おみやげと鉄道 名物で語る日本近代史

著者 :
  • 講談社
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本棚登録 : 136
感想 : 18
  • Amazon.co.jp ・本 (290ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062181563

作品紹介・あらすじ

日本各地の駅を訪れると、饅頭や羊羹、弁当などの食品が、その土地の名物として売られている。私たちにとって当たり前のこの光景は、実は他の国ではほとんど見られない(ロンドンのターミナルで「ビッグベン当」のようなものは見あたらない)。この類い稀なる「おみやげ」という存在は、鉄道を筆頭とする「近代の装置」が、日本の歴史、文化と相互作用して生まれたものだった-。近代おみやげの誕生と発展のありさまを描き出す、本格的歴史研究。

感想・レビュー・書評

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  • <日本のおみやげ文化は近代の所産である。その鍵を握ったのは、鉄道網の整備と保存技術、そして付随する「物語」だった。>

    日本のおみやげが特異な存在であることを知ったのは、個人的には学生時代だっただろうか。
    「おみやげ」と言われて日本人がまず思い浮かべるのは、各地の地名がついたり土地の名産が原料として使われていたりする食べ物(往々にして饅頭やクッキーなどの甘い物)だろう。だがこうしたものは外国ではほとんど見られない。ボストン饅頭やパリ・サブレなどというものはない。食べ物をみやげにする事例は皆無ではないが、日本ほど多くはない。英語でsouvenirといえば、その土地を訪れた記念品として旅に行った本人が自分のために買う場合が多いようである。
    世界的に見れば特異な日本の「おみやげ」はどのように生まれたのか。鉄道をキーワードにして追ったのが本書である。

    タイトルと表紙の絵で気楽な本であるように感じられるが、資料も多く、情報には細かく注がついて出典が記載されている。ある意味、学術研究報告書のようでもある。それもそのはず、科学技術研究費の助成を受けた研究成果の一部をまとめたものなのである。
    かといって読みにくいかといえばそんなことはない。むしろ、くだけすぎないところに好感が持て、落ち着いて読める本である。

    現在、一般的に知られる「おみやげ」の起源は意外に新しい。
    江戸時代の旅には時間が掛かった。そのため、みやげものには工芸品などの非食品が多かった。食品でも乾燥した保存のきくもの。軽く・かさばらず・腐らないものである。○○餅などの食べる名物は茶店で供されるのが普通で、持ち帰るものではなかったのだ。
    この時代の名物が生まれたのは、街道沿いや寺社などだった。みやげの語源には、諸説あるようだが、本書では「宮笥(みやけ)」説が紹介されている。「笥」とは供物を入れる入れ物。神仏に供えたものを分配し、これを持ち帰ったことからきているという説である。これに土地の産物を意味する「土産」が当てられた。
    出掛けた先で買ったものを留守番のものに持ち帰る素地は日本には昔からあったと考えられるわけである。

    近代となり、鉄道網が発達していくにつれて、「おみやげ」の中身や生まれる場所に変化が現れる。峠や街道の要所としてそれまで栄えていた場所も、鉄道から外れ、人の流れが減ると、その土地の賑わいはなくなり、みやげは消失していく。代わりに栄えていくのが乗降客の多い駅の周辺である。遠くから多くの客を運び、客はみやげを買っていくという図式だ。

    ただ菓子を始めとする食品が主流となるには、もう1つの要件が満たされる必要があった。保存性である。
    明治期には羊羹のようなものでも日持ちがせず、変質や腐敗などの問題があったようである。業界が取り組むことで、材料や包材に改変が加えられ、徐々に品質が安定して維持されるようになっていく。

    近年、鉄道でなく自動車で旅行をする人も増え、また団体旅行ではなく個人旅行が増えていることにより、また「おみやげ」の様相は変わっていきそうである。「道の駅」が発展し、個性的な商品が売れる。
    それでもなお、形を変えつつ、旅先で買ったものを親しい人に配るという風習は根強く残っており、日本の「おみやげ」はさほど近いうちに姿を消すものではなさそうである。

