- Amazon.co.jp ・本 (260ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062184670
作品紹介・あらすじ
「君は、僕の足もとを照らしてくれる光なんだ――」
その作家は、夫人と別居して女優との生活を選んだ。
没後20年、初めて明かされる文豪の「愛と死」。
師であり、伴侶。23歳年上の安部公房と出会ったのは、18歳のときだった。そして1993年1月、ノーベル賞候補の文学者は、女優の自宅で倒れ、還らぬ人となった。二人の愛は、なぜ秘められなければならなかったのか? すべてを明かす手記。
【目次】
プロローグ
第一章 安部公房との出会い
第二章 女優と作家
第三章 女優になるまで
第四章 安部公房との暮らし
第五章 癌告知、そして
第六章 没後の生活
エピローグ
【本文より】
玄関に脱ぎ捨てられた見なれぬ靴と杖。部屋に灯りがついている。寝室に人の気配。そこには暖房を目いっぱい高くして、羽毛布団にくるまった安部公房がいた。去年のクリスマス・イブ以来の再会だった。
「ホテルまで探しにいったのよ」
「こんなに早く、ここへ帰ってこられるとは思わなかった」
「ここまでのタクシー代は持っていたの?」
「ポケットの小銭を渡して、まだ足りなくてゴソゴソやっていたら、運転手、諦めてドアを閉めて行っちゃった」
「マンションの表玄関の暗証番号、よく覚えていたね」
「玄関前でうろうろしていたら、顔見知りの住人が開けてくれた」
一月の夜の寒空の中、しばらく佇んでいたらしい。
安部公房が、ぽつりと言った。
「新田くんが結婚させてくれるって」
感想・レビュー・書評
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先日「安部公房の冒険」というお芝居を観る機会があり、そこで初めて安部公房が演劇の演出を手がけていたこと、演劇の場では小説ほどの評価を得ることができずに悔しい思いをしていたこと、そして教え子との不倫を20年にもわたって続けていたこと、を知りました。そして難解な小説を書くおじさんという印象しかなかった安部公房(のプライベート)への興味が突如湧き上がり、家に戻っていろいろググってこの本の存在を確認。冒頭のヌード写真に面食らいつつ、先日読み終えたところです。
いやー、この山口果林さんて、大変面倒な人生を送られたんですね。不倫相手の奥さんが仕事関係者(舞台美術や衣装担当)ですよ!ほつれた衣装を直して欲しいとお願いしても無視されたそうで、つらいといえばつらいが、まあ奥さんの気持ちもわからないでもない。悪いのは二人の女性ではなく、安部公房ですね。嫁と不倫相手を同じ場所に呼ぶ機会がたくさんあったみたいだし、体の関係は両者同時並行で続けていたみたいだし、悪趣味だわー。
この本では、「私は奥さんの知らないこんな安部公房の一面を知っている!」「あの作品、私がいなかったら生まれてなかったから!」「安部公房は本当は私と一緒になりたがってた!」「自分の物は自分で買った。金銭的援助なんて受けてない!」等々の主張が、あまり上手くない文章で次々に繰り出されます。奥さんが生きててこれ読んだら憤死モノです。彼女は彼女で、他の男と付き合ったりはなかったのだろうか。不倫は不倫で楽しんで、ほかの男の人との人生も歩めば良かったのに。つーか、いろいろあったものの触れていないだけなのだろうか。うーむ。
まあそんなのはよいのだが、もうひとつのびっくりは、
果林さんにとって
20年付き合った不倫相手が死ぬ→
自分の母親が死ぬ→
不倫相手の妻が死ぬ
というのが、半年くらいで次々に起こってしまったことですね。ひと回り以上年上の人と付き合うと、恋人の介護と親の介護、はたまた恋人の死と親の死、が同時に起こるリスクがあるんだなーと思いました・・・。
まあ果林さんはいろいろつらかったと思いますが、こうして本ですべてぶっちゃけることによって、奪われた青春を取り戻し、イキイキと今を生きているのではないかと思われます。
だって、最近のインタビュー記事でにじみ出ている幸福感がハンパないすからね。
http://toyokeizai.net/articles/-/18226
いろいろ苦汁をなめた経験が長年に渡って体内で発酵され、それによって生成された濃厚なエキスをただいま大放出!している感じが見受けられました。 -
川島なおみの「渡辺淳一とわたし」だったら絶対手にとらない。でも山口果林の「安部公房とわたし」なら…やっぱり手にとらない・・・つもりだったが、妻の母からまわってきたので読むことに。朝日新聞の書評をみて読んだそうだ。
安部公房は中学のとき、読みふけっていた。1984年の「方舟さくら丸」で安部公房の新作を読める幸せに感動。その後、卒論をワープロ(書院!)で書こう、と決めたのも安部公房の影響だった(ような気もする)。
安部公房が亡くなったとき、「女優宅で腹上死!」とのスポーツ紙か週刊誌の見出しを見たとき、文学的事件が一気にワイドショーへと変わるのに不快な感じがしつつ、奇妙さを感じた。安部公房的不条理さ。
で今更な女優の本。自分語りであり、「愛されていたわたし」であり、「失われた自分」を取り戻すため、であるタレント本のひとつ。
当時のメモをみて思い出しながらぽつぽつと書かれた文書は決してうまくはない。
どーでもいいことの書き連ねに、居心地の悪さを感じながらも、なぜかひきつけれられる。それは、編集者の手がほとんど入らない生に近い文書だからか?
