら、
日本のものも食卓に乗せ
(日本食の料理は簡単でいい、茹でるとか、焼くとかだけが多いから、と言われるとなるほど!と思い、ラッキーとまで思ってしまう主婦。(*^_^*)
だって、各民族の食事はすごぉ~~~く手間がかかるものが多いことを今回、イヤというほど知ったから。)、
イスラム圏の人たちは意外に寿司が好きだとか、
(肉にはあれこれ戒律が絡むから面倒なんだって)
でも、日本人は日本食だけ食べているわけじゃない、とか。
食事から各国の文化、そして日本の文化・国民、また、長らく住んでいる“移民”だからこそわかる日本人の気持ちの変遷だとか、がとても面白く読めました。(*^_^*) -
本書が書かれた 2012年には日本に暮らす外国人の割合は 約 1%とのことだが、2019年現在は約 2%、260万人以上の外国籍の人が暮らしている。宗教や食習慣の違いから独自のコミュニティを形成するケースも多く、鶴見の沖縄系ブラジル人コミュニティや西葛西のインド人コミュニティ、成田のワットパクナム寺院(タイ)などは現地文化と日本文化が融合して何だかよくわからないものを生み出している。そんな国内の外国を、数々の外国取材経験を持つ高野秀行がルポする。多国籍時代の日本を生きる現代人にとっては必読の一冊。
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3.11前後を中心に在日外国人の人たちにその日本での食生活と彼らの人生について、インタビューして回ったドキュメント。モスレムの人たちスが意外に東北の被災地で救援活動していたり、デンマーク、フィンランドの大使館が避難先に選んだ場所の意外性かと、中華学校のお弁当に、と眼から鱗のことばかり、参考になるというか、とても勉強させられた一冊。
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高野秀行さんによる日本における移民の食生活ルポ
確かにちょっとやわらかすぎの文章かな~という部分はあるけど、リアル!と移民特有の逞しさを感じた。
とはいえ、これも氷山の一角なのかな~と思える。
どんなこともやはりすべてを表現することなどできないが、移民の生活に飛び込み、そこのリアルを愛をもって上手に掬いだし、書いていると思う。
それはひとえに高野さん自身が移民体質だからかも。
そして、これからの時代はすべての人が移民体質で生きていかないといけないのでは?いや、生きていくべき~なのである。
それが摩擦を起こさず、生き残れる術なんじゃないかな。
最近、日本のテレビでは海外に暮らす日本人に焦点をあてた番組や、外国人が参加する番組が増えているな~と感じていたが、それもそのはず、この本のようにすぐ隣にインド人村や、沖縄系ブラジル人村があるのだから、いつまでも日本人だけで住んでいると思わないことが大事。
その環境の中でこそ守られる文化があるのだということもわかる。
本国ではすっかり廃れても、別の地でそれを一生懸命守ろうとする人々によって文化が守られているという事実があるのだから。
1成田のタイ寺院
2イラン人のベリーダンサー
3震災下の在日外国人
4南三陸町のフィリピン女性
5神楽坂のフランス人
6中華学校のお弁当
7群馬県館林市のモスク
8鶴見の沖縄系ブラジル人
9西葛西のインド人
10ロシアン・クリスマスの誘惑
11朝鮮族中国人の手作りキムチ
12震災直後に生まれたスーダン人の女の子、満一歳のお誕生日会
まさに、一瞬で外国にいかれる日本「どこでもドア」のよう~
成田のタイ寺院 ワット・パクナム日本別院
タイにとっての寺院は「タンブン=功徳」を積むところ
毎日お寺に行きお参りしている
お料理もお寺に~功徳になる~「食べていただく」という気持ち
誰でも受け入れる場所がお寺
そういう居場所であるお寺を作ることを目的にがんばるタイ人
ゲウチャイ~チェーンのタイレストラン~社長松本ピムチャイ
http://tabelog.com/tokyo/A1304/A130401/13128092/
タイ教育・文化センター
http://www.thaitec.jp/
ミーナ・サレー(イラン出身ベリーダンサー)
イラン人はダンス好き「イランでは誰でも踊ります。踊れないと『田舎者?』って思われちゃう」
ペルシアンダンスがイラン人の誇り
横浜のイラン食材店 テヘランショップ
http://www.nikikitchen.com/iranian.html
「ペルシア帝国だった頃は、信教の自由があったし、何を信じてもいいと思う。それに前の(革命前の)文化は好きだから」~ゾロアスター文化
「イスラムはアラブの文化。イランはイランの文化がある」
「ベサロミテ」(乾杯!)