    具体的な事例はいくつも挙げられていて、それぞれに興味深いが、個人的に一番印象深かったものを1つ紹介したい。
    岡山のきび団子である。
    日清戦争は近代日本が経験した最初の大きな対外戦争である。当時、山陽鉄道は、兵士輸送の要であった。全国から広島に兵士が集められ、宇品港から出征していった。現在でもきび団子を商う岡山・廣栄堂の初代はこの好機を見逃さなかった。桃太郎の扮装をして、広島に出向き、「日本一の吉備団子」として帰還兵士に売り込む。この戦略があたった。そもそもが、「吉備団子」には黍が不可欠なわけではない。「吉備」=「黍」の音の一致と、外敵である「鬼」を成敗するイメージの重ね合わせが当時の空気にぴたりとはまったのだ。
    桃太郎伝説は各地にあるのに、なぜ桃太郎=岡山のイメージが定着したかといえば、(控えめに言っても)日清戦争が一因であるのは間違いないだろう。

    ものが売れるには理由がある。おいしいだけではダメなのだ。土産物の場合、人の流れ+保存性、そしてとどめは土地と絡めた「物語性」なのだった。

    • yuu1960さん
      凄くよく分かりました。

      あるお父さんが吉備団子を出張から土産に持って帰ったら、子供が「ボク、オトーサンの家来にならない」と逃げたそうです。...
      凄くよく分かりました。

      あるお父さんが吉備団子を出張から土産に持って帰ったら、子供が「ボク、オトーサンの家来にならない」と逃げたそうです。
      お父さん「オイ、捕まえて食べさせろ」って、おかーさんに言ったそうです。

      これも日清戦争の影響なんですね。
      2013/04/15
    • ぽんきちさん
      yuu1960さん

      > 「ボク、オトーサンの家来にならない」
      すごい、名言です。

      子どもは正直、というところでしょうか(^^;)。
      yuu1960さん

      > 「ボク、オトーサンの家来にならない」
      すごい、名言です。

      子どもは正直、というところでしょうか(^^;)。
      2013/04/15
  • ざざっと読んだだけです。詳しくお土産文化の発展の歴史が記されています。
    売却済み

  • 何気なく読み始めたけれど、思った以上に興味深い内容でした。
    なるほどなあー。

    p.18
    神仏に捧げられたものに対して、
    人は神酒などを授かる。神前で酒食を共にすることで、神と人は神人供食、つまり「直会」を果たす。そして人びとには「おかげ」があったとされる
    その「おかげ」を帰宅してから家族や議員に報告するための証拠の品として、酒盃などが持ち帰られた。これが、みやげの原書的な形態であった。(略)日本の「おみやげ」の多くが、菓子類など食品であるということの背景は、こうした意味がある。みやげは元来神々の「おかげ」を分かち合うということかその起源であるということができよう。(略)日本のおみやげの起源に神社仏閣への参詣が深く関わっているとすると、そうしたあたりのことが、日本と西洋との大きな相違点を生み出していく要因になったと考えるのが、自然だろう。日本では、ご利益のあるとされる神社仏閣に数多くの参詣人が訪れ、そこで神仏から授かった「おかげ」を郷土の親族や知人に分かつということが、おみやげ文化発達の基礎をかたちづくったのである。

    p.28
    近世のおみやげは、腐らず、かさばらないものが好まれていた。交通機関が整備されていない当時は、食べ物や重くてかさばるものをおみやげとするのは非現実的なことだったのだ。
     こうした状況を革命的に変えたのが、鉄道の登場である。鉄道という装置が、社会経済だけでなく、生活形態や時間のあり方など文化にも強い影響を及ぼしたことは、すでにたびたび指摘されている。

    p.50
    日清戦争という初の対外戦争は、「国民」形成の契機であった。そして、戦争とそのための動員に伴って生じた人々の移動が「おみやげ」を生み出した。それこそが、岡山の吉備団子なのである。戦地から帰還してきた将兵が、郷里へのおみやげとして買い求めたことが、全国的な知名度を獲得する大きな契機となった。

    p.56
    日本の名物が発展してきたのには、鉄道とは別の要因も働いているはずである。いったいそれはなにか?その答えは、前近代からの由緒や来歴の変容であると考えられる。(略)
     由来や由緒といったとき、そこにもっともらしさを与えるのが「元祖」はどこかということ、さらにいえば本家争いである。こうした本家争いが、名物としての知名度向上をもたらすことも往々にしてある。その例として、京都の八つ橋をあげることができるだろう。

