マリーについての本当の話

制作 : 野崎 歓 
  • 講談社 (2013年11月28日発売)
3.13
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  • 本棚登録 :55
  • レビュー :5
  • Amazon.co.jp ・本 (178ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062186698

作品紹介・あらすじ

あの灼熱の夜の陰鬱な時間のことを、あとから考えてみてわかったのだが、マリーとぼくは同時にセックスしていたのだった。ただし別々の相手とだが。あの夜、マリーとぼくは同じ時刻に――あの夏初めての猛暑で、突然襲ってきた熱波のためパリの気温は三日続けて三十八度を記録し、最低気温も三十度を下回ることはなかった――、パリ市内、直線距離にして一キロほどしか離れていないアパルトマンで、それぞれセックスをしていたのである。その夜、宵の内にせよ、もっと夜が更けてからにせよ、ぼくらが顔を合わせることになろうとは想像もできなかった。しかしその想像を超えた出来事が起こってしまったのである。ぼくらはなんと夜明け前に出会い、アパルトマンの暗い、散らかった廊下で束の間、抱きあいさえした。マリーがぼくらの家に戻った時刻から判断して(いや、いまや〈彼女の家〉というべきなのだろう、なぜならぼくらが一緒に暮さなくなってもう四カ月たつのだから)、またぼくが彼女と別れてから移り住んだ、手狭な2DKに戻った時刻から判断しても――ただしぼくは一人ではなく連れがいたが、だれと一緒だったかはどうでもいい、それは問題ではない――、マリーとぼくがこの夜、パリで同時にセックスをしていたのは、午前一時二十分から、遅くとも一時三十分ごろだったと考えられる。二人とも軽くアルコールが入っていて、薄暗がりの中で体をほてらせ、大きく開けた窓から風はそよとも吹いてこなかった。外気は重苦しく淀み、嵐をはらみ、ほとんど熱を帯びていて、涼気をもたらすというよりもじわじわと蒸し暑くのしかかってきて、それがむしろこちらの身体に力を与えてくれるかのようだった。そして深夜二時前のこと――電話が鳴った。それは確かだ。電話が鳴ったときにぼくは時計を見たからだ。しかしその夜のできごとの時間経過については、慎重を期したいと思う。何といっても事態は一人の人物の運命、あるいはその死にかかわっていた。彼が命を取りとめるかどうかはかなりのあいだ、わからないままだったのである。

マリーについての本当の話の感想・レビュー・書評

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  • 「愛しあう」「逃げる」の続編。
    別れたマリーとぼくの再会。ずっとぼくの視点ぼくの独り語りで、別れていた間のマリーに起こった事を夢の中で見ているように鮮明に語り続ける。
    三作目にしてますます不思議。
    飛行機に乗せようとした馬の逃走劇が延々と繰り広げられたり、これは一体何の話なんだろうと。
    読み終えると「マリーについての本当の話」というタイトルが非常に意味深に思える。
    ポリスの「見つめていたい」という曲を思い出した。
    四作目はまだ日本語版が出てないみたい…次はどうなっているのか気になってしょうがない。

  • 久しぶりのトゥーサン。
    人生なんて、他人から見たら須らく安っぽい喜劇なのだろうなと思う。
    馬の騒動の場面が非常に生き生きしていて面白かった。

  • 予想以上に馬小説だった。成田のシーンは忘れがたい。

  • 久々のジャン・フィリップ・トゥーサンさんです。
    20年くらい前にご縁があって、「浴室」「ムッシュー」「カメラ」「ためらい」「テレビジョン」なんかは一気に読んだ記憶があります。
    1980年代に、多分20代でデビューした現代フランスの小説家さんですね。
    どんな小説なの?
    って問われると困っちゃうような、現代フランスを舞台に、なんだかポワンとした日常、というか若干滑稽な非日常、を、まあ、淡々とオモシロオカシク描く、という感じです。
    特段殺人や政治的事件は起こらないし、情緒的な偶然に満ちた愛憎劇があるわけでもないです。
    なんていうか、初期トリュフォーとか、ロメールの映画なんかが小説になったらこうなんだろうか?というか。
    よく言われる言葉は、「とぼけたユーモラスな、ちょっとズレた日常」みたいなことですね。
    大抵主人公も作家本人を思わせるような男性。
    だからといって、羊男とかが出てくる訳でもありません。
    どれもこれも、かなり薄くて200頁前後。読みやすい。で、どれもこれも野崎歓氏の翻訳です。
    で、親日家らしく、頻繁に東京が出てくる。