ザバン
ゴルメ・サブジ
http://www.persian-style.com/iran-iranianfood-ghormehsabzi.html
中東=アラブみたいな印象があるけれど、中東世界は、アラブ、トルコ、イラン(ペルシャ)の三大見ンzくとその他多数の民族がそれぞれ独自の文化をもっている
タブリーズ出身の女性は料理が上手
二の腕を掴んでニギニギする
★震災下
スーダン人アブ
外国に国外に住むと、親や家族からの圧力が大きい。
例)パレスチナは危ないから帰ってこいのような~
日本は原発で危ないから帰ってこいのような~
インド人は国(政府)を信じない
苦しいときに助け合うのがイスラム教徒
タイから送られた仏像~在日タイ人も困惑
でも、北欧の人たちもまさか被曝を避けるためにヒロシマに行く日が来るとは思わなかっただろう。P90(フィンランド、デンマーク)
気仙沼 イエティ
http://tabelog.com/miyagi/A0404/A040401/4009175/
ネパール料理「モモ」
http://tabelog.com/tokyo/A1304/A130404/13104607/dtlrvwlst/1479489/3300207/
オーナーのマルラ・ティラクさんがネパール週刊新聞「ネバーリー・サマーチャール」発行
★南三陸
赤羽 フィリピン雑貨店「サラップ・ブッサン」
http://akabanebussan.com/about-us/sarap-bussan-shop/?lang=ja
赤羽物産 ネット販売
http://akabanebussan.com/
「やっぱり自分の慣れ親しんだものを食べたいんでしょう」P105
P106人間は、というか私は、気を許すとすぐに自己中心的な見方に陥るので要注意だ。
バヤニハン
http://kotobank.jp/word/%E3%83%90%E3%83%A4%E3%83%8B%E3%83%8F%E3%83%B3
ばやにん妻の会→サンパギータFL
P109アメリアさんの言葉「日本で三十五年、この町に二十年、誤解を受けながら長居時間をかけて地元に溶け込みやっと仲間になれたんです。今更他の土地に住むつもりはないですね」
「自身の直後はそう思ったときもあるけど、パパさん(夫)を置いて帰るわけにはいかない。一緒に行ってもパパさんは言葉がわからにし。私は子どもがもう大きいけど、他の人たちは子どもがまだ学校に行ってるから、やっぱりフィリピンに行っても困るんですそれにうちの人が零から始めるなら、私がそばにいたい。背中を押して…押して…」
~南三陸町にしっかりと根を下ろしている。在日外国人というより「外国籍日本人」と呼ぶべき人たしなのである。
P110「一日一回楽しいことがあると眠れるんです。今日は『青葉城恋歌』のムネさんが来たとか、昨日はお相撲さんが炊き出ししてくれたとかね」
P123「残ったのは私だけ。いちばん美しいものが残った」
~フィリピン女性の明るさ。それは「明るくしていなければかっこうわるい」という彼女たち矜持(きょうじ)なのだろう。
★神楽坂
リセ・フランコ・ジャポネド・ド・東京
http://www.lfitokyo.org/index.php/ja/
プチ・パリ
http://www.petitparis.jp/
http://tabelog.com/tokyo/A1309/A130905/13125078/
フレンチダイニング
http://tabelog.com/tokyo/A1309/A130905/13006381/
P145ナビルさん夫妻の悩みどころは息子のラミちゃんの教育だ。特に言葉。
ちょうどこのとき、退屈なインタビューに機嫌を損ねたラミちゃんが大声で泣き出し、ナビルさんは抱っこして別室にあやしに行った。
鳴る見さんは「日本語しかできないようじゃ困る」と言う。でもそれはバイリンガルにしたいとか、国際人であってほしいという話ではなかった。「お父さんと会話ができない子どもにはしたくない」と言う。「子どもがお父さんと細かいところまで話のできる状況をつくらなければいけない」のだそうだ。同じように「おじいさんと話ができない子どもにしたくない」という理由で日本語を覚えて欲しいし、「イトコと話ができない子どもにしたくない」という理由で、アラビア語も覚えてほしいと願っている。国籍や民族という理念めいたものでなく、「誰と話ができrか」という付帯的かつ個人的な話であるのが新鮮に感じた。
P146フランスとは国家や民族の名前ではなく、言葉と料理を核となす「文化」の名前なのだと実感させられたのだった。
P146「移民」という言葉
賛否両論。適切な言葉がない。