    p.81
    だが、白幡は、伊勢への修学旅行は、こうした「教育」の面からだけでなく、「旅行」の面から評価される必要があるとする。つまり、実際に旅行に行く局面においては、こうした建前のイデオロギーや教員目的よりも、道中の楽しさや美しい景色など、旅行としての思い出のほうが強く心に残るのではないか、としている。そして、こうした教員目的と実態との乖離は、平和教育の高まりとともに盛んになった広島などへの修学旅行にも、共通する傾向であると指摘している。
     このような、旅行における建前と実態との乖離は、少なくとも近世以来、その軸線や位相を変えつつも、現代に至るまでずっと存在し続けている。要は、江戸時代でも戦前でも戦後においても、建前の後ろに隠された旅の目的というのは、それほど変わっていないのである。

    p.165
    戦時体制期は、旅行をはじめとする行楽が厳しく規制され、観光地におけるさまざまな需要が冷え込んだ時代という認識が広くなされてきた、しかし、近年では、こうした戦時体制期の行楽のイメージの見直しが進んできた。実際には、心身の鍛錬や神社の参拝、奉仕などを名目として、各地の観光地の訪問客は急増していたのである。

    p.241
    事実、近年のおみやげには個別包装が多くなり。配りやすいよう対応が進んできたのである。
     たしかに、赤福などのように個別の包装がなされていない菓子では、配られた人々がその場で共食するということが前提となっている。個別包装のおみやげの伸長は、共食という前提がなくなりつつも、旅のみおかげを分かち合うニーズは根強いことを、雄弁に物語っている。
     こうしてみると、おみやげを配るという風習自体は、基本的にはさほど変化がないことがわかる。たしかに、かつてのように、親類縁者や地域の人々に幅広く配るといく行為こそ、現代では少なくはなっているだろう。こうした習慣は、講で積み立てをしていたり、出発に際して餞別を貰っていたりと、「配らなければならない」事情が存在していたことにも依っている。
     だが、共同体の人間関係から、現代人が完全に切り離されているわけではない。依然として、家族、友人、職場といった関係は存在している。おみやげを配り、旅のおかげを分かつという習慣自体は、時代の状況に、応じた形で、根強く残っているのである。

    p.251
    戦時期の後半には、ほとんどの人々が深刻な食糧や物資の不足に直面してきた。それ故に、軍隊と戦争というと、そうした影響ばかりが強調されてきた傾向がある。だが、戦争や軍隊という国民経験を経ることが、近代のおみやげを形作るうえで大きな役割を果たしてきたことも、否定することができない
     本書で挙げた、鉄道、博覧会、戦争や軍隊の果たした機能には、共通する部分が少なくない。だが、こうしたシステムは個々に作用していたわけではなく、それぞれのはたらきが複合的に結びつくことで、結果として近代おみやげの形成に影響を与えていた。そのような意味で、近代のおみやげは、勝(すくれて近代の産物ということができる。また、その過程で重要だったのは、「近代的な」システムが、名物を全国的に伝播させる上で果たした役割であった。
     高度経済成長期を境に、社会や交通、旅行のあり方など、おみやげを取り巻く環境は大きく変動した。だが、それでもなお、日本独自の名物の特徴、おみやげの風習が、しぶとく生き残ってきた姿を確認することができた。少なくとも、日本でおみやげとして存立するためには、その土地にまつわる何らかの由緒や来歴による「名物」化が必要であり、それを人に配るという風習は基本的には変わっていないのである。これは、欧来のスーベニアなどはもちろん、必ずしも「名物」化を重視しない中国など東アジアおおみやげ文化とも、大きく異なっている。

  • 【繊維学部図書館リクエスト購入図書】
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    http://www-lib.shinshu-u.ac.jp/opc/recordID/catalog.bib/BB11909767

  • 確かにおみやげ史ではあるが、日本近代史?

  • 上越新幹線で新潟に行き所用を済ませ東京に戻りそのまま羽田から高松へ、というhard day’s nightに読み終わったのは偶然。でも駅にも空港にもこれでもかっ!ってほどおみやげが溢れてかえっている日本でした。これ、日本人が食いしん坊だからの現象ではなくて、我々にとって旅が神社仏閣への参詣であり、神と人の「直会」による「おかげ」を帰宅後、自分が属するコミュニティで分かち合うためのもの、だから、と解説してくれます。そう、本書は科学研究費補助金も受けた立派な「おみやげ歴史学」とでもいうべき真面目な研究書なのでありました。だけど、ロンドンがもし日本の都市であったなら、ターミナル駅で「ビッグ弁」もしくは「ビッグベン当」が売られているだろうとか、フランスの巡礼地である聖地ルルドには「ルルドサブレ」や「ベルナデッタクッキー」などの名物菓子は見つけることが出来なかった、などところどころでお茶目を滲ませています。さらに、これまでおみやげの歴史に関する研究が進まなかったのは多くの日本史研究者が、大の酒好きだからなのでは、との推測もどこまで本気か、ニヤッとしてしまいます。肩の力抜けつつも、でも本書で語られるのは明治維新以後、近代国家になっていくための背骨としての鉄道、博覧会、そして戦争とちっちゃなちっちゃなおみやげとの関係を見事に語る論考でした。鉄道だけではなく国内線が産んだ銘菓「萩の月」「白い恋人」を超えて、いまやECでお取り寄せの時代、そこから見える動いている歴史も論じて欲しいです。