    僕は、「ムッシュー」がいちばん好きだったような。「テレビジョン」なんかも大好きでした。
    そして、映画がお好きなんですね。オリジナル脚本で「アイスリンク」という映画を監督されていまして。
    この映画がまた、とっても素敵なトボけたキュートでラブリーで滑稽なドタバタ&洗練された感じのコメディでした。

    もし、トゥーサンさん、読んでみようかな、という人には、僕は「ムッシュー」がお勧めな気がします。1冊目としては。

    と、いう訳で。「マリーについての本当の話」。
    フランスでは2009年に出版、のようですね。日本語版は去年の出版のようです。
    日本語版としては最新作。

    何作か、マリーという女性との恋愛小説が過去にあるんですね。だから連作としてわくわくして読むこともできます。
    なんだけど、僕はどうも「愛しあう」(2002)は読んだと思うんですけど、ほかは未読。

    「愛しあう」も正直、記憶がほぼ、ありません。
    でも、「マリーについての本当の話」。これ、全然楽しめました。
    軽いとぼけた感じは健在。なんですが、年齢とともになのか、どこかしら「人生」というか「諦念」というか「巨視的」というか。
    大人なため息と切なさみたいな、センチメント成分が増えていると思いました。でも、それはそれで、僕は嫌いじゃなかったです。
    マッタクいきなり、トゥーサンさんの本を、コレから読むと、どう味わえるのかチョット疑問ですが。
    人によっては「純文学」と真面目に受け止めすぎると、楽しくないような気もしますが。

    軽く素直に書いてあることを、笑ったりニヤニヤしたりして、読んで欲しいんじゃないかなあ。分かりませんが。

    40代?らしき「僕」と、30代らしき「マリー」の恋愛物語ですね。
    なんですけど、小説がはじまった時点で、「僕」と「マリー」はもう別れてます。元彼、元彼女なんですね。

    ●パリで。嵐の夜に、マリーの部屋で、マリーの今彼が心臓発作?で急死してしまう。混乱したマリーに呼び出されて、「僕」もやってくる。

    ●ちょっと遡って。東京で。マリーと今彼。金持ちで馬主である今彼。いろいろあって、急いで馬を連れて成田から帰国したい。でも馬が脱走したりで大騒動。

    ●多分、今に戻って。今彼が死んだあと。マリーが、亡き父の家のある離島で独りぼんやり暮らす。そこに「僕」が呼ばれて来る。

    ●焼けぼっくいに火が付きそうな感じのところで、ある夜、山火事?的なことになって、マリーの父の馬たちが焼け死んだり、騒動。


    まあ、大まか、そんなことがトボケタ、あるいはセンチメンタルな、「僕」の心情と、「僕が想像したマリーの心情」、と「写生的な描写」。

    この3つで描かれます。
    解説で触れているように、「夜の成田の馬暴走事件」は、なかなか面白おかしく緊迫感もあって、小説描写としてスゴクオモシロイ。
    ただ、全般な味わいは、
    「芸術家で、芸術家肌で、いい加減で気まぐれで、情緒的で不安定で繊細で大胆で非社会的で、優しくそして美しいマリー」
    という女性に、いろいろあっても恋してしまって愛してしまっている「僕」の内的なやるせなさと切なさとトキメキ。
    そんな感じが、なんていうか「でも、もう、若くもないのだけど」的な息遣いと共にクッキリ描かれます。

    なんていうか、深読みすると・・・。あまりそういう裏に意味合いみたいなコトに拘って読書したくないんで、オモシロければそれでイイと思うのですが・・・。
    馬、という生きものの存在。
    これがなんとなく、奔放で、あちこちぶつかって傷ついても自由に、痛いくらい自由に生きていくマリーというヒトと重なって見える感じなんでしょうね。
    わかりませんけど。まあ、日本の学校教育の悪しき「読書感想文」でも無いので(笑)、ソンな理屈オチは読む側としては、どうでも良いのですけどね。