気にしないし、それでいいという日tもいれば、経済的な理由で外国に住んでいると理解してこの言葉を使わないでほしいという人もいた。
今までは他の国のできごと=移民問題、と思っていた人も多いがすでに日本は移民が増え続けている。
★中華学校
台湾人のおおらかさ~
東京中華学校
http://tcs.or.jp/
新宿 台南たああみ
http://www.tainan-taami.com/index.html
大久保 龍門館
http://tabelog.com/tokyo/A1304/A130404/13030382/
P158「中華料理は冷めたらおいしくないから」
★群馬県館林
館林=在日ムスリムの街
クバモスク
http://islam-in-japan.over-blog.com/article-quba-masjid-tatebayashi-61851070.html
ロヒンジャorロヒンギャ~ミャンマーとバングラディシュの国境地帯に住むベンガル系民族のこと
http://www.hurights.or.jp/archives/newsletter/sectiion3/2010/03/post-96.html
ドスティ&ドスティ・ハラル・フード
http://tabelog.com/gunma/A1002/A100204/10012923/dtlrvwlst/4841414/
P190「日本人は神様いないでしょ?だから壁にぶつかったときにダメになっちゃう。自殺しちゃう。僕たちは神様いるから、壁にぶつかってもなんとかなるって思えるんだよ」
P191外国を旅している時にしばしば感じる「自分だけが間違っているのではないか」という思いにとらわれていた。
★鶴見の沖縄系ブラジル人
NPO法人ABCジャパン
http://www.abcjapan.org/
安富祖ミチエ(あふそミチr)~沖縄系ブラジル人二世
トゥカーノ
http://tabelog.com/kanagawa/A1402/A140210/14030468/
ぶーがる ブラジリアン・バー
http://www016.upp.so-net.ne.jp/bulgaru/page4.html
P207外へ出た人のほうが自分の伝統を大事にするし、そのまま変えずに守る。同じ傾向がここ鶴見の沖縄コミュニティにもしっかり見られるのである。
P210どうしても「できるだけ物事を整理したい」という欲がある。端的にいえば、料理にも人柄にも「らしさ」を見出したいと思ってしまう。
沖縄らしさ、日経らしさ、ブラジルらしさ。
ところがその三つは渾然一体としているばかりか、「欧米っぽさ」や「日本的」とも混ざり、容易に判別がつかない。
P212それは結局、愚問だった。前週、ミチエさんに「自分のアイデンテイティは何ですか?沖縄人?日本人?ブラジル人?」と訊いたときもそうだった。
「ブラジルにはブラジル人なんていないのよ。だからアイデンティティなんて考えたことなかった」とミチエさんは答えたのだ。多民族多人種の移民国家だということである。
鶴見の日系人はなぜ特別なのか
ほとんどの人がバイリンガルという日系ブラジル人の集まりは、実は鶴見だけらしい。豊橋とか他の街に住んでいる日系人たちは日本語をあまり話せませんから。~他の街の日系人はあくまでも「出稼ぎ」である。いずれブラジルにかえると思っているから日本語を学ぼうとしない。向上でも団地でも周りはブラジル人ばかりだから日本語を使う必要もない。食材も、ブラジル食材店で買って済ませてしまう。パソコンでブラジルのテレビを見る。つまり、地元の日本人社会と隔絶して生活していることになる。
「そうすると、いろんな問題が出ます」と茂木さんは説明する。例えば、子どもはふつうの日本人の学校に行って日本語しか喋らなくなるが、親は日本語を話せないからコミュニケーションがとれない。学校の先生と親も話ができない。
「仕事面でも問題はたくさんあります。他の街の日系人は工場で働く単純労働の仕事だから、リストラにあいやすい。日本語がわからないから騙されたり、長時間労働をさせられたりする」でもここ鶴見ではそういうことが一切ないと茂木さんは言う。
★西葛西
ジャグモハンSチャンドラニ
スパイスマジック カルカッタ
http://tabelog.com/tokyo/A1313/A131305/13009587/
北口に~北インド料理 南口に~南インド料理
P234歌を聴くとわかるんですよ。インドと日本の文化が近いってことが。故郷を思う気持ち、嫁に行く娘を思う気持ち。こぶしをきかせるところやメロディーも。毎日の生活はちがうけど、日本にはインドの千五百年前の仏像も残っているんです。似たところがあって当然ですよ」
P235「寛容」と「排他的」のちがい
ISKCON
http://iskcon.org/