  • ↓貸出状況確認はこちら↓
    https://opac2.lib.nara-wu.ac.jp/webopac/BB00230225

  • 日本の観光地の定番の風景と言えるおみやげ屋さんは、海外では一般的な姿とはいえない。
    そんな日本のおもやげの来歴を広範な取材と文献資料によって紐解いて、日本の近代史を読み取る一冊。
    近代以降、鉄道、博覧会、軍隊、そしてモータリゼーションや航空機等、人の移動手段の変遷によっておみやげの性格も順次変わってきた様子が読み取れる。
    最初の疑問である「何故日本人はこんなにおみやげが好きなのか?」の分析が無かったのがちょっと残念。

  • 「日本のおみやげ文化」が、鉄道をはじめとする社会装置の影響を受けてどう変化してきたのかを論じた一冊。

    「日本のおみやげは自らの旅の証を他人に配るもの、西洋のスーベニアは自分のためのメモリアル(p.15)」という”日本みやげ文化の特異性”を指摘した上で、配りやすく保存が利く「ご当地食べもの」がどのように作り広まってきたのかを豊富な史料をもとに議論している。

    移動に時間がかかった近世はそれほど「食べ物みやげ」は普遍的ではなかったこと、保存性を高める食品技術の革新や移動時間を短くする交通機関の変化で流行りのみやげが変わることetc. とにかく近代の日本みやげ文化について膨大な史料に当たって議論してる。

    吉備団子を紹介したくだりが最も印象的。保存性を高めるために、餅粉を使った「求肥」をベースにしていること、また日清戦争の出征帰り(出征基地が広島県宇品だった)の手土産として広まったこと、「敵の鬼を平らげて無事帰る」というストーリーを作るのに桃太郎伝承が使われたこと。何の気なしに選んでいるお土産にもいろんな背景があるんだ、と教えられる。

    お土産選びがもうちょっとだけ楽しくなる一冊。

  • これはかなりのヒット!!
    独自研究かどうか分かりにくい部分はあるものの、「お土産」という日本の文化について、
    その成り立ちから、今日に至るまでの経緯や歴史などを紐解いて解説してくれています。
    そもそも私自身、海外旅行経験が少ないせいもあって、「お土産」が
    日本独自の文化であることを、今まで考えたことが無かった。
    旅の思い出として自分の記憶に残る品を手に入れることは、他の国でも
    あるようだが、同行しなかった人の為に、多くは食品を買って帰るという
    文化は、海外にはあまり無いのだという。
    さらには、観光の目的地だけでなく、交通網の要所(駅など)にまで
    広範囲にお土産が売られているのは特殊だと書いてある。
    なるほどそういうものなのか…、と思ったところから歴史語りがスタート。
    (ここまでの枕部分がほんとに気持ちがいい。)

    神社に詣でた人が「おかげ」を持ってくるところを起源とし、
    「名物」が生まれ、さらには鉄道の発達とともに、
    「構内販売」ができ、日持ちの改善と移動速度の向上で発展し、
    修学旅行、博覧会、戦争など、多くの変換点を経て、
    どんな風に変わっていったかが、かなり細かく書かれている。
    (独自の考察も含まれているが、説得力はある。)

    温泉、車社会、空港から最後には"いやげ物"まで、
    やはり、「何か」をキーにして歴史を楽しむのはとっても楽しいと再実感。

    こういう本をもっと読みたいと思った。

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著者プロフィール

1972年、和歌山県生まれ。青山学院大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(歴史学)。専攻は日本近代史、近代都市史。現在、川崎市市民ミュージアム学芸員。主な著書に『おみやげと鉄道』(講談社)など。

「2019年 『電鉄は聖地をめざす 都市と鉄道の日本近代史』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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