    きっちり軽くて、でも、雨の感じというか、湿り気とオトナの息遣いがあって。
    サラっと淡白な感触が切ないけど可笑しくて。
    終わってないように終わるのがまた、その未完な完結がやるせない後味。

    時間は遡っての描写のところで。
    舞台は日本、競馬場の中で一瞬、「僕」と「マリー」とが交錯するんですね。
    「僕」はマリーが好きなんですね。愛おしいんですよね。どこまで行っても、誰と恋愛してても。
    マリーも「僕」のことは、好きというか、どこか深く繋がっているかんじなんですね。
    ソレはまあ、オイオイ、というトンでもない身勝手なんですけどね。でも、そこがニンゲン。・・・ってどこか、そこの湿った不条理感は谷崎さんですねえ。

    その一瞬の描き方、が僕はすごく瑞々しくて好きでした。
    ああ、小説だなあ、という。でも同時に映像的でもあるんですけどね。
    素敵。
    そんな一瞬の部分だけでも、読んで良かったなぁ、という。小説っていいなあ、という。

    タッチや方法論で言うと、マッタク書いてる側の意識はないと思いますが、津村記久子さんがもうちょっと、男女恋愛な感じでやるせなく湿度を増した感じですかね。
    歳月を超えて、また楽しめました。
    なんていうか「次回作、ゼッタイ読まねば!」って・・・燃える感じでもないんですけどね。
    どこか懐かしく、でも新鮮で、また新作と街角で出会ったら、ふらっと買っちゃおうかな、っていう感じです。

    そんな軽い愛おしさというか、海を越えてだけど同時代で味わえる。それも読書の愉しみですね。

  • 講演 ジャン=フィリップ・トゥーサン | Institut français du Japon - Tokyo
    11/30 19:00 - 21:00
    無料
    アンスティチュ・フランセ東京 Tél : 03-5206-2500
    www.institutfrancais.jp/tokyo
    アンスティチュ・フランセ東京 〒162-0826
    東京都 新宿区市谷船河原町 15

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    「あの灼熱の夜の陰鬱な時間のことを、あとから考えてみてわかったのだが、マリーとぼくは同時にセックスしていたのだった。ただし別々の相手とだが。あの夜、マリーとぼくは同じ時刻に――あの夏初めての猛暑で、突然襲ってきた熱波のためパリの気温は三日続けて三十八度を記録し、最低気温も三十度を下回ることはなかった――、パリ市内、直線距離にして一キロほどしか離れていないアパルトマンで、それぞれセックスをしていたのである。その夜、宵の内にせよ、もっと夜が更けてからにせよ、ぼくらが顔を合わせることになろうとは想像もできなかった。しかしその想像を超えた出来事が起こってしまったのである。ぼくらはなんと夜明け前に出会い、アパルトマンの暗い、散らかった廊下で束の間、抱きあいさえした。マリーがぼくらの家に戻った時刻から判断して(いや、いまや〈彼女の家〉というべきなのだろう、なぜならぼくらが一緒に暮さなくなってもう四カ月たつのだから)、またぼくが彼女と別れてから移り住んだ、手狭な2DKに戻った時刻から判断しても――ただしぼくは一人ではなく連れがいたが、だれと一緒だったかはどうでもいい、それは問題ではない――、マリーとぼくがこの夜、パリで同時にセックスをしていたのは、午前一時二十分から、遅くとも一時三十分ごろだったと考えられる。二人とも軽くアルコールが入っていて、薄暗がりの中で体をほてらせ、大きく開けた窓から風はそよとも吹いてこなかった。外気は重苦しく淀み、嵐をはらみ、ほとんど熱を帯びていて、涼気をもたらすというよりもじわじわと蒸し暑くのしかかってきて、それがむしろこちらの身体に力を与えてくれるかのようだった。そして深夜二時前のこと――電話が鳴った。それは確かだ。電話が鳴ったときにぼくは時計を見たからだ。しかしその夜のできごとの時間経過については、慎重を期したいと思う。何といっても事態は一人の人物の運命、あるいはその死にかかわっていた。彼が命を取りとめるかどうかはかなりのあいだ、わからないままだったのである。 」

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