P237「インドの人は寛容なんですね」
「寛容とは違います。」ときっぱり否定された。
「排他的ではないんです。いろいろな考え方があって、どれが正しく、どれが間違っているとかではない。どれも正しい。それを理解するということです」
ハッと目が覚める思いだった。たしかに「寛容」とは「間違った存在や行動を多めに見る」という上からの視線がある。だがインドでは自分と葉ちがうものが同居していることが常態なのだ・それをわざわざ追い出す行為が「排他的」である。
インド人の「共存」の意識とそれを適当な言葉で流さない論理性には恐れ入る。
P239「本当にうれしい。今まではお参りしたくても行くお寺がなかったから」
★ロシアンクリスマス
ロシア正教会 ポドウォリエ聖大公アレクサンドル・ネフスキー聖堂
http://residencewatch.blog.fc2.com/blog-entry-19.html
スカズカ
http://tabelog.com/tokyo/A1312/A131201/13103180/
http://skazka.jp/
マルガリータ・シュウエツさん
「斎(ものいみ)」とは、身を清めるなど信仰上の理由で食べ物の品目を制限すること
クラースヌイ・ウーゴルとは
ロシアの農家には、部屋の上座にあたる東のすみに、イコンと呼ばれる東方正教会の聖像画をかざり、灯明をともし、祈とうをおこなう「クラースヌイ・ウーゴル」という一角があります。ロシア語で「麗しき一隅」という意味で、英語では「イコンコーナー」と呼ばれるそうです。
★朝鮮族中国人
「生魚、生卵、山芋、ああいう生のものを薄味で出すというのが中国ではありえない。素材の味がそのままでちゃうじゃないですか」という
キムチはすべての漬物ということである
★モハメド・オマル・アブディン
http://www.poplarbeech.com/wagamoso/007244.html -
日本にいる在日外国人が何を食べているのか、食事の様子から普段の彼らのリアルな姿を浮き彫りにしようとした本。高野秀行さんは本当に人が好きなんだな。
南三陸町のフィリピン女性たちは明るくて強くて前向きで、ぜひお友達になりたいと思った。あと、スーダン人のアブディンと高野さんとの友情がほほえましかった。 -
日本を生活の場にしている外国人の食生活を中心に、その人たちの考え方や宗教観、コミュニティーのあり様などを紹介。
彼らの目を通して、日本の姿も見えてくる。 -
やっぱり高野さんの文章は読みやすくておもしろいなーーー。
日本に暮らす外国人がふだんどんなものを食べているのか、ってルポなんだけれども、自分が主夫をしていて料理がたいへんだっていうエピソードがなんだか個人的にツボだったりして。あと、ふだんの食事を取材するつもりが結局その外国人コミュニティの宴会にまぎれこむことになるっていうあたりとか、なんというか、かっちりした「ルポ」とかじゃない感じがよかった。それこそ高野さんの「明るさ気さくさ」が出ているというか。もちろん、日本で暮らす外国人たちのたくましさ、バイタリティ、明るさにも、読んでいて明るい気分になれる。震災後も被災地で暮らす元気で明るいフィリピンの女性たちとか、原発のこととか心配してもしかたないしと言うスーダンのアブディンさんの奥様とか。見習いたいとか思ったり。
それにしても、今やそんなに日本に外国人が暮らしているとは思っていなかった。昔と比べて増えてるって感じもわたしはしないんだけど。
外国から日本にきてずっと暮らし続けてくれて、しかも日本は暮らしやすいとか言ってくれると、確かにすごくうれしい気がする。
とにかく、いろいろと、すごく読後感がよかった!
『移民の宴』を早速読んでいただけてとても嬉しいです♬読書中は食事をしている時のように心が温まって...
『移民の宴』を早速読んでいただけてとても嬉しいです♬読書中は食事をしている時のように心が温まってきたのを今でも覚えています^ ^
著者自身の人柄も良い感じにミックスされていて、読んでいて心地よかったですよね。
アブディンさんの著書も抱腹絶倒の中にホロリとくるものがあったので、是非合わせてお楽しみくださいね!こちらこそ有難うございました。
素敵な本に出会えて嬉しいです!
影響を受けやすい私は、この本を読んだことに背中を押さ...
素敵な本に出会えて嬉しいです!
影響を受けやすい私は、この本を読んだことに背中を押されて、生活圏内にあってずっと気になっていたが一度も入ったことがなかったハラール食品のお店に初入店しましたよ笑。買ったのは無難にお茶っ葉ですが、気さくな店員さんとも多少会話して、楽しかったです。
アブディンさんの本もやはり面白いのですね。あの流れでは絶対読みたくなりますよね〜!楽しみです。