ワイドショーに落ちた物語の再生か?
安部公房をめぐるエピソードで面白かったのは、「箱男」の映画化の話がきて、鈴木清順の「ツィゴイネルワイゼン」、坂本順治の「どついたるねん」、石井聰亙のミュージシャンのドキュメンタリー映画を観て、
「「石井監督の感性は、(ジム・)ジャームッシュに似ているね」と話し、OKを出したように記憶している。」(P195)
というところ。石井監督のミュージシャンのドキュメントってノイバウテンのの「半分人間」だろうか?
何がいちばんよかったかというと、カバーの表紙、裏表紙、そしてそでの4枚の写真。何でもないスナップ写真なんだけど、すごくキュート。これを見てから読み始めたのでひきつけられたのかも。
表紙に、同じ書体、サイズで
「安部公房」「山口果林」と間に
「とわたし」の12文字。
なんかいい。 -
話の内容が時系列でなくあっちゃこっちゃ飛び、さらには同じ話が散見するなどたいへんに読みづらいが、著者は文章のプロではないのでしかたないのか。
巻末の「著者の出演作」を見る限り、自分は映画『砂の器』しか見ていない。つまり「著者の自伝」という性格の強い本書で、著者をよく知らない読者である私が読むのだから面白いはずがない。「安部公房」という字の前後を拾い読みとするという、たいへんに失礼な読み方になってしまった。
で、安部公房のエピソードには興味深いものがあったが、作家個人ではなくその作品が好きな私にとって、本書を読んだことによって作品に対する見方が変るわけではないのであって。「じゃ、なんで読んだの?」と言われれば、「私が安部公房作品が好きなことを知っている友人が貸してくれたから」という消極的な理由なのであって。
っつーか、まだ全集も2巻目の終わりのほうまでしか読破できておらず、あと28巻読むまで命があるのだろうか。あ、本書を読んでよかった点は、安部公房が書いたのではなく著者と2人で書いたメモが収録されているということがわかったこと。
ちなみに私は一連の旧新潮文庫の「安部真知装丁」が大好きである。 -
表紙の写真だけで価値があると思うよ。
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史実としての価値はある。
欲を言えば、蜜月のカタルシスまで含めてひとつの物語として完結して欲しかった。若い頃かわいいからゆるす! -
安部公房が好きなので手にしたが、かなり我慢のいる読書だった。
あくまで山口果林さんの自分史で、箔のつく安部公房の名前を冠に着けた感じ。。。
せっかく図書館で借りたので読んだが、まるでblogみたいな内容で興味をもてず、
安部公房作品の背景などわずかに書かれているところだけ拾い読み。
一番印象的だったのは、「カンガルー・ノート」の表紙写真のエピソード。
写真撮影に協力した著者が、撮影協力の謝辞が本に書かれていない事を抗議した際、
安部は「助手は助手さ。」と答えたという。
二人の関係を象徴しているのではないか。。。 -
山口果林による「安部公房とわたし」を読む。かなり赤裸々。でも品は良い。もうひとつの「密会」。
これ言われたら両人とも嫌だろうけど、娘、安部ねりが書いた「安部公房伝」と、恋人の山口果林「安部公房とわたし」の文体がすごく似てるんだな。どちらも稀代の天才の息吹を文字という形で歴史に残そうっていう真摯な気持ちには変わらないんだけど、不思議。理知的で、いい意味で冷徹なんだ。どちらも。公房ゆずりなのかなと、考えてみたり。
たしか彼には腹上死説があった。もちろんこの手記により完全否定されるわけだ。またガンを隠そうとしていたのは、ノーベル賞への執着だったろうか。彼は受賞寸前だった。
希代の天才も、天然の本能に正直であったことを知る。またセゾングループとの関係もいかにもあの時代らしい。
そして山口果林って健気で可愛らしい真面目な女性であると思うばかりだ。良い日々を過ごしてもらいたい。 -
『この人が書いたものならチラシの裏のメモでも読みたい』という作家が三島由紀夫、吉田健一、倉橋由美子だが、『この人はいったいどういう人だったんだ?』という作家の1人が安部公房。
長年、安部公房の愛人であった山口果林が2人の関係を描いている。晩年の安部公房の姿がよく解る1冊